生放送中の事故で全身不随になったテレビ宮崎のアナウンサー柳田哲志さん。
今回は、一時は命の危険もあったという柳田哲志さんの事故の顛末についてや、事故のその後から奇跡的職場復帰を遂げた現在までの様子、結婚した妻や子供などの家族などについてまとめました。
この記事の目次
柳田哲志アナウンサーのプロフィール
柳田哲志のプロフィール
生年月日:1967年9月1日
出身地:宮崎県宮崎郡砂土原町(現在の宮崎市)
柳田哲志さんはテレビ宮崎に所属する男性アナウンサーです。同志社大学を卒業後、1992年に地元宮崎県のテレビ局・テレビ宮崎にアナウンサーとして入社しました。
以降、宮崎のローカル番組「JAGAJAGA天国(ジャガジャガ天国)」のリポーター、「Mスポーツ」のキャスターなど、情報番組を中心に数々の番組に出演し、活躍します。
しかし2008年6月14日、「JAGAJAGA天国」の生放送中に、事故に遭い全身不随になる大怪我を負っています。今回は、柳田哲志さんの生放送中の事故についてや、その後や現在の様子などを紹介します。
柳田哲志アナウンサーの生放送中の大事故とは
柳田哲志さんの生放送中の事故は、2008年6月14日の「JAGAJAGA天国」の生中継中に発生しました。
その日、宮崎県北部の高千穂町で催された「尻相撲大会」の中継に訪れていた柳田哲志さんは、水田の上に浮かべられた発泡スチロールの土俵の上で尻相撲に挑戦しました。
柳田哲志さんは番組を盛り上げようとしたのか、相手の尻に押し出された際に豪快に頭から水田に向かって飛び込みました。
しかし、水田の深さが大人の膝程度しかなかったため、柳田哲志さんはほとんど抵抗のない状態で水田の底部分に頭部をそのまま打ち付けてしまい、倒れたまま動かなくなってしまいます。
そして、『オコシテオコシテ』と呼びかけました。
周囲のスタッフは倒れこんだままの状態の柳田哲志さんが笑いを取ろうとしていると思い込んでしまい、中継をそのまま続行、柳田哲志さんが水田に頭を突っ込んだまま放置された状態が画面に数十秒の間映され続けました。
その後、いつまでも起き上がらない柳田哲志さんを周囲のスタッフがようやく助け起こすのですが、柳田哲志さんが苦しそうに口の部分を動かしている状態をテレビカメラがアップにして切り取られるなど、この時点でも柳田哲志さんが重傷を負っている事に周囲は気が付いていませんでした。
その後、ようやく異変に気がついた周囲の救急通報によって、柳田哲志さんはヘリコプターで病院に緊急搬送されますが、頚椎骨折、脊髄損傷の重傷を負っている事が判明します。
ネット上では、TV史上最悪の『オコシテオコシテ』放送事故として、現在でも語り継がれています。
柳田哲志の結婚や子供、家族について
生放送中の事故で脊椎骨折、脊髄損傷の大怪我を負い、全身不随の状態になってしまった柳田哲志さんでしたが、結婚はされていたのでしょうか?
柳田哲志さんは、この事故の数年前に一般の女性と結婚されていました。結婚した奥さんの名前や年齢、顔写真などは一切公開されていませんが、柳田哲志さんと奥さんの間には1学年差の長男と長女の2人の子供がいるそうです。
2人の子供は、柳田哲志さんが事故に遭った2008年の時点で長男が小学6年生、長女が小学5年生だったという事なので、現在は長男が22歳か23歳、長女が21歳か22歳になっているはずです。
柳田哲志は家族へ最後の言葉を残していた
救急搬送された病院で柳田哲志さんは一時は命の危険もあると診断されました。医者は緊急手術の前に万一の場合を考えて柳田哲志さんに家族への最後の言葉を残すように伝えたそうです。柳田哲志さんは、当時小学6年生の長男と小学5年生の長女に「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」と伝えたのだそうです。
手術は無事終わりましたが、「一生ベッドの上で寝たきりなのか」と尋ねた柳田哲志さんに執刀医は「99パーセント寝たきりでしょう」と伝えたそうです。しかし、その言葉を聞いた柳田哲志さんは絶望するどころか「1パーセントでも可能性があるのだ」と希望が一気に膨らんだのだそうです。
その後、柳田哲志さんは必死にリハビリを送り、奇跡的復活を成し遂げます。柳田哲志さんの事故のその後については後半で紹介します。
柳田哲志アナウンサーの事故発生時の動画
柳田哲志さんが脊髄を損傷するほどの大事故に遭遇した「JAGAJAGA天国」の生中継時の動画は、現在もネット上にアップされています。かなり衝撃的な動画になっているため視聴には充分にご注意ください。
周囲はこの時点では柳田哲志さんが重傷を負っているとは夢にも思っていないため、和気藹々とした雰囲気の中で放送が続いています。その後の展開を知った上でこの動画を見るとかなり恐ろしい映像だと感じてしまいます。
柳田哲志アナウンサーの事故のその後① 必死のリハビリで奇跡の回復
脊髄を損傷する大怪我を負った柳田哲志アナウンサーは事故後10ヶ月間そのまま入院し、2009年4月9日に一時帰宅していますが、後遺症が残り下半身と両腕は全く動かない状態だったため車椅子での帰宅となりました。
必死のリハビリで奇跡の回復を成し遂げる
その後、柳田哲志さんは大分県別府市のリハビリ施設に入所し、3年10ヶ月にわたって必死にリハビリに取り組みました。ほとんど全身が動かない中でわずかに動いた肩の筋肉を徹底的に鍛え上げ、肩の力だけで腕を引き上げられるようになります。指先が頬に触れられるようになるまでに約1年もの時間がかかったのだそうです。
さらに、その後のリハビリにより補助器具を使ってパソコンのキーボードをが打てるようになり、ハードなリハビリと並行して情報処理関係の国家資格である「ITパスポート」資格を取得するという驚異的な努力を見せ、人々に勇気と希望を与えてくれました。
現在では、肩の力だけで車椅子を操作し、パソコンを使っての作業もできるため見事に社会復帰を成し遂げられています。柳田哲志さんの事故後のこうした姿が同じ境遇の方にどれほどの勇気と希望を与えているのか計り知れないものがあります。
柳田哲志アナウンサーの事故のその後② 家族の支えもあり2012年に仕事復帰
柳田哲志さんは3年10ヶ月にもわたって必死にリハビリに取り組み、奇跡的な仕事復帰を果たしています。驚異的な努力で仕事復帰を果たした柳田哲志さんのその後の活躍を紹介します。
2011年に24時間テレビに出演
柳田哲志さんは、2011年8月に放送された「24時間テレビ 愛は地球を救う」にて、事故以来3年2ヶ月と1週間ぶりとなるテレビ出演を果たしました。
石の上にも三年、とは申しますが、訓練台の上にも三年…再び番組で視聴者の皆さんに元気な声、笑顔をお届け出来る日を夢見て私なりに訓練を続けさせて頂いてきましたが、遂に先日の24時間テレビに合わせて、受傷後初の番組出演を果たすことができました。
本当に本当にありがとうございました。
この復帰にあたり、柳田哲志さんは、自身の医療、介護、訓練に関わったスタッフの方々、周囲の仲間や、応援してくれたファンに向けて深い感謝の想いを発信しています。
まだまだ小さな一歩かも知れませんが、それは間違い無く、医療、介護、訓練に関わる全てのスタッフの皆さん、仲間、そして私を心から応援して下さった皆さんの大きな大きなチカラ=声が踏み出させてくださった第一歩である事は確かです・・本当にありがとうございます。
感謝の思いが絶えません。
絶望して自暴自棄になってしまっても不思議ではないほどの後遺症を負いながらも、前向きな努力を続けて見事仕事復帰を果たし、なおかつ周囲の人々に感謝の想いを口にできる柳田哲志さんの素晴らしい人間性が垣間見えますね。
2012年に仕事復帰
柳田哲志さんには妻と、長男と長女の2人の子供の3人の家族がいます。こうした家族の支えもあり、柳田哲志さんは見事仕事に復帰されています。
2012年4月7日に「JAGAJAGA天国」の後継番組として放送開始された「NOON TV マッポス」のレギュラー(マッポスメンバー)として、柳田哲志さんは本格的にアナウンサー復帰を果たしました。
仕事復帰した柳田哲志さんは、重度の身体障がい者であることを視聴者に全く感じさせない仕事ぶりを見せ多くの視聴者が驚き、同時にそのプロ意識の高さも人々の尊敬を集めました。
何よりも多くの人々が柳田哲志さんの復帰を喜び、テレビ宮崎には数多くの応援のメッセージが寄せられたそうです。
今更ですが、柳田哲志アナ復活されたんですね。率直に凄いと思うし、頑張って欲しいd(^_^o)
— いなりんこ (@inarinko) April 7, 2012
柳田哲志アナ、完全復活だったのね。あれから4年ですか…おかえりなさい。
— じゅんじゅん (@Jun2_K) April 7, 2012
テレビ宮崎のアナウンサー柳田哲志さん復帰してたんか!
— 菊之丞 (@underpath) June 18, 2013
2008年6月に生放送中に事故で頚椎骨折。私も事故の動画を見たが生きてることがもう奇蹟なくらいな状態だった。
今は車椅子で仕事なさってるそうだ。あきらめない意思の力ってすごいね。
柳田哲志アナウンサーの現在① みやざきゲンキTVでメインMCを担当
出典:https://www.umk.co.jp/genki/
柳田哲志さんは2012年4月に「NOON TV マッポス」のマッポスメンバーとして仕事復帰し、2014年3月のマッポスの放送終了後からは地元密着型の情報番組「みやざきゲンキTV」のメインMCを担当されています。
柳田哲志さんも車椅子に乗って現地取材やインタビューを行うなど、精力的な仕事ぶりを見せてくれています。腹筋が使えず発声には苦労されているはずですが、カメラが回ると不思議と声を張ることができるのだそうです。視聴者の間でも、柳田哲志さんのMCは非常に聞き取りやすいと評判になっています。
柳田哲志アナウンサーの現在② 宮崎県ボッチャ協会副会長を務める
「ボッチャ」とはヨーロッパで生まれた障がい者スポーツで「重度脳性麻痺者」および同程度の「四肢重度機能障がい者」のために考案されたスポーツです。パラリンピックの正式種目としても採用されています。
柳田哲志さんは、この「ボッチャ」を宮崎県から全国に発信することを目指す団体「宮崎県ボッチャ協会」の副会長を務めています。
柳田哲志さん自身もリハビリの時に出会って以来の「ボッチャ」のプレイヤーだということで、2017年9月に開催された「第13回大分オープンボッチャ大会」では団体戦優勝の快挙も成し遂げています。
柳田哲志さんは、自身もプレイするボッチャの楽しさを広く伝えるため、宮崎県ボッチャ協会副会長として、各地で普及活動を精力的に行なっています。イオンモール宮崎で2018年に開催された「スポーツ&ホストタウンフェスタ2018」にもゲストとして出演し、「ボッチャ」の魅力を来場者に伝えています。
柳田哲志アナウンサーの現在③ 障がい者に対する理解を深めるための講演会も開催
出典:https://cms.miyazaki-c.ed.jp
柳田哲志さんは、自身の事故についてや苦しいリハビリの日々、職場復帰した現在も大変な苦労と努力をされている経験などを、障がい者への理解を深めるための講演会などでお話しされています。
障がい者に向けての講演会だけでなく、青少年の教育のために地元宮崎県の学校を訪れて講演したり、地元の人々の前で講演したりと、自身の経験を積極的に伝えてくれています。柳田哲志さんは地元宮崎県で非常に人気の高いアナウンサーという事で、多くの人々がその講演会に足を運ばれているようです。
今日は柳田哲志さんの講演を聞いた。
— Anna Iwamoto (@mossananna) November 7, 2018
すごく勉強になった。
この講演を学校で聞ける事が凄いと思う。
スポーツ、日常生活など
今の自分、これからの自分にとても大切な事だと思う。
考えさせられる講演でもあった。
ありがとうございました。
まとめ
生放送中に不幸な事故に遭い全身不随となった宮崎テレビのアナウンサー・柳田哲志さんについてまとめてみました。
柳田哲志さんは2008年6月、生放送ロケ中に水田の上でお尻を向けて押し合う尻相撲に挑戦し、押し負けて水田の中に転落。この時に頭を思い切り水田の底に打ち付けてしまい、脊髄を損傷する大怪我を負ってしまいました。
その後、柳田哲志さんは3年10ヶ月にも及ぶ懸命のリハビリによって、奇跡的な仕事復帰を成し遂げ、現在もテレビ宮崎の人気アナウンサーとして活躍を続けています。
アナウンサーとしての仕事以外にも、障がい者スポーツ「ボッチャ」の普及活動や、自身の経験を生かしての障がい者への理解を深めるための講演会なども行なうなど精力的に活動されています。
柳田哲志さんは、懸命な努力と強い意志によって見事に社会復帰を成し遂げ、多くの人々に勇気と希望を与えてくれています。今後も柳田哲志さんの活動を応援していきたいと思います。