植松聖の生い立ちや大学時代・漫画家の母親と父親!事件や現在も総まとめ

「相模原障害者施設殺傷事件」を起こした犯人・植松聖の裁判が始まり注目が集まっています。

 

今回は植松聖が何故このような凶悪犯罪を起こしたのかを探るべく大学時代などその生い立ちに焦点を当てます。さらに、教師の父親や漫画家の母親について、植松聖の絵がうまいと話題になっている事についてもまとめます。

植松聖が起こした「相模原障害者施設殺傷事件」の概要

 

出典:https://twitter.com/

 

植松聖(うえまつさとし)は2016年7月26日に発生した「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人です。植松聖本人について触れる前に、まずは「相模原障害者施設殺傷事件」の概要を簡単にですが説明します。

 

 

「相模原障害者施設殺傷事件」の発生から逮捕まで

 

出典:https://twitter.com/

 

その日の深夜午前2時頃、植松聖は以前自身が職員として勤務していた神奈川県相模原市に所在する知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に裏口側から敷地内に入り、窓ガラスを割って建物内に侵入し、職員らを結束バンドで拘束した上で、入所者を次々と刃物で刺したり切りつけたりし、約50分の間に入所者19人を殺害、職員を含めて26人に重軽傷を負わせました。

 

植松聖は犯行後に現場から逃走しますが、同日午前3時すぎ、神奈川県警津久井警察署に自分で運転する車で出頭し、午前4時半頃、被害女性1人に対する殺人未遂および、建造物侵入の容疑で緊急逮捕されます。

 

なお、植松聖は犯行の直後、警察に出頭するまでの間に、自身のTwitterに「世界が平和になりますように」などと投稿していました。

 

植松聖は警察の取り調べで確信犯である事をほのめかしている

 

出典:https://bunshun.jp/

 

植松聖は警察による取り調べに対して、犯行容疑を認め、「障害者などいなくなってしまえ」などの差別意識に満ち、かつ自分の犯行を正当化するかのような過激な発言を繰り返し、確信犯である事をほのめかしました。

 

警察はその後、容疑を殺人未遂から殺人に切り替え横浜地検に送検、2016年9月5日までに、死亡した19人全員についての殺人容疑で立件しています。

 

精神鑑定が行われるも犯行時の完全責任能力が認められ起訴

 

出典:https://twitter.com/

 

その後、精神鑑定も実施され、「自己愛性パーソナリティ障害」「反社会性パーソナリティ障害」など、複合的なパーソナリティ障害があるとの所見が示されたものの、犯行の計画性や行為の違法性の認識など様々な観点から、植松聖は犯行時「完全な刑事責任能力を問える状態」だったとの診断が下されました。

 

横浜地検はこれを受けて、2017年2月24日、入所者19人を殺害した「殺人罪」、入所者や職員らに重軽傷を負わせた事による「殺人未遂罪」、職員3人を結束バンドで拘束した事による「逮捕・監禁罪」、別の3人の職員に高速時に怪我を負わせた事による「逮捕・監禁致傷罪」、「建造物侵入罪」「銃刀法違反」など、6つの罪状で植松聖を起訴しています。

 

なお、この「相模原障害者施設殺傷事件」の殺害された人数19人は、2019年7月18日に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」で36人が殺害されるまで、第二次世界大戦以降の日本国内における最大の殺人数でした。(オウム事件などの組織的犯罪を除く)

 

植松聖は事件前にも異常な行動を繰り返していた

 

出典:https://twitter.com/

 

以上が植松聖が起こした「相模原障害者施設殺傷事件」の概要ですが、植松聖はこの事件を起こす以前から、障害者に対して、殺害をほのめかす差別的な発言を繰り返し、体に大量の入れ墨を彫り、大麻を乱用し、衆議院議長宛に「作戦計画」などと称し、障害者を殺害する犯行予告などが記された手紙を渡すなどの、数々の異常な行動を繰り返していました。

 

次の見出しからは、事件後に明らかになった、こうした植松聖の過去の異常な行動の数々を含めて、その生い立ちについて詳しく追っていきます。

 

植松聖の生い立ち① 誕生〜幼稚園時代

 

出典:https://matome.naver.jp/

 

植松聖は、1990年(平成2年)1月20日、東京都日野市で一人っ子として生まれ、同市にある「多摩平団地」で両親と共に暮らしていました。

 

植松聖が1歳になったばかりの1991年1月、両親は神奈川県津久井郡(当時)に一軒家を購入し、家族で引っ越しています。この新居は、「相模原障害者施設殺傷事件」の現場となる障害者福祉施設「津久井やまゆり園」からわずか500メートルほどの距離でした。

 

裁判での弁護士の発言によれば、幼稚園に通っていた頃の植松聖は、素直で手のかからない子供で、明るく優しい性格だったそうです。この時代を知る植松聖の幼馴染は「さとくん」と呼んでいた事や、陽気で明るい性格でわいわい一緒に遊んでいた事などを法廷で証言しています。

 

 

植松聖の生い立ち② 小学生時代

 

出典:https://matome.naver.jp/

 

その後、植松聖は、相模原市の公立小学校へと入学しています。

 

裁判での弁護士の発言によれば、植松聖の小学生時代は、勉強は苦手だったが明るく人懐っこい性格だったとの事です。

 

また、法廷に出廷した小学生時代の同級生の証言によれば、クラスメイトに知的障害者もいたが、その同級生に対して植松聖が差別的な発言をした事は無かったという事でした。

 

また、植松聖の当時を知る近隣の住人は、素直で礼儀正しい子で、活発で明るいイメージを持っていたそうです。

 

「サト坊はね、素直で礼儀正しい子だったね。会えば“こんにちは”って。活発に外で遊んでいる感じの子だったな」

 

引用:19人刺殺事件 同級生も手が震えた残虐性「私たちが知ってるサトくんじゃない」

 

植松聖本人は、獄中で記したというノートに、小・中学時代のクラスメイトだったという重度・重複障害者について以下のように書いています。

 

小学校入学から中学校卒業まで同級生にK君という重度・重複障害者がいました。多くの時間を特別クラスで過ごしていましたが、時々一緒に授業を受けることもありました。K君は自分の頭を叩きながら奇声をあげて走りまわり、人の消しゴムを食べてしまいました。送り迎えはK君の母親が来ていましたが、私はK君の母親の笑顔が思い出せません。いつも重苦しい表情でした。

 

引用:間もなく始まる相模原障害者殺傷事件・植松聖被告の裁判で問われることは何か

 

これを読むとあるいは、植松聖は小・中学生時代からすでに、重度の障害を持つ人に対してなんらかの偏った思想を持ち始めていたのかもしれません。

 

植松聖の生い立ち③ 中学生時代

 

出典:https://www3.nhk.or.jp/

 

小学校の卒業後、植松聖は相模原市内の公立中学校へと進学しています。中学生当時はバスケットボール部に所属し熱心に練習しており、勉強も出来る方だったそうです。

 

 

小・中学時代の同級生らによれば、少年時代の植松聖は、人を笑わせるのが好きなムードメーカーという印象があったようです。

 

「人を笑わせるのが大好きで常にムードメーカー。お笑い芸人みたいに体を張る感じのノリで。いきなりバーンって倒れてみせたり、ヘンな顔をしてみせたり、面白いヤツだった」

 

引用:明るいキャラで人気があった少年時代…相模原殺人・容疑者の過去

 

また、ある小・中学時代の同級生からは、当時の植松聖は真面目というのが第一印象だったとの証言が出ています。この同級生も明るいイメージを持っており、悪い印象などは持っていないようでした。

 

「まじめというのが第一印象だった。アニメの登場人物のまねをして周囲を和ませたこともあった」

 

引用:彫り師に弟子入り、薬物の影…「サト君がバグった」 何が転落へと導いたのか

 

この他にも、「優しい子だった」「大人しく真面目」「会うと必ず挨拶してくれる」など、肯定的な証言ばかり出ており、同級生、近隣住人ともに当時の植松聖に対して悪い印象を持つ人はほとんどいませんでした。

 

ただし、中学生時代のバスケットボール部の後輩だったというある男性は、当時の植松聖に対して以下の印象語っています。

 

「人気はあったけど、結構ワルだった。すごく不良というわけではないけど、キレたら怖い。机や椅子を蹴るとか、とにかく物に当たり散らし、手がつけられなくなる凶暴さが怖かった」

 

引用:明るいキャラで人気があった少年時代…相模原殺人・容疑者の過去

 

植松聖がその後、極端に過激な思想に染まっていく事を考えれば、この凶暴さこそが植松聖の本性だったと考えられます。

 

その他、植松聖の中学校の卒業文集での作文もニュース番組で公開されています。

 

出典:https://twitter.com/

 

中学の3年間はとても早く、最後の一年はほんとうにあっという間でした。楽しい思い出は、運動会の徒競走の時グウゼンこけてしまい、みんながかけつけて来て、感動のゴールをみんなで味わいました。感動しました!

 

引用:相模原殺傷事件 殺人鬼・植松聖容疑者の薬物漬けと女癖破滅半生(1)

 

明るい文面で将来の夢などについても書いています。中学生時代の植松聖の夢は、バンドで売れた後にコックさんになり、安定したお金が欲しいというものでした。一見するとごく普通の明るい学生に見えますが、自己顕示欲が強いといった印象も抱かせる文章です。

 

 

植松聖の生い立ち④ 高校時代

 

出典:https://note.com/

 

中学校を卒業した植松聖は、週刊誌の報道によれば「私立八王子実践高等学校」の調理科に進学しています。中学の卒業文集でも将来はコックになりたいと書いているので、料理人になるために調理科へと進んだと思われます。

 

しかし、植松聖はこの「私立八王子実践高等学校」に入学してすぐに同級生を殴るなどの暴力事件を起こして学校に居られなくなり、「神奈川県立津久井高等学校」の定時制(福祉科)に転校したという情報がありますが、これは真偽不明です。

 

高校時代の植松聖には交際している彼女がいたようで、家の周辺を黒髪で清楚な雰囲気の女性と手を繋いで歩いているところを中学時代の同級生に目撃されています。

 

高校時代には、交際相手の女性とデートする姿も目撃されている。

「家の周りで、彼女と手をつなぎながら散歩している様子を何度か見ました。女性は黒髪で清楚な雰囲気。植松も短髪で『爽やかカップル』という感じでしたね」(中学の同級生)

 

引用:相模原・障害者19人刺殺「植松聖」の鬼畜プロフィール(1)10分で10名を刺殺した殺意

 

他の近隣住人も彼女と手を繋いで歩いているところを目撃しており、植松聖にそれについて聞くと「同級生ですよ」と言ってはにかんで楽しそうだったと明かしています。

 

また、裁判では、弁護人が植松聖と高校時代に交際していたという女性の供述調書を読み上げています。

 

法廷で弁護側が、植松被告が高校生の時に交際していた女性の供述調書で、「大学3年の時、落ち込んだ声で電話してきた際、植松被告が『自分は高校時代はピュアだった』」などと話したことを読み上げると、植松被告は声を上げて笑った。

 

引用:「落ち込んだ声で『高校時代はピュアだった』」 元交際女性証言に植松被告が笑い声 相模原45人殺傷

 

高校生時代の植松聖に関しては、不良っぽいところもあり目立つところはあったものの、女性にはモテており、犯罪を起こしそうな危険な思想を持った人間という印象は持たれていなかった事が推測できます。

 

 

植松聖の生い立ち⑤ 大学は帝京大学文学部教育学科

 

出典:https://www.excite.co.jp/

 

高校卒業後の2008年、植松聖は「帝京大学」に合格し進学しています。学科は文学部初等教育学科で、大学合格後に近隣住人に向けて「子供が好きなので学校の先生になりたいんです」と嬉しそうに話していたという証言が出ています。

 

大学4年の2011年には、地元の自身の出身小学校で教育実習も行なっており、子供たちの人気者になったと喜んでいたとも伝えられています。

 

ただ、どうやら大学を進学してから植松聖は変貌を遂げたようです。高校の同級生によれば、「髪の色を染めて服装が派手になった」という事でした。

 

植松聖を幼少期から知るというある男性は、当時の植松聖について以下の証言をしています。

 

当時はやったクラブに出入りするようになり、悪い仲間とも付き合うようになりました。サトシは“強い人間”に憧れがあって、自分を強くみせようとして入れ墨やクスリなどに手を出すようになった。特に悪くなったのは大学卒業後です。半グレ集団とつるむようになり、まともな友人はどんどん離れていきました」

 

引用:「強い人間に憧れが」 相模原45人殺傷容疑者を知人が語る

 

半グレ集団ともつるむようなったという事で、大麻や脱法ハーブ(危険ドラッグ)などにも手を出すようになったと言います。事実、「相模原障害者施設殺傷事件」後の家宅捜索で、大麻が発見されています。

 

また、他の知人の証言によれば、成人式の日に、友人らと軽トラの荷台に乗り、日本酒を一升瓶で回し飲みしながら道路を走り回って騒ぎ、駅前で軽トラが横転して大騒動になったという事もあったようです。

 

 

大学入学後に入れ墨にのめり込む

 

出典:https://twitter.com/

 

上で紹介した男性の証言にもあったように、植松聖は大学入学後に入れ墨を入れたそうです。

 

前述の高校時代の同級生によれば、大学の仲間が次々と入れ墨を彫ったので、植松聖もそれを真似して小さな入れ墨を入れたというのが始まりだったようです。

 

最初は小さな目立たない入れ墨でしたが、植松聖はそれを気に入り、身体中に次々と入れ墨を入れるようになり、都内の入れ墨イベント「キング・オブ・タトゥー」にも毎年顔を出すようになり、イベントのポスターを自室に貼るほどのめり込んでいたとの事。

 

また、この頃、植松聖が自宅の前で上半身裸になり、入れ墨姿を見せつけるようにしながら、交際相手とみられる女性と共に体を焼いている姿も近隣の住人に目撃されています。

 

出典:http://dokujyoch.net/

 

その他、植松聖が、都内の入れ墨彫り師の人気店に並んで待っていた時、客が多いために彫り師が今日は彫れないと断りを入れると、植松聖は突然激昂し、「並んでいるやつ全員ぶっ殺してやるから彫ってくれ!」と声を荒げたという証言が出ています。

 

彫り師は、怒り狂う植松聖を鎮めようと、自身の弟子に代理で担当させたそうです。すると植松聖はその出来上がりに満足できなかったのか「下手くそ!殺してやる!」などと罵倒し始めたという事です。

 

植松聖は、大学在学中に教員免許を取得したものの、教師として採用されていません。どうやらこれは、身体中に入れた入れ墨が原因だったようです。本人は教師になれなかった事に落ち込んでいたという事ですが、これは自業自得というものでしょう。

 

この小学校での教育実習から3ヶ月後、植松聖はFacebookやTwitterなどの自身のSNSに「今日から彫り師として一生懸命頑張っていく」と書き込み、実際にある彫り師に弟子入りしています。

 

出典:https://note.com/

 

また、この頃まで植松聖は実家の一軒家で両親と共に暮らしていましたが、どうやら入れ墨を入れた事が原因で両親と不仲になったようで、母親が泣き叫び怒る声や、物を叩く音などが頻繁に聞こえるようになったと言います。

 

その後両親は植松聖1人をその家に残して、都内のマンションへと引っ越しています。

 

彫り師という職業や、入れ墨自体が悪というわけではないのですが、この一連の入れ墨にまつわるエピソードは、植松聖が大学時代におかしな方向へ向いてしまった象徴のように見えます。

 

 

 

植松聖の生い立ち⑥ 大学卒業後はいくつかの職を転々とする

 

出典:https://twitter.com/

 

植松聖は入れ墨が原因で、夢だったという教員への道は諦める事となり、大学卒業後、大手飲料メーカーの自動販売機に商品を補充する配送会社に就職しています。しかしこの仕事もキツイし給料が安いと言って数ヶ月後に辞めてしまったという事です。

 

その後、植松聖はいくつかの職を転々とした後、「相模原障害者施設殺傷事件」を起こすことになる知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」に採用され、非常勤職員として働き始めています。その翌年の2013年4月には常勤職員になっています。

 

また、話が多少前後するのですが、植松聖は「津久井やまゆり園」で勤務していた2015年6月頃、ある有名彫り師に突如弟子入りし、彫り師を目指していたようです。しかしある頃から「施設の障害者を殺したい」などの危険な発言が目立つようになり、違法薬物を使用している事なども疑われたため、この彫り師は、その年の末には植松聖を破門にしています。

 

 

「津久井やまゆり園」での異常な勤務態度

 

出典:https://mainichi.jp/

 

植松聖の「津久井やまゆり園」での勤務態度は極めて異常性の高いものでした。

 

2013年4月に常勤職員になった植松聖は、その初日からTシャツ姿で出勤し、全身に入れた入れ墨をわざと周囲に見せびらかすようにし始めたそうです。施設側から入居者に入れ墨を見せないように注意されても、それを無視していたとの情報も出ています。

 

2015年に入った頃から、植松聖は異常で過激な右翼的思想を堂々と周囲に発言するようになり、荒唐無稽な陰謀論や、宇宙からテレパシーがくるといった明らかに異常性が見られる発言を真面目な顔で周りに訴えるようになったそうです。

 

また、「津久井やまゆり園」を利用する障害者の方々に対して「いらねえんだよ!」などと言った暴言を吐き始め、暴力を振るう事もあったようです。

 

 

衆議院議員議長に手紙を渡すなど行動がさらに異常化

 

出典:https://twitter.com/

 

2016年2月中旬、植松聖は衆議院議長公邸を訪れ、衆議院議長の大島理森氏宛ての、「犯行予告」などが記された手紙を渡しています。また、植松聖は同じ頃に総理大臣・安倍晋三氏宛の手紙を持って自民党本部も訪れていたようです。

 

植松聖が衆議院議長の大島理森氏に宛てた手紙には、「津久井やまゆり園」と同県厚木市の別の障害者福祉施設を襲撃の標的として名指しし、「職員の少ない夜勤の時間を狙う」「職員を結束バンドで拘束して外部との連絡を取れなくする」「2つの施設で260名を抹殺する」など具体的な犯行計画が記されていました。

 

さらに、「指示があればいつでも計画を実行する」などと、まるで政府の指示を仰ぐような内容も記され、「逮捕後は心神喪失で無罪とし、2年以内に釈放する事」「5億円の金銭を支援して自由な人生を遅らせる事」「新しい名前『伊黒崇』を与えて整形手術もさせる」などの理解不能な要求すら記しています。

 

タチの悪い冗談のような内容ですが、逮捕後のメディアの面会取材などで、植松聖は「社会が理解を示すはずで自分はすぐに釈放される」といった趣旨の発言をしており、自分は完全な正義であり、国家も民衆も理解してくれるはずだと信じ込んでいる様子が見て取れ、この手紙で記された荒唐無稽な要求が通るはずだと信じていた節が見られます。

 

また、同じ時期に植松聖は、ケータイ電話でLINEを使用して、友人らに「障害者を生かすために莫大な金がかかっている」といった自説を展開するメッセージを一斉に送信するなどしており、直後にそれらの友人に電話をかけ、犯行に協力するように要請し、口論になるなどもしていたようです。

 

複数の知人によると、植松容疑者は2月17日、《聴いて下さい!!話は障害者の命のあり方です》から始まるメッセージを通話アプリ「LINE」で同級生らに一斉に送信していた。。《彼らを生かすために莫大な費用がかかっています》などと自説を展開し、《ご意見をお聞かせ下さい》と結んでいた。

 

引用:「サトクンの犯行だ!」 事件を聞いた同級生は瞬時に確信した 捜査員も首をかしげる植松容疑者の根深い憎悪とは…

 

こうした異常な行動を受けて「津久井やまゆり園」側は植松聖と面談を行なっています。この面談時に植松聖の口から「意思の疎通のできない障害者を抹殺すべき、安楽死させるべき」といった異常な発言が出たため、施設側はこれを重く見て行政に通報しています。

 

その後、管轄の神奈川県警津久井署は、「警察官職務執行法」に基づき、植松聖を保護し、その後2月中旬頃、相模原市の主導により、相模原市の北里大学東病院へ植松聖を措置入院させる対応が取られました。

 

措置入院させられた病院では、植松聖は最初は抵抗したものの、次第に大人しく振る舞うようになり、3月2日に「他人を傷つけるおそれがなくなった」という理由で退院させられています。

 

そして、それから数ヶ月後の2016年7月26日に、植松聖は「相模原市障害者施設殺傷事件」の凶行に及ぶ事になるのです。

 

 

 

植松聖の父親は図工教師

 

出典:https://www.jiji.com/

 

続いては、植松聖の父親や母親などの家族についてもまとめていきます。

 

植松聖の父親は小学校で図工の教師として勤務していました。ネットではこの植松聖の父親は「植松竜司」という名前との情報が出ていますが真偽不明です。

 

植松聖の父は、真面目で厳しい人物だったそうで、植松聖も高校生の頃までは厳しく叱られる事もあったという事で、植松聖は友人らに父親への反感をこぼす事もあったそうです。

 

一方、近隣の住人によれば、植松聖の父親は「腰が低く、あたりの優しい人」で、自治会の活動にも積極的に参加する好人物といった評判が出ています。

 

「腰が低く、あたりのやさしい人でした。教師だから子どもの心をつかむのがうまいのよ。キャンプなんかでは、一生懸命みんなをまとめてね」

 

引用:19人刺殺事件 同級生も手が震えた残虐性「私たちが知ってるサトくんじゃない」

 

植松聖が教師を目指していたのは、この父親の影響もあったとされていますが、その点についてもはっきりした事は不明です。

 

 

 

植松聖の母親はホラー漫画家

 

植松聖の母親は過去にホラー漫画家として活躍していた女性との情報が一部週刊誌やネットなどから出ています。

 

ネットでは、植松聖の母親はホラー漫画雑誌「ほんとうにあった怖い話」や「ホラーM」などで作品を発表していた漫画家「植松麻里」さんではないか?という情報が出ているのですが、こちらは確定情報ではありません。

 

また、この植松聖の母親について、近隣住人から「明るい人」との評判が出る一方で、別の住人の証言では「野良猫の餌やりなどを巡って近所トラブルがあった」とも言われています。この近所トラブルが植松聖の両親が一軒家から都内のマンションへ引っ越した原因とも言われていますが、植松聖一人を残して行った事について疑問が残ります。

 

その他に1991年に出版された絵本「うらしま太郎」の著者(作画担当か?)に「植松麻里」という方がいるため、ネットでは植松聖の母親は絵本も書いていたという情報も流れているようです。こちらについても確定的な情報ではないため、安易に鵜呑みにしてはいけません。

 

 

 

植松聖の描いた絵がうまいと話題に

 

漫画家の母親の血を受け継いでのものなのか、植松聖が獄中で描いた絵がうまいと話題になっています。

 

出典:https://dot.asahi.com/

 

出典:https://twitter.com/

 

この2枚の絵は、植松聖が獄中で書き、ある雑誌編集者へと送付したものです。確かにプロレベルで上手い絵です。この絵が公開されるやネットでは「絵がうまいのに勿体無い」「犯罪を起こして才能の無駄遣い」など、その才能を惜しむ声なども上がっているようです。

 

 

植松聖の現在と死刑判決

 

出典:https://mainichi.jp/

 

植松聖は現在、裁判を受けている最中です。初公判は2020年1月8日に横浜地裁で開かれ、主に犯行時に植松聖に「完全責任能力があったか否か」について争われています。

 

初公判の日、植松聖は法廷に出廷し、証言台で被害者遺族に対して謝罪の言葉を述べた後に、突然自分の小指を噛み切ろうとして退廷させられる騒動を起こしています。

 

なお、この時の謝罪は、被害にあった障害者に対してではなく、被害者の遺族に対して突然家族を奪ってしまって申し訳ないという気持ちでなされたもので、現在も植松聖は、被害者らに対しては謝罪する気持ちはないと言い放っています。

 

そして、2020年3月16日、横浜地裁(青沼潔裁判長)の裁判員裁判は「死刑」を言い渡しています。

 

 

 

 

まとめ

 

今回は「相模原障害者施設殺傷事件」を起こした犯人・植松聖についてまとめてみました。

 

なぜ植松聖がこのような凶悪な事件を起こしたのかについて知るべく、その生い立ちを追ってきましたが、植松聖の行動が大学入学あたりからおかしくなり始めたという事以外ほとんど何もわからず、凶行に及んだ動機についても理解が及びません。

 

植松聖には裁判員裁判で死刑判決が下されましたが、控訴するのかどうかにも注目が集まっています。

 

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