石田えりさんと言えば、「釣りバカ日誌」などの演技が反響を呼んだ女優ですが、若い頃は豊満でセクシー系として注目を浴びていました。
今回は石田えりさんのプロフィールや経歴、若い頃、旦那や子供、現在の活動などをまとめました。
石田えりのプロフィール
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本名:内田 恵理子
生年月日:1960年11月9日
身長:162cm
血液型:A型
出身地:熊本県八代市
職業:女優
石田えりさんは、全日制課程への通学が困難な芸能人やスポーツ選手に対応した「トレイトコース(旧・芸能活動コース)」「体育コース」がある、私立堀越高等学校卒業です。
中尾ミエ、ザ・ドリフターズ、沢田研二、布施明、森進一、小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズ等の大スターを多数抱えている渡辺プロダクションに所属し、後にトライアングルCプロジェクトに移籍しています。
家族には、妹がいるようです。
趣味は、ピアノ、映画鑑賞、読書、スキューバダイビング、特技は、英会話です。
児童養護施設で育った過去を、出演番組で語ったことでも話題になりました。
中学3年生で上京、高校生で芸能デビュー
中学校3年の1975年5月、指揮者・チャーリー石黒氏のオーディションに合格、上京して石黒氏の母の家に下宿しながら、チャーリー石黒音楽専門教室で歌を習っていました。
また、高校入学後の1976年から1978年までは東京音楽学院で、ダンス、台詞、演技のレッスンを受けていたようです。
そんな石田えりさんは、1976年10月から翌年3月までクイズ番組『スターチャレンジ!!』のアシスタントを担当しています。これが芸能界デビューとなりました。
さらに、TBSの子ども向けテレビ刑事ドラマ『刑事犬カール』(1977年9月12日~1978年6月5日放送)に、1978年に顔みせ程度に出演しています。
その後、TBS系列の人気バラエティ番組『笑って!笑って!!60分』(1975年4月5日~1981年3月28日放送)内の正統派学園ドラマ『哀愁学園』に、準レギュラーで出演しました。
1978年公開の映画、『翼は心につけて』で、骨肉腫に冒されたヒロイン、主人公の鈴木亜里役に抜擢され、スクリーンデビューを果たします。
東京12チャンネル(現テレビ東京)の横浜を舞台にした青春テレビドラマ『体験時代』(1979年10月9日~同年12月18日放送)で、元気な6人の女子大生の1人、えり役を演じます。
他にも、『家族サーカス』『たとえば、愛』『ウルトラマン80』などの作品でで女優として活躍しています。
『ウルトラマン80』ではUGMの城野エミ隊員を演じていましたが、「ウルトラシリーズに最後まで出演した女優は大成しない」というジンクスのためか、殉職という形で降板しています。
しかし、『ウルトラマン80』最終回で「アンドロイド・エミ」として出演し、本人は非常に嬉しかったと後に語っています。
日本アカデミー賞主演女優賞受賞
1981年、『遠雷』で、主人公・和田満夫役の永島敏行の妻、花村あや子役を演じ、その肢体を披露して大きな話題となりました。
この作品で、日本アカデミー賞の主演女優賞と新人女優賞を受賞することになります。
1983年『金曜日の妻たちへ』で竜雷太の後妻役、1984年には『昨日、悲別で』で北海道から上京してダンサーを目指しながらも挫折していく娘役などを演じました。
1988年より『釣りバカ日誌』シリーズにおいては、主人公・浜ちゃん(西田敏行)の妻・みち子役を演じて、同シリーズの顔なじみとなります。
その後、1994年の第7作を最後に同シリーズを降板し、後任は浅田美代子に決定しました。
2005年の映画『ジーナ・K』では、伝説のストリッパー・カトリーヌ役を演じ、40代半ばにしてヌードも披露しています。
1985年にテレビドラマ『俺たちは天使だ!』のテーマ曲で知られるSHŌGUNの元ギター/ボーカル、ミュージシャンの芳野藤丸と結婚。しかし、5年後に離婚しています。
石田えりの若い頃とは
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演技派女優としてドラマや映画に出演しているイメージがある石田えりさんですが、映画でヌードを披露して以来、1979年に雑誌「GARO」ではヌードグラビアで非常に有名な女優でした。
1981年、映画「遠雷」での濡れ場で豊満な肉体を披露してから、石田さんと言えばヌード、ヘアヌードのイメージが多い人は、現在の50代以上の男性には多いと思います。
お色気イメージでゴシップ紙の常連に
一度結婚していますが、色々と当時はその”お色気”で、恋多き女との噂が絶えず、ゴシップ系雑誌に掲載される常連でした。
しかし、噂だけでスキャンダルは実際はなく、その理由がヌードを披露した映画などでの過激な演出が影響していたせいもあったようです。
当時は、非常に性的なゴシップが週刊誌を中心に過激に掲載されることが今よりも多く、石田さんの性癖とか、裏の性生活といった感じで好き勝手に雑誌が掻き立てていた印象があります。
一時期「プライベートでの絡みシーン」とされる映像が海外のポルノサイトに投稿されたりしましたが、内容はまったく石田さんとは無関係の非合法アダルトビデオを編集した偽物でした。
それでも「夫婦の友人が漏洩、拡散」というデマが流れるほどで、一旦映画などでヌードを披露したり、写真週刊誌でグラビアヌードが多いと、どうしてもこの類の噂が絶えないようですね。
また、配役の中でどうしても”お色気”を絡めた出演になる場合が多かったようです。
シリーズに長く出演した『釣りバカ日誌』の夫婦の夜の営みも”合体”という大きな文字で演出されて、最後までそのイメージが払拭できなかったのはあると思います。
ベテラン女優に、あからさまに性を連想させて出演OKとなるパターンは、当時から珍しいことでした。
しかし実際には、1980年代以降、石田さんがドラマ・映画で脱ぐことは少ないようです。
映画、ドラマ、演劇から、TVアニメの声優、CMまでこなす演技派女優ですから、昔のイメージは未だに中高年以上の男性には記憶に鮮烈なものがあったのでしょうね。
ドラマはスペシャルドラマに出演する機会が非常に多く、サスペンス劇場、時代劇スペシャルなどえ多数の出演歴があります。
30代以降からは、自分の体を売りにするような服装は見られず、若い人ならベテラン女優の一人で、ヘアヌードのイメージはまず無いでしょう。
石田えりの旦那・芳野藤丸とは
石田えりさんの夫だった芳野藤丸さんは、北海道函館市出身1951年4月21日生まれで、現在は68歳です。
函館ラ・サール学園を卒業後、アメリカ西海岸を10ヶ月間放浪、1970年 大学仲間とバンド「WISH」を結成して音楽活動を開始しています。
1973年「藤丸BAND」を結成して、西城秀樹のサポートバンドとして活躍後、1979年バンド名を「SHOGUN」に変更して、人気テレビドラマシリーズのテーマソングを担当。
太田裕美のヒット曲『木綿のハンカチーフ』、『いちご白書をもう一度』の作曲・編曲を担当したり、『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマ曲の作曲などをしています。
数多いミュージシャンや歌手にも曲を提供し、代表作も多いミュージシャンです。
スタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアが長く、あまり表舞台には出て来ることがないプロのスタジオ・ミュージシャンですね。
1985年に石田さんと結婚し、1990年に離婚後、結婚の話題は石田さん同様ありません。
元夫に対する気になる発言
石田さんは、元々その豊満なボディから、かねてから芸能界でも中高年男性芸能人には大変人気が高かったそう。
2017年のトークバラエティ番組「アウト×デラックス」では、元夫に関して「こっちが愛情あるのに向こうに感じられないと、性格的にちょっと大変で…」と意味深な回答をしています。
独身の現在、「どういう方がタイプなんですか?」という問いに、「世の中にたった1人、陰
と陽みたいにピタッと合う人がいて、その人に会うまでの旅だと、人生は…」と答えています。
巷の噂とはまったく別で、かなり乙女チックな恋愛観を持っていることを明かしています。
離婚の原因は?
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そもそも、ヌード写真集も含めて過去のスタンスは、あくまで要求に従ってしていた仕事と割り切っていたようで、本人はそれほど恋愛に関して奔放ではないようですね。
芳野藤丸さんとの結婚生活も5年で破局したのは、夫の浮気が原因と言われています。
当時は石田さんが25歳、芳野藤丸さんが34歳で、流石に相手はミュージシャンですから、性格が真面目な石田さんからすれば、夫の交流関係は辛かったのかもしれません。
石田さんは性格的には明るい人で、映画やドラマでは使いやすい女優さんと言われています。
デビュー当時は非常に地味で、名前を覚えてもらったのは皮肉にも、ヌードを披露してからだったそう。
後に、時代劇やサスペンスドラマでの演技力が高く評価され、女優として確固たる地位を築いた感があります。
離婚後の石田さんは現在でも独身を貫いており、結婚の話題は殆どないのが実情です。
特に独身に拘っているわけではないですが、年齢的にはもうすぐ還暦ですから、余程の出会いが無い限りは、その性格からしてしばらくは独身のままでしょうね。
石田えりの子供とは
20代で結婚した割には、5年の結婚生活で結局妊娠・出産には恵まれなかったようで、2人にお子さんは出来ませんでした。
現在も石田さんは独身なので、隠し子、養子その他も含めてお子さんは1人もいません。
石田えりの現在~ライザップのCM動画あり
2000年4月、小杉健治による少年犯罪をテーマにした同名小説が原作のドラマ「それぞれの断崖」が放送されました。
それに石田さんも出演し、2019年 遠藤憲一と田中美里の絡みが話題の同名ドラマが話題となっています。
写真集出版後、活動は控え目
2019年に死去した写真界の巨匠ピーター・リンドバーグと共に制作した、2017年発売の『石田えり写真集 56』では、ヌード写真集とは一線を画するセレブな写真集を出版しました。
相変わらずその肢体を時折見せる活動をししつも、2016年以降、目立った芸能活動は一部、テレビのバラエティ出演に活動は留めていますね。
ピーター・リンドバーグ氏はドイツの写真家で、世界を代表するファッションカメラマンの1人と呼ばれています。
ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタ、タチアナ・パティッツなど数多くのトップモデルを撮影し、マドンナ、ミック・ジャガー、シャロン・ストーンなど、セレブも多いです。
石田さんは、1993年にもヘアヌード写真集『罪』を発売しています。
その際も、『ヴォーグ』を始めとする名だたる雑誌に作品を掲載されていたドイツの写真家・ヘルムート・ニュートンが撮影を担当しており、そのスタイルは海外では人気があるようですね。
石田さん自身、高名なニュートン氏に撮影された『罪』を一番気に入っているそう。
今後、“五十路ヌード写真集”を撮影する際、同様のSM風ボンデージ衣装を着たいと語った、という報道も一部にはあります。
主要な役ではないですが、2017年1月公開の短編集映画『SHORT TRIAL PROJECT(ショート・トライアル・プロジェクト)』で、池端レイナ役として出演しています。
また、サスペンス・ホラーの映画2018年12月公開の『来る』で、ちょい役あたりが最新作となります。
RIZAPのMCで話題に
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また2017年、筋トレで有名なマンツーマントレーニング・プライベートジム「RIZAP」のテレビCMに出演して話題となりましたね。
CM出演に関して、インタビューではダイエットに関しては中高年から、皮下脂肪、内臓脂肪共に多い中年太りだったことを明かしています。
トレーニングでは3ヶ月間で結果を出したそうですが、元々脂肪を溜めやすい体質だったので、太ることが悩みだったみたいですね。
背中とお尻の肉付きが悩みの種だそうで、特にお尻は『垂れて、シワが何本も出来てきている』と打ち明けています。
ライザップ出演では、「脱ぎます、全部脱ぎます。アハハ」と、SMヘアヌード写真集を目指して、肉体改造を本気で始めていると明かしていると報道されています。
19歳の時に、篠山紀信氏撮影で電撃的にヌードを披露して以来、相変わらず脱ぐことには抵抗は無いようです。
まとめ
石田えりさんについては、ヌードの話題が多いですが、演技には定評がある女優さんで、実は出演作は映画からドラマ・演劇まで幅が広いです。
今後も演技で注目していきたいですね。