名門かつ人気の宝塚歌劇団ですが、過去にはタカラジェンヌ・香月弘美さんが巻き込まれた痛ましい死亡事故も起きています。
今回は宝塚胴体切断事故の詳細や原因、陰謀説や隠避説など真相、墓の場所などをまとめました。
この記事の目次
香月弘美の宝塚胴体切断事故とは
香月弘美さんの宝塚胴体切断事故は、1958年4月1日に宝塚大劇場で起こりました。
宝塚歌劇団月組の娘役だった香月弘美さんは、公演中に昇降装置である「セリ」で舞台下に降りた際、セリのシャフトに衣装が絡まったことにより腰の部分で胴体が切断されて死亡しました。
宝塚歌劇団の公演中に出演者が胴体が真っ二つになって死亡したという事故はかなり衝撃的ですが、実はこの死亡事故は宝塚歌劇団の歴史の中ではなかったことにされています。
黒歴史化しているというよりも、真相を隠蔽しようとしているのでは?とも言われているんです。
香月弘美の宝塚胴体切断事故の詳細
香月弘美さんの宝塚胴体切断事故の詳細を見ていきましょう。とても恐ろしい事故だったことがわかります。
香月弘美さんは代役として出演
出典:tsubuyaki3578.at.webry.info
香月弘美さんの死亡事故が起こったのは、1958年4月の花組公演「春のおどり、花の中の子供たち」(3月26日~4月29日)でのことです。
香月弘美さんは元々はこの公演に出演予定ではありませんでしたが、トランプの国のハートの7(巫女)役の日夏悠理さんが風邪を引いたため、3月31日から代役として出演していました。
セリで降下していった
宝塚胴体切断死亡事故が起こったのは1958年4月1日であり、香月弘美さんが代役として出演して2日目のことですね。
4月1日の夜の部の公演中、セリに乗って香月弘美さんが恋人役の人と抱き合いながら降下するシーンがありました。
このセリは縦約1メートル×横約3メートルという狭さです。この狭いセリで、2人は抱き合い、そのまま舞台下の奈落に降下していったのです。
この時、香月弘美さんの恋人役だったのは松島三那子さんでした。
松島三那子さんは、この後すぐに早変わりで次の役に扮する必要があったため、セリが下がりきる前に奈落に飛び降りて、衣装を変えるために走り出しました。
そして、松島三那子さんがセリから飛び降りて3歩ほど走り出した時、背後から「やめてー」という叫び声が聞こえたのです。
シャフトに衣装が絡まって胴体が切断
恋人役だった松島三那子さんが降りた後もセリに乗っていた香月弘美さんは、回っていたシャフトに衣装がひっかかったことで、セリの装置に引きずりこまれていたのです。
香月弘美さんは即死でした。
松島三那子さんは、「やめてー」という叫び声と同時に「バリバリ」という音、そして何かが飛び散る音を聞いています。
そして振り向くと、蝋人形のような無表情の香月弘美さんとシャフトに絡みついた衣装が見えたそうです。
辺りは一面血の海に…
松島三那子さんは「とめてー!とめてー!」と絶叫したものの、まさか香月弘美さんがすでに亡くなっているとは気づかず、次のシーンのためにその場をいったん離れています。
香月弘美さんのところに真っ先に駆け付けたのは、祐野課長でした。
同時に白い衣装の香月さんが目を見開いた表情で祐野さんに倒れかかった。
「どうしたんだ」と祐野さんは香月さんの腰に手を回した、・・・・・らそこには何もなかったのである。祐野さんは仰天し、気を失いそうになった。
祐野さんが目を上げたらそれはまだセリの上に残っていた。
倒れかかってきた人の胴体が真っ二つで、腰から下がなかった時の衝撃を思うと…言葉になりません。
香月弘美さんは死亡診断書によると、胴体が腰の部分で真っ二つになっていた以外に、右脚は潰れていて、左脚は膝下が骨折していました。上半身には異常がなかったそうです。
腰から真っ二つに切断されたのですから、当然ながら辺りは一面血の海になりました。
松島三那子さんは早変わりの場所で香月弘美さんが死亡したことを知り、半狂乱の状態になったそうです。
もちろん周囲もパニック状態になって、逃げだそうとする劇団員やスタッフもいましたし、2000人の観客も総立ちになりました。
公演はそのまま中止になっています。
香月弘美の宝塚胴体切断事故の原因
香月弘美さんの宝塚胴体切断事故の原因は何でしょうか?
特徴的な衣装を着ていた
香月弘美さんは衣装がシャフトに絡まったことで、胴体が切断されてしまいます。でも、普通に考えたら、衣装がシャフトに絡んでも、なぜ胴体が切断されるのかと不思議に思いますよね。
衣装がシャフトに絡まっただけなら、装置に引きずりこまれた脚がつぶれたり骨折したりするのはわかりますが、胴体切断には至りません。
でも、この時の香月弘美さんの衣装は特殊でした。衣装のドレスには裾をふんわりを広げるために、腰・膝・裾にそれぞれ60cm、70cm、100cmのスチールベルトを入れていたんです。
腰に60cmって、いくら華奢な娘役の女性でも、かなりきつめのベルトだったと思います。
そしてシャフトに衣装が絡んだ時に、この腰のスチールベルトもシャフトに引っ張られることになり、ベルトが香月弘美さんの胴体を締め付け、最終的には胴体を切断してしまったのです。
セリが狭い&シャフトがむき出しだった
香月弘美さんの死亡事故の直接的な原因は、次の2つと言われています。
・シャフトにはカバーがなくむき出しだった
香月弘美の宝塚胴体切断事故の真相① 陰謀説
香月弘美さんの宝塚胴体切断死事故の真相は、ただの事故ではなく、陰謀説や隠蔽説も囁かれています。
まずは、陰謀説を見ていきましょう。
香月弘美さんの死亡事故は、あまりにも沢山の偶然が重なっています。そのため、何かの陰謀があって香月弘美さんは殺害されたのではないか?という噂があるんです。
香月弘美さんの死亡事故には、これだけの偶然が重なりました。
・衣装のベルトはスチールに変えられたばかりだった
・大きめの衣装だった
・セリの操作は臨時の人だった
これだけの偶然が死亡事故があった4月1日に起こっていたのです。
これにより、香月弘美さんは何かの陰謀で事故に見せかけて殺害されたのでは?と噂されるようになりました。
香月弘美さんは人気団員だった
香月弘美さんは日舞の名手であり、死亡当時はまだ21歳でしたが、人気の娘役でした。
事故当日の舞台に出演した香月弘美さんは、同じ月組の日夏悠理さんの代役でしたが、一説によると、日夏悠理さんよりも香月弘美さんの方が人気があったというのです。
人気があるのに、代役というのは疑問が残りますね。
衣装のベルトはスチールに変えられたばかりだった
衣装のベルトはスチール製でした。それまでは竹製だったのですが、3月26日からの「春のおどり、花の中の子供たち」の公演からスチールに変えられたばかりでした。
そしてこの死亡事故の後は、兵庫労働局西宮労働基準監督署の指導により、竹製のベルトに戻されました。つまり、スチールベルトは3月26日~4月1日の1週間しか使われなかったのです。
もし竹製のベルトだったら、胴体を切断する前にシャフトの力に負けてベルトが切れて、香月弘美さんは命だけは助かっていたかもしれません。
大きめの衣装だった
香月弘美さんは日夏悠理さんの代役でした。香月弘美さんは日夏悠理さんよりも小柄だったので、日夏悠理さんに合わせて作られた衣装は香月弘美さんにとっては大きめだったのです。
自分に合わない大きめの衣装を着て、狭いセリに乗ったから、注意していてもシャフトに衣装の裾が巻き込まれてしまったのかもしれません。
セリの操作は臨時の人だった
1958年4月1日は、阪急電鉄でストライキが行われていました。
普段セリの操作をしている専門員はストの穴埋めのために阪急電鉄に駆り出されていたそうで、事故当日は操作に不慣れな臨時の人がセリの操作をしていたんです。
この臨時の人には一切過失はありませんが、もし普段通りの専門の人が操作していたら、異常に素速く気づいて、香月弘美さんの胴体が切断される前に電源をオフできていたかもしれません。
香月弘美の宝塚胴体切断事故の真相② 隠蔽説
香月弘美さんの死亡事故には隠蔽説もあります。
香月弘美さんはたまたま衣装がシャフトに絡まったために、胴体が切断されてしまいました。
しかし、もし誰かの不注意で香月弘美さんが事故に巻き込まれていたら?そして、宝塚歌劇団を守るために、そのことが隠蔽されていたら?という噂もあるんです。
公演で恋人役を演じていた松島三那子さんの証言を思い出してみましょう。
・3歩進んだら、やめてと絶叫が聞こえた
・振り向いたら、無表情の香月弘美さんが見えた
・絶叫から振り返るまで1秒程度
兵庫県警の実況見分では、・・・
香月さんの衣装がシャフトに捲き込まれ、切断されるまでには、早くて
6,7秒はかかる。松島さんが「飛び降りて走りかけたらヒロエちゃんの悲鳴
を聞いた」のが事実としても、時間的には松島さんが飛び降りる前に既に
香月さんは捲き込まれていたはずだ。
あれ?松島三那子さんの証言と食い違いが見られますよね。
松島三那子さんと香月弘美さんは抱き合ったままセリに乗り、そこから松島三那子さんは途中で飛び降りています。
ということは、松島三那子さんは香月弘美さんを少し突き放すような、押すような形になったのではないか?もちろん故意ではないにせよ、そういうことがあったのではないか?
もしそれがバレたら、松島三那子さんは責任を問われる、そして宝塚歌劇団の責任も問われることになる…。
だから、組織ぐるみでこの事故を香月弘美さんの不注意による事故にして、真相を隠蔽しようとしたのではないか?このように推測することもできますね。
香月弘美の宝塚胴体切断事故のその後
香月弘美さんの宝塚胴体切断死亡事故が起こったその後を見ていきましょう。
事故翌日から公演は続行
出典:twitter.com
1958年4月1日に、香月弘美さんは胴体を真っ二つに切断されて死亡しました。その日はパニック状態になり、その時点で公演は中止になっています。
しかし、なんと翌日からは公演が再開されています。しかも、5月は月組で同じ演目が公演されました。
死亡事故、しかも胴体は真っ二つに切断される痛ましい事故です。その翌日から普通に同じ演目の公演が行われたなんて、今の感覚では考えらえないですよね。
時代と言えば時代ですが、なんとも理解しがたいところはあります。
事故の責任の所在は曖昧
香月弘美さんの死亡事故が起こったことで、兵庫労働局西宮労働基準監督署が介入し、香月弘美さんは労災認定され、次のことが宝塚歌劇団に対して指導されました。
2.スチールベルトではなく、竹ひごのような材質のものに変える
3.セリ台の上下するスピードを落とす
宝塚では胴体切断事故は抹消
宝塚歌劇団の公演中に起こった香月弘美さんの胴体切断死亡事故。これは、消したくても消せない事実であり、忘れてはいけない事故です。
でも、宝塚歌劇団の公式の歴史の中では抹消されています。
以前は毎年4月1日には、香月弘美さんの事故現場であるセリの下で献花が行われていましたが、旧宝塚大劇場が取り壊されてからはその献花も行われなくなりました。
宝塚歌劇団の中では、この香月弘美さんの死亡事故はなかったことにしたい黒歴史なのかもしれません。
香月弘美の墓の場所
香月弘美さんのお墓は、東京都足立区の東岳寺にあります。
4月1日の午後6時25分ごろに事故が起こり、4月3日には下宿先で密葬が行われています。
それから4月11日には宝塚歌劇団葬が行われてから、ようやく東京都墨田区の実家に戻りました。実家で葬儀が行われたのは4月15日のことで、団員など380人が参列したとのことです。
時代なのか、宝塚のルールなのかは分かりませんが、下宿先で密葬→宝塚歌劇団葬→実家での葬儀というのも変な感じがしますよね。
葬儀の流れを見ると、やっぱり何か隠蔽したかったのか?と勘ぐってしまいます。
香月弘美の死亡事故のまとめ
香月弘美さんの宝塚胴体切断死亡事故の詳細や原因、真相、墓の場所等をまとめました。
宝塚歌劇団の公式の歴史から抹消されている痛ましい事故。宝塚のファンでも知らなかったという人も少なくないと思います。
宝塚歌劇団の公演中の事故で死亡したのに、劇団の歴史から抹殺されてしまうのは、二度殺されるようで悲しいですね。
最後に、香月弘美さんのご冥福をお祈り申し上げます。