杉山清貴の若い頃と現在!元嫁/柳沢裕子や子供(娘)・結婚と離婚や再婚もまとめ【オメガトライブ】

1980年代から変わらぬ人気を誇るシンガーソングライター・杉山清貴さんが話題です。

 

この記事では杉山清貴さんの「オメガトライブ」時代など若い頃からの活躍や画像、元嫁の柳沢裕子さんとの結婚経緯や娘など子供、離婚とその原因、再婚の噂や現在の活動状況についてまとめました。

杉山清貴のプロフィール

 

杉山清貴のプロフィール

 

生年月日:1959年7月17日

出身地 :神奈川県横浜市磯子区

身長  :167cm

血液型 :AB型

 

杉山清貴さんは1980年代から現在まで活躍を続けるシンガーソングライターです。

 

アマチュアバンド「きゅうてぃぱんちょす」として本格的に音楽活動をスタートし、1983年に「杉山清貴&オメガトライブ」としてレコードデビュー。

 

1985年にオメガトライブを解散後はソロ歌手として人気を得て、「さよならのオーシャン」、「水の中のAnswer」、「風のLONELY WAY」、「僕の腕の中で」などのヒット曲を連発し、1980年代〜90年代にかけてのJ-POP、J-AORのカリスマ的存在として人気を博しました。

 

30歳頃からはハワイを拠点として活動しサングラスがトレードマークで夏の歌手というイメージが強い杉山清貴さんですが、サングラスは元々は目の下のクマを隠すためにつけ始めたのだそうです。

 

現在も活躍を続けており、ここ数年で日本の往年のシティポップが再注目されている事により杉山清貴さんの評価も世界的に高まっています。

 

 

杉山清貴の若い頃① ビートルズに憧れて音楽を始める

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

杉山清貴さんは父親が警察官、母親が日本舞踊と三味線の先生(常磐津節の師匠)という家庭に生まれました。きょうだいは3歳年下の妹が1人でした。

 

家には毎日お弟子さんが通ってきて朝から晩まで三味線の音がなっているような家だったそうです。杉山清貴さんも小学校入学までは三味線を教わるも厳しく指導されたために嫌になってしまい、絵を描くのが好きだっため漫画家を夢見ていたのだそうです。

 

そして、小学4年になった頃、漫画友達が見た事のない外国人4人の似顔絵を描いているのを見つけ、「それ誰?」と聞いたところこれがビートルズの4人で、この友人の家に遊びに行ったところ、友人の5歳上の兄がビートルズのレコードを貸してくれ、これが音楽の世界にのめり込むきっかけになったといいます。

 

杉山清貴さんは特にジョージ・ハリスンに憧れ、お小遣いは全てビートルズに注ぎ込み、海賊版まで収集したのだそうです。横浜市立岡村中学校1年生の時にギターを弾き始め、中2の時に仲間達と「バンパイヤ」というバンドを組んでギターボーカルを担当し文化祭でビートルズの曲を6〜7曲演奏したところ、天性の歌唱力とパフォーマンス力で会場を大いに沸かせ、英語の先生にまで「発音がいいな」と褒められたのだとか。

 

その後、横須賀学院高校に進学した後も杉山清貴さんはバンド活動を続け、同じ高校の同級生でLAMB(ラム)というバンドのドラマーだった椎野恭一さん(現在は数々の有名アーティストにサポートドラマーとして参加するレジェンド)に、「LAMBで歌わない?」と誘われます。

 

LAMBにボーカルとして参加した杉山清貴さんは地元横浜のライブハウスに出演するようになり、高校卒業の頃には杉山清貴さんは若手の実力派ボーカリストとして地元のアマチュアミュージシャンの間で知られる存在となりました。

 

 

杉山清貴の若い頃② バンド「きゅうてぃぱんちょす」でポプコン入賞

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

高校卒業間近になり、杉山清貴さんは進学を進める母親を心配させまいと美大を受けると言い関内のYMCAで木炭デッサンを学ぶなど美大受験に備えているフリをしました。

 

しかし結局、YMCAの前にあったライブハウスに入り浸るようになり、そんな杉山清貴さんの気持ちを察した父親が「大学に行ったと思ってやるから4年間だけ好きにやってみろ、だけど好きにやるからには自力で生活しろ」と言ってくれたのだそうです。

 

4年間の猶予期間を得た杉山清貴さんは、高校を卒業する前から実家を出てアパートを借り、ライブハウスでアルバイトをして生活費を稼ぎました。

 

そしてこの頃に、杉山清貴さんはライブハウスでのアルバイトを通じて知り合った高島信二さんや吉田健二さんらのバンド「きゅうてぃぱんちょす」(1978年12月結成)にボーカルとして加入します。

 

このバンドのライブ音源を練習スタジオで流していたところ、それを聴いたヤマハのディレクターに「ポプコンに出てみない?」と声をかけられました。ポプコンとは、ヤマハが開催していた音楽コンテスト「ポピュラーソングコンテスト」の事でプロデビューへの登竜門と言われていました。

 

杉山清貴さんは「きゅうてぃぱんちょす」としてこのポプコンの79年秋の第18回大会に初出場。しかし、この時には何の賞も取れずに終わります。

 

その翌年春の第19回大会のポプコンに出場した「きゅうてぃぱんちょす」は「GOSPELの夜」という曲で見事入賞を果たしました。

 

 

この時にはレコードデビューの話も出ましたが、杉山清貴さんらは「デビュー曲はバンドの代表作になる、自分達はロックバンドなのに『GOSPELの夜』でのデビューは違う」と考えてこの話を蹴り、続く第20回大会のポプコンにも出場してプロデビューに向けての活動を続けています。

 

3回目の出場でも本戦出場を果たしたもののこの時には賞は取れませんでした。しかし、杉山清貴さんのボーカルにトライアングルプロダクション社長兼プロデューサーであった藤田浩一さんが注目。杉田清隆さんはソロ歌手としてのデビューの話を持ちかけられます。

 

出典:https://image.space.rakuten.co.jp/

 

しかし、杉田清隆さんは「きゅうてぃぱんちょす」の仲間達を裏切るような事はできないと、「バンドでやれないのなら嫌です」とこの話を蹴りました。

 

そして、杉山清貴さんの揺るがない姿勢に藤田浩一さんがついに折れて、バンドでのデビューが決まりました。

 

 

杉山清貴の若い頃③ 「杉山清貴&オメガトライブ」でレコードデビュー

 

出典:https://youyoutime.jp/

 

「きゅうてぃぱんちょす」でのポプコン出場をきっかけにプロデビューを決めた、杉山清貴さんはバンド名を「杉山清貴&オメガトライブ」に改名し、1983年4月に「SUMMER SUSPICION」でレコードデビューを飾りました。

 

このバンド名の変更ですが、元々「きゅうてぃぱんちょす」というバンド名は一時的につけたもので、バンドメンバーたちもデビューにあたって「ラグーン」というバンド名への変更を考えていたそうです。しかし、藤田浩一さんの一存により「オメガトライブ」というバンド名に決まります。

 

出典:https://image.space.rakuten.co.jp/

 

また、藤田浩一さんから示されたデビューの条件は、「曲はレコード会社用意」、「レコーディングはバンドメンバーでなく超一流のミュージシャンがする」、「自分達の演奏がレコードになるわけではないが、売れればライブツアー等ができるようになる」というものでした。この条件にメンバーは最初は困惑し抵抗するも実際に一流のスタジオミュージシャン達のレコーディングを目の当たりにして実力差に愕然とし「鼻をへし折られた気分だった」とオメガトライブの吉田健二さんは後に語っています。

 

出典:https://image.space.rakuten.co.jp/

 

何はともあれ、レコードデビューを果たした「杉山清貴&オメガトライブ」は、デビュー曲の「SUMMER SUSPICION」でオリコンチャート最高9位を獲得し、第12回東京音楽祭でTBS賞を受賞するなどすぐに注目されました。

 

 

その後も「杉山清貴&オメガトライブ」は、「君のハートはマリンブルー」(最高12位、ドラマ「年ごろ家族」主題歌起用)、「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」(最高5位、「ザ・ベストテン」年間2位、JALCMソング起用)、「サイレンスがいっぱい」(最高7位、ドラマ「のン姉ちゃん・200W」主題歌起用)、「ガラスのPALM TREE」(最高5位)などヒット曲を連発しました。

 

 

しかしやはり、自分たちでレコーディングをしていない、楽曲のほとんどもバンドメンバーらが製作したものではないという活動実態、自分達でレコーディングしたいという希望が認められない事、安い給料などからこのままオメガトライブでバンド活動を続ける事に限界を感じたという杉山清貴さんは、人気絶頂の1985年のツアー中に解散の考えをメンバーに伝えました。

 

その考えに賛同したギターの吉田健二さんがツアーの途中にも関わらず電撃的にオメガトライブを脱退し、1985年12月24日にバンド「杉山清貴&オメガトライブ」は正式に解散する事になりました。

 

 

杉山清貴の若い頃④ 「杉山清貴&オメガトライブ」解散後ソロ歌手デビュー

 

出典:https://image.space.rakuten.co.jp/

 

1984年12月に「杉山清貴&オメガトライブ」は解散しましたが、事務所の契約が残っていたため、杉山清貴さんはソロのシンガーソングライターとしてデビューする事が決まり、オメガトライブの他のメンバーのうちギターの高島信二さんとキーボードの西原俊次さんは新たにカルロス・トシキさんをボーカルに加えて「1986オメガトライブ」としてバンドとして活動を継続しました。この他のオメガトライブのメンバーらは退社および移籍してそれぞれの活動を続けています。

 

そして、1986年5月28日、杉山清貴さんは自ら作曲したソロデビューシングル「さよならのオーシャン」をリリース。これがオリコン最高4位、レコード20万枚を売り上げるヒットを記録しました。

 

 

以降、杉山清貴さんはシンガーソングライターとして人気と実力を伸ばし、1987年5月27日リリースの3rdシングル「水の中のAnswer」はオリコンチャート1位に輝き、続く4th「SHADE〜夏の翳り〜」、5th「風のLONELY WAY」も連続でオリコン1位を獲得。

 

 

さらに6th「僕の腕の中で」で同2位、7th「渚のすべて/BOYS OF ETERNITY」で同3位を獲得し、シンガーソングライターとしての人気を確立しました。

 

 

杉山清貴の元嫁は元歌手の柳沢裕子で柳沢慎吾の姉というのはデマ

 

杉山清貴の元嫁・柳沢裕子のプロフィール

 

生年 :1957年か58年頃

出身地:群馬県

 

杉山清貴さんは結婚歴があり、元嫁は柳沢裕子(ゆうこ)さんという2歳年上の女性です。

 

杉山清貴さんの元嫁の柳沢裕子さんですが短期間だけ歌手として活動していた経歴があり「ヨイショ」という曲でデビューしているようですがヒットせずに商業的には成功しませんでした。

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんの馴れ初めは1980年で、杉山清貴さんが「きゅうてぃぱんちょす」で第19回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場して入賞した際に、柳沢裕子さんは同コンテストに出場したバンド「明日変(アスペン)」のバックコーラスを務めていました。

 

この時に杉山清貴さんが「美しい人だな」と見初め、話をしてみると感じの良い人だったため好意を持ったそうです。

 

その場ではそれ以上の進展はなかったものの馴れ初めから3年ほど経った頃、杉山清貴さんは柳沢裕子さんが地元から上京して商社でOLとして働いているのを知り、電話をかけて会う事になりそれからデートを重ねて交際に発展したという事でした。

 

なお、ネット上ではこの杉山清貴さんの元嫁の柳沢裕子さんが、タレントの柳沢慎吾さんの姉の裕子さん(同姓同名だが名前の読みは「ひろこ」)だという情報が出回っていますがこれは誤情報で2人は別人です。

 

 

杉山清貴と元嫁・柳沢裕子の結婚

 

出典:https://sugiyamakiyotaka.jp/

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんは1985年6月26日に結婚しています。

 

杉山清貴さんの結婚発表は電撃的で、結婚直前の1985年6月に音楽番組「ザ・トップテン」に「オメガトライブ」として出演した際に、司会の堺正章さんの「結婚の噂が出てるけど、本当なの?」という質問に答える形で、「ええ、今月の26日に東京の教会で挙式します!」と生放送での結婚発表となりました。

 

杉山清貴さんは結婚発表時に、嫁の柳沢裕子さんについて「ずっと付き合っていても理知的な印象が変わらなかった。良妻賢母になってくれると思う」とベタ褒めし、将来の子供にについて聞かれると「子供は天から授かり物ですからね、ただ早く欲しいとは思っています。僕は子供が好きですから」と話し、さらに「新居は、今僕が住んでいる横浜の2LDKのマンションです。その部屋から海が見えないのが残念ですが、そのうち引っ越すつもりです」と結婚してからの生活についても語りました。

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

当時の雑誌には、1985年6月26日に東京都世田谷区の三軒茶屋カトリック教会で結婚式を挙げたという内容も明かされています。

 

出典:https://static.mercdn.net/

 

また、当時のオメガトライブの会報誌「F.O.O.T」では結婚式でのタキシード姿の杉山清貴さんとウエディングドレス姿の元嫁の柳沢裕子さんの画像やオメガトライブのメンバーのコメントなども紹介されていました。

 

 

杉山清貴と元嫁・柳沢裕子の子供は娘が1人

 

出典:https://instagram.fngo7-1.fna.fbcdn.net/

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子との間には子供が1人生まれています。

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんの子供は娘さんで、結婚から1年3ヶ月後の1986年9月に誕生しています。杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんの娘の名前は「真浦(まほ)」さんである事も明かされています。

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんは結婚して娘の真浦さんが生まれた後に家族3人で活動拠点をハワイに移しています。当時はオアフ島のハワイカイという高級住宅地で家族で暮らされていました。

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

そのため娘の真浦さんはハワイの学校に通われていたようで、杉山清貴さんがSNSでその当時の娘さんの写真を紹介されています。

 

杉山清貴さんは現在も娘の真浦さんと仲が良い様子で自身のインスタグラムで度々娘さんと会った際の事が紹介されていて、2人で旅行して観光名所を訪れたり食事をしたりされています。

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

杉山清貴さんのSNSへの投稿内容によると、娘の真浦さんは両親の離婚後に母親の柳沢裕子さんと2人でアメリカに移住しており、娘の真浦さんは現在もアメリカ在住のようです。一時期はロサンゼルスのスシバーで働いていたようです。

 

そんな杉山清貴さんの娘の真浦さんは結婚もされているようですが旦那さんや子供についての情報は明かされていません。

 

 

杉山清貴と元嫁・柳沢裕子の離婚と原因

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんは離婚している事がわかっています。

 

ただ、離婚の正確な時期や離婚原因などは明かされていません。ただ、杉山清貴さんの動向に詳しいファンの方によれば、離婚は娘の真浦さんが自立して結婚した後のことで夫婦で話し合っての円満離婚だったということです。

 

離婚原因については、家族でハワイに住んでいるときに、杉山清貴さんが現地の女性に好意を持った事による三角関係だったなどの噂があるようですが信ぴょう性の高い情報ではないようです。

 

 

杉山清貴の再婚

 

元妻の柳沢裕子さんと離婚されたという杉山清貴さんですが、その後に再婚したという確かな情報は現在の時点では出ていません。

 

音楽家でコーラスなども担当する奥野恵(音楽作家としては和悠美名義で活動)さんと杉山清貴さんが鎌倉で一緒に住んでいて2人が再婚しているという噂が囁かれているようですが、目撃情報などはあるものの確たる証拠はなく杉山清貴さんは奥野恵さんと再婚したというのはあくまでも噂に過ぎません。

 

 

杉山清貴の現在

 

出典:https://beavoiceweb.com/

 

杉山清貴さんは現在もシンガーソングライターとして第一線で活動を続けています。

 

2023年5月にはオリジナルアルバム「FREEDOM」とデビュー40周年のベストアルバム「オールタイムベスト」を同時リリースし、FREEDOMはオリコン最高11位、オールタイムベストは最高13位を記録するなど衰えぬ人気をを見せつけました。

 

2024年末にはコンサートツアー「Sugiyama Kiyotaka Concert Tour 2024 古いシネマを観るように、、、」を開催し若い頃と変わらぬ歌声を披露。

 

また、杉山清貴さんは現在はソロシンガーとしてだけでなく「杉山清貴&オメガトライブ」での再集結させての全国ツアーを開催するなど往年のファンを楽しませています。

 

ただ、2025年3月16日にはオメガトライブのドラムの廣石恵一さんが脳出血で亡くなり、杉山清貴さんもインスタにて追悼しています。

 

シンガー・ソングライター杉山清貴(65)が26日までにインスタグラムを更新。「杉山清貴&オメガトライブ」のドラマーとして活躍した廣石惠一さんが死去したことを伝え、追悼した。

 

引用:杉山清貴、廣石惠一さん悼み「お疲れ」 オメガトライブ前身バンド時代から付き合い

 

 

まとめ

 

今回は1980年代から現在ま活躍し続けるシンガーソングライターの杉山清貴さんについてまとめてみました。

 

杉山清貴さんは若い頃には80年代のJ-POP、J-AORを牽引したバンド「杉山清貴&オメガトライブ」で人気を獲得し、バンド解散後はソロ活動でヒット曲を連発しました。

 

杉山清貴さんの嫁は、元歌手の柳沢裕子さんという2歳上の女性で1985年6月に電撃的に結婚しました。その後、子供も1人生まれて家族3人でハワイに移住しましたが、その後に離婚されています。

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんとの子供は娘の真浦さんという方で現在はアメリカに住み結婚もされているという事です。

 

杉山清貴さんと元嫁の柳沢裕子さんが離婚したのは娘の真浦さんが自立して結婚もした後の事で円満離婚だったという事です。2人の離婚の原因は明かされていません。

 

杉山清貴さんが再婚したという情報は現在の時点では出ておらず、一部では音楽家の奥野恵(音楽作家としては和悠美名義で活動)さんと一緒に暮らしているといった噂があるようですが、確たる証拠は示されておらず単なる噂です。

 

現在も杉山清貴さんはシンガーソングライターとして活躍されており、ソロ活動だけでなく「杉山清貴&オメガトライブ」を再集結させてのコンサートツアーを展開するなど精力的に活動されています。

記事に関連するキーワード

キーワードからまとめを探す

関連する記事①

今見ているまとめと同じカテゴリーの記事

X JAPAN・hideの死因と自殺の真相~後追い人数・すっぴん素顔も総まとめ

ホームオブハートとMASAYAの現在!TOSHIの洗脳騒動・関係がある芸能人2人・裁判やその後も総まとめ

EXILEメンバーの人気順TOP15と脱退者の現在まとめ【2025最新版】

米良美一の現在!事件で逮捕?死亡?身長と病気の関係・性別の障害など総まとめ

レミオロメンの現在!不仲で解散説や活動休止の理由・最新情報も総まとめ

今井寿の現在!嫁と子供・天才秘話・若い頃と逮捕歴も紹介【BUCK-TICKギタリスト】

殿さまキングスのメンバー4人の現在!なみだの操などヒット曲・解散理由やその後も総まとめ

水野絵梨奈の現在!E-girls脱退理由・彼氏や結婚の噂・最新情報も総まとめ

関連する記事②

今見ているまとめに近い記事

朝青龍事件の真相と現在!関東連合・川奈毅が被害者など情報まとめ

高相祐一(酒井法子の元旦那)の実家や現在!工藤静香や息子との関係も総まとめ

ゆりにゃの整形箇所~ミンギュとの離婚や新しい彼氏ジョンファンとの交際まとめ

過食嘔吐の芸能人17人!特徴や顔つきも総まとめ【2025最新版】

桃谷ふじは何者?現在や松本人志との関係・結婚や家族・本名や年齢・経歴などプロフィールまとめ

石川秀美(薬丸裕英の嫁)の現在!子供(息子3人/娘2人)やハワイ生活も総まとめ【画像多数】

橋本麗香の現在!関東連合との関係・結婚した旦那と子供・激太りの噂など最新情報も総まとめ

内柴正人の現在や事件の真相!被害者・元嫁と子供のその後なども総まとめ

記事へのコメント

気軽に意見を書いてね

前後の記事

興味があればチェックしてね

油井大顕(最上あい婚約者)の現在!生い立ちと経歴や会社・景井ひなが元カノ説・事件の黒幕説・実家と家族もまとめ

中孝介の現在!事件の銭湯や裏アカ・カミングアウトや結婚・身長と筋肉・ヒット曲や若い頃もまとめ

カテゴリー一覧

カテゴリーからまとめを探す