遅咲きのベテラン俳優・岡部たかしさんが話題です。
この記事では岡部たかしさんの出身高校や若い頃からの経歴、元嫁との結婚や子供、離婚、復縁のエピソード、息子で俳優の岡部ひろきさんの経歴や父子のNHK朝ドラでの出演リレー、自宅の場所などについてまとめました。
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岡部たかしのプロフィール
岡部たかしのプロフィール
生年月日:1972年6月22日
出身地 :和歌山県和歌山市
身長 :175cm
血液型 :A型
岡部たかしさんは2022年のドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-」で注目され50歳にして遅咲きのブレイクを果たした俳優です。2025年4月の現在はドラマ「キャスター」にて物語の舞台となる架空のテレビ局の報道局長・海馬浩司役で出演し印象深い演技を見せています。
岡部たかしの高校は和歌山工業高校と言われている
岡部たかしさんは、地元(和歌山県)の工業高校の土木科を卒業している事を明かしています。
その高校を選んだ理由は仲の良い友人が行くからという安易なものだったそうです。
高校は、地元の工業高校の土木科へ。仲のいい友達がそこに行くというので「じゃあ俺も」と選んだだけ。「俺は土木を極めるんだ!」「伝説の現場監督になるぞ!」なんて気概はまったくなかった(笑)。
岡部たかしさんの工業高校がどこかはについては「和歌山県立工業高等学校」だと言われています。ただし、確かな情報ソースは確認できませんでした。
高校時代の岡部たかしさんについては、「ヤンキーになりきれない小ヤンキーだった」と小学生時代からの同級生がバラエティ番組内で暴露していました。
番組内では小学校からの同級生による「ヤンキーになりきれない小ヤンキー。小っさい悪さをする」とのタレコミ。「小ヤンキーだった時代は、ケンカ売られたら一番先に殴りに行くのが岡部やった」とも暴露された。
岡部たかしの若い頃① 生い立ち
出典:https://yumeijinhensachi.com/
岡部たかしさんは和歌山県和歌山市の出身で、普通の会社員の父親、喫茶店勤務の母親、弟が1人の4人家族で育ちました。
幼い頃の岡部たかしさんは明るく目立ちたがりで、いつも周りを笑わせていたのだそうです。
小学校の低学年の頃にはジャッキー・チェンに憧れてアクションを真似したり、少年野球クラブに入ったりして活発な少年時代を送り、中学進学後は「ビー・バップ・ハイスクール」の影響で長ランやリーゼント風の髪型を真似していたのだとか。
岡部たかしの若い頃② 高校卒業後建設会社に就職も1年ほどで退職
岡部たかしさんは高校卒業後は大阪の建設会社(和歌山の会社とするメディアも)に就職しています。
現場監督をしていたそうなのですが、うまく馴染めずに怒られたりどつかれたりして非常に辛い日々となったようです。
高校卒業後、大阪の建設会社に就職し寮生活を始めてからだ。母親は安定した会社へ就職できたと喜んだのだが……。
「現場監督をしていましたが、誰ともなじめないし、めちゃくちゃ怒られたり、どつかれたり……。人間関係に恵まれない職場で、まったく人と喋らず、暗かったですね。学生時代と比べると、二重人格かと思えるほど違っていました」
岡部たかしさんは結局この会社は1年ほどで退職し、その後はトラックの運転手をしたり、喫茶店でアルバイトをしたりしてフリーター生活を送っていたそうです。
23歳くらいまで地元和歌山でフリーター生活を送っていたそうなのですが、当時交際していた女性(のちに結婚し嫁になる女性)に「東京に行きたいなら、私も一緒に行くやん。やりたい事やった方がええよ」と背中を押され芸能界を目指すために東京へ出たそうです。
岡部たかしの若い頃③ 25歳で「劇団東京乾電池」の劇団員に
24歳で上京した岡部たかしさんは柄本明さんが座長を務める「劇団東京乾電池」の研究生のオーディションを受ける事にします。
岡部たかしさんは以前に大阪で劇団東京乾電池の舞台を見た際に衝撃を受け「こんな世界があるのか」と興味を持ち、また同劇団の月謝が他の劇団より安いという理由でオーディションを受けられたそうです。
オーディションの特技を披露する課題では、柄本明さんの前で尾崎豊さんの「I LOVE YOU」をひたすら真剣に熱唱したところなぜか受かり劇団東京乾電池の研究生になる事ができたのだとか。
岡部たかしさんは劇団東京乾電池の1年間の研究員時代、柄本明さんや先輩の役者にも観てもらえる夏の舞台の脚本が評価されて卒業公演の脚本も書かせてもらえる事になるも、プレッシャーで体重が激減して十二指腸潰瘍になり、彼女や友人も観に来てくれた本番では緊張で前を向く事すらできずに、友人は何も言わず帰り彼女には「もうやめた方がいい」といわれる始末だったのだとか。
そんな大失敗を演じてしまった岡部たかしさんでしたが研究所を卒業し25歳で無事東京乾電池の正団員になりました。当時、劇団東京乾電池は「何にも染まっていない素人っぽい人」を求めていたそうで、岡部たかしさんはそれにピッタリハマっていたのだとか。
岡部たかしさんは28歳まで3年間、同劇団の舞台に出演しました。
ちなみに岡部たかしさんはこの劇団東京乾電池の研究所時代にお笑いコンビの「阿佐ヶ谷姉妹」の2人と同期だったそうです。
岡部たかしの若い頃④ 30代は「午後の男優室」、「城山羊の会」等で活動
岡部たかしさんは2000年に「劇団東京乾電池」を退団。
その後は4年ほどピン芸人として活動していた時期があり、自分でネタを作って舞台で披露されていたそうです。
その後再び役者の道を志した岡部たかしさんは、俳優で脚本家、演出家、構成作家としても活躍する村松利史さんが主宰する演劇ユニット「午後の男優室」や、舞台演出家で劇作家の山内ケンジさんプロデュースの、「城山羊(しろやぎ)の会」など、様々な演劇ユニットや劇団に参加して俳優としてキャリアを積まれています。
この頃より、岡部たかしさんは端役ながらテレビドラマにも出演するようになり、30代半ば頃には落ちてもいいから新しい事にどんどん挑戦したいとの衝動により、平田オリザさんの劇団「青年団」などオーディションを次々と受けて舞台作品に数多く出演されています。
この頃まで、岡部たかしさんは警備員、居酒屋、日雇作業員、テレフォンアポインター、寿司屋のデリバリーなど様々なアルバイトをしながら俳優の仕事を続けていたという事でしたが、40歳の時に現在の事務所の「クリオネ」に入所した頃からテレビドラマ出演の仕事が増えて、アルバイトをしないで俳優一本で食べていけるようになったのだそうです。
40歳でいまの事務所に移籍。さらにテレビドラマの仕事が増えていきました。ようやくアルバイトをせずに、演技だけで食べていけるようになったのはこの頃からです。それまでは、警備員から始まり、居酒屋や日雇いの作業員、テレフォンアポインター、宅配寿司のデリバリーなど、本当にいろんなアルバイトをしていました。
岡部たかしは結婚歴があり嫁は5歳上の美容師
岡部たかしさんは1997年頃に結婚しており、2000年に子供(息子・岡部ひろき)が生まれています。
岡部たかしさんの結婚した嫁は一般の女性で、和歌山県から東京へ出るのを後押ししてくれた女性だという事です。
『そんなに東京行きたいなら、私も一緒に行く。やりたいこと、やったほうがええよ』と言ってくれたんですね。当時の僕にとって上京は、もう外国に旅立つ感覚でした。それでも『絶対、いけるよ』って背中を押してくれたんです」彼女の後押しにより、岡部は24歳で上京する。のちに妻となるこの女性は、まだ何者でもなかった彼の未来を「面白いから、絶対大丈夫!」と唯一信じてくれたのだ。
岡部たかしさんはのちに嫁となる女性とは23歳の頃に交際を始め、年齢は嫁の方が5歳上で美容師をされていたそうです。
一人の女性が彼の背中を押してくれた。23歳のころから付き合い始めた5歳年上の美容師の彼女だった。
つまり、岡部たかしさんは劇団東京乾電池の正団員になったタイミングでこの嫁と結婚。子供が生まれたタイミングで劇団東京乾電池を退団したという事になります。
岡部たかしさんは結婚し子供が生まれた後も俳優として中々売れずにアルバイトで食い繋ぐ日々でした。しかも俳優活動やアルバイトにのめり込むあまり家族を顧みず、嫁は子供を連れて和歌山の岡部たかしさんの実家で暮らし別居状態になった時期もあったようです。
再び嫁は子供を連れて東京に戻っても生活は苦しくパートに明け暮れる毎日で、子供が6歳になる時についに嫁に離婚を突きつけられて離婚。嫁は子供を連れて和歌山へ戻っていったのだそうです。
息子が6歳になるとき、妻は一つの決断を下す。
《離婚してください。子供の養育費はちゃんと払ってください》
「33歳で息子を産み、当時は高齢出産といわれた時代でした。美容師の職もあるし、将来のことを考えて決めたんだと思います」
妻と息子は、地元・和歌山へと帰っていった。
この嫁との離婚を契機に、岡部たかしさんは小劇場のオーディションを受けまくって新しい事に次々と挑戦しており、少しずつ俳優として成功するきっかけを掴んで行ったようです。
東日本大震災の後に嫁と復縁
2011年3月の東日本大震災の時、岡部たかしさんは嫁との離婚後も連絡を取り合っていた子供に連絡したそうです。
その時になぜか電話口に離婚後は交流が途絶えていた嫁が出たそうで、岡部たかしさんは一瞬「間違い電話をかけてしまった」と思ってしまったそうです。
元嫁はこの時、「大丈夫?」と岡部たかしさんを気遣い、「離婚をして養育費を払わなくなる人が多いのにずっと払ってくれてありがとう。感謝してる」と想いを伝えてくれたのだとか。
これがきっかけになり、岡部たかしさんは元嫁と再び会うようになり、再婚はしていないものの復縁されているという事です。
岡部たかしの子供は息子・岡部ひろきで俳優として活動中
岡部たかしの子供・岡部ひろきのプロフィール
生年月日:2000年12月19日
出生地 :神奈川県川崎市
出身地 :和歌山県
身長 :171cm
岡部たかしさんと元嫁との間に2000年に生まれた子供は息子の岡部ひろきさんで、俳優として活躍されています。
岡部ひろきさんが俳優を目指したきっかけは、岡部たかしさんが出演した演劇ユニット「城山羊の会」の「自己紹介読本」大阪公演を観劇した際に衝撃を受け、自分もやってみたいと思った事だったそうです。
岡部ひろきさんは高校卒業後に上京し、芸能事務所「BIRD LABEL」のオーディションを受けて入所。劇団「東京ミルクホール」本公演「レッツゴーギャング」で俳優活動をスタートさせると、2021年にNHK大河「青天を衝け」で渋沢篤二の次男・渋沢信雄役として起用され、2022年公開映画「ゆめのまにまに」、2023年ドラマ「きのう何食べた? season2」、2024年ドラマ「燕は戻ってこない」などに出演し、2024年公開映画「カラオケ行こ!」では主人公・岡聡実が部長を務める合唱部のコーチ・松原役を演じて注目を浴びました。
そして、2024年NHK連続テレビ小説「虎に翼」にも裁判官役で出演し、同作には岡部たかしさんも出演していたため、“父子リレー”と話題になりました。
女優の伊藤沙莉(30)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「虎に翼」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は19日、第80回が放送され、新潟地方裁判所の裁判官役を演じる俳優の岡部ひろき(23)が初登場した。主人公の父親役を好演した父で名脇役の岡部たかし(52)からバトンを引き継ぐ朝ドラ“父子リレー”が話題。
岡部たかしの自宅
岡部たかしさんの現在の自宅は不明ですが、以前は東京都杉並区永福3丁目の賃貸マンションの3階に住まわれていたようです。このマンション1階にある飲食店の常連だったそうで、メディアで紹介された事がありました。
大好きな西永福の #焼き鳥波多野。なんと #岡部たかし さんが常連だったとは…。↓
— 桃ちゃん (@pinot1996) May 30, 2024
明日5月31日(金)午前8時15分から放送のNHK総合「#あさイチ」で当店が取材協力させていただきました。当店の肉ナンコツが大好きなNHK朝の連続ドラマ「#虎に翼」のヒロイン父役でご活躍中の岡部たかしさんがご出演です。 pic.twitter.com/4aLPFjLOmR
現在は岡部たかしさんは別の場所に引っ越しされたそうで、俳優として人気が上昇したので自宅のグレードをアップされたのか、もしくは一軒家を購入するか新築されたのかも知れません。
まとめ
今回は、遅咲きブレイクのベテラン俳優・岡部たかしさんについてまとめてみました。
岡部たかしさんの若い頃は、和歌山県の工業高校(和歌山工業高校と言われている)を卒業後に建築会社に就職するも1年ほどで辞め、フリーター生活を送った後に24歳で上京し、25歳の時に劇団東京乾電池に入団して俳優としてのキャリアをスタートさせました。
その後は、「午後の男優室」、「城山羊の会」、「青年団」などで活動しながら徐々にテレビドラマへの出演を増やし、ドラマ「エルピス-希望、あるいは災い-」への出演で50歳にしてブレイクを果たしました。
岡部たかしさんは1997年に結婚しており嫁は上京を後押ししてくれた5歳上の美容師の女性で、子供も生まれましたがその後に離婚。しかし2011年の東日本大震災の後に子供を心配し連絡したのがきっかけとなって復縁されたようです。
岡部たかしさんの子供は息子さんで岡部ひろきの名前で俳優として活躍されています。
岡部たかしさんの自宅は不明ですが、数年前までは東京都杉並区永福3丁目の賃貸マンションに住まわれていたようです。