尖閣諸島中国漁船衝突事件では、海上保安庁保管の映像が「sengoku38」こと一色正春により流出しました。
今回は一色正春の経歴や嫁や子供、韓国との関係、映像流出事件の詳細、書類送検とその後・現在の仕事や職業をまとめます。
この記事の目次
一色正春は「尖閣諸島中国漁船衝突事件」のビデオを流出させたsengoku38
一色正春は、尖閣諸島中国漁船衝突事件の映像をYoutubeにアップした人物です。
2010年9月7日、尖閣諸島付近で違法操業していた中国漁船が、海上保安庁の巡視船に衝突しました。
その様子を録画したビデオは、海上保安庁と那覇地方検察庁が保管していましたが、2010年11月4日にそのビデオがYoutubeにアップされ、大問題になりました。
そのビデオをYoutubeにアップしたのは、sengoku38こと、当時現役の海上保安官だった一色正春でした。
一色正春の経歴
一色正春
生年月日:1967年1月3日
出身:京都京都市
職業:元海上保安官
一色正春は京都府京都市出身の元海上保安官です。海上保安官時代は三等海上保安正でした。
幼少期から海上保安官になるまで
出典:oricon.co.jp
一色正春の家族構成はこちらです。
・母:専業主婦
・兄:役所勤め
・姉:役所勤め
・一色正春
京都市役所に務める公務員の父と専業主婦の母がいて、一色正春は三人兄弟の末っ子でした。兄と姉は父親の影響なのか、どちらも役所勤めをしています。
一色正春は京都市内の中学校を卒業後、国立富山商船高等専門学校に進学します。高専を卒業後は民間の海事会社に就職して、石油タンカー船に乗船して仕事をします。
しかし、20代半ばになると、不況だったこともあり、海事会社を退職して、サラリーマンや職人見習いのような仕事をしました。
海上保安官としての一色正春
一色正春の高専時代の友人が海上保安官だったことがきっかけで、国家公務員試験を受けて、海上保安官になりました。
本来なら、海上保安学校で1年間学ばなければなりませんが、一色正春は海技士の免許を持っていたため半年間で卒業し、1998年に海上保安官になっています。30歳の時です。
最初は釜石海上保安部で巡視艇勤務をしていましたが、親の介護を理由に、大阪~高知などの第5管区内だけを異動する勤務区分で働くようになります。
2003年には小松島海上保安部の予備員、2004年には姫路海上保安部で巡視艇の航海士として勤務しています。
2007年に放送大学を卒業後、2010年からは神戸海上保安部の巡視艇「うらなみ」の主任航海士になりました。最終階級は三等海上保安正です。
一色正春の韓国人の嫁・子供
出典:sn-jp.com
一色正春は尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオを流出させ、中国の違法な行為・事実と反する主張を日本に知らせた人物です。
その行為から、一色正春は愛国心が強い右翼的な考えを持つ者と考えられてました。実際、右翼・保守からは絶大な支持を得ていました。
しかし、週刊誌の報道で、一色正春の嫁が韓国人という事実が発覚します。
報道によると、次のことが分かっています。
・嫁の両親はアメリカ国籍
・息子が2人
海上保安官になってから韓国人の嫁と結婚し、嫁と息子2人とともに神戸市内にある海上保安官の官舎に住んでいました。
嫁の両親はアメリカ国籍でも嫁は韓国人とのことですので、嫁の両親は韓国系アメリカ人だと考えられます。嫁はアメリカ国籍も選べたと思いますが、韓国籍を選択したのでしょう。
嫁が韓国人ということもあり、一色正春は韓国語がペラペラでネイティブレベルで話せるため、海上保安庁では韓国語の通訳の仕事をしたり、日韓をまたがる国際捜査にも携わっていました。
この事実を知った右翼・保守・ネトウヨ達は大混乱に陥りました。右翼やネトウヨは嫌韓が多いですから。
自分たちのヒーローだと思っていた一色正春の嫁は韓国人だったという事実は受け入れがたいものだったのです。
一色正春が起こした「尖閣ビデオ流出事件」① 衝突事故が発生
一色正春が起こした尖閣ビデオ流出事件の経緯・詳細を見ていきましょう。
衝突事件発生では日本政府は弱腰の対応
2010年9月7日、尖閣諸島付近で違法操業をしていた中国漁船に対し、海上保安庁の巡視船は退去を命じました。
しかし、命令に従わず違法操業を続けた中国漁船は逃亡する際、巡視船2隻に衝突し、巡視船を破損させました。
海上保安庁は中国漁船の船長を逮捕、船員たちも石垣島へ連行し、事情聴取を行いました。
これに対し、中国側は「尖閣諸島は中国の領土である」という主張を根拠に、日本側に猛烈な抗議をしてきました。
当時の民主党政権は「日中関係を考慮する」という理由で、中国人船長を処分保留で釈放し、中国に帰国させました。完全に中国の圧力に負けた形です。
しかも、その後も中国側の圧力は続き、謝罪を要求してきたり、尖閣諸島付近で不穏な動きを続けたり、日本企業への報復措置を行ったりするようになったのです。
日本は中国の顔色を窺いながら弱腰な外交をして、完敗したのは明らかでした。
一色正春が起こした「尖閣ビデオ流出事件」② sengoku38として動画をアップ
そのような中、中国漁船と海上保安庁の巡視船の衝突時に海上保安庁が録画していたビデオが6分50秒に編集され、衆議院予算委員会の場で国会議員30人限定で公開されました。
当時の野党である自民党からはすべて公開してほしいという声がありましたが、政府は「いろいろな配慮からよくない」としてこの要望を拒否します。
一連の民主党政権の弱腰を見ていた一色正春は、2010年11月4日21時過ぎ、海上保安庁と那覇検察庁が保管していたビデオを無断でYoutubeにアップロードしました。
ビデオは44分に編集・6分割されており、神戸市内のインターネットカフェから「sengoku38」というアカウント名で投稿されていました。
これらの動画を見ると、海上保安庁は再三にわたって中国漁船に対して警告を発していて、海上保安庁側は冷静ながらも緊迫した状態であることが分かります。
そして衝突場面では、中国漁船は海上保安庁の巡視船を挑発しながら、わざと衝突してきたことは明らかです。
それなのに、日本政府(民主党政権)は中国側の圧力に負け、海上保安庁に非はなく中国側が悪いことを示す証拠のビデオを隠していたことになります。
一色正春が起こした「尖閣ビデオ流出事件」③ 自分で名乗り出る
出典:sengoku38issiki.blog.ss-blog.jp
11月4日にsengoku38によって流出した尖閣ビデオは、2ちゃんねるを中心に話題なり、ビデオの存在が一気に拡散されるようになりました。
11月5日未明に海上保安庁が知ることになり、調査が始まりました。そして、海上保安庁は流出ビデオは海上保安庁が撮影した本物であることを認めます。
11月5日早朝には、尖閣ビデオの流出がニュースとして報道され始めました。
一色正春は同日午前7時40分に動画を削除しています。尖閣ビデオ流出がニュースとして扱われ、拡散されたことが分かったため、動画流出の役割は終わったと考えたのでしょう。
実際、尖閣ビデオは瞬く間に拡散されていて、2021年現在でもYoutubeにコピー動画が残っています。この尖閣ビデオの流出はニュースで大きく取り上げられ、連日報道されました。
11月9日にはGoogleの協力で、神戸市のネットカフェから流出したことが分かり、その翌日、一色正春は海上保安庁の上司に、流出させたsengoku38は自分であると名乗り出ています。
そして、この尖閣ビデオを見た日本国民は尖閣諸島中国漁船衝突事件の真相を知ることになり、民主党政権への批判が高まると共に、嫌韓感情が高まることになりました。
一色正春が起こした「尖閣ビデオ流出事件」④ 書類送検されている
一色正春は自分がsengoku38であり、尖閣ビデオを流出させたと名乗り出た後、取り調べを受けています。
取り調べの中で、次のことが判明しました。
・尖閣ビデオ映像は最初、11月初旬に東京のCNNに送付したが無視された
・CNNに無視されたから自分でYoutubeにアップした
尖閣ビデオは海上保安官なら誰でも見られる状態にあり、機密性は低いと判断され、逮捕は見送られています。
そして、任意での取り調べが続けられ、12月22日に警視庁より国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検されました。その後、2011年1月21日に起訴猶予処分になっています。
書類送検されたものの起訴猶予処分ということは、「訴追は必要ない」と検察に判断されたということですから、裁判が開かれることはなく、一色正春に前科はついていません。
一色正春がsengoku38と名乗った理由
一色正春が尖閣ビデオをYoutubeにアップした時のアカウントは、「sengoku38」で、この名前の由来が話題になりました。
いったいどんな考えて、一色正春は「sengoku38」というアカウント名にしたのでしょうか?
自民党の小野寺五典の説
衆議院議員・小野寺五典氏は、2010年11月5日の衆議院外務委員会で「仙谷さんがパー=仙谷(sengoku)さん(3)がパー(8)」という意味のネットスラングでは?と語りました。
「仙谷さん」というのは、当時の官房長官である仙谷由人内閣官房長官のことですね。
仙谷由人官房長官は、海上保安庁の巡視船に衝突してきた中国漁船の船長を処分保留で釈放し、中国に帰国させることを容認しました。
また仙谷由人官房長官は、細野豪志が中国で「衝突事件のビデオを公開しない」「沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止する」という密約を結んだことを同意しています。
つまり、仙谷由人官房長官は、この尖閣諸島中国漁船衝突事件に深く関わっていた人物であり、事件後は中国政府の顔色を見て、「中国に配慮した」対応を主導した人物でもあるのです。
その仙谷由人の対応に不満を持った一色正春が「仙谷さんがパー」という意味で、「sengoku38」としたのではないかという説ですね。
ちなみに、仙谷由人官房長官が当時の記者会見で記者から質問された時には、「あれっ、と思いました」と答えています。
テレビ朝日の説
出典:ironna.jp
テレビ朝日の「ワイドスクランブル」では違う説を唱えていました。「sengoku=仙谷由人」というのはそのままの意味ですが、38の解釈が違います。
38は中国語の発音で「サンバー」と読みます。そして、似たような発音に「忘八」という言葉があり、この忘八は「ワンバー」と発音します。
これにより、38は忘八の意味であり、「中国人は守るべき8つの徳を忘れた愚か者」という意味ではないかという説を唱えていました。ただ、この説はやや「無理やり感」がありますね。
また、一色正春は韓国語はペラペラで通訳ができるほどですが、中国語がペラペラという情報はありませんので、この説の可能性は低いかもしれません。
インターネット上での噂
出典:d-style.biz
インターネット上でも、sengoku38の名前についていろいろな説が唱えられました。一例を紹介します。
・38を「惨敗(ザンパイ)と読み、sengoku38=仙谷惨敗と読む
・38を「さらば」と読み、sengoku38=仙谷さらばと読む
これらのほかにも、いろいろな説が噂されています。
また、Googleから自動的に提案されたアカウント名が「sengoku38」だったのでは?という説もありますね。
YoutubeでアップするためにGoogleアカウントを作った時、本当は「sengoku」だけのアカウント名は既に使われていて、Googleから提案されたのをそのまま使ったという可能性ですね。
一色正春本人の考えとは?
一色正春は起訴猶予処分になった後、新聞の取材を受け、sengoku38の名前について次のように答えています。
・「事件が忘れられてしまうので、謎が残った方がいい」
・「まあ、1つくらい秘密が残った方が事件が忘れられない感じになる、という気持ちがあります。『あんまり気にしないでください』と言えば、逆に気になるでしょうけど、それが狙いなので」
これだけ「sengoku38」というアカウント名が話題になり、今でも記憶に残っている人が多いということは、一色正春の狙い通りになっているということなのだと思います。
一色正春のその後と現在 【仕事・職業など】
出典:sankei.com
一色正春は尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件後は、どうしているのでしょうか?
事件のその後
一色正春は、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件で書類送検されたものの起訴猶予処分となっています。そして、海上保安庁を退職しました。
書類送検される5日前の12月17日、海上保安庁に退職願を提出しますが、この時点で海上保安庁は「退職願を受理せず、懲戒免職または懲戒停職にする」として退職願を受理しませんでした。
そして、12月22日に停職12か月の懲戒処分が下され、同時に退職願が受理された形になります。
その後、一色正春の行った行動は「妥当である」と、世論では好意的・肯定的に捉えられることが多くなっています。
さらに2ちゃんねるの住民やネトウヨと呼ばれる人たちの間では、一色正春を「英雄」「俺たちのヒーロー」とみなされたこともありました。
一色正春の現在の仕事・職業
一色正春は2010年12月に海上保安庁を退職しています。その後はあまり情報を聞きませんよね。
実は、事件後には論文を書いたり、本を出版したりしています。
・『日本を守りたい日本人の反撃』(書籍)
・「中国の狙いは尖閣だけではない」(論文)
論文の「中国の狙いは尖閣だけではない」では、第5回「真の近現代史観」懸賞論文“最優秀藤誠志賞”を受賞しています。
現在の職業は不明ですが、主に講演会をしたり、記事の投稿など文筆業をしたりしているようです。
「iRONNA」には記事を投稿していますし、FacebookやTwitterも頻繁に投稿しています。
主に中国や北朝鮮との外交問題・人権問題などに重きを置きつつ、保守派として幅広い活動をしているようです。
一色正春のまとめ
一色正春の経歴、嫁や子供、韓国との関係、尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件の経緯・詳細、sengoku38の名前の由来、その後と現在などをまとめました。
国家公務員である海上保安官が、映像を流出させるのは国家公務員法に違反していることは間違いありません。
でも、あの映像流出がなかったら、日本国民は尖閣諸島中国漁船衝突事件の真相を知ることはありませんでした。
そう考えると、一色正春の行動は「100%間違っている」とは言えないでしょう。