元文化放送の人気ラジオパーソナリティの梶原しげるさんがパーキンソン病を告白し話題です。
この記事では梶原しげるさんの昔や若い頃の経歴、結婚した嫁や2人の子供、息子と音楽で活躍する娘ら家族、自宅やアルツハイマーの病気を告白した経緯、現在などについてまとめました。
この記事の目次
梶原しげるのプロフィール
梶原しげるのプロフィール
本名 :梶原茂(読みは同じ)
生年月日:1950年7月26日
出身地 :神奈川県茅ヶ崎市
身長 :168cm
血液型 :B型
別名義 :シーゲル・カジワラ
梶原しげるさんは、若い頃は文化放送で活躍されていたベテランのフリーアナウンサーです。
梶原しげるさんは、確かなアナウンサー技術と幅広く深い知識に定評があり、バラエティから報道まで幅広く活躍されています。
若い頃は演歌を英語に訳して歌う「イングリッシュ演歌家元シーゲル・カジワラ」として歌手活動も展開するなど音楽への造詣も深く、洋楽チャート番組「オールジャパンポップ20」のパーソナリティやビリー・ジョエルのシングル曲のライナーノーツも手掛けています。
著作も多数あり2003年に発表した「口のきき方」は15万部突破のベストセラーになっています。
そんな梶原しげるさんですが、現在、「徹子の部屋」に出演して自身の病気を公表して話題を集めています。
ここでは、梶原しげるさんの若い頃や家族、公表した病気について改めて詳しく紹介していきます。
梶原しげるの昔や若い頃① 早稲田大学法学部時代はハワイアンバンドで活動
梶原しげるさんは、神奈川県茅ヶ崎市の出身で、実家は柳島海岸の近くで両親と姉が2人の家族で育ちました。
茅ヶ崎市立西浜小学校と西浜中学校では卓球部に所属し、同じ体育館で練習していたバレー部の先生の紹介もあって1965年に磯子区に設立されたばかりだった「神奈川県立貿易外語高等学校(現在の横浜国際高校)」へと進学。高校では、英語、フランス語、スペイン語を学べたそうです。
県立貿易外語高校は当時は2期生の職業高校でしたが、試しに大学受験の模試を受けてみたところかなりの好成績が出て、それがきっかけになって早稲田大学法学部を受験し見事合格されています。
梶原しげるさんは早稲田大学時代は音楽にのめり込み、ジャズをはじめ様々な音楽ジャンルに熱中されたそうです。早稲田の伝統的ハワイ音楽研究バンドサークルである「ナレオ・ハワイアンズ」にも所属し、ハワイアンバンドのボーカルとしても活躍されました。
梶原しげるの昔や若い頃② 文化放送にアナウンサーとして入社
梶原しげるさんは大学時代の音楽サークルの仲間に「発音がいいから」とアナウンサーを勧められ、アナウンサー塾に入りました。
そこで訓練を積みテレビとラジオ両局のアナウンサー試験に合格。早稲田大学卒業後の1973年4月に文化放送にアナウンサーとして入社されています。
文化放送時代の若い頃の梶原しげるさんは、「文化放送ホームランナイター」で、プロ野球の実況中継を任されるも、あまりにも野球の知識がなかったため、解説の別所毅彦さん(元巨人の投手)に叱られてしまい、その後は野球中継やスポーツ中継の実況は1度も担当していません。
梶原しげるさんはスポーツ実況から外された後は、主に若者向けの深夜番組や音楽番組を中心に活躍しました。
代表的な番組としては、1974年から1975年にかけて「セイ!ヤング」の土曜パーソナリティ、1975年から1976年にかけての「電リク’75」の木曜パーソナリティ、1978年から1979年にかけての「オレンジ通り五番街」のパーソナリティ、1980年から1991年にかけての「新宿音楽祭」の司会、1981年から1983年までの「ヤングタウンAM」のパーソナリティ、1982年から1983年にかけての「全国ポピュラーベストテン」のパーソナリティなどがあります。
また、1980年代半ば頃からはラジオパーソナリティとして人気を上げ「梶原茂の元気いっぱい歌謡曲」、「男 梶原茂34 ダイナミックレーダー 歌謡ヒットパレード」、「梶原茂のラジオで大繁盛」、「梶原しげるの本気でDONDON」などの冠番組も多数担当されました。
梶原しげるの昔や若い頃③ 文化放送を退社し個人事務所を立ち上げて独立
梶原しげるさんは1991年いっぱいで20年勤めた文化放送を円満退社し、1992年1月1日に個人事務事務所「梶原放送局」を立ち上げてフリーアナウンサーとして独立されています。
梶原しげるさんは文化放送の頃からテレビの司会の仕事(「全国高等学校クイズ選手権」、「こだわりTV PRE★STAGE」など)もしていましたが、フリーになってからはテレビへの出演を大きく増やされています。
代表出演番組としては「上岡龍太郎がズバリ!」、「タモリ倶楽部」、「奇跡の扉 TVのチカラ」、「朝まで生テレビ!」、「TVチャンピオン」、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」などがあります。
梶原しげるの家族① 結婚は1979年で嫁は一般女性のまり子さん
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続けて、梶原しげるさんの家族についてもみていきます。
梶原しげるさんは文化放送のラジオパーソナリティとして活躍されていた1979年(29歳時)にまり子さんという一般女性と結婚されています。
梶原しげるさんと嫁のまり子さんは、メディアでおしどり夫婦としてよく取り上げられていますが、それによると嫁のまり子さんの方が梶原しげるさんの1歳年上のようです。
また、梶原しげるさんの嫁のまり子さんの経歴などは一般の方という事で詳しくは明かされていないのですが、梶原しげるさんと結婚して子供を出産するまでは会社勤めをされていたようです。ただ、どうやらテレビやラジオ関係ではなかったようです。
妻は当時としては珍しく、妊娠しても仕事を辞めず、妻いわくその会社の『産休第1号』だそうです。結局、子育てのために専業主婦になりましたが、今にして思えば産休を取るほど仕事にやりがいを感じていたということ。
嫁のまり子さんとの馴れ初めについては、梶原しげるさんの方から声をかけた事が明かされています。声をかけたとは言っても、外でロケをしている時に見ていた女性3人組に声をかけたうちの1人が嫁のまり子さんだったという事なので、梶原しげるさんも最初はナンパというよりはファンサービスのつもりだったのだと思われます。
結婚44年になる妻まり子さんとのなれ初めを明かした。「外でのロケを見ていた女性の中にかわいい人がいるなと思って。当時積極的だったんでしょうね。こっちこっち、(当時所属の)文化放送でラジオやってるからって。ずうずうしかったんですけど。3人のうちの1人だったんです」と語った。
梶原しげるさんの嫁のまり子さんは、40代の頃(1990年代の半ば頃)に、小脳の病気で運動機能に障害が出る「アーノルド・キアリ症候群」を発症し、手術を受けられています。
40代の頃に奥さんが小脳の病気である「アーノルド・キアリ症候群」を発症。大手術と2カ月に及ぶ入院を経験したが、徐々に歩行障害などが出てきたのだ。
この病気は完治する事はなく、ずっと付き合っていく事になるそうで、梶原しげるさんは運動機能が低下した嫁のまり子さんを介助しながら生活されています。
ただ、この病気をきっかけにして梶原しげるさんはより、嫁のまり子さんを愛おしく思うようになったそうで、現在は結婚した当時の何十倍も嫁のまり子さんの事を好きになったと話されています。
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梶原しげるさんは嫁のまり子さんとの結婚生活や想いをまとめた書籍「妻がどんどん好きになる」を2021年に発表し話題になりました。
梶原しげるの家族② 子供は2人で息子と娘
梶原しげるさんと嫁のまり子さんとの間には2人の子供が生まれています。
梶原しげるさんの子供は息子と娘が1人ずつで、娘のもも子さんは1981年11月10日生まれ、息子の太郎さんは1984年か1985年に生まれています。
娘の梶原もも子さんが、自身のインスタグラムで子供時代の弟(梶原しげるさん息子)の太郎さんとのツーショット画像を公開されていました。
うん十年前のひな祭り😂
はち切れんばかりの笑みを浮かべるのは
弟の太郎くんです。
はい。
姉弟あわせて
桃太郎です
梶原しげるさんの息子の太郎さんについてはこれ以上情報がないのですが、娘の梶原もも子さんは、若い頃は歌手やミュージカル女優として活躍されていた経歴があり、現在も音楽業界で活躍されています。
梶原しげるさんの娘の梶原もも子さんについては次の見出しで改めて紹介します。
梶原しげるの家族③ 娘の梶原もも子は若い頃に歌手やミュージカル女優として活躍
梶原しげるの子供(娘)・梶原もも子のプロフィール
生年月日:1981年11月10日
出身地 :東京都
血液型 :B型
梶原しげるさんの娘さんの梶原もも子さんは、音楽好きの両親(母親もまり子さんは宝塚ファン)の影響で音楽に親しんで育ち、3歳で初めて宝塚を観劇してミュージカルに夢中になり、将来は自分も舞台に立ちたいと夢を抱くようになったそうです。
3歳からバレエをはじめ、6歳からはピアノを、中学進学後はソルフェージュ(音楽の基礎)と声楽のレッスンを受けはじめ、中高では英語部やダンス部で活動されていました。ちなみに、私立の名門女子校である「東京女学館小学校・中学校・高等学校」に通われていたそうです。
中学3年生の時には、父親の梶原しげるさんと2人でニューヨークへ旅行に行き、ブロードウェイのミュージカルを旅行中毎日観に行って強い衝撃を受けたそうです。
留学を決心した梶原もも子さんは、高校2年から3年まで、オハイオ州クリーブランドにホームステイして留学し、現地の高校(ベリア高校)では英語を学びながら演劇やコーラス、ジャズバンド、マーチングバンド、吹奏楽などの音楽活動に明け暮れたそうです。
高校卒業後は慶応義塾大学の総合政策学部へと進学。大学では高校時代の友人であるいわさき きょうこさん(現在もシンガーソングライターとして活躍)と2人で音楽活動を始め、2003年3月にボーカルデュオ「ピコマコ」としてユニバーサルミュージックからシングル「PHOTOGRAPH」でメジャーデビューしています。
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「ピコマコ」は2004年で解散になりますが、梶原もも子さんは在日米軍専用のニュー山王ホテルのレストランでピアノの弾き語りの仕事などで音楽活動を続け、2006年にアメリカニューヨーク・マンハッタンに拠点を移しています。
梶原もも子さんはアメリカでミュージカルのオーディションに挑戦を続け、主演を射止めてミュージカル女優としてデビューを果たしています。2008年位はミュージカル「ジーザスクライストスーパースター」のブルックリン公演でマグダラのマリア役を演じました。
その後もミュージカル女優としてブロードウェイを中心に活躍。「ミス・サイゴン」、「ジョゼフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」、「ディサイダーズ」などへの出演の他、CNNのコマーシャルやテレビ、インディペンデントフィルムなどに出演し活躍されました。
2013年にはミシガン州アナーバーに移住し、2015年に日本語親子教室「Asobo!Ann Arbor」を設立し、音楽教室「トモダチソングス」を主催し、現在もアメリカにて、0歳から未就学までの子供と保護者を対象にした音楽教室や、小学生を対象にしたミュージカル合唱スクールを運営されています。
梶原しげるさんの娘の梶原もも子はアメリカ人男性と結婚し子供も息子が2人
梶原しげるさんの娘の梶原もも子さんは、5歳年上のアメリカ人男性と結婚し、子供も2人生まれています。梶原しげるさんにとっては孫という事になります。
梶原もも子さんの旦那さんは「アンちゃん」というニックネームで呼ばれていて、陽気で仏様レベルで穏やかな性格の方だそうです。クラフトビールと豆腐、カラオケが大好きなのだとか。
梶原もも子さんの子供は2人とも息子さんで、長男が2012年6月16日生まれで名前はカイさん、次男が2015年2月生まれで名前はレンさんです。
ちなみに、梶原しげるさんは娘の梶原もも子さんがアメリカ人男性と結婚したのを機に、本格的に英会話をマスターしたいと思うようになり勉強を始められたそうです。2013年には「英語、はじめました。 オヤジの体当たり英語勉強法」という本まで発表されています。
梶原しげるの自宅
梶原しげるさんの自宅は「東京都目黒区大岡山」のようです。
これは梶原しげるさんの公式のプロフィールにも記載されています。
目黒区大岡山在住
2022年1月にも下のようなツイートをされていたので、現在も自宅は「目黒区大岡山」にあると見られています。
本年最初の打ち合わせは地元大岡山のファミレス!
— 梶原しげる (@shigerukajiwara) January 3, 2022
もちろんお酒なんか飲んでませんよ!
梶原しげるさんは子供2人の独立後は、この自宅で嫁のまり子さんと愛犬と暮らしていると明かされていた事もあります。
ちなみに、梶原しげるさんが嫁のまり子さんと結婚後、初めて2人で購入した自宅は、江東区の東陽町駅から徒歩2分のところにあるマンションだったそうです。
夫婦で初めて購入した「東陽町駅」徒歩2分のマンション。
2007年5月25日には、TBSで放送されていた情報番組「2時っチャオ」で当時の自宅を公開された事もありました。
梶原しげるの現在…アルツハイマーの病気を「徹子の部屋」で公表
梶原しげるさんは現在もフリーアナウンサーとして活躍されていますが、2023年9月5日放送のトークバラエティ「徹子の部屋」に出演し、アルツハイマーと診断された事を公表されました。
フリーアナウンサー梶原しげる(73)が5日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜午後1時)に出演し、アルツハイマー病と診断されたことを初公表した。
梶原しげるさんによると、数年前からこの病気の症状は出ていたそうなのですが、2023年の年明け早々に診断されたとして、「徹子の部屋」での公表を決められたようです。
2022年7月に現場に向かう途中に道に迷ってしまい、結局到着できなかったのがはっきりと症状を自覚した最初だったそうです。
梶原しげるさんが公表した病気「アルツハイマー病」は、脳の神経細胞が減少し、認知症が進行する病気です。記憶や思考能力がゆっくりと低下し、最終的には日常生活の最も単純な作業を行う能力も失うという恐ろしい病気です。
アルツハイマー病は、脳の神経細胞が本来の老化よりも早く減ってしまい、認知症が徐々に進行していく病気です。認知症とは、1度獲得された知的能力が脳の病気のために失われて、社会生活や日常生活に支障を来す状態のことです。
現在の医学ではアルツハイマー病の治療方法は見つかっていません。梶原しげるさんも最初にこの病気の診断を受けた時にはショックを受けられたそうですが、周囲に相談したところ「俺もそうだよ」と自身もアルツハイマーだと友人から明かされ、「お互いに情報交換してアルツハイマーとして生きていこう」と前向きな気持ちになられたそうです。
梶原しげるさんは現在はラジオも含めてレギュラー番組を持たれていませんが、これもアルツハイマーの病気の影響もあったようです。今後の活動は不明ですが、アルツハイマーは症状を抑える事はできても回復は難しいとされているため、梶原しげるさんがフリーアナウンサーとして若い頃のようにバリバリ活躍するのは難しいかも知れません。
まとめ
今回は、「徹子の部屋」でアルツハイマーの病気を公表した事で話題になっているフリーアナウンサーで人気ラジオパーソナリティの梶原しげるさんについてまとめてみました。
梶原しげるさんは若い頃は文化放送の人気ラジオパーソナリティとして活躍し、若者向けの深夜番組や音楽番組を数多く担当されました。文化放送を退社された後は独立してフリーアナウンサーとなり、テレビにも進出して多くの人気番組で司会や進行役を務めています。
家族は嫁と子供が2人で、嫁のまり子さんとは1979年に結婚し現在もおしどり夫婦として知られています。子供は娘と息子が1人ずつで、娘は梶原もも子さん、息子は太郎さんです。
娘の梶原もも子さんは、過去には歌手やミュージカル女優として活躍されていた経歴を持ち、現在はアメリカ在住で音楽教室を運営されています。娘のまり子さんはアメリカ人男性と結婚し、梶原しげるさんにとっての孫となる2人の子供を産んでいます。
梶原しげるさんの自宅は東京都目黒区で、現在は嫁のまり子さんと愛犬と暮らされているようです。
梶原しげるさんの現在については、2023年9月5日放送の「徹子の部屋」に出演された際に、アルツハイマーと診断された事を公表し話題を集めています。現在はレギュラー番組は持たれておらず、病気のこともあって仕事は控え目にされている様子です。