岩田明子さんは若い頃は安倍晋三元総理の番記者として活躍したジャーナリストで、NHK退職の理由とその後も話題です。
今回は岩田明子さんの年齢や家族(父親)、経歴、安倍晋三元首相との関係、結婚歴や独身なのか、現在もまとめました。
この記事の目次
- 岩田明子のプロフィールと年齢
- 岩田明子の若い頃の経歴① 東京大学へ進学・弁護士を目指していた
- 岩田明子の若い頃の経歴② NHKへと入局&岡山で事件記者に
- 岩田明子の若い頃の経歴③ 2000年に東京へ異動・官邸記者クラブに所属
- 岩田明子の若い頃の経歴④ 解説委員として多くの番組に出演
- 岩田明子と安倍晋三の関係① 安倍晋三の番記者として一線を画した
- 岩田明子と安倍晋三の関係② 安倍政権の浮き沈みで自身も苦悩する
- 岩田明子と安倍晋三の関係③ 安倍晋三の死去を報じられなかった理由
- 岩田明子と安倍晋三の関係④ 毎晩電話する仲だった
- 岩田明子の家族:実家は裕福?父親が安倍晋三の父親と友人だった?
- 岩田明子は結婚しておらず独身・過去にはひろゆきと合コンも?
- 岩田明子の現在① NHKを退局後フリージャーナリストに
- 岩田明子の現在② NHKを退職した理由は?一時は出馬の噂も
- 岩田明子の現在③ 初の著書『安倍晋三実録』を発売
- まとめ
岩田明子のプロフィールと年齢
生年月日:1970年(月日不明)
出身地:千葉県
所属事務所:ホリプロ
岩田明子さんはフリージャーナリストで、元々はNHKに所属。
NHKでは政治部記者として勤務し、NHK解説委員室の解説委員も務めました。
現在は、民放の報道番組でも解説を担当しています。
また、生年月日に関しては生年しか公表していません。そのため、現在は54歳前後だと推測されます。
岩田明子の若い頃の経歴① 東京大学へ進学・弁護士を目指していた
岩田明子さんは高校時代、医者を目指していたとのこと。しかし、物理・科学が苦手で泣く泣く文系を選択したといいます。
目標を見失ってしまった岩田明子さんでしたが、最終的には「人の命や人生に関わる仕事がしたい」と強く思うように。
東京大学へと進学し、3年生の時に司法試験合格を目指し始めます。そのため、大学と並行して司法試験の予備校に通い、予備校・大学図書館・自宅を行き来する生活を送っていました。
当時は行政機構研究会に所属。さらに1年生の時にはテニスサークルにも所属していたそう。
テニスサークルでは彼氏もでき、人並みの青春を謳歌していたといいますが、彼氏とは短期間で別れてしまったのだとか。
その後、卒業まで6年かけて司法試験に挑戦した岩田明子さんでしたが、いずれも合格を掴めず、6年生の夏で就職活動を始めました。
憲法や刑法など、公法系の点数が一向に伸びず、このまま既卒で試験を続けるのか、それとも一度、社会人になるのか、悩みました。結局、司法試験の論文試験が終わった6年生の夏、社会を知ろうと思って、就職活動を始めたんです。その時に受けることができた会社は軒並み受けました。山一證券、東京電力、日本開発銀行……。マスコミで7月に受けることができたのはNHKだけでした。
その際の第一志望は山一證券。内定も出ていましたが、担当者から突然、「あなたの人生を長期的な視点で考えると、うちではない方が良いのかもしれません」と伝えられたといいます。
明確な理由について教えてはもらえなかったものの、渋々入社を諦めた岩田明子さん。
その後、山一證券の不正会計が発覚。自主廃業発表のニュースで、岩田明子さんは担当者のいわんとしていたことを察したそうです。
岩田明子の若い頃の経歴② NHKへと入局&岡山で事件記者に
岩田明子さんはその後、NHKへの入局を決意。
当初、生活面や性格から”マスコミ以外”の就職先を考えていたものの、いざ選択する時になって、理屈では言い表せられない「マスコミに挑戦すべきでは」という感情が沸いたのだとか。
いざ決定の日が近づくと、私の心の中に、「マスコミに行ってみるべきでは」という、理屈では説明のつかない“感情”が膨れ上がったんです。司法試験漬けで世間知らずの学生時代でしたが、1度は自分の知らない外の世界を見て、視野を広げるべきでないのか……。海外旅行すら経験がなく、マスコミの世界には不安しかありませんでしたが、NHKへの入局を決めました。
テニスサークルで汗を流し、政治や法律の勉強会に参加。社会正義の実現に少しでもかかわることのできる仕事がしたいと思い、記者を志望しました。全国津々浦々にネットワークを持つNHKなら、国民の知る権利に十分に応えることができるのではないかと考え、入局を決めました。
1996年にNHKへと入局すると、同年5月にNHK岡山放送局へと赴任。
記者として岡山県で県警・地方裁判所・地方検察庁などを担当し、殺人事件・強盗・誘拐事件・汚職事件などを中心に取材しました。
「夜討ち、朝駆け」の毎日で、事件や事故の現場を走り回りました。なかでも忘れられないのが、高校生が母親を金属バットで殴殺、自転車で東北地方まで逃走した事件。少年の気持ちや事件の背景に迫ろうと、必死で取材し、特ダネにつなげました。取材一色の生活でしたが、風光明媚な後楽園や白桃などの名産品は生活に彩りを与えてくれました。取材でお世話になった人たちとの思い出は、一生の宝物です。
当初は、女性には厳しいとされる事件記者、さらには見ず知らずの地での初めての1人暮らしという環境から途方に暮れて泣いたこともあったのだそう。
当時はセクハラ、パワハラに対して今ほど厳しいコンプライアンスがない時代でした。どの社も厳しい先輩が多く、取材対象である警察官や検察官は口が堅い。土地勘もなく知り合いもいない……。毎日、「今日こそ会社を辞めよう」と考えていました。
そんな中、顔見知りの警察官からかけられた「会社を辞めるのはいつでもできる」「“私はこれをやりました”というものをやってから、辞めたら」という言葉に支えられたといいます。
岩田明子の若い頃の経歴③ 2000年に東京へ異動・官邸記者クラブに所属
岩田明子さんは2000年になると、東京放送センター報道局の政治部へと異動。官邸記者クラブ所属として、森喜朗内閣総理大臣・古川貞二郎内閣官房副長官を担当しました。
また、2002年からは当時官房副長官だった安倍晋三内閣総理大臣の番記者を担当。
情報を得るために、有力な政治家、特定の有名人などに密着して取材する新聞社や放送局の記者。
引用:番記者
安倍晋三さん本人のみならず、母親である洋子さんからも信頼され、自宅に上がったこともあるほどの関係性を築いていたといいます。
岩田明子の若い頃の経歴④ 解説委員として多くの番組に出演
出典:https://www.dailyshincho.jp/
2008年になると外務省記者クラブへと所属し、北朝鮮問題を担当。2009年からは菅直人副総理を担当しました。
その後、2013年にNHK解説委員室へと異動となり、政治部の記者職と兼務し解説委員を務めます。
解説委員としては、「ニュースウォッチ9」「クローズアップ現代プラス」「解説スタジアム」などを担当。コメンテーターとして出演しました。
また、2018年からは「ニュースシブ5時」にて木曜レギュラー解説員を担当しています。
岩田明子と安倍晋三の関係① 安倍晋三の番記者として一線を画した
岩田明子さんは、番記者として2002年に安倍晋三さんを担当して以降、絶大な信頼関係を築くようになり、他の記者と一線を画します。
“日本の全メディアの中で安倍晋三に最も近い記者“、”番記者の鑑”と称されるほどの立ち位置となり、安倍政権時にスクープを連発。
安倍晋三さん2度目の辞任の際も、岩田明子さんがスクープとして報じていました。
8月28日14時7分に、〈安倍首相 辞任の意向を固める 持病悪化で国政への支障を避けたい〉とテロップが流れ、アナウンサーが「今入ってきたニュース」として、辞任のニュースを読み上げる。その後に岩田氏が登場し、新しい薬の具体名まで挙げて辞任の理由について解説。あたかも、17時からの首相本人による会見の露払いのようで、安倍氏に最も食い込んだ記者であることをこのうえなく証明するものだった。
岩田明子と安倍晋三の関係② 安倍政権の浮き沈みで自身も苦悩する
出典:https://president.jp/
その一方で、2007年に安倍晋三さんが政権を離れると、岩田明子さん自身も記者として苦慮することに。
07年、体調不良で安倍首相が政権を投げだすと、自らも落胆して体調不良、精神不安定になったというほど。その後も携帯に安倍氏本人から直接かかってくる電話を人前でひけらかすほど親密だった。13年10月5日放映のNHKスペシャルで、史上初めてテレビカメラが首相執務室に入って撮影したのも、同年12月22日放映の同番組で雌伏期の安倍氏の日記を公開したのも、彼女のたっての依頼を首相が応諾したからだろう。
次の首相となった菅義偉さんには食い込めず、安倍晋三さんほどの関係は築けなかったといいます。
そもそもひとりの政治家に深く絡めばそれだけ、別の人とも同じようにというわけにはいかないでしょう。ただ、岩田さんの場合は、首相に話を聞くことができるならそれが一番でしょ、私はそれができるのだから、女房役の官房長官に聞いたって意味ないでしょ、というようなスタンスだったようです。ま、その通りなんですが(笑)、それが露骨に現れていたりすると、誰だって面白くはないですよね
また、意外にも安倍晋三さんと出会った当初の印象は、「とっつきにくい人」だったそうです。
安倍元首相とどうやって親しくなったか聞かれた岩田氏は「最初は本当にとっつきにくい人でしたね。ちょっとツンツンとしてると言うか。それからあと政策通ならではの、ちょっととんがった部分もありまして、私最初安全保障とか社会保障に詳しくなかったので、最初なかなか取り付く島がなくて」とその第一印象を語った。
岩田明子と安倍晋三の関係③ 安倍晋三の死去を報じられなかった理由
岩田明子さんは誰もが認める安倍晋三さんの番記者にもかかわらず、安倍晋三さんが暗殺された際にどの番組にも出演しませんでした。
岩田明子さんと安倍晋三さんとの関係は誰もが知る所であり、「なぜ岩田明子さんが出演しないのか」と視聴者の間でも話題に。
同件について週刊誌『週刊現代』は、NHK職員の意見を以下のように紹介しています。
「上層部、具体的にはプロパー職員のトップである正籬聡(まさがき・さとる)副会長から報道局長らに『岩田を出演させるな』という指令があったようだ」
その背景には、菅義偉首相に対する忖度があったのではないか、と推測する声もありました。
前田晃伸会長も正籬副会長も、(放送局の監督官庁である)総務省に今も強い影響力を持つとされる菅義偉前首相に、菅氏の退陣後も異常なまでに気を使っている。正籬氏は来年1月で任期が切れる前田氏の後継会長の座を狙っているとも言われているから、菅氏が岩田記者を嫌っていることに忖度して、出演させなかったのではないか
岩田明子と安倍晋三の関係④ 毎晩電話する仲だった
出典:https://pixabay.com/ja/
岩田明子さんは、2023年に受けたインタビューで安倍晋三さんを亡くした悲しみを以下のように語っています。
この1年、政界や社会状況を見るたびに、安倍総理が亡くなったことは日本にとって大きな損失だと痛感します。私個人としても、安倍総理の生前の姿や言葉が頭から離れなくなり、今後もこの深い悲しみから解き放たれることはないと思います
また、別のインタビューでは、安倍晋三さんと20年にもわたり毎晩電話していたと語っており、世間を驚かせました。
夜の10時から12時は、安倍さんとの“電話タイム”でした。それは20年間、ずっと続けてきました。この時間帯は、安倍さん自身も「情報収集の時間」に決めていて、いろいろな方面に電話をしていたようです。私はガラケーとスマホ両方持っているのですが、安倍さんはガラケーの方に電話をかけてきました。
電話の政治のことがほとんどだったものの内容は様々で、時には2人が使用している無呼吸症候群用の機械「CPAP」にまつわる話題だけで終わったこともあるそうです。
岩田明子の家族:実家は裕福?父親が安倍晋三の父親と友人だった?
岩田明子さんは家族についてあまり明かしておらず、詳細は不明です。
しかし、大学に6年間在籍したうえで司法試験の予備校に通っていたことを考えると、ある程度裕福な環境であったことが予想されます。
またネット上では、岩田明子さんと安倍晋三さん一家の関係は父親の代から、との噂もあるようです。
岩田氏と安倍首相一家とは、尋常ならざる関係がある。岩田氏と岸家、安倍家との関係は、父親の代からともいわれているが、いずれにしても、安倍が幹事長から官房長官になった頃には、岩田氏はわざわざ、渋谷区富ヶ谷の安倍首相の私邸近くにマンションを購入。そこに移り住んで、私邸に頻繁に出入りをし、安倍と同居している洋子氏から寵愛を得ていた。
実際、岩田明子さんは異様なまでに安倍晋三さんに気に入られており、そこに父親同士の関係性があったとてなんら不思議ではないでしょう。
岩田明子は結婚しておらず独身・過去にはひろゆきと合コンも?
岩田明子さんは結婚しておらず、独身とのこと。また、現在は母親と二人暮らしで、母親の介護も担っているといいます。
ただし、結婚願望はあるようです。
2023年に出演したABEMAの報道番組「Abema Prime」で共演した実業家でコメンテーターのひろゆきさんから、「20年前から婚活しているが、なぜ成果がないのか」と問われる場面も。
「求めているものは共感…共感ですよね。つらいなとか、苦しいなとかがあったら、そうだね、そうだねと(共感してほしい)。それを求めているだけ」と、相手についての高望みはないことを強調した。合コンもよく参加したというが、「なぜか連戦連敗でしたよ。逆に何でなんでしょう?ひろゆきさん。ひろゆきさんに連戦連敗の理由をお聞きしたい。失礼なこと働いた記憶もないのにね」と首をかしげた。
また、この流れでひろゆきさんと20年前に合コンをしていたことが判明。
当時は様々な人たちと合コンをしたり、お見合いをしたりと婚活に打ち込んできたそう。しかし、どうしても2回目に繋がらなかったといいます。
岩田明子の現在① NHKを退局後フリージャーナリストに
岩田明子さんは、2022年に早期退職制度を利用してNHKを退局。退局後も解説委員として残ると発表していました。
その後、2023年3月で業務委託契約も終了。翌4月より、芸能事務所「ホリプロ」に所属し、フリージャーナリストとして活動されています。
また、同年よりフジテレビ系列の朝のワイド番組「めざまし8」に出演。
ニュースだけでなく、音楽・バラエティ・旅番組などにも挑戦したいともコメントしています。
元NHKの政治記者だった岩田明子氏が13日、大手芸能事務所「ホリプロ」に所属し、同社の公式ホームページにアップされた。ホリプロによると、岩田氏は4月から所属しているという。すでに、フジテレビ系情報番組「めざまし8」に出演している。
岩田明子の現在② NHKを退職した理由は?一時は出馬の噂も
岩田明子さんは2023年、出演したニッポン放送のラジオ番組「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」でNHKを退職した理由について問われ、以下のように回答しています。
「何となく雇用の流動化というんですかね。メディアも雇用の出入りが激しくなってきて」と、5年ほど前から考えていたという。そんな中で、NHKが早期退職制度を導入。「その時に初めて、具体的に出たり入ったりする時代になったので、私が手を挙げてみて、レボルビングドア(人材の行き来)みたいな感じで、出たり入ったり。その上でできることを思い始めた」
また、退職に際して迷いもあったと語っていました。
ちなみに退職直後は、安倍晋三氏の地盤を継ぐ人材がいなかったこと、母親である洋子さんのお気に入りであったことから「出馬するのではないか」といった噂もあったようです。
「岩田さんは7月末にNHKを退職し、去就が注目されています。解説委員の仕事は続けると言われていますが、前田晃伸会長以下NHK執行部は彼女を嫌っていて、仕事を振るとは思えない。実は党としては、以前から岩田さんに出馬要請したらどうかという話は、選挙のたびに出ていたのです」(自民党関係者)
岩田明子の現在③ 初の著書『安倍晋三実録』を発売
岩田明子さんは、2023年に初の著書となる『安倍晋三実録』を発売。安倍晋三氏の番記者となってから20年にものぼる年月を振り返った内容となっています。
私の『安倍晋三実録』は、官房副長官時代、幹事長時代、総理時代と、20年以上、密着してきた中で、その時々の安倍さんの発言を描き出しているので、決して美談だけに彩られていない。加えて、永田町や霞が関での取材成果をもとに、第三者として私なりの分析や考察も施しています
安倍には、もう一度総理大臣の座に返り咲くという夢があった−。20年にわたり安倍晋三を取材してきた元NHK記者が、肉声を記録した膨大な取材メモから、その実像を描く。『文藝春秋』連載を大幅に加筆、再構成。【「TRC MARC」の商品解説】安倍氏に最も食い込んだ記者による「安倍評伝」の決定版!「回顧録」で明かされなかった肉声をふんだんに収録。暗殺前夜も電話で話した、20年間の取材の総決算!
引用:安倍晋三実録
まとめ
岩田明子さんは東京大学を卒業後、NHKへと入局。
事件記者を経て、政治部へと異動すると安倍晋三さんの”番記者”として名を馳せました。
現在はNHKを退局し、ホリプロに所属。フリージャーナリストとして活動されています。
プライベートで結婚はしておらず独身。ただし、20年前から婚活に乗り出しており、過去にはひろゆきさんとも合コンをしたことがあるのだとか。
退職理由について、一時は「出馬するのでは」とも噂されていた岩田明子さん。
実際には、多方面での活躍も視野にいれているようで、今後様々な番組で目にすることも増えるかもしれませんね。