踊る大捜査線でブレイクした俳優・北村総一朗さんですが、北村和夫さんと兄弟という噂があります。
今回は北村総一朗さんの家族情報、若い頃の経歴、嫁の磯辺万沙子さんとの馴れ初めや結婚生活、子供の有無、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
北村総一朗は踊る大捜査線でブレイクしたベテラン俳優
北村総一朗
生年月日:1935年9月25日
出身:高知県高知市
身長:172cm
所属:劇団昴
血液型:A型
活動:俳優
北村総一朗さんは、踊る大捜査線でブレイクしたベテラン俳優です。
俳優活動は20代の頃から続けていましたが、1997年からスタートしたドラマ「踊る大捜査線」の湾岸署の所長役で一躍有名になり、知名度がアップしました。
その後もたくさんのドラマや映画に出演する他、さらにバラエティ番組にも出演しています。
北村総一朗の実家の家族
出典:ameblo.jp
北村総一朗さんは5人家族で育ちました。
・母親
・兄
・姉
・北村総一朗
北村総一朗の兄弟は昭和の名優・北村和夫?その真相
北村総一朗さんには兄が1人います。
兄とは異父兄弟でしたが、この兄が俳優の北村和夫さんではないか?という噂があるんです。
北村和夫は昭和の名俳優
北村和夫
生年月日:1927年3月11日
没年月日:2007年5月6日
出身:東京都
所属:文学座
活動:俳優、声優
北村和夫さんは主に文学座で活動していた昭和の名俳優です。
文学座の座員となった後は、杉村春子さんの相手役を務めたことで注目を集め、文学座の中心メンバーとして50年以上も文学座を支え続けました。
文学座で1965年に初演となった『花咲くチェリー』のチェリー役は当たり役で、上演回数は400回にも上ります。
テレビや映画にも多数出演していて、大学時代からの盟友である今村昌平監督の作品の常連でもあり、次のような賞を受賞しています。
・毎日芸術賞(1987年)「欲望という名の電車」
・紫綬褒章(1989年)
・読売演劇大賞優秀男優賞(1993年)
・勲四等旭日小綬章(1997年)
北村和夫さんは2007年、肺炎による呼吸不全のために、都内の病院でお亡くなりになりました。
北村和夫は兄弟ではない
出典:rockinon.com
北村総一朗さんと北村和夫さんは兄弟ではないか?という噂がありますが、これはデマです。
北村総一朗さんと北村和夫さんは苗字が「北村」という共通点はありますが、それ以外の共通点はありません。
北村総一朗さんは高知県出身ですが、北村和夫さんは東京都出身です。北村総一朗さんが子供の頃に東京に住んでいたことも、北村和夫さんが子供の頃に高知に住んでいたこともありません。
つまり、北村総一朗さんと北村和夫さんは兄弟ではなく、ただ単に苗字が「北村」で同じであり、たまたま兄弟と思えるような年齢差だったというだけです。
ただ、北村総一朗さんと北村和夫さんは顔立ちが似ているんです。
出典:rubese.net
この写真を見比べてみると、「この2人は兄弟」と言われても、納得してしまいますよね。
北村総一朗の若い頃の経歴① 生い立ち~学生時代
北村総一朗さんは1935年に生まれます。
幼少期は父親の仕事の都合で、中国の天津で生活をしていました。ただ、太平洋戦争が始まる前には日本に戻ってきて、高知県高知市で生活をしています。
そのため、戦争中は日本にいました。戦時中、小学生だった北村少年は、空襲で一面が火の海になったのを見て「きれいだな」と思ったことがあると語っていました。
戦争が終わり、北村さんは中学生になり、中高一貫教育の土佐中学・土佐高校に進学しました。
中学1年生の時、父親は愛人を作って母親と離婚し、北村さんは父親と愛人と一緒に住むことになりました。
父親からは「どうせこいつも母親の所へ行く」と思われたためか、愛人との生活に邪魔だと思われたためか、父親には邪険に扱われていたそうです。
そのため、家に帰りたくないと思い、放課後でも学校に長くいられるように演劇部を作って、活動を始めました。
部活の中でも演劇を選んだのは、劇団民藝の「セールスマンの死」を観劇して感銘を受けたからとのことです。
そして、高校生になって演劇コンクールで入賞し、俳優の道に進むことを決意します。
ただ、父親との生活に耐えられなくなり、北村さんは高校生になると家を出て、母親と一緒に暮らすようになりました。それ以降、父親とは1度も会わなかったそうです。
母親と生活し始めましたが、収入が少ないため、高校の学費を払うことにも苦労しますが、成績は良好で、国立の高知大学農学部林学科に進学しました。
学費は家庭教師のアルバイトと奨学金で支払ったそうです。
大学在学中も大学の演劇研究会に所属して活動します。また、放送局の放送劇団にも所属し、自分で放送劇も書くようになりました。
演劇活動に夢中だったためか、大学での成績はあまり良いとは言えなかったようです。
そのため、卒業論文の発表時には「林業政策には絶対に迷惑をかけないので合格点を下さい」とお願いして、卒業にこぎつけたんだとか。
北村総一朗は若い頃の経歴② しばらく役に恵まれなかった
出典:twitter.com
北村総一朗さんは大学卒業後の24歳の時に、役者を志して上京します。
そして、26歳の時(1961年)に文学座養成所の第一期生に選ばれ、文学座に研究生として入りました。
当初は言葉の壁に苦労します。北村総一朗さんはバリバリの土佐弁だったので、アクセントの違いにとまどったそうです。
アクセント辞典はいつもかばんの中にあったね。当時は標準語が至上命令。でも土佐弁で表現していた気持ちが標準語だと分からない。外国語みたいに置き換えたりしたよ。『すごくきれいだね』を『まことげにきれいじゃの』とすると『うわーっ、きれいだな』と、気持ちが乗るんだ」。
その後、1963年の文学座の分裂騒動で劇団雲に移り、1975年からは劇団昴に所属しました。
このように、ずっと俳優を続けていた北村総一朗さんでしたが、若い頃はあまり役に恵まれなかったんです。
NHKの大河ドラマに何度も出演していますし、「太陽にほえろ」にも出演しています。ドラマに出演するものの当たり役がなかったために、「細々と」役者を続けていました。
そのため、北村総一朗さんは40歳ごろまで風呂なしのアパートに住んでいたそうです。
40歳近くまで、風呂なしのアパート生活だった。6畳一間に友達と住んだりもした。でも悲壮感はない。
「食うのに精いっぱいだったけど、貧乏は当たり前。みんなそうだったから、全然気にならなかった。演劇ができることが楽しかった」。
北村さんが40歳というと、日本は高度経済成長期だった頃です。
同年代はマイホームや車を買い、豊かな生活をしていたはずですが、それでも風呂なしで友人と共同生活などの貧乏な生活に耐えられたのは、本当に演劇が好きだったからなのでしょう。
北村総一朗は「踊る大捜査線」で一気にブレイク
北村総一朗さんが踊る大捜査線に出演したのは1997年のこと。この時すでに62歳でした。62歳での遅咲きブレイクだったんです。
1997年にはフジテレビのドラマ「踊る大捜査線」の湾岸署の所長役で出演し、コミカルで憎めないキャラクターがはまり役に。
副所長と課長と一緒に「スリーアミーゴス」という愛称で、バラエティ番組に呼ばれるようになり、スリーアミーゴスを主役にしたスピンオフドラマ「深夜も踊る大捜査線」も作られました。
踊る大捜査線でブレイクした後は、「京都迷宮案内」にもレギュラー出演し、「笑っていいとも!」にも火曜レギュラーとして出演するようになります。
その後も、ドラマや映画に次々と出演し続け、踊る大捜査線後は一気に人気俳優の仲間入りをしています。
北村総一朗が結婚した嫁は女優・磯辺万沙子
北村総一朗さんは、1987年に磯辺万沙子さんと結婚しました。
磯辺万沙子は22歳年下の女優
出典:thetv.jp
磯辺万沙子
生年月日:1957年5月14日
出身:福岡県
所属:劇団昴
活動:女優、声優
磯部万沙子さんは、劇団昴に所属する女優さんです。
福岡県出身で、日本大学芸術学部演劇学科演劇コースを卒業後、昴学校に入り、1982年に劇団昴に入団して、女優活動を始めます。
舞台やドラマにも出演しますが、主に声優や吹き替えの声などの仕事を多くされています。
・CCH・パウンダー
・デブラ・ムーニー
・マーゴ・マーティンデイル
上記女優の声を担当しているほか、数えきれないほどの洋画・海外ドラマの吹き替えを担当しています。
1987年に結婚
出典:ameblo.jp
北村総一朗さんと磯辺万沙子さんは、1987年に結婚しました。歳の差は22歳!北村さんが52歳、磯部さんが30歳の時の結婚です。
磯部万沙子さんの父親は北村さんの12歳年上、母親は6歳年上だったそうです。
お母さんは僕の6歳上、お父さんは12歳上。結婚式でバージンロードの様子を見た人はみんな、「新婦をまるで父から父に渡すみたいだ」って言ってたな
引用:北村総一朗 “ナース”と呼ばれた22歳下の妻への思い「一日一日が愛おしい」(1/2)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
奥様の誕生日には毎年、服などをプレゼントするし、愛情表現はしっかりしているそうです。
愛情表現はちゃんとするよ。朝起きたら「おはよう」って抱擁するし、お互い「大好きだよ」って言う。テレビを見ながら手も握る。
引用:北村総一朗 “ナース”と呼ばれた22歳下の妻への思い「一日一日が愛おしい」(1/2)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
「休みの日はずっと一緒。買い物に行ったり、飯を食いに行ったり。甘い言葉? ときどき『好きだ』とか『愛してる』とか言うし、チューしたりもするよ。軽くね(笑い)。いろんなことを経験して、言葉1つが大事と分かったから」
また、北村総一朗さんは、奥様のためにできるだけ長生きをしようと思って、お酒もたばこもやめているとのこと。
「女性は男性より約10年平均寿命が長いから、僕が死んでから女房は30年生きなきゃいけない。それを考えるとつらいよな。だから長生きしようと思うんだ。なんだか女房の話ばかりになっちゃったな」。
とても素敵なご夫婦ですよね。
北村総一朗と嫁・磯辺万沙子の馴れ初め
北村総一朗さんと磯辺万沙子さんは、劇団昴の劇団員として知り合っています。磯辺万沙子さんは、1982年に入団していますので、その時からの知り合いです。
ただ、すぐに恋人同士になったわけではありません。最初は、ただの「演劇仲間」でした。もちろん、仲が良かったのですが、恋愛関係ではなかったんです。
そんな2人の関係が一変したのは、北村さんの病気がきっかけでした。
1987年、北村総一朗さんはC型肝炎で入院。急な入院だったため、身の回りの物を全く用意しておらず、しかも北村さんは猫を飼っていたので、入院中の猫の世話も困ってしまったんです。
そんな時に北村総一朗さんが頼ったのが磯辺さんでした。北村さんと磯辺さんは近所に住んでいたため、「身の回りの物を持ってきてくれ。猫の世話も頼む」と電話しました。
磯辺さんは快諾し、しかも2ヶ月間毎日病院に来てくれて、掃除や洗濯も全部してくれたとのこと。
北村さんは「結婚するならこの人しかいない!」と決心し、病院のベッドの上でプロポーズしたそうです。
北村さんは両親が離婚しているため、絶対に離婚したくないと思って結婚には慎重で、52歳まで独り身でしたが、そんな思いを取り払ってしまうくらい磯辺さんは魅力的だったんですね。
プロポーズをしたら、磯辺さんの母親がすぐに来たので、ベッドに正座して結婚の許しを請い、退院した後にお父さんに結婚の許可をもらったとのことです。
付き合ってもいないのに、いきなりプロポーズをされて、さらにOKをするなんて。
そもそも、入院した52歳のおじさんの身の回りの世話を嫌な顔をせずにするなんて、磯辺万沙子さんも北村さんのことを前から好きだったのかもしれませんね。
北村総一朗と嫁・磯辺万沙子に子供はいない
出典:twitter.com
北村総一朗さんと磯辺万沙子さんの間には子供はいません。
飯を一緒に食ってて、ふと「僕がいなくなったらこいつは一人でつくねんと食べていくのかな」って思う時があるよ。子どもがいないから、余計に心配しちゃう。
引用:北村総一朗 “ナース”と呼ばれた22歳下の妻への思い「一日一日が愛おしい」(2/2)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
子供がいないからこそ、北村総一朗さんは奥様のことが心配で長生きしたいと思うんですね。
北村総一朗の現在
前立腺がんを経験
北村総一朗さんは2013年に前立腺がんの手術を受けています。
2013年8月、前立腺ポリープの内視鏡手術を受けたら、前立腺がんが判明します。しかもステージ4だったようです。
4年前に見つかった腫瘍は、「前立腺導管がん」。主治医に「ステージ4なんだとかって、それだけ言われた」と動揺ぶりがうかがえますが、今では全摘手術を受け、現場復帰。2カ月に1回、経過観察で転移がないかチェックしているそうです。
すぐに全摘の手術を受けることになり、10月に予定されていた舞台を降板して、療養生活に入りました。
その後、2014年5月には転移もなく、定期健診のみで良いことを報告し、仕事も再開しています。
つまり、転移は認められなかった訳で、放射線治療も、抗がん剤治療も、必要ない。後は、3ヶ月に1度くらいの定期検診を受けることになる。
それ以降は、現在まで大病はされていないようです。
今でも現役の俳優として活躍
北村総一朗さんは今でも現役の俳優です。2022年で87歳になりますが、まだまだ活動を続けています。
また、2017年からは演出もしていて、2022年3月からの劇団昴の舞台も演出を担当しています。
この舞台は「一枚のハガキ」という舞台ですが、この舞台には奥様の磯辺万沙子さんも出演します。
87歳で現役俳優。北村さんはこれからも演劇のために、そして愛妻のために長く俳優を続けていくのだと思われます。
北村総一朗のまとめ
北村総一朗さんのプロフィールや家族、北村和夫さんとの兄弟の噂、経歴や若い頃、結婚した嫁の磯辺万沙子さんとの馴れ初め、子供の有無、現在をまとめました。
北村総一朗さんは87歳でも現役です。好きなことを87歳まで続けられるなんて、うらやましく思います。