一路真輝さんは宝塚の男役トップスターとして活躍し、現在はミュージカルなどで活躍中です。
今回は一路真輝さんの若い頃や宝塚時代、内野聖陽さんとの馴れ初めや結婚、離婚原因、子供(娘)、現在の活躍についてまとめました。
この記事の目次
- 一路真輝のプロフィール:宝塚歌劇団の元雪組トップスター
- 一路真輝の生い立ち① 小学校6年生で宝塚歌劇団入りを決意
- 一路真輝の生い立ち② 先天性股関節脱臼を理由に受験を反対されていた
- 一路真輝の家族:母親は日本舞踊をしており、母方の祖父は元役者だった
- 一路真輝の若い頃の経歴① 宝塚歌劇団に入団し、男役トップスターに
- 一路真輝の若い頃の経歴② 宝塚退団後はミュージカルに出演
- 一路真輝の若い頃の経歴③ 舞台だけではなく、映像作品などにも出演
- 一路真輝の結婚相手は内野聖陽・馴れ初めは「エリザベート」での共演
- 一路真輝の子供は娘が1人
- 一路真輝と内野聖陽の離婚原因は旦那の浮気?
- 一路真輝の交友関係:宝塚時代の相手役・神奈美帆とは親友の仲
- 一路真輝の現在① ドラマ・舞台・バラエティと幅広く活躍中
- 一路真輝の現在② 「刀剣乱舞」シリーズに出演し大きな話題に
- 一路真輝の現在③ 2022年に40周年記念コンサートを開催
- まとめ
一路真輝のプロフィール:宝塚歌劇団の元雪組トップスター
生年月日:1965年1月9日
出身地:愛知県
所属事務所:東宝芸能
一路真輝さんは「宝塚歌劇団」の元雪組トップスターで、現在は役者です。
本名は「石川いづみ」。芸名は「真実一路」が由来となっており、入団当初は「一路万輝」と名乗っていました。
また、宝塚時代は「イチロ」「いっちゃん」との愛称で親しまれていました。
一路真輝の生い立ち① 小学校6年生で宝塚歌劇団入りを決意
一路真輝さんは小学校6年生のときに、宝塚歌劇団定期公演「うつしよ桜」、「ノバ・ボサ・ノバ」を観劇したことを機に、入団を志すようになったそうです。
愛知県名古屋市出身の一路真輝さんは、小学校6年制の時、初めて名古屋の中日劇場で宝塚歌劇団の定期公演を観劇します。その時、身体に電流が走り、絶対にこの世界に入りたいと強く思ったそうです。電車を乗り継ぎ、宝塚大劇場にも足を運びました。
宝塚入団用の専門的なレッスンを受けていなかったにもかかわらず、難関「宝塚音楽学校」に1回の受験で合格。1980年に同校へと入学しました。
一路真輝さんは、そんな当時の心境を以下のように語っています。
落ちて当たり前の気持ちで臨んだら受かっちゃった。受験できるのがうれしく、楽しくて。
一路真輝の生い立ち② 先天性股関節脱臼を理由に受験を反対されていた
一路真輝さんは前述のとおり、無事に宝塚音楽学校へと入学していますが、実は当時、先天性股関節脱臼を患っていたそう。
そのため、主治医は宝塚音楽学校の受験に猛反対していたといいます。
実は先天性股関節脱臼をもっていたので、宝塚音楽学校の受験はお医者さまから猛反対されました。でも色んな整形外科の先生に相談すると「前例はないけれど、ちょっとやってみましょうか」と言われ、恐る恐る踊りを始めて。でも自分のなかで、踊りで大成することは無理だと思っていたので、気がついたらすごく歌を頑張っている自分がいたのが、私の歌のルーツのような気がします。
先天性股関節脱臼とは?
出生時または生後数か月の間に、股関節が脱臼した状態を指します。
最近では出生千人に2~3人と比較的まれですが、万が一見逃された場合、跛行(足を引きずって歩く)などの障害を残してしまいます。
引用:先天性股関節脱臼とは?
一路真輝の家族:母親は日本舞踊をしており、母方の祖父は元役者だった
出典:https://pixabay.com/
一路真輝さんの母親は日本舞踊をしており、母方の祖父は元役者だったそう。
そんな家系のためか、「宝塚へ入りたい」という希望を伝えた際に母親は「やっぱり」と答えたといいます。
祖父は一路真輝さんが物心つくころにはすでに役者を辞め、名古屋で侍や芸者といった衣装を貸し出す貸衣装屋を営んでおり、役者姿を見たことはないのだとか。
しかし、元役者である祖父からの言葉には重みがあったそう。
両親が離婚したときも、宝塚でトップになったときもそうでした。『だますより、だまされろ。どんなに辛いことがあっても、自分が加害者でなければ幸せだ』と話す祖父の言葉に勇気づけられてきたんです。
一路真輝の若い頃の経歴① 宝塚歌劇団に入団し、男役トップスターに
一路真輝さんは宝塚音楽学校を経て、1982年に宝塚歌劇団に入団。68期生として朝凪鈴さんらとともに活躍しました。
1982年公演の「春の踊り」で初舞台を踏むと、男役として雪組に配属。1985年公演の「はばたけ黄金の翼よ」ではヒロイン・クラリーチェに抜擢され、一躍注目を集めました。
1987年公演の「宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら」に出演していた期間には、自然気胸で入院というアクシデントも。
しかしその後、同年公演の「梨花王城に舞う/ザ・レビュースコープ」で復帰を果たしています。
自然気胸という病気は簡単にいうと肺のパンクです。肺は風船のようなものです。眼で見るとちょうどスポンジのような形をしています。そして肺の表面を胸膜或いは肋膜という薄い膜が覆っています。気胸というのはこの胸膜に何らかの理由で穴が開いてしまい、そこから吸った空気が胸の中に漏れてしまう病気です。
引用:自然気胸
また、同時期に芸名を「一路万輝」から「一路真輝」へと改名。
その後、男役2番手を経て、1993年公演の「天国と地獄/TAKE OFF」で雪組トップスターとなります。
そして、1994年公演の「風と共に去りぬ」や1995年公演の「JFK」などに出演したのち、1996年公演の「エリザベート」をもって宝塚歌劇団を退団しました。
一路真輝の若い頃の経歴② 宝塚退団後はミュージカルに出演
一路真輝さんは宝塚歌劇団に退団した同年に、ミュージカル「王様と私」で主演を務めました。
以降、ミュージカル作品を中心に活躍し、「南太平洋」「エリザベート」「キス・ミー・ケイト」といった作品に出演しています。
特に「エリザベート」では、宝塚時代のトート役、宝塚退団後のエリザベート役の両役で知られており、1998年には本場ウイーンでトート役として歌唱し、観客からの喝采を浴びました。
その後、2006年に役者・内野聖陽さんとの結婚&出産を機に一時役者業を休業。
2010年公演のミュージカル「アンナ・カレーニナ」で、本格的な復帰を果たしています。
一路真輝の若い頃の経歴③ 舞台だけではなく、映像作品などにも出演
一路真輝さんは宝塚時代に、「ブルーハイウェイライン」や「ビオレ・クレンジングフォーム」のCMに出演。
退団後はドラマにも多数出演しています。
1997年放送の大河ドラマ「毛利元就」に出演したほか、TBSの大人気シリーズ「渡る世間は鬼ばかり」では第3~第6シリーズを通じて山口美智役を演じました。
1999年にはテレビ朝日系列のドラマ「科捜研の女」、2003年放送のTBS系列のドラマ「娘よ」、2014年放送の系列ドラマ「隣の女」などにも出演しています。
また、過去にはTOKYO FMや文化放送でラジオパーソナリティも務めていました。
- そのほか、これまでに4枚のシングルと15枚のアルバムを発売。
- 1997年に「一路真輝写真集」、2000年に「Erisabeth in Austria」と2冊の写真集も発売しているほか、1996年に『真実』、2000年に『一路マイロード』の2冊の著書を発売しています。
マルチに活躍していた一路真輝さんですが、当初は宝塚時代との違いに戸惑いも感じていたようです。
1月28日(木)「宝塚退団後の女優・一路真輝」
宝塚を引退し、TV、映画に出るようになりますが、映像作品はやったことがなかったため専門用語も解らず、演技とは別のところでかなり苦労されたそうです。CDの歌入れを行った時も、舞台の中心で歌っていた時とは歌い方を変えなければならず、宝塚時代との違いを痛感します。
一路真輝の結婚相手は内野聖陽・馴れ初めは「エリザベート」での共演
一路真輝さんは2006年5月にミュージカル「エリザベート」で共演した役者・内野聖陽さんとの婚約を発表。
その後、同年7月末に結婚したことを8月に発表しました。
2人の馴れ初めはミュージカル「エリザベート」での共演
一路真輝さんと内野聖陽さんの馴れ初めは、共演していたミュージカル「エリザベート」だとされています。
2人は2000年から同ミュージカルで、主人公のエリザベートとその相手役であるトートを演じており、だんだんと距離が縮まったのだとか。
ちなみに、内野聖陽さんはかねてより結婚願望がないと公言していたため、2人の交際は一路真輝さんからの猛アプローチによるものだと推測されています。
内野聖陽のプロフィール
生年月日:1968年9月16日
出身地:神奈川県
職業:役者
所属事務所:個人事務所(スターダストプロモーションと業務提携)
内野聖陽さんは役者で、2009年にTBS系列で放送されたドラマ「JIN-仁-」での坂本龍馬役や、2019年放送のテレビ東京系列のドラマ「きのう何食べた?」での主演で知られています。
早稲田大学の政治経済学部政治学科を卒業しており、在学中の1992年に「文学座」の研究所へ入所。
役者の寺島しのぶさんら同期と切磋琢磨し、翌年に研修科1年に。下積み時代はドラマの端役などで経験を積み、座員となります。
1996年放送の朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」や、1997年放送のフジテレビ系列のドラマ「ミセスシンデレラ」に出演したことで注目を集めました。
さらに、2003年に主演を務めたNHKのドラマ「蝉しぐれ」で「モンテカルロ・テレビ祭」の主演男優賞を受賞。
2007年放送の大河ドラマ「風林火山」では、主演を務めました。
2011年には文学座を退団し、個人事務所を設立(スターダストプロモーションとの業務提携)。
2019年公演の主演舞台「化粧二題」では役者人生初となる一人芝居に挑戦し、「芸術選奨文部科学大臣賞」を受賞しました。
近年は、2020年にWOWOWで放送されたドラマ「鉄の骨」や、2022年公開の「鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー」、「鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成」などの作品に出演しています。
一路真輝の子供は娘が1人
一路真輝さんは2006年10月に娘を出産。
当初は2年後の2008年には芸能活動を再開する予定でしたが、育児や家庭を優先させるために役者業を無期限で休業とすることが発表されました。
そして出産から4年後、前述の通り2010年公演のミュージカル「アンナ・カレーニナ」で本格的な復帰を果たします。
一路真輝さんは同ミュージカルについてのインタビューで、5年ぶりのミュージカル挑戦に「浦島太郎みたいな感じ」とコメント。
育児休業中は「『もう戻ってこられないかもしれない』という気持ちで舞台を離れたため、芝居ができることに喜びを感じている」とも語りました。
また、夫である内野聖陽さんとは当時、娘の将来について以下のように語っていたのだそうです。
子供の将来を親が固めるようなやり方はしたくない、と夫婦で話しています。これから私が仕事を始めれば、子供が楽屋に来ることが増えるし、(舞台は)普通の子より身近になります。ただ、私たちとしては、周りから歌や踊りを習わせるような環境は作りたくないんです。それだけはやめようね、って夫婦で言っています。中学を卒業したら留学でもして、早く親離れをしてもらいたいと思っているんですよ
一路真輝と内野聖陽の離婚原因は旦那の浮気?
一路真輝さんと内野聖陽さんは、2011年8月18日。離婚をFAXにて発表。
家族のこと、それぞれのこれからの道のことを徹底的に話し合った末、今後もお互いに対話を持ちながら、前向きにそれぞれの道で精進して参ろうという結論に達しました。
ケンカが絶えなかったために別居を経て離婚に至ったそうで、娘の親権は一路真輝さんが持つことになりました。
また、内野聖陽さんは前年の2010年9月に、車内で一般女性とキスしている写真を写真週刊誌に掲載されており、さらには飲酒運転の疑惑もあったといいます。
NHK大河「風林火山」やテレビ朝日「臨場」などのドラマに主演した俳優内野聖陽(42)が、乗用車内で女性とディープキスをする姿がキャッチされた。16日発売の写真誌「フライデー」が写真を掲載。内野が車内で飲酒後にハンドルを握ったとも報じており、飲酒運転疑惑も浮上した。所属事務所は報道の一部を否定している。
離婚発表時に具体的な離婚理由については明かされなかったものの、同件が大きなきっかけになったのではないでしょうか。
一路真輝の交友関係:宝塚時代の相手役・神奈美帆とは親友の仲
一路真輝さんが宝塚歌劇団でトップスターだった頃、相手役も務めていたのが神奈美帆さんでした。また、2人はトップスター同士でありながらプライベートでも親友の仲だったそうです。
神奈美帆さんは芸能界を引退後、ほとんど表舞台に登場していませんが、2019年に開催された「一路真輝トークサロン2019」には特別にゲスト出演。
当時を知るファンの間で大きな話題となりました。
神奈美帆のプロフィール
生年月日:1965年1月30日
出身地:大阪府
職業:役者→専業主婦
所属事務所:宝塚歌劇団→引退
神奈美帆さんはかつて宝塚歌劇団に所属しており、雪組トップ娘役を務めていました。
1981年に宝塚音楽学校へ入学し、1983年に宝塚歌劇団に69期生として入団。
同年公演の「春の踊り/ムーンライト・ロマンス」で初舞台を踏み、花組に配属となります。1984年には池田銀行のイメージガールに就任。
1985年に雪組へ異動すると、入団からわずか3年目で当時の雪組トップスター・平みちさんの相手役としてトップ娘役となります。
1985年公演「愛のカレードスコープ/アンド・ナウ!」でお披露目。
その後、1987年公演の「宝塚をどり賛歌/サマルカンドの赤いばら」や1988年公演の「風と共に去りぬ」などの作品に出演しました。
その後、1988年公演の「たまゆらの記/ダイナモ!」を最後に退団し、ほどなくして結婚。
出産を経て主婦業に専念していましたが、近年は宝塚歌劇団のOGイベントや、宝塚歌劇関連の番組・発刊物のインタビューに応じるようになっています。
一路真輝の現在① ドラマ・舞台・バラエティと幅広く活躍中
一路真輝さんは現在も役者として現役で活躍しており、2018年放送のTBS系列のドラマ「あにいもうと」や、2020年放送のTBS系列のドラマ「あしたの家族」などに出演。
2020年7月公演のミュージカル「リトル・ゾンビガール」に出演したほか、2022年公演のミュージカル「モダン・ミリー」にも出演しました。
さらに、バラエティ番組「開運!なんでも鑑定団」や「エンタメサーチバラエティ プレミアの巣窟<Mナイト>」に出演するなど、演技以外の仕事にも取り組んでいます。
一路真輝の現在② 「刀剣乱舞」シリーズに出演し大きな話題に
一路真輝さんは2021年、2.5次元ジャンルで大人気の「刀剣乱舞」シリーズとなる、舞台「『刀剣乱舞』无伝(むでん) 夕紅の士 -大坂夏の陣-」で高台院役を演じ、大きな話題を呼びました。
同舞台は女性人気が高く、これまで男性キャストのみで公演が行われていたんです。
ですが、前年の2020年に同じく宝塚歌劇団の元男役トップスター・七海ひろきさんが史上初となる女性キャストとして出演。同シリーズのファンからも高く評価されていました。
一路真輝さんは七海ひろきさんに続く「元タカラジェンヌ枠」として出演し、七海ひろきさん同様、高い評価を得ています。
一路真輝の現在③ 2022年に40周年記念コンサートを開催
一路真輝さんは、2021年に開催していた「一路真輝40周年記念コンサート」を新型コロナウィルス感染拡大に伴い延期。
また、同時期より体調不良によって一時療養していました。
その後の2022年10月、延期していた同コンサートを開催することが発表されています。
宝塚を卒業してもう25年です。在団中の15年間を遥かに越えてしまいましたが、私の芸能生活の基盤を作ってくれた宝塚への想いも沢山歌いたいと願っていたので、在団中の私を観て下さっていた、原田先生とご一緒させて頂けるのは本当に楽しみです。皆様とご一緒に過ごせますよう、願っております。
まとめ
一路真輝さんは、小学校6年生の時に宝塚歌劇団の公演を観劇したことをきっかけに、宝塚歌劇団への入団を志すように。
先天性股関節脱臼を患っていたため、主治医や、芸能界の厳しさをしる元役者の祖父からも反対されたそうですが、専門的なレッスンなどを受けずに1度の受験で難関・宝塚音楽学校に合格。
入団後、男役2番手を経て、雪組の男役トップスターに就任しています。
宝塚歌劇団を退団後は、宝塚歌劇団で培ってきた手法と一般的な演技・歌唱方法との違いに戸惑いを覚えつつも、ミュージカル・ドラマなどで活躍。
プライベートにおいては、ミュージカル「エリザベート」で共演した内野聖陽さんと結婚し、出産を機に一時休業していましたが、2010年に本格的に復帰を果たしました。
しかし、同年に内野聖陽さんの不倫疑惑が報道されており、2011年に離婚。離婚原因は具体的には明かされませんでしたが、不倫が大きなきっかけとなったことは容易に想像できます。
現在もドラマ・ミュージカルを中心に活躍している一路真輝さん。
今後もますますご活躍されることでしょう。これからの出演作品やコンサートが楽しみですね。