武本憲重さんは大物女優の泉ピン子さんの旦那で、銀座にあるクリニックの医師ですが、不倫や隠し子騒動も話題です。
今回は武本憲重さんのプロフィールや経歴、実家や家族、馴れ初めや結婚生活、子供(婚外子)や自宅、現在も紹介します。
この記事の目次
武本憲重のプロフィール 【医師で泉ピン子の旦那】
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泉ピン子の旦那である武本憲重(左)
武本憲重さんは、「武本ホ-ム・ドクタ-・クリニック」の院長を務めている男性です。
芸能界で大御所と呼ばれる女優を嫁に持つ、武本憲重さんのプロフィールを紹介します。
武本憲重のプロフィール
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武本憲重さんは、芸能人ではないのでWikiは存在しておらず、インスタやツイッターなどのアカウントも残念ながら見当たらないため、身長や血液型など詳しい情報は判明していません。
以前テレビに出演した際に、泉ピン子さんの4歳年下と紹介されていましたので、1951年生まれ説が濃厚です。
出身地は大分県大分市で、若い頃に九州地方に病院を開業することを家族と約束していたとのエピソードを泉ピン子さんが語っています。
最終学歴は?
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通っていた中学校や高校は判明していませんが、武本ホ-ム・ドクタ-・クリニックのホームページには、最終学歴は久留米大学医学部卒業と記載されています。
久留米大学は福岡県久留米市に所在する大学で、2022年の偏差値は65のようです。
武本憲重の経歴
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ここでは、久留米大学を卒業した武本憲重さんのその後の経歴について調査しました。
武本憲重さんは内科医で、認定医としての資格も保有しています。
がん研究会付属病院を経て開業医へ
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1978年に久留米大学を卒業すると、大学院に進んで4年間さらなる勉強を積み、がん研究会付属病院に勤務医として就職しました。
専攻は消化器系で、特に食道、胃、大腸がんの名医として、消化器病学会の認定医に登録されています。
1990年に内科医長に就任し、2002年には独立して「武本ホ-ム・ドクタ-・クリニック」を開いて院長に就任しました。
また、「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」の医師コメンテーターや、嫁・泉ピン子さんが出演するドラマの医療監修を行うなど、メディアの仕事にも力を入れています。
武本憲重のクリニックは銀座3丁目にある
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クリニックが入居している銀座のビル
武本ホ-ム・ドクタ-・クリニックは、東京都中央区銀座3丁目の「マルイト銀座第三ビル」10階に入っています。
この病院の特徴は、「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」、つまり生活の質向上を目指すことをコンセプトにした内科です。
患者との対話に重きを置き、口コミでは「専門性が高い」、「治療技術が高いから安心」、「自信を持って紹介ができる」とかなり信頼されているクリニックであることがうかがえます。
武本憲重が結婚した嫁は女優・泉ピン子
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ここからは、武本憲重さんのプライベートについて見ていきましょう。
嫁は、芸能界の重鎮として知られている泉ピン子さん。
実は、実家や若い頃の知られざるエピソードが満載の人物なんです。まずは、プロフィールを見ていきましょう。
泉ピン子のプロフィール
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泉 ピン子(いずみ ぴんこ)
本名: 武本小夜
生年月日: 1947年9月11日
出身地: 東京都中央区
血液型: B型
身長: 154cm
若い頃は歌謡漫談家だった
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泉ピン子さんの本名は「小夜(さよ)」さんといいます。
本当は「いざよ」と読ませるつもりだったのですが、区役所に受け付けてもらえずに「さよ」にしたのだとか。
都内で生まれ、日本音楽高等学校を中退後、1966年に歌謡漫談家デビューするも、キャバレー回りばかりが続き、地道な下積み生活を送っていたようです。
下ネタ全開のコメディエンヌにも挑戦
芸能界に入ったきっかけは「テレビ三面記事ウイークエンダー」のリポーターとして出演したことです。
トークの面白さを買われて、この番組のお笑いタレント枠で出演オファーがあり、この頃に「泉ピン子」に改名しました。
芸名の由来は、芸能人になることを反対していた父親が「芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ」と応援してくれたことにあるのだとか。
泉という苗字は、お笑いの師匠である牧信二さんが「過去に泉という名前で売れた芸能人がいないので、お前で試す」と言って付けられたといいます。
こうして「テレビ三面記事ウィークエンダー」において、下ネタガッツリのコメディエンヌとしてレギュラー出演をしたことでブレイク。
当時の泉ピン子さんは一部の女性達からは品がないと受けが悪く、新日本婦人会が選ぶワーストタレントに選ばれたこともあったようです。
女優デビュー
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1975年に「神戸国際ギャング」に出演し、女優業も開始。1980年には日本テレビの「手ごろな女」で初主演を飾りました。
その後、1983年4月から放送されたNHKの朝ドラ「おしん」の母親役が高い評価を受け、演技派女優としてのポジションを揺るぎないものとしています。
その後は、橋田壽賀子作品の顔として「渡る世間は鬼ばかり」など、多数の作品に出演しています。
武本憲重の嫁・泉ピン子の実家の場所や家族
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泉ピン子さんの実家は、銀座和光の時計塔の裏あたりにあったそうです。
現在は、銀座和光の周辺は商業施設ばかりなので、実家自体がどこかに引っ越している可能性が高いでしょう。
家族や親族は芸に秀でた人が多い
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泉ピン子さんは、家族や親族に浪曲師や落語家が多い家系として知られています。
父親は浪曲師の廣澤龍造(本名は江口紘三郎)さんで、継母は三門のお染さん、叔母は声帯模写と漫談家の翠みちよさんです。
また、伯父は落語家の4代目桂福團治さん、従兄には落語家の桂福若さんと枚挙に暇がありません。
こういった家系もあって、泉ピン子さんは最初に歌謡漫談家になったのかもしれませんね。
武本憲重と嫁・泉ピン子の馴れ初め
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武本憲重さんと泉ピン子さんの馴れ初めが気になります。大物女優と医師という、一見繋がりがなさそうな職業の2人は、どこで出会ったのでしょうか。
また、泉ピン子さんは当初、結婚願望がなかったのだとか。
どのようにして結婚に至ったのかについても紹介します。
泉ピン子は結婚の夢を捨てていた
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武本憲重さんが泉ピン子さんと結婚したのは1989年のこと。泉ピン子さんは当時42歳だったので、武本憲重さんは38歳ということになりますね。
当時の女性の初婚年齢としては高めですが、泉ピン子さんは若い頃に2回の手痛い失恋をしているそうです。
そのため、結婚前だった1983年に出演した「徹子の部屋」では「幸せは両方の手に乗りませんから、女優は結婚しなくていいんです」と語りました。
別の回に出演した時にも「結婚するんだったらとっくにしてる。独身が寂しいのは当たり前。私は孤独に耐えて生きる」と心境を明かしました。
女優として人生を全うしたいという気持ちもあり、当時の泉ピン子さんは結婚を諦めていた様子がうかがえますよね。
馴れ初めは病院での診察
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2人の出会いは、泉ピン子さんが検査のために「がん研究センター」を訪れたことにあります。
以前から白血球の数値が高いことが気になっていた泉ピン子さんは、スケジュールの合間をぬって、がん研究センターに行き、そこで担当医だったのが武本憲重さんだったのです。
武本憲重さんを一目見た時に「全くタイプではないけれど、私はこの人と結婚するわ」と、泉ピン子さんは思ったのだとか。
それから1ヶ月後、泉ピン子さんはお世話になったからと武本憲重さんを食事に誘ったことで、プライベートで会うようになり、その後デートを重ねて交際に発展しました。
泉ピン子にプロポーズにするも、微妙な返事だった
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交際スタートから2~3ヶ月後、武本憲重さんは泉ピン子さんにプロポーズをしましたが、その反応は微妙だったといいます。
泉ピン子さんは「あんたやめなさいよ。だって家に帰ってきて電気つけるの自分よ。夏、暑いのに冷房入ってないよ」と、女優業を辞めるつもりはなく、家を空けがちなことを伝えたのです。
さらに、「私ができたら、そういう奥さんみたいな人欲しいのに。そんなのしてあげられないし、朝も起きないよ」と、どこまでも後ろ向き。
これを聞いた武本憲重さんは「家事はお互いにできる人がやればいい」と言い、家庭的な女性を嫁に迎えたいわけではないと伝えたことで、泉ピン子さんはやっと結婚を決意してくれたそう。
家族から反対されていた
武本憲重さんは、泉ピン子さんからプロポーズのOKをもらうと、大分県に住んでいる家族に報告に赴きました。
しかし両親からは、泉ピン子さんとの結婚に猛反対されてしまったといいます。
両親は、息子である武本憲重さんに将来は実家に戻って開業医になって欲しいと願っていたため、泉ピン子さんと結婚するとその希望を叶えるのは難しいと考えたのでしょう。
両親に反対されたことで、泉ピン子さんはまたしても結婚に迷いが出ますが、親友の西田敏行さんに背中を押されて、押し切る形で入籍しました。
ちなみに、結婚式などは挙げていないようです。
武本憲重と嫁・泉ピン子の結婚生活エピソード
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こうして結婚した武本憲重さんと泉ピン子さん。
2人の結婚生活についてはテレビやインタビューなどで語られていますので、ここでいくつか紹介します。
新婚旅行に報道陣が押し掛ける
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泉ピン子さんは、武本憲重さんと結婚したことはマスコミに公表せず、密かに新婚旅行に出掛けました。
しかし、結婚がどこからか漏れてしまったようで、週刊誌がスクープとして報道されています。
記事には、武本憲重さんの顔写真や両親から結婚を反対されていたことも掲載されており、ちょうど新婚旅行から帰ってきた2人は成田空港で報道陣に囲まれてしまったのです。
泉ピン子さんは会見を開き、「週刊誌の方あまり夫に触れないで頂きたいと思います。私はどんな風に質問されても構いません。夫が週刊誌に載っているのを見るとただ申し訳ない」と号泣。
普段は気丈な泉ピン子さんが夫のために涙を見せている姿は、視聴者の心を強く打ったようです。
泉ピン子は食事をきちんと作っている
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泉ピン子さんは武本憲重さんと結婚前、あまり嫁らしいことができないことから結婚を渋っていましたが、旦那の胃袋をつかんでおくことの大切さを感じていました。
そのため、どれだけ多忙な時でも武本憲重さんに手作りの料理を用意し、一度たりともインスタントの料理を出したことがないといいます。
武本憲重さんをとても大事に思っている様子がうかがえますね。
武本憲重の子供は2人だが泉ピン子にとっては婚外子
不倫が発覚し、隠し子も
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武本憲重さんと泉ピン子さんとの間に子供はいません。
結婚した時、泉ピン子さんは41歳だったということもあり、難しかったのかもしれませんし、あえて作らなかった可能性もあります。
しかし、武本憲重さんには子供がいます。
1995年に武本憲重さんの不倫が発覚し、相手の女性との間に生後2ヶ月の子供までいたことが判明したのです。
この事実を週刊誌の記事で知った泉ピン子さんは、幸せな結婚生活から一気にどん底に叩き落されました。
そして世間の騒ぎを受けて、記者会見を開き、盛大にたかれたフラッシュの前で号泣しています。
不倫相手の母親からは「責任を取って結婚して欲しい」と迫られていることも明かしました。
さらに、武本憲重さんの母親が「嫁の泣きは演技がかっている」とコメントしたことで、嫁姑間の仲の悪さも露呈する始末。
結局、武本憲重さんは不倫相手との協議を経て、子供を認知し、養育費用を支払うことで決着したようです。
娘は泉沙織
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武本憲重さんの子供は2人います。
第1子は、泉ピン子さんと結婚する前に離婚した元嫁との間に誕生した娘、第2子は前述の不倫騒動で発覚した息子です。
娘は泉沙織さんといい、養育権は元嫁が持っているようです。
泉沙織さんは4歳でヴァイオリンを習い始め、2007年に東京芸術大学器楽科を卒業。2008年からはフランスを拠点に音楽活動を行っている音楽家。
苗字の「泉」は芸名で、泉ピン子さんから「芸能活動をしやすいように」と勧められたことで、泉性を名乗るようになったのだとか。
こういったエピソードからも分かるように、泉ピン子さんと泉沙織さんとの関係は良好であるようですね。
武本憲重の自宅は熱海
熱海の豪華マンションが終の棲家
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武本憲重と泉ピン子が住む熱海のマンション
武本憲重さんの自宅を調査したところ、以前は都内に住んでおられたようなのですが、2010年頃からは、終の棲家として静岡県熱海市に引っ越していたことが判明しました。
自宅は熱海の街を見下ろすことができるように建てられている「熱海パサニアクラブ」というマンションで、武本憲重さんと泉ピン子さんは最上階の部屋にお住まいとのこと。
自宅の広さは90㎡以上あり、30㎡の大きなルーフバルコニーが付いています。武本憲重さんが大好きな海が見れる部屋を、ということで泉ピン子さんが選んだのだといいます。
月現在、夫婦揃って70歳を超えているので、引退後はノンビリと穏やかな生活を送ることを願っているのかもしれませんね。
武本憲重の現在
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武本憲重さんの現在について調査しました。嫁の泉ピン子さんが74歳、おそらく武本憲重さんは70歳になります。
今もクリニックの院長を務めているようですが、SNSがないことから日頃の様子はわかりませんが、武本憲重さんの現在を嫁である泉ピン子さんが語ったことがあります。
嫁は昔の浮気を忘れていない
泉ピン子さんは、2022年8月に朗読劇「すぐ死ぬんだから」に出演します。内館牧子さん原作で2020年にドラマ化されたこともある作品です。
物静かだった旦那に先立たれた女性が、遺言状を確認すると旦那には隠し子がいた、というストーリー。
過去に隠し子騒動があった武本憲重さんが原作を読んだ時の反応について、泉ピン子さんは以下のように語っています。
「めちゃくちゃ面白いねぇ!」だって。(中略)「自分が昔やったことを忘れたのか!って。私、傷ついたんですけど」って言ったんだよね。
小説に出てくる言葉を使って「『死後離婚』だよ!」って
引用:泉ピン子から飛び出した「死後離婚」の言葉 – Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/
泉ピン子さんとしては、武本憲重さんに過去の過ちを忘れないでほしいと思っていたようですが、本を読んだ感想があまりにも呑気で、腹立たしい思いをしたようですね。
でもそんなあっけらかんとした武本憲重さんだからこそ、騒動後も夫婦としてやっていけているのかもしれません。
まとめ
出典:https://orionfdn.org/
武本憲重さんは、銀座の一等地に所在する「武本ホ-ム・ドクタ-・クリニック」の院長を務める内科医師で、泉ピン子さんの旦那でもあります。
大分県大分市出身で、年齢は泉ピン子さんの4歳下。ですが、身長や血液型などの詳細なプロフィールは明かされていません。
気になる馴れ初めは、武本憲重さんが当時勤務していた病院に泉ピン子さんが検査に訪れたことにあります。
既に売れっ子女優であったことから、嫁としてかいがいしく世話を焼くことができないとプロポーズの返事を渋った泉ピン子さんですが、結婚後は手料理を欠かしたことがないそうです。
おしどり夫婦として知られていましたが、1995年に武本憲重さんの不倫が発覚。なんと子供まで誕生していたことが週刊誌で暴かれました。
不倫相手の母親から離婚を詰め寄られ、武本憲重さんの母親からは不満を言われるなど、騒動発覚後も被害者のはずの泉ピン子さんがかなり苦しい思いをして、結末に注目が集まりました。
武本憲重さんには、元嫁と不倫相手との間にできた子供が2人います。特に、元嫁との間の娘・泉沙織さんと泉ピン子さんの仲は悪くはないようです。
現在70歳になる武本憲重さんは、2010年頃から自宅を熱海に移しています。
夫婦2人ともまだ現役で仕事をしていますが、いずれ引退したら海を眺めてゆっくりと過ごすのかもしれませんね。
泉ピン子さんがまた、テレビで武本憲重さんの様子を語る日が楽しみです。また、医師として患者を救う武本憲重さんを応援していきたいものですね。