沖田浩之さんは自殺により36歳の若さでこの世を去った人気俳優ですが、自殺者が多数いる家系や真相が話題です。
今回は沖田浩之さんについて、嫁や子供、自殺の状況、自殺の家系と噂される理由や真相をまとめてみました。
この記事の目次
沖田浩之のプロフィール
プロフィール
名前:沖田浩之(おきたひろゆき)
本名:置鮎広之(おきあい ひろゆき)
出身地:神奈川県川崎市
生年月日:1963年1月7日
没年月日:1999年3月27日(満36歳没)
身長:175cm
血液型:A型
出身高校:神奈川県立川崎北高等学校
学歴:青山学院大学経済学部経済学科中退
活動期間:1980年〜1999年
「竹の子族」の“ヒロくん”から芸能界デビューを果たした沖田浩之
1980年代前半、東京・原宿の代々木公園横の歩行者天国で、ど派手な衣装に身を包み、ひたすら踊り明かす集団は「竹の子族」と呼ばれ、当時社会現象にもなりました。
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“ヒロくん”の愛称で知られていた沖田浩之さんは、「竹の子族」の中でも異彩を放つアイドル的存在で、たちまち大手芸能プロダクションの目に留まり、そのまま芸能界デビューしました。
1980年には、当時の大人気ドラマ「3年B組金八先生」の第2シリーズにて、複雑な家庭環境の中で育つ優等生・松浦悟役を熱演して話題を集めました。
また、翌1981年にはスターダストプロモーションに所属し、「E気持」で歌手デビューも果たしています。
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歌手としてはその後も、「半熟期」や「はみだしチャンピオン」、そしてアニメ「キャプテン翼」の主題歌となった「燃えてヒーロー」など、次々とヒット曲をリリースしています。
しかし、沖田浩之さん本人は、歌手活動にはあまり気が進まなかったようです。
1984年には、念願だった俳優業に専念するため、当時所属していたフロムファーストプロダクションから独立し、個人事務所「ヒロ企画」を設立しています。
ただ、独立後はなかなか仕事に恵まれず、関西大手の芸能事務所にデスクを置いて、舞台中心の活動にシフトしていた時期もあったようです。
その後は、俳優・津川雅彦さんが代表を務める「グランパパプロダクション」に移籍。
人気ドラマ「サラリーマン金太郎」に出演するなど、俳優として着実にキャリアを積み重ねていたのですが…
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「サラリーマン金太郎」第1部終了からわずか6日後、突然の訃報が…。
沖田浩之の突然の自殺の状況【遺体の第1発見者は嫁と子供】
沖田浩之さんは、1999年3月27日に自宅の寝室で首を吊り自殺しました。遺書などはなく、沖田浩之さんの自殺の原因や真相などは、現在も明らかになっていません。
その当時、沖田浩之さんには1995年5月19日に結婚したお嫁さんの千代子さんと、2人の子供さんがいました。
ちなみに、沖田浩之さんのお嫁さんの千代子さんは、青山学院大学の後輩の檜垣千代子さんという方で、フリーで英語通訳のお仕事をされているそうです。
結婚生活がわずか4年ということは、沖田浩之さんが亡くなった当時、まだ子供さんは幼かったはずです。突然の夫の死で、お嫁さんの千代子さんは、さぞ大変な思いをされたことでしょう。
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また、大変な思いと言えば…実は、沖田浩之さんの遺体の第1発見者は子供さんだったそう。
お子さんの「お父さんが寝てるよー」との言葉に、ハッとした嫁・千代子さんが2階の寝室に駆けつけたところ、寝間着の紐で首を吊って亡くなっている沖田浩之さんの亡骸があったのだとか…。
ただ、父親の遺体を最初に発見したお子さんは、まだ幼かったこともあり、目の前の光景がよく理解できていなかったようで、それがせめてもの救いと言えそうです。
沖田浩之の自殺前の様子【川上麻衣子など芸能界関係者の証言を紹介】
沖田浩之さんの死は、その状況から自殺と断定されたものの、遺書などを遺しておらず、自殺の理由や真相については現在も明らかになっていません。
そこで、沖田浩之さんの周囲の人の証言を集めてみました。
沖田浩之が師と仰いだ俳優・津川雅彦の証言
実は、沖田浩之さんが自殺する前日、俳優としては大先輩であり、当時所属していた事務所「グランパパプロダクション」の社長でもある津川雅彦さんとお酒を酌み交わしていました。
沖田浩之さんと津川雅彦さんは、ドラマ「サラリーマン金太郎」で共演しており、その数日前に第1シーズンの放送が終了したばかりで、ドラマの打ち上げも兼ねて飲みに出かけたのだとか。
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その席で沖田浩之さんは、役者としての苦悩を津川雅彦さんに相談したそうなのですが、津川雅彦さんは叱咤激励の意味を込めて、少し厳しい言葉を投げかけたそうです。
そして、その翌日に沖田浩之さんは自ら命を絶ったのです。
沖田浩之さんの訃報を聞き、津川雅彦さんは愕然としたと同時に、自分の叱責が沖田浩之さんを追い込んでしまったのではないか…と悔やみ続けたそうです。
後に、津川雅彦さんは、この時のことを振り返り、次のように語っています。
「特攻隊のように花と散っていった。きのうは腹を抱えて笑うように楽しくやった。きのうがあまりに楽しく、帰ってからの孤独との落差が彼の敗戦につながったとしか考えられん。役者として戦いに負けたと感じたのだろう」
引用:沖田浩之さん首つり自殺、36歳 前夜酒飲んだ津川雅彦、衝撃「特攻隊のように…」 https://www.daily.co.jp/
出典:https://blogs.yahoo.co.jp/
沖田浩之が自殺する1週間前に再会した女優・武田久美子の証言
かつて妹のようにかわいがられていたという武田久美子さんは、沖田浩之さんが自殺する1週間ほど前に、10年ぶりくらいの再会をしており、その時の印象を次のように語っています。
「3月の雪の日でした。友人の舞台を見に行ったら、沖田さんも来ていたんですよ。“お久しぶりです!”と挨拶したら“久美子ちゃん、相変わらずかわいいね”といってくれたのを覚えてます。」
引用:武田久美子 沖田浩之さん自殺を「突発的なものでは」と回想 http://www.news-postseven.com/
出典:http://susumen.com/
また、この時武田久美子さんは、沖田浩之さんが思い詰めている様子どころか、どこか変わった様子すら感じなかったといいます。
なので、そのわずか1週間後に沖田浩之さんの突然の訃報を聞いた時、本当に驚き、次のように感じたそうです。
「突発的なことだったんじゃないかと思うんです。そうじゃなかったら、これから自殺を考えるような人が、雪の中わざわざ出かけて舞台を見に行こうとか思うでしょうか…」
引用:武田久美子 沖田浩之さん自殺を「突発的なものでは」と回想 http://www.news-postseven.com/
最期の1週間の間に、沖田浩之さんが自殺に追い込まれるような出来事があったとも言えそうですが、武田久美子さんが考えるように、衝動的なものだった可能性も高そうですね。
沖田浩之が自殺する1ヶ月前に会った女優・川上麻衣子の証言
14歳で人気ドラマ「3年B組金八先生」に出演した川上麻衣子さんは、陰のある優等生役で大ブレイクを果たしました。
そして、そんな彼女の恋人役を務めたのが、当時17歳の沖田浩之さんだったんですよね。
出典:https://mymobidog.com/
そんな川上麻衣子さんは、2017年3月7日に放送された「芸能人が実体験を告白!最悪の一日」に出演し、沖田浩之さんが自殺する1ヶ月ほど前に会った時のことを語っています。
それによると、川上麻衣子さんはデビュー当時から兄のように慕っていた沖田浩之さんに、よく悩みを相談していたそう。逆に、沖田浩之さんから悩みを相談されることはなかったのだとか。
しかし、沖田浩之さんが自殺する約1ヶ月前の1999年2月、あるパーティーの会場で久しぶりに沖田浩之さんに再会した際、「ちょっと聞いて欲しいことがある」と彼が話しかけてきたそう。
そんな沖田浩之さんに対して、川上麻衣子は「明日の朝舞台で早くて」とそっけない態度をとってしまったのです。
と言うのも、その当時の川上麻衣子さんは、ストレスなどが原因でパニック障害を発症しており、精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいの状態だったからです。
出典:https://middle-edge.jp/
そんな川上麻衣子さんの様子を見て、沖田浩之さんは何か察したのでしょう。
そのパーティーの夜にも、電話をかけてきてくれたそうなのですが…川上麻衣子さんはその電話に対しても、冷たい対応を取ってしまったのだとか。
「元気なかったけど、どうしたの?」と、パーティー会場での川上の様子を心配し、電話をしてきた沖田に対し、川上は、「元気がないって言われるのが一番私は嫌なことだったので」と当時を振り返り、さらに「冷たく答えたと思いますね。『全然そんなことない、元気だよ』って」と続けた。そして、「私が何ごとも気づかずに電話を切ってしまって、1カ月もしないうちに、ヒロ君が亡くなってしまうんですよね」と、沖田が自ら命を絶った日のことを語り始めた。
(中略)
沖田の自殺の予兆に気づくことができなかった川上は、「もしかしたら、『元気ないけどどうしたの』というのは、彼が聞いてほしかったことなのかなって思ったんですね」と当時のことを思い返し、「『元気なかったから大丈夫?』って彼が私を気づかってくれていたことに対して、冷たく切ってしまったっていうのが、私にとっては最悪のことでしたね。気がつけなかったことが悔しいですよね」と、その思いを吐露し、悔しさをにじませた。
引用:沖田浩之さん自殺を川上麻衣子が激白「気づけなかったのが悔しい」 http://www.zakzak.co.jp/
いつもは悩みを聞く側だった沖田浩之さんが、意を決して「聞いて欲しいことがある」という言葉を口にしたことだけ考えても、自分では抱えきれないほどの深い悩みがあったのでしょう。
ただ、自分がそんな大変な状況にあってもなお、川上麻衣子さんを気遣ってしまう優しさこそが、一層彼を追い込んでしまったのかもしれませんね。
沖田浩之は自殺の家系?祖父や父、兄まで自殺で亡くなっていた…
1999年3月27日、36歳の若さで自ら命を絶った沖田浩之さんですが、実は、彼の家族には同じように自殺者が多いようです。
沖田浩之さんの祖父を筆頭に、父親、お兄さんと、沖田浩之さん同様に自殺によって人生を終えています。
出典:https://ameblo.jp/
時系列でいうと、まず、弁護士だった祖父が、担当事件絡みで自身の正当性を主張するために自殺。続いては会社経営者だった父親が、稼業を継がせた沖田・兄の負債を肩代わりするため、1996年9月に「自分の生命保険で、会社の損失を補填してほしい」と言い残して首を吊ります。次が1999年の沖田本人。その3年後の2002年4月には兄が、やはり首吊りで死んでしまったのです。
引用:元アイドル・沖田浩之は悲劇の家系? 自殺した祖父・父・兄そして本人も… https://www.excite.co.jp/
果たして、“自殺の家系”ってものがあるのかどうかは不明です。
しかし、身内に自殺者がいるという事実が、乗り越えるのが難しい困難に直面した時、現状打破の選択肢の1つとして“自殺”を頭に浮かばせてしまう…という可能性もあるかも知れません。
沖田浩之の自殺の真相とは【17年の時を経て兄の発言が明らかに】
そんな沖田浩之さんの自殺の真相が、2016年2月の週刊新潮の報道により、17年の時を経て明らかになったようです。
と言うのも、沖田浩之さんの叔父さんが、親族しか知らない沖田浩之さんの葬儀の夜のある出来事を語ったからなんですよね。
出典:https://www.asagei.com/
そのある出来事とは…
葬儀の夜、沖田君の4歳年上のお兄さんが、私らの前で涙ながらに弟の死の理由を告白していたんです
(中略)
私たちが棺桶に花を入れながら、それぞれ別れを惜しんでいた時のことです。突然、お兄さんが堰を切ったように泣き出して“俺に責任があるんだ。浩之には借金の連帯保証人になってもらっていた”と言ったのです。
引用:「沖田浩之」36歳で謎の自死に隠されていた「8000万円」の抵当権 https://news.ameba.jp/
その上で、この叔父さんはこう断言しています。
「沖田君が亡くなった原因は、はっきり言って借金の問題ですよ」
出典:https://twitter.com/
そんな沖田浩之さんのお兄さんも、沖田浩之さんの自殺から3年後の2002年4月に、自ら命を絶っています。
親族だけしかいない葬儀の席では、上記のように弟・沖田浩之さんに連帯保証人になってもらっていた事実を告白していますが、公にはその事実は最期まで決して認めなかったそうです。
後から聞くと、お兄さんは、会社を引き継いだ途端に不動産事業を拡大しようとして大失敗をしたそうです。堅実な商売に徹した父親のようにはいかず、時流を読むこともできなかった。バブル経済の崩壊という大きなうねりの中で、弟に連帯保証人の判子を押させてしまったのですね
引用:「沖田浩之」36歳で謎の自死に隠されていた「8000万円」の抵当権 https://news.ameba.jp/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
1999年3月27日に自殺で亡くなった沖田浩之さんについて、遺体の第1発見者が子供とお嫁さんだったという事実、自殺の原因は家系なのでは?なんて噂や自殺の真相をまとめてみました。
紹介した週刊新潮の記事が事実だとすると、やはり沖田浩之さんの自殺の真相は借金問題が有力のようですね。
ただ、当時の沖田浩之さんは結婚したばかりで、まだ幼い子供を2人も抱えた状況でした。
それでもなお自殺を選ばなければならないほど、借金問題がひっ迫していた…ということなのでしょうか。
もっと他に方法がなかったのか?なんてついつい考えてしまうわけですが、もしかすると“自殺の家系”という説が、まんざらただの噂話とも言えないのかもしれませんね。
いずれにしても、沖田浩之さんのご冥福を心よりお祈り致します。