怪演俳優として知られる麿赤兒さんは、俳優の大森南朋さんの父親であることはあまり知られていません。
今回は麿赤兒さんのプロフィールや本名、若い頃の経歴や画像、家系図や家族、結婚した嫁や子供(息子・娘)と現在をまとめました。
この記事の目次
麿赤兒は怪演俳優
麿赤兒
生年月日:1943年2月23日
出身:石川県金沢市
身長:170cm
所属:キャメルアーツ
活動:俳優、舞踏家、演出家
麿赤兒(まろあかじ)さんは、スキンヘッドに迫力ある顔・雰囲気を持ち、怪演で知られる俳優です。
舞台俳優として活躍していますが、映画やドラマにも多数出演し、ヤクザや殺し屋役などを演じることも多く、出演時間は短くても、迫力ある演技で強い印象を残しています。
また、暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を主宰していて、舞踏を「BUTHO」として世界に広め、国内外で高い評価を得ています。
麿赤兒の本名は大森宏
出典:daily.co.jp
麿赤兒さんの名前は「まろあかじ」と読みます。もちろん、麿赤兒という名前は芸名です。
麿赤兒さんの本名は「大森宏」です。意外とごく普通の名前ですよね。
大森宏という本名の俳優が、なぜ麿赤兒という芸名を付けたのか?芸名の由来はかなりユニークです。
「寒い冬の日に便所で尻を拭いたら、切れ痔で紙が真っ赤っかだった。それを見てつけた」
麿(まろ)は「私」の意味で、一人称。赤兒は切れ痔で血が出て、トイレットペーパーが赤かったから、「あかじ」というわけですね。
大森宏という本名から、麿赤兒という芸名への振り幅が広すぎて、とてもユニークです。
こんな芸名をつけるセンスがあるから、暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を主宰することができるのかもしれません。
麿赤兒の若い頃の経歴① 生い立ち
出典:zakzak.co.jp
麿赤兒さんは、太平洋戦争中の1943年に石川県金沢市で生まれました。父親は太平洋戦争に出征し、麿赤兒さんが1歳の時に戦死してしまいます。
そのため、母親に育てられますが、小学5年生の頃に母親は精神的に病み、奈良県に住むおじ夫婦に預けられ、そこで育てられることになるなど、子供の頃には苦労しているようです。
奈良県立畝傍高校に進学した麿赤兒さんは、演劇部に所属します。高校の頃は木下順二の短編やチェーホフの短編などを公演していました。
そして、上京して早稲田大学第一文学部哲学科に進学しますが、中退して、演劇の道にのめり込んでいきます。
麿赤兒の若い頃の経歴② 唐十郎との出会い、大駱駝艦旗揚げ
大駱駝艦を旗揚げまで
大学を中退した麿赤兒さんは、山本安英に共感して劇団「ぶどうの会」に参加しますが、劇団の上の立場の人たちが共産党系の政治の難しい話ばかりしていたため、ぶどうの会を離れました。
上のほうの人たちが、演劇と政治の関係はどうあるべきかといった、共産党系の難しい政治の話ばかりしていて、その内容がさっぱりわからない。
引用:踊ることで気分がほぐれ、精神的な歪みがほどけてくるのかも 舞踏家/俳優・麿赤兒 × 鎌田 實 | がんサポート 株式会社QLife
そんな時、新宿をブラブラして、喫茶店の風月堂でコーヒーを飲んでいたら、唐十郎さんに出会います。それから、唐十郎さんに傾倒し、一緒に状況劇場を立ち上げました。
7年ぐらいは、マインドコントロールにかかったように、唐十郎に埋没していましたよ。唐とともに状況劇場を立ち上げ、天下を取ったような気分でやってましたね(笑)。
引用:踊ることで気分がほぐれ、精神的な歪みがほどけてくるのかも 舞踏家/俳優・麿赤兒 × 鎌田 實 | がんサポート 株式会社QLife
しかし、唐十郎さんの脚本の長台詞に嫌気がさして、1970年に状況劇場を離れることになりました。
その後、事業を立ち上げますが、長続きしなかったようです。
大駱駝艦の主催
そして、1972年に舞踏集団の大駱駝艦を立ち上げます。舞踏については、唐十郎さんと出会う前に舞踏家の土方巽さんに師事していました。
大駱駝艦では、忘れ去られた「身振り・手振り」を採集・構築して、たくさんの作品を生み出していて、1982年にはフランス・アメリカで公演を行い、「Butoh」を浸透させました。
山海塾や室伏鴻など、多彩な舞踏グループ及び舞踏手を多数輩出している舞踏集団でもあります。
この動画を見ればわかりますが、かなり芸術性が高い舞踏集団ですね。
大駱駝艦は1974年、1987年、1996年、1999年、2008年に舞踏評論家協会賞を受賞しています。
また、麿赤兒さんは次のような賞も受賞しています。
・2013年:ダンスフォーラム賞・大賞受賞
・2016年:東京新聞制定「第64回舞踊芸術賞」受賞
・2018年:「第1回種田山頭火賞」受賞
・2021年:文化庁芸術祭賞大賞・受賞
テレビ・映画にも多数出演
麿赤兒さんは舞台だけでなく、テレビや映画にもたくさん出演しています。
<映画>
・キル・ビル Vol.1
・どついたるねん
・午後の遺言状
・菊次郎とさき
・翔んで埼玉
<ドラマ>
・ルパンの娘
・dele
・やすらぎの刻〜道
ヤクザや殺し屋、大御所的な脇役で出ることが多いですが、インパクトが強い役が多いですね。
麿赤兒の若い頃が宇崎竜童?
麿赤兒さんは若い頃、宇崎竜童さんにそっくりでした。
息子である大森南朋さんのInstagramに、麿赤兒さんが若い頃の親子写真がアップされていました。
それを見ると、「あれ?宇崎竜童?」と思えてくるほど、麿赤兒さんと宇崎竜童さんはそっくりだったんです。
こちらは宇崎竜童さんの写真ですが、見分けがつかないほどそっくりだと思いませんか?
出典:asahi.com
ということは、宇崎竜童さんが今、スキンヘッドにすると、麿赤兒さんとそっくりになるのでしょうか?
大森南朋さんの年齢を考えると、麿赤兒さんの若い頃の白黒写真は1970年代後半と思われます。つまり、この時の麿赤兒さんの年齢は30代半ばでしょう。
30代半ばであの貫録。麿赤兒さんは若い頃から、独特の迫力・貫禄があった方なんですね。
麿赤兒の家系図・家族
麿赤兒さんの家系図はこちらです。
わかっている範囲での麿赤兒さんの家族は合計で8人です。
・母親(精神を病んでいた)
・麿赤兒(俳優、舞踏家)
・妻
・大森立嗣(映画監督)
・大森南朋(俳優)
・小野ゆり子(女優)
・子供
こう見ると、麿赤兒さんの家族は芸能関係の仕事をしている人が多いんですね。
麿赤兒が結婚した嫁とは?
出典:waseda.jp
麿赤兒さんは結婚歴があることはわかっていますが、具体的にいつ頃結婚したのか、また嫁はどんな人なのか、という詳しい情報はありません。
ただ、長男が1970年に誕生していますので、1960年代後半に結婚した可能性が高いですね。
1960年代後半といえば、唐十郎さんと一緒に状況劇場に参加していた頃です。
結婚相手については、きちんとしたソースはありませんが、舞台女優だったという噂があります。状況劇場で一緒に演劇をしていた方なのかもしれません。
当時は“駆け出し”といった感じで、たまに缶ビールを買いに来ていましたが、会話することはありませんでした。むしろよく来ていたのはお母さん。顔立ちのきれいな人で、女優か歌手なのかと思っていました」
店内ではいつもシャンソンを口ずさんでいたという。
麿赤兒さんの嫁は「顔立ちのきれいな人」とのことですから、やはり舞台女優だったのかもしれませんね。
ただ、子供が小さい頃に離婚しています。
麿赤兒さんはそれ以降、結婚(再婚)したという情報はありませんので、離婚後はずっと独身を貫いているようです。
麿赤兒の子供:息子は大森立嗣
出典:banger.jp
大森立嗣
生年月日:1970年9月4日
出身:東京都
身長:172cm
血液型:A型
活動:映画監督
麿赤兒さんの長男は、映画監督の大森立嗣さんです。
子供の頃に両親が離婚していて、母親に引き取られて育っています。
そのような家庭の事情もあり、高校生の頃までは表現活動や芸術などを避け、スポーツ(野球や空手)に熱中していました。
大学は駒澤大学文学部社会学科に進学し、大学では偶然に映画サークル「8ミリ同好会」に所属して、自主映画を作るようになります。
大学卒業後は俳優活動をしていましたが、阪本順治監督、井筒和幸監督の作品で助監督を務めるようになり、2005年に花村萬月の芥川賞受賞作「ゲルマニウムの夜」で監督デビューします。
その後、次々とヒット作を生み出していきました。代表作はこちらです。
・ケンタとジュンとカヨちゃんの国:2010年
・まほろ駅前多田便利軒:2011年
・ぼっちゃん:2013年
・さよなら渓谷:2013年:
・まほろ駅前狂騒曲:2014年
・セトウツミ:2016年
・光:2017年
・日日是好日:2018年
・母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。:2019年
・タロウのバカ:2019年
・MOTHER マザー:2020年
・星の子:2020年
全てヒットしていて、高い評価を受けている作品ですね。受賞歴はこちらです。
・第51回日本映画監督協会新人賞(2010年度『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』)
・第56回ブルーリボン賞 監督賞(2013年度『さよなら渓谷』『ぼっちゃん』)
・第35回モスクワ国際映画祭 審査員特別賞(2013年『さよなら渓谷』)
・第23回日本映画プロフェッショナル大賞 作品賞(2014年『ぼっちゃん』)
・第43回報知映画賞 監督賞 (2018年『日日是好日』)
父親の麿赤兒さんは、息子の大森立嗣さんの作品(「まほろ駅前多田便利軒」、「まほろ駅前狂騒曲」)に出演していて、親子共作を果たしています。
幼少期は父親を意識して、創作・表現活動を避けていたのに、映画監督として父親に作品に出演してもらうなんて、何か不思議な縁を感じますし、表現活動・芸術の素晴らしさを感じますね。
麿赤兒の子供:息子は大森南朋
出典:oricon.co.jp
大森南朋
生年月日:1972年2月19日
出身:東京都
身長:178cm
所属:アパッチ
血液型:A型
活動:俳優
麿赤兒さんの次男は、俳優の大森南朋さんです。
大森南朋さんが子供の頃に、麿赤兒さんは離婚して、大森南朋さんは母親に引き取られていますので、麿赤兒さんと大森南朋さんはあまり交流はなかったようです。
大森さん自身は、あまり幸福な子ども時代とは言えなかったようですね。両親は幼いころに離婚しています。父親は舞踏家として全国を回っていましたから、中学・高校のころは、ほとんど会っていなかった。
ただ、まったく縁を切っていたというわけではないようです。というのも、大森南朋さんが演劇の世界に入るきっかけとなったのは、父親の麿赤兒さんのマネージャーの誘いだったからです。
中学・高校の頃は麿赤兒さんに会っていなかった大森南朋さんでしたが、高校時代からバンド活動に熱中し、明治大学に進学した後もバンド活動は継続しています。
ただ、大学在学中に麿赤兒さんのマネージャーから俳優になることを誘われ、いろいろとオーディションを受けていました。
そして、大学在学中の1993年に映画「サザン・ウィンズ 日本編 トウキョウゲーム」で俳優デビューをします。
大学卒業後もバンド活動と並行して俳優活動を続けていましたが、最初は「脇役」・「チョイ役」だけでした。
2000年代前半から役者としての仕事が増え始めたため、バンドは解散して、俳優業に専念し、2007年にはドラマ「ハゲタカ」で主役の鷲津政彦を演じて、一気に有名となりました。
2019年には「サイン-法医学者 柚木貴志の事件」で民放連続ドラマ初主演、さらに2020年の「私の家政夫ナギサさん」では多部未華子さんの相手役を務めて、ラブコメにも挑戦。
話題作に次々と出演し、幅広い役を演じる渋い俳優として活躍しています。
<テレビドラマ>
・ブスの瞳に恋してる
・ハゲタカ
・龍馬伝
・BOSS 2ndシーズン
・S -最後の警官-
・コウノドリ
・BORDER 贖罪
・サイン-法医学者 柚木貴志の事件-
・私の家政夫ナギサさん
<映画>
・殺し屋1
・ヴァイブレータ
・ハゲタカ
・スイートリトルライズ
・アンフェア the answer
・ALWAYS 三丁目の夕日’64
・ヘルタースケルター
・R100
・寄生獣 完結編
・秘密 THE TOP SECRET
・アウトレイジ 最終章
父親の麿赤兒さんは、長男の大森立嗣さんが監督をした「まほろ駅前多田便利軒」、「まほろ駅前狂騒曲」で大森南朋さんとも共演しています。
また、大森南朋さんは兄の大森立嗣さんが監督をした「さよなら渓谷」に出演しています。
麿赤兒さんは大森南朋さんのInstagramにたびたび登場していますので、親子仲は良好のようです。
麿赤兒の子供:義理の娘(大森南朋の嫁)は小野ゆり子
出典:oricon.co.jp
小野ゆり子
生年月日:1989年8月4日
出身:東京都
身長:167cm
所属:nora
血液型:A型
活動:女優
麿赤兒さんの義理の娘に当たるのが、女優の小野ゆり子さんです。
小野ゆり子さんは2012年、麿赤兒さんの次男である大森南朋さんと結婚しました。18歳差の年の差婚です。
小野ゆり子さんは小学校高学年の頃から芸能活動を始め、2009年頃から俳優活動を本格的に始めています。
大森南朋さんとの出会いは、蒼井優さんを交えての食事会とのことです。
ただ、蒼井優さんと大森南朋さんは当時交際報道が出ていたため、この食事会で大森南朋さんが小野ゆり子さんに乗り換えた?小野ゆり子さんが略奪した?という噂も出ています。
なお、小野ゆり子さんは2019年5月に出産していますので、麿赤兒さんはおじいちゃんになっています。
麿赤兒の現在
出典:twitter.com
麿赤兒さんは現在も、俳優活動や暗黒舞踏集団・大駱駝艦での活動を精力的に行っています。
2019年の「翔んで埼玉」では、白塗りの西園寺宗十郎役を演じて話題になりました。また、2021年・2022年と出演作品が次々に公開になっています。
大駱駝艦では、2021年の大駱駝艦の配信公演では監修を務めていますし、舞台にも立ち続けています。
今後はどのような作品に出演し、どのような表現をしていくのか、とても楽しみですね。
麿赤兒のまとめ
麿赤兒さんのプロフィールや本名、経歴、若い頃の写真や家族・家系図、結婚した嫁や子供(息子・娘)と現在などをまとめました。
怪演俳優と言われている麿赤兒さん。出演時間は短くても、確実に視聴者にインパクトを残す演技は、唯一無二のものです。
年齢的に厳しくなってくるかもしれませんが、これからもたくさんの作品に出演してもらいたいですね。