人造人間キカイダーの主演俳優・伴大介さんですが、実は日本以上にハワイで人気なんです。
今回は伴大介さんの経歴、若い頃の改名トラブルや干された過去、結婚した嫁や子供、離婚原因、自宅から救急搬送など病気歴、現在を紹介します。
この記事の目次
伴大介はキカイダーの俳優
伴大介
本名:斉藤清憲
生年月日:1947年5月5日
出身:埼玉県川口市
身長:171cm
所属:キリンプロ・10ANT
血液型:O型
活動:俳優
伴大介さんは、埼玉県川口市出身の俳優です。
人造人間キカイダーの主役に抜擢されて、一躍人気俳優になり、その後もたくさんの作品に出演している名バイプレーヤーです。
趣味は読書や映画鑑賞、音楽鑑賞で、特技は歌唱です。その特技を生かして、「人造人間キカイダー」の挿入歌「春くれば」を歌っています。
2006年頃からは大病を患って激やせした姿に心配する声が上がりましたが、現在は体調が戻って元気に活動されています。
伴大介の経歴
出典:twitter.com
伴大介さんは1947年に埼玉県川口市で生まれます。
地元の埼玉県立蕨高校に進学後、演劇活動を始めました。大学は東京の明治大学文学部に進学します。
大学を卒業すると、劇団NLTのオーディションを受けて合格して研究生になり、本格的に演劇を始めて、劇団NLTで地方の学校を巡回公演しています。
そして、1972年にNET-TVネットワーク(現在のテレビ朝日)の特撮ドラマ「人造人間キカイダー」の主役のジローに抜擢されました。
伴大介さんが選ばれたのは、最終オーディション前、「人造人間キカイダー」のプロデューサー吉田進さんの奥様が伴大介さんの写真を見て「この人よ!」と叫んだからと言われています。
1972年~1973年に「人造人間キカイダー」の主役を演じて人気となりました。
キカイダーは初回こそ視聴率は9%でしたが、第1クールを過ぎる頃には16%に上昇し、人気特撮ドラマになり、続編も製作されています。
その後の1973年~1974年には「イナズマン」の主演を演じることになりました。また、「人造人間キカイダー」の続編である「キカイダー01」にはイチローの弟・ジローを演じています。
・人造人間キカイダー(1972年~1973年)
・キカイダー01(1973年~1974年)
・イナズマン(1973年~1974年)
・忍者キャプター(1975年)
・バトルフィーバーJ(1979年~1980年)
・鬼平犯科帳(1975年)
・電光超人グリッドマン(1993年)
・土曜ワイド劇場(1978年、1987年、1991年、1992年)
・火曜サスペンス劇場(1983年、1988年、1989年、1990年、1993年)
・十時半睡事件帖(1994年~1995年)
・龍馬伝(2010年)
・牙狼MAKAISENKI(2012年)
また、映画にもたくさん出演しています。
・飛び出す人造人間キカイダー(1973年)
・飛び出す立体映画イナズマン(1974年)
・座頭市(1989年)
・リング(1998年)
・らせん(1998年)
・リング2(1999年)
・リング0 バースデー(2000年)
・ゲームアクション(2009年)
・魔法少女を忘れない(2011年)
・死ガ二人ヲワカツマデ… 第二章 南瓜花 -nananka-(2012年)
・キカイダー REBOOT(2014年)
日本のホラー映画の金字塔とも言える「リング」、「らせん」、「リング2」、「リング0 バースデー」では生前の貞子を井戸に突き落として殺害する伊熊平八郎を演じています。
これ以外にもたくさんの作品にいろいろと出演していますし、2011年には「人造人間キカイダー、ジロー旅の途中で」という著書も執筆しています。
伴大介がハワイで大人気の理由とは?
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伴大介さんはハワイで大人気の芸能人なんです。なぜなら、「人造人間キカイダー」は日本以上にハワイで人気だからです。
「人造人間キカイダー」は1974年からハワイで字幕付きで放映されましたが、平均視聴率は26%をたたき出しました。
当時、ハワイでは特撮ヒーローの文化がなく、キカイダーが子どもたちのハートをわしづかみにしたそうです。
数あるアメリカのヒット番組を抑え、抜群の視聴率をたたき出したKIKAIDA。1974年に、パールリッジ・ショッピングセンター(当事の呼称、現在はパールリッジ・センター)で行われたサイン会には、1万人ものファンが押しかけ、大変な騒ぎになったそうです。
年1回はサイン会やキカイダー・フェスティバルが開催されており、毎回大人気!
2001年には待ち望まれていたKIKAIDAがテレビに復活し、DVDも発売されており、ますます人気に拍車がかかったようです。
30代・40代のハワイの男性は、キカイダーの歌を普通に歌えるそうです。そのくらい人気だったんですね。
放送終了後もずっと人気は続き、伴大介さんが歌う挿入歌「春くれば」は有線放送ヒットチャート1位を獲得し、伴大介さんはハワイの名誉市民の称号も受けています。
2011年にハワイで再放送されてから、またキカイダーの人気が再燃して、親子三代でキカイダー&伴大介さんのファンという家族も少なくないんだとか。
ちなみに、ハワイ州ではジェネレーション・キカイダー・デイが制定されていて、伴さんもたびたびハワイを訪れて、サイン会やイベントなどを行っています。
伴大介の若い頃のトラブル① 石ノ森章太郎と改名トラブル
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伴大介さんは若い頃に改名トラブルを経験しています。
伴大介さんの本名は「斉藤清憲」です。伴大介という芸名は、「人造人間キカイダー」の原作者である石ノ森章太郎に命名されました。
「人造人間キカイダー」は伴大介名義で出演していますが、1973年からの「イナズマン」には、姓名判断をした結果、改名の相談・事前に報告なしに「伴直弥」に勝手に改名したんです。
そのため、「イナズマン」は伴大介名義ではなく、「伴直弥」名義で出演しています。
この勝手な改名に怒ったのが石ノ森章太郎氏と東映スタッフです。石ノ森章太郎氏らは激しく怒り、「キカイダー0」は伴直弥名義での出演を許しませんでした。
そのため、同時期に放送されているのに、「イナズマン」は伴直哉名義、「キカイダー0」は伴大介名義で出演することになります。
石ノ森章太郎氏が一番怒っていたそうで、「イナズマン」の現場に石ノ森章太郎氏が監督として現れた際には、伴大介さんはよそよそしさを感じたとのことです。
自分が名付け親で、自分の原作でスターになった俳優が、いきなり相談・報告もなく改名したら、怒るのは当然かもしれません。
伴大介さんはこの改名後、ずっと長く伴直弥名義で活動していましたが、キカイダー25周年の1997年に伴大介名義に戻しています。この再改名に、石ノ森章太郎氏も喜んでいたそうです。
伴大介の若い頃のトラブル② スタッフとの確執
出典:https://www.kurihaku.jp/
伴大介さんはこのほかにも若い頃にトラブルを起こしています。
1976年にテレビ東京の「忍者キャプター」で主役を演じることになりましたが、スタッフとの間に確執が生じます。
発端は誤解でしたが、誤解を解くどころか確執がエスカレートしてしまい、内定していた「特捜最前線」のレギュラー出演が取りやめに。さらに、東映からしばらく干されてしまったんです。
若さゆえの暴走・過信があったのかもしれませんね。
伴大介が結婚した嫁や子供は?
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伴大介さんは結婚歴があります。旅行業界に勤めていた一般女性と結婚していて、男の子が1人(情報によっては2人)います。
ただ、奥様は旅行業界に勤めていたという情報しかなく、どのような方なのかは不明です。また子供も男の子がいること以外はわかっていません。
昭和62年(1986年)頃までは結婚生活を続けていたことがわかっています。
伴大介の離婚原因
伴大介さんは離婚歴があります。
離婚したことは伴さんの著書の中で明かされていますが、離婚原因などは書かれていません。
2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)の中では、伴大介さんの離婚原因には2つの説がささやかれています。
1つ目の説は、伴大介さんから離婚を申し出たというものです。
伴大介さんは昭和62年に陰茎がんの告知を受け、転移の可能性があるため、陰茎がんを切除する手術を受けています。
その後、抗がん剤の治療を受けて髪の毛も抜け落ちてしまったため、伴さんは奥様に対して申し訳ないという気持ちになり、自ら離婚を申し出たと言われています。
もう1つの説は、そのような感動的・献身的な離婚理由ではなく、ただ単に奥様が伴大介さんに愛想をつかしただけというものです。
873 :名無しより愛をこめて:02/06/11 02:07 ID:lzCMkMTJ
>>871 離婚は自から申し出たと言っているが本当はいろいろあって
女房から愛想つかされて男の子2人連れて出て行かれたらしい。
逃げられたってやつ。今まで伴さんがちゃんとしてたら病気の時こそ夫婦の
絆が強まるのが普通だと思う。たとえ伴さんが申し出たとしてもその申し入れを
受け入れないと思う。
引用:伴大介ファンスレッドⅡ
伴大介さんは、2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)ではかなり評判が悪いです。
どこまで本当かは不明ですが、借金が多くあって、借金を踏み倒したり、ファンから借金をしたり、ファンにグッズを押し売りしたりしていたとのこと。
そのような生活をしていたら、奥様が息子さんを連れて、家を出たくなるのは納得してしまいますね。
離婚後は自宅で惨めな生活をしていた?
伴大介さんは奥様と離婚した後は、埼玉の公団住宅に母親と2人で暮らしていたそうです。
「人造人間キカイダー」の主役をしていた俳優さんが、埼玉県の公営住宅で貧乏な生活を送っていたというのは衝撃的な情報です。
そのうち、母親ががんで亡くなってしまい、公営住宅で1人暮らしをしていたとのこと。
今は埼玉の公営住宅でみじめな1人暮らし。陰茎ガンであそこを手術してとった
もののいつ再発してもおかしくない状態。何年か前に妻が2人の男の子供を
2人連れて出て行ってしまった。それからしばらくは伴さんは実母と2人暮らし
をしていた。それも数年前に実母が癌で亡くなってしまってからは1人で住んでいる状態。
生活は生活保護同然の貧乏生活。キカイダーのハワイでのイベントなどでやっと
食いつないでいる。
確かに、今までの伴大介さんの出演作品を見る限り、たくさんのドラマ・映画に出演していますが、どれも端役であり、主演どころかエンドロールに名前が出るような役ではないようです。
これだと、確かに生活は苦しいかもしれません。
伴大介は自宅から救急搬送されていた・・・過去の病気歴
40代から体調不良に
伴大介さんは今までにたくさんの病気を経験されてきました。
前述のように、昭和62年に陰茎がんを患っています。手術と抗がん剤治療をして完治したけれど、平成7年には再発し、再び治療をしています。
さらに、40歳頃から、みぞおちに激痛が走るようになり、45kgまで激やせしてしまったとのこと。
伴大介さんは171cmですから、45kgというのは本当にガリガリの激やせですよね。その影響もあって、仕事が減ってしまったようです。
「40歳ごろから、みぞおちのあたりに激痛が走るようになり、45キロくらいまで激痩せしたんです。ただ、病院に行くのが嫌だったので、痛みに耐えながら、だましだまし仕事を続けていたのですが、次第に頬まですっかり痩せこけて、仕事も激減してしまいました……」
引用:伴大介さん 病魔をやっと克服…年を重ねるごとに円熟味を増す俳優になりたい(日刊ゲンダイDIGITAL) – Yahoo!ニュース
十二指腸穿孔で命の危機に
その後、59歳の時(2006年ごろ)に伴大介さんは十二指腸穿孔を患いました。
十二指腸穿孔とは、胃の下にある十二指腸に潰瘍ができて、そこから穴が開いてしまう病気です。
当時の伴大介さんは離婚後で介護していた母親も亡くなり、埼玉の公営住宅で独り暮らしをしていました。
独り身だったこともあり、健康には全く気を遣わず、すさんだ生活をしていたようです。食生活は不規則でタバコは1日2箱という生活でした。
そんなある日、深夜に寝返りを打ったら、おなかの中でプチっと音がして、腸のあたりがどんどん痛くなってきたそうです。
2時間くらい我慢して考えてから、自分で救急車を呼んで、病院に救急搬送されました。
痛みに耐え続け、朝になって開腹手術を受け、10日間ほどで退院した。ただ、後々になって受診した別の医師に言わせると、「それはもう死んでいてもおかしくない。生きているのは奇跡的だ」とのこと。しかも、「つまみ縫いしてあるから後から潰瘍になるかもしれない。気をつけた方がいい」と注意されるくらい少々粗っぽい感じの手術だったみたいだね。
このことをきっかけに、タバコをやめたそうです。
腸閉塞から健康に
十二指腸穿孔を克服した伴大介さんでしたが、その2年後に、今度は腸閉塞を患い、救急搬送されました。
治療は、鼻から腸まで管を通して閉塞している部分をぐいぐい広げるというものだった。医者が5~6人がかりで寄ってたかってやるんだけども入らないんだよな(笑い)。あれはつらかった。
いろいろと大病を患いましたが、その後は健康状態に気を配るようになり、漢方薬を飲むようになってから、1年で10キロ近く体重が増えて、健康体になったそうです。
健康診断の結果はオールAとのことですから、健康そのものですね。
伴大介の現在
伴大介さんは、現在も俳優活動を続けています。
2022年には怪奇特撮映画「怪猫狂騒曲」にも出演しています。また、デビュー50周年を記念して、「春くれば2022」のCDを発売しています。
そのほか、舞台に出演したり、ツイキャスでトークライブをしたりと精力的に活動しています。
新型コロナウイルスが流行してからはハワイに行けていなかったようですが、2023年にはハワイでイベントを行う予定もあります。今後もさらに幅広い活動を行っていくものと思われます。
また、2ちゃんねるでは再婚しているという噂もありますが、プライベートのことなので再婚したかどうかは不確定な情報です。
伴大介のまとめ
伴大介さんのプロフィールや経歴、ハワイでの人気、若い頃の改名トラブル、結婚した嫁や子供について、病気や現在をまとめました。
多くの病気を経験されたものの、伴大介さんは現在は健康であり、様々な活動をしています。
それにしても、日本以上にハワイで人気というのは面白いですね。