マダム路子さんは作家・美容家ですが、お笑い芸人・品川祐さんの母親で結婚歴や離婚歴も話題です。
今回はマダム路子さんの家系図や実家の家族、若い頃の経歴、片岡五郎さんなど旦那と子供(息子・娘)、自宅や現在の様子もまとめました。
この記事の目次
- マダム路子のプロフィール:作家で、品川庄司・品川祐の母親でもある
- マダム路子は山野愛子の次男と結婚・家系図も紹介
- マダム路子の家族(父親と母親)
- マダム路子の若い頃の経歴① 学生時代は役者に憧れていた
- マダム路子の若い頃の経歴② 魅力学研究家・美容家として講師デビュー
- マダム路子の若い頃の経歴③ 離婚を機に「マダム路子」に改名
- マダム路子の若い頃の経歴④ 片岡五郎と国際魅力学会を設立
- マダム路子が結婚した旦那① 美容総合商社元取締役・山野凱章
- マダム路子が結婚した旦那② 役者・片岡五郎
- マダム路子は小説家・笹沢左保と不倫していた
- マダム路子の子供は4人(息子2人・娘2人)
- マダム路子の次男・品川祐のプロフィール
- マダム路子の自宅は神奈川県相模原市にある?
- マダム路子の現在:各メディアやYouTubeなどで活躍中
- まとめ
マダム路子のプロフィール:作家で、品川庄司・品川祐の母親でもある
生年月日:1940年7月7日
出身地:東京都
所属:一般社団法人「国際魅力学会」
マダム路子さんは作家で、YouTuberとしても活動。また、一般社団法人「国際魅力学会」で会長も務めています。
次男はお笑いコンビ「品川庄司」の品川祐さん。
品川祐さんはバラエティ番組などで母親であるマダム路子さんについてたびたびエピソードを語っています。
マダム路子は山野愛子の次男と結婚・家系図も紹介
出典:https://kingendaikeizu.net/ ※出典元画像を元に一部加筆
マダム路子さんは実家の長女として誕生。戦時中は富山県や埼玉県へと疎開していたそうです。
その後、1945年に終戦を迎えると東京都の社宅へと戻り、麹町小学校へと進学しました。
ちなみに兄弟のうち、三男である兄を栄養失調で亡くしているとのこと。
私たち家族は父と兄が東京に残り、私と次兄・3男と弟と母と両親の故郷富山家富山市に疎開。終戦後は父の会社が契約していた瓦工場の社宅に一時移住。3男は栄養失調で逝去。その後4男誕生。瓦工場の前で弟2人の面倒を見る私。苦しい生活でしたが、空爆下にいるよりほっとしたのか気が付かないうちに笑顔になっていました。
また、マダム路子さんは”美容業界の教祖”・山野愛子さんの次男である山野凱章さんと結婚。
そのため、品川祐さんら子供たちにとって、山野愛子さんは祖母、美容家の山野愛子ジェーンさんはいとこ、「株式会社ヤマノホールディングス」会長の山野彰英さんは叔父にあたります。
ただし、その後に離婚しています。
マダム路子の家族(父親と母親)
出典:https://pixabay.com/
母方の祖父は富山で八百屋を経営していたそうで、マダム路子さんの母親は6人兄弟の長女として誕生。
裕福とまではいきませんでしたが、不自由なく生活することができていたといいます。
しかし、贔屓にしていた座長に祖父が借金の保証人を頼まれたことで状況が一変。
座長に逃げられて祖父が借金を肩代わりすることになり、さらにその後、祖父が病死してしまったことで一家離散状態に。マダム路子さんの母親は、伯母のいる東京へ奉公に出ます。
そこで父親と出会い、結婚しました。
一方の父親は50代で務め先を早期退職し、会社を設立しています。
マダム路子の若い頃の経歴① 学生時代は役者に憧れていた
マダム路子さんは山脇学園中学校、そして同高等学校へと進学。ミュージカル女優に憧れ、演劇クラブで活動していたといいます。
しかし、成長期を迎えるにつれてニキビに悩まされるなり、それに伴い、対面恐怖症・赤面恐怖症にも苦しめられたそうです。
これらの経験から、「女性の美」について考えるようになったというマダム路子さんは、高校卒業後に日本美容専門学校へと進学。
同校卒業後も引き続き女優になることを夢見ていましたが、東宝宝塚文芸部・演出家でメンターの丸尾長顕さんから「“魅力学”を伝承して欲しい」と指名を受けました。
魅力学とは
まず、「自分魅力」を導きだします。磨きをかけ、心身ともに成長しながら、「対人魅力」にも対応する能力をもち
自他共に真・善・美を研究する基礎メソッドです。
引用:魅力学とは
マダム路子の若い頃の経歴② 魅力学研究家・美容家として講師デビュー
マダム路子さんは1963年、21歳の時に美容師資格を取得。その翌年には、日本初となるプロの魅力学研究家・美容家として講師デビューを果たしました。
そして日本が戦後~高度経済成長期へと向かう中、デモ行進などで自身の考えを主張する学生を見たことで、「女性の魅力を引き出すことで活動の場を広げたい」と考えるように。
彼らは自分たちの信じる主義主張で日本の政治システムを変えたいと考えての行動だった。そうした中には多くの女性たちもいた。私は、暴力と理解しにくい理念ではなく女性が持つそれぞれの魅力を引き出し、活動の場を広げ社会的地位、男女格差も無くしたいと思っていた。私は、ますます【魅力学】、の重要性を胸に刻んだ。しかし、熱い思いはあってもそれを実施する場がない。
そして、フジテレビのプロデューサーからイベント審査員を打診されたことを機に、“美容業界の教祖”山野愛子さんと出会います。
マダム路子の若い頃の経歴③ 離婚を機に「マダム路子」に改名
それから2年後の1965年、23歳の時に山野愛子さんの次男・山野凱章さんと結婚。いわゆる授かり婚だったそうで、同年7月に長女を出産します。
結婚後は「山野路子」名義で美容業界にて活躍しますが、35歳で離婚したことを機に「マダム路子」へと改名しました。
マダム路子の若い頃の経歴④ 片岡五郎と国際魅力学会を設立
マダム路子さんはメディアにも度々出演しており、1987年にはテレビ朝日系列で放送されていた健康番組「発汗!シェイプUP」では司会を担当しています。
同系列で放送されていたワイドショー「モーニングショー」にも出演。美容体操本を出版していたこともあって当時はレオタード姿で登場していたといいます。
1999年には役者の片岡五郎さんと2人で一般社団法人「国際魅力学会」を設立し、同会の会長となりました。
2011年からは、片岡五郎さんが役者仲間らとYouTube動画制作・編集のビジネスをスタート、2013年よりマダム路子さんも制作として参加しています。
また、2000年より「魅力心理学士」取得講座を開講。早稲田大学のエクステンションセンターで「魅力心理学講座」も開かれました。
そのほかにも、2012~2015年にかけて「ミセス日本グランプリ」の名誉顧問、2013年には「インターネットジャパンアクターズTV制作」の会長に就任。
2015年には「東京御苑ロータリクラブ」を設立するなど、多岐にわたって活躍されています。
マダム路子が結婚した旦那① 美容総合商社元取締役・山野凱章
マダム路子さんは1965年、23歳の時に結婚。
お相手の山野凱章さんは、山野美容専門学校を創立した”美容業界の教祖”・山野愛子さんの次男です。
2人はいわゆる授かり婚で、付き合い始めてからわずか3ヵ月でプロポーズを受けたといいます。
その後、4人の子供を出産するも、35歳の時に離婚しました。
マダム路子が結婚した旦那② 役者・片岡五郎
生年月日:1944年1月24日
出身地:東京都
所属事務所:不明
マダム路子さんは2007年、67歳の時に再婚。
再婚相手は役者の片岡五郎さんで、48歳だった1998年に出会ったのだとか。
2人は翌1999年に一般社団法人「国際魅力学会」を設立するも、再婚までは出会ってから19年もの月日を要しました。
そんな片岡五郎さんは法政大学在学中より、青春スター路線の役者として活躍。
劇団「俳優座」の養成所15期生で、1965年に日本テレビで放送されたドラマ「青春とはなんだ」をはじめとする青春ドラマで活躍しました。
その後、1970年代から1990年代にかけては”コワモテ悪役”としてブレイク。時代劇の悪代官や刑事ドラマの凶悪犯などといった役柄を数多く演じました。
日本テレビ系列の「太陽にほえろ!」シリーズ、TBS系列の「Gメン」シリーズ、テレビ朝日系列の「西部警察」シリーズといった人気を博した警察ものにも出演。
TBS系列の「水戸黄門」シリーズ、テレビ朝日系列の「暴れん坊将軍」シリーズといった人気時代劇にも出演しています。
その一方で、マダム路子さんとの出会いを機に40代からは魅力人学育成活動に注力。
近年は経営コンサルタントとしても活動しており、役者業の傍ら、講師を務めたり執筆したりといった活動もされているそうです。
また、マダム路子さんと立ち上げた「国際魅力学会」では、インターネットテレビ「JapanアクターズTV」を開設。
社会的・外見的に魅力を持つ各分野における有名人を”魅力人”として紹介しています。
また2019年には、BSフジで放送されているクイズ番組「クイズ!脳ベルSHOW」にも出演しました。
マダム路子は小説家・笹沢左保と不倫していた
マダム路子さんは山野凱章さんと結婚していた頃から、小説家・笹沢左保さんと交際していたといいます。
しかも、その不倫関係について1994年の著書『体験的愛人論―ある作家との愛』で赤裸々に語っているのだから驚きです。
「愛も生きる証なら、仕事も私にとっては生きる証であることを再び感じとっていました…」。山野美容王国の御曹子と離別し、10歳上の有名作家の許に走った12年間の充実した愛の軌跡を赤裸々に告白。
著書によれば、2人は対談で出会ったことを機に恋に落ち、愛人関係に。別れるまで12年も交際していたといいます。
同著ではベッドシーンなど生々しい描写が多々ありますが、品川祐さん以外の子供たちは全員その内容を確認したのだとか。
そんな不倫相手の笹沢左保さんは、1960年に小説家デビューし、ムーディーかつトリッキーな本格ミステリー作品を次々と発表。”新本格派のホープ”と注目されていました。
また、テレビドラマ化された大ヒット小説「木枯し紋次郎」シリーズで知られ、推理小説・サスペンス小説からエッセイ、歴史書に至るまで生涯で380冊ほどの著書を出版しています。
三度笠を被り長い楊枝をくわえた姿で、無宿渡世の旅を続ける木枯し紋次郎。己の腕だけを頼りに、人との関わりを避けて孤独に生きる紋次郎だが、否応なしに旅先で事件に巻き込まれてゆく。
なおプライベートではクールな二枚目として、過去に役者の富士真奈美さん・タレントのデヴィ夫人とも噂されたプレイボーイでもあります。
マダム路子さんは山野凱章さんと離婚後、笹沢左保さんと同居。
子供たちにも笹沢左保さんを「お父さん」と呼ばせていたとのことです。
品川は、2人目までは普通に「お父さん」と呼んでいたという。だが彼が中学時代に父親となった片岡から「お父さんと呼んでくれ」とせがまれたものの、思春期の気恥ずかしさからきちんと呼べず、苦し紛れに“お父さん”のイントネーションで「ごろうさん」と呼んでいたと語り、笑いを誘っていた。
笹沢左保さんは2002年逝去。享年71歳でした。
マダム路子の子供は4人(息子2人・娘2人)
マダム路子さんには、4人の子供がいます。
最初の旦那・山野凱章さんとの間に長女の中原晴美さん、長男の一治さん、次女の実花さん、次男の品川祐さんが誕生しました。
長女の中原晴美さんは、マダム路子さんと同じ魅力学研究家・ヘアスタイリストとして活動。
品川一治さんは映像制作会社「株式会社トボガン」でCEOを務めており、次女の品川実花さんはライターとして活動していました。
次男の品川祐さんはお笑い芸人、そして映画監督などとしても活躍。バラエティ番組などでは、母親であるマダム路子さんに関するエピソードも多数語っています。
そんな4兄弟のうち、次女の品川実花さんは2012年1月に若すぎる死を迎えています。死因は悪性脳腫瘍だったそう。
2010年2月に余命4ヵ月と診断されるも、家族の懸命なサポートもあって診断から1年11ヵ月生き抜きました。
2010年2月、4人きょうだいの末っ子にあたる品川から見て次姉の実花さんに悪性脳腫瘍が見つかり、余命4カ月と診断される。家族のムードメーカー的な存在で、品川が荒れがちな時代には親身になって叱ってくれたこともあるという実花さん。きょうだい4人、マダム路子さんとも忙しい日々を過ごし家族が集まることは多くなかったが、実花さんの病気がきっかけになり自然に家族一丸となった。
マダム路子の次男・品川祐のプロフィール
生年月日:1972年4月26日
出身地:東京都
所属事務所:吉本興業
品川祐さんはお笑いコンビ「品川庄司」として活動する一方、映画監督としても活躍しています。
志学館中学校(現在の志学館中等部)に進学するも、不良漫画をきっかけに狛江市立狛江第三中学校へと転学。
東京学園高等学校商業科へ進学しますが、わずか1ヵ月で中退。その後、広島へと渡り水商売を経験。
23歳の時に吉本興業が主宰するお笑い養成所「東京NSC」の1期生となり、1995年にNSC同期だった庄司智春さんとお笑いコンビ「品川庄司」を結成しました。
早くから頭角を現し、NHKのネタ番組「爆笑!オンエアバトル」やテレビ朝日系列のトーク番組「アメトーク!(現在はアメトーーク!)」などで活躍。
若手ホープとして期待されつつありましたが、その一方でNSC在学中からの横柄な態度やイジメにも近い後輩芸人のイジり方などが問題視されていました。
そして、その好感度の低さが露呈したのか2007年放送のアメトーークでの一コマです。
再ブレイク前のタレント・有吉弘行さんからその印象を「おしゃべりクソ野郎」と言語化され、芸人仲間からの好感度の低さが世間へと露呈すると共に、テレビ業界から扱いが一変。
そして、これまでの態度の悪さが災いし、バラエティ番組への出演が激減してしまいました。
その一方で作家・映画監督・役者として飛躍していきます。
2006年には自伝的小説「ドロップ」を発売、続く2009年発売の小説「漫才ギャング」も発表し、2作品とも漫画化を経て映画化されました。
また、両作では映画監督も兼任。その他にもドラマ・MVなどでも監督を務めています。
役者としては、2007年に放送されたフジテレビ系列のドラマ「ガリレオ」にメインキャストの1人として出演。同シリーズを機に、多数のドラマに出演しました。
映画においては、2009年公開の「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」、2017年公開の「亜人」に出演しています。
ちなみに、品川祐さんは2014年に出演したバラエティ番組で、”おしゃべりクソ野郎”と呼ばれた影響について以下のように語っていました。
「仕事への影響は?」と聞かれると、「バラエティの仕事は減っている。でも、収入は変わらない。映画とか漫画(の収入)とかあるから」と明かしただけでなく、今後の展望について「海外で映画も作りたいと思っている。アメリカで映画を撮りたい」とブチ上げた。
なお、これまで多方面から指摘を受けたことにより、近年は態度を改めているのだとか。
現在は丸くなったものの、昔は各番組のスタッフなどに対し悪態をつくことが多かったことを暴露された品川。打ち合わせの際も、あいさつをしない、台本を開きもしない、一切目を合わさない、マネジャーを恫喝しプレッシャーを掛けるなど悪い評判が後を絶たなかった。
ちなみに父親である山野凱章さんとはほとんど面識がなく、しっかり対面したのは高校入学の時ぐらいだったとのこと。
しかし、山野凱章さんは品川祐さんに内緒で舞台を見に来ていたそうです。
マダム路子の自宅は神奈川県相模原市にある?
マダム路子さんは自宅について公開しておらず、詳細は不明です。
しかし再婚相手である片岡五郎さんが2023年に胆管炎を患い、救急車で運ばれた際に搬送されたのが国立病院機構相模原病院だったとのこと。
胆管に細菌感染が起こったものを、急性胆管炎といいます。胆管とは、肝臓でつくられた胆汁の通り道で、肝臓から十二指腸までの太さ0.5~1.0㎝、長さ10~15㎝の管をさします。
引用:胆管炎
片岡五郎さんは自身のブログで当日を振り返った際に、同病院を「自宅から近い」と表現。
そのため、神奈川県相模原市在住である可能性が高いようです。
萌が支えてくれたが、右手の震えが凄く、
マダム路子も萌へも仰天。救急車要請。すぐに来宅。
以前に受診したことのある自宅から近い
【独立行政法人国立病院機構相模原病院】に搬送された。
マダム路子の現在:各メディアやYouTubeなどで活躍中
マダム路子さんは2020年、女性向け美容雑誌「美ST」の誌面に登場。美に関しての質問に回答しています。
ちなみに使用しているスキンケアラインは、「モイスティーヌ」なのだとか。
肌質が良くなった娘から紹介されて以来ずっと愛用しているそうで、ホームケア機器と組み合わせて使用することで、ノーファンデでもシミなしだというのだから驚きです。
2021年にはYouTubeチャンネル「新・マダム路子チャンネル」を開設。魅力学や、子供たちへの思いなどを語っています。
また、2022年には「マダム路子の魅力研究所」を創立。
新聞・雑誌・テレビなどのメディアにも出演しており、2023年にはBSフジのクイズ番組「クイズ!脳ベルSHOW」に出演しました。
まとめ
マダム路子さんは作家で、「魅力学」を世に伝えるべく尽力しています。
また、若い頃から美容家として活躍し、現在も美しさを保ったまま活動を継続されてるのだから驚きです。
プライベートでは、山野愛子さんの次男と結婚。息子のお笑い芸人・品川祐さんを始め、4人の子供に恵まれるものの離婚しています。
その後、役者の片岡五郎さんと再婚。2人で一般社団法人「国際魅力学会」を設立し、現在に至るまで精力的に活動中です。
80歳を超えても美しく活力にあふれているマダム路子さん。今後の活動にも注目ですね。