ラグビーワールドカップ2019で日本中にラグビーブームが席巻しましたが、解説などで元日本代表の大畑大介さんも注目を集めています。
今回は大畑大介さんの経歴、結婚した嫁や子供、現役引退後など現在の活動をまとめました。
大畑大介のプロフィール
プロフィール
出典:http://www.fmosaka.net/
名前:大畑大介(おおはただいすけ)
生年月日:1975年11月11日
出身:大阪府大阪市城東区
身長:176cm
学生時代
小学3年生だった1984年、当時やっていた野球が嫌で他のスポーツがしたいと考えた結果、父親がラグビーをやっていたことから、大阪ラグビースクールでラグビーを始めました。
高校進学時には多くの強豪校からスカウトされていた大畑さんですが、当時一度も全国大会に出場経験が無かった東海大学附属仰星高校を、自宅から近いという理由で選択したと言います。
高校に入ってからもメキメキ腕を上げた大畑さんは、毎日死に物狂いで練習に励み、50メートルのタイムが1年で7秒から5秒9にまで記録を伸ばしました。
ラグビー部と言えば、厳格な上下関係とキツイ練習が一般的ですが、東海大学附属仰星高校は、選手たちが考え練習させる指導スタイルで、短時間で密度の濃い練習を積み重ねていました。
自分の力で1番になりたいという野望を持っていた大畑さんは、それまで1度も全国大会に出場できなかった東海大学附属仰星高校を花園へと導いたのです。
そして、高校日本代表にも選出される活躍を見せました。
大学進学時には初めは同志社大学を希望しましたが大学側から断られ、京都産業大学に進学。
自身をいらないといった同志社大学を見返すために、同志社大学との試合では闘志メラメラだったと言います。
ちなみに、高校のクラスメイトの中には元メジャーリーガーの上原浩治選手や元プロ野球選手の建山義紀さんなどがいたそうです。
ラグビー部の顧問から、体格の良かった上原選手を勧誘しろと言われましたが、大畑さんはあまり強く勧誘しなかったそう。
今の上原さんがあるのは、「俺のおかげや!」と話しているというエピソードもあります。
なんて豪華なクラスなんだろう…と想像できないですよね。
その後、京都産業大学に進学した大畑さんはウイングとセンターポジションで活躍し、4年次にはキャプテンとして関西大学ラグビーリーグ戦で優勝を果たしました。
そして、大学選手権でもチームをベスト4へと導き、自身は日本代表選手にも選出されるなど華々しい活躍を見せました。
現役時代
大学卒業後の1998年、神戸製鋼に入社しました。
2001年から1年間、神戸製鋼に籍を置いたままで日本のオフシーズン中にシドニーへと渡り、ノーザンサバーブス・クラブでプレー。
海外でのプレーの重要性を感じ、2002年に大畑さんは神戸製鋼を退社して、フランスのモンフェラン・クラブ(現在のASMクレルモン・オーベルニュ)へ移籍を決めたのです。
しかし、外国人選手に比べてどうしても体型の差がある日本人選手が海外でプレーをするのは難しく、外国人枠に阻まれた結果、正式契約に契約を結ぶところまでは至りませんでした。
2003年に神戸製鋼コベルコティーラーズに復帰を果たすと、その後は日本代表チームのキャプテンを務め、日本を代表するラガーマンとして大活躍を見せました。
代表試合トライ数において世界新記録を樹立し、69トライという記録は現在も破られていません。
体と体がぶつかり合うラグビーという競技では怪我がつきものですが、大畑さんもまた大きな怪我に阻まれます。
2006年と2007年の2度に渡ってアキレス腱を断裂し、想像を超える精神力とリハビリを経てなんとか復帰を果たしています。
しかし2011年のリーグ最終戦、トヨタ自動織機戦で右膝の蓋腱を断裂する大怪我により、現役引退を余儀なくされました。
現役引退後
2011年に現役を引退し、3月6日に引退セレモニーが行われました。
華々しい記録を残した現役時代が幕を下ろし、その後は2012年から追手門学院大学地域文化創造機構の客員特別教授として人材の育成に力を入れています。
2016年には、ワールドラグビーからワールドラグビー殿堂として表彰されるなど、ラグビーの普及にも貢献。
また、タレントとしてバラエティ番組にも出演しています。
「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」には、4度出場し2度優勝を果たすなど、アスリートとしての経歴を生かした仕事も積極的にこなしています。
さらに、日本で開催され大変な盛り上がりを見せたラグビーワールドカップ2019では、アンバサダーを務め、番組での試合解説など連日テレビ出演が続きました。
大畑大介の実家はパン屋さん
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世界で活躍するラガーマンが、どのような環境で育ったのか気になりますよね。
大阪城東区にある、大畑大介さんのご実家はパン屋「フレッシュ・ベーカリー ポポフ」を営まれていたそうです。残念ながら2011年で閉店しています。
大畑さんの父親が脱サラして始めたというパン屋さんに、ラグビーに明け暮れていた大畑さんは毎日のように寄って帰り、そこのパンを食べるのがとても好きだったそうです。
ご両親の愛情のたくさん詰まったパンを食べて、あの大きな体が作られていったと思うと微笑ましいエピソードですね。
大畑大介が結婚した嫁・真理さんとは
出典:https://geinou-resistance.info/
日本ラグビーのレジェンド的存在の大畑大介さんは、実は2002年に結婚しています。
これだけ大物アスリートの結婚なのに、当時大畑さんの結婚についてテレビなどではほとんど報じられることはありませんでした。
それだけラグビーというものが日本ではマイナーなスポーツであり、世間の関心が低かったということですよね。
偉大な記録を残し、現在のラグビーブームを裏で支えてきた存在である大畑さんは最近になって注目を集めるようになり、同時に奥さんや子供など家族の存在も知られるようになったのです。
2002年に大畑さんと結婚した奥様は、一般人女性の真理さんという方です。
年齢は大畑さんの1歳上で、1998年の「京都着物女王」に選ばれたこともある和服が似合うとても美人な奥様だそう。
2人が結婚した2002年という年は、大畑さんが神戸製鋼を退社しフランスへ渡った年です。
大畑さんのラグビー人生において大変大きな決断をしたこの年に、結婚を決め、奥様も一緒にフランスへ渡りました。
兼ねてから交際していたため、フランスへ渡る1年前にオーストリアへ渡った際も真理さんも帯同していたそうです。
慣れない海外生活にもかかわらず、奥さんは大畑さんの食事面や生活面のサポート、そして身体的にも精神的にも大畑さんを支えました。
そして、日本ラグビー界に復帰した後で2度に渡るアキレス腱断裂という大怪我をした大畑さんを献身的に支えたのも奥様です。
アスリートにとって命取りともなる大怪我を2度も経験し、大畑さん自身、現役復帰を諦めた時期もあったでしょう。
しかし、真理さんのサポートのおかげで大畑さんは見事な復活劇を果たしたのです。
また大畑さんをサポートする傍ら、読者モデルとして活躍していた時期もあったそうで、抜群のスタイルと美貌は結婚後も相変わらずだったことがうかがえますね。
大畑大介と嫁との間の子供とは
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大畑大介さんと妻・真理さんの間には2人のお子さんがいらっしゃいます。
長女は現在中学3年生、次女は小学5年生だそうで、ピアノやバレエなどの習い事をしていますが、ラグビーには一切興味がないと言います。
大畑さんは、大の子煩悩で知られていて、2011年に「ベストファーザーin関西」を受賞したこともあります。
アスリートがベストファーザーに選ばれるというのはあまり印象にないので、かなりのいいパパぶりを発揮していると言えます。
自身が幼い頃からラグビー漬けの日々を送っていたことから、あまり家族で出かけたりした思い出がないという大畑さん。
自身の子供達には「家族の思い出」をたくさん作ってあげたいと思い、春には必ず旅行に出かけ、普段からもテーマパークや映画などいろんなところへ出かけるそうです。
また、現役時代には海外遠征や国内外の試合などで大畑さんは家を空けることも多かったため、自宅に帰った際には奥さんを楽させてあげたいと、育児にもとても積極的に関わっていました。
自分が子供たちを見て、奥さんに出かける時間を作ってあげるなど心掛けていたそうで、いいパパだけでなく、いい夫でもあるのです。
過去には、奥さんの外出中に子供がどうしても泣き止まなかったため、自身の乳を吸わせたこともあったのだとか。
しかし、母乳が出ないと分かると子供は余計泣いてしまった…というイクメンエピソードも明かしています。
こんなにかっこいいお父さんが、優しくて面倒見もいいなんて、非の打ち所がありませんね。
奥さんも、毎日体と体のぶつかり合いの世界で競技に励みながら、家でも休むことなく育児を引き受けてくれる大畑さんの優しさが嬉しかったはずです。
本当に微笑ましい家族のエピソードですね。
大畑大介の現在
① ラグビーを普及させることが使命
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大畑大介さんは現役時代、1999年に行われたウェールズでのラグビーワールドカップに初めて出場し、その後オーストラリアで開催された2003年大会にも出場を果たしました。
2007年のフランスでのワールドカップへの出場が期待され、実力も十分でしたが、直前でアキレス腱断裂の怪我を負い、3度目のワールドカップ出場を逃すこととなりました。
応援する側としてフランス大会に参加し、帰国した大畑さんは、ラグビーワールドカップが日本国内ではまったく注目されていないという現実を知り、落胆したと言います。
「アレ?って。(ワールドカップの注目度って)こんなもんやったんかって。さみしい思いになったんです。」と語り、命がけの覚悟で臨む選手たちと一般人との温度差に愕然としたのです。
当時、ラグビーは日本ではマイナースポーツとされ、ルールさえも知らない人が多いのが現実でした。
そんな大畑さんは、2009年にラグビーワールドカップ2019が日本で開催されることが決定した際、2010年シーズン限りで引退し、ラグビーを普及する側に回ろうと決めたそうです。
「ワールドカップやラグビーに関して、周りから少しでも目を向けてもらえるように活動していかないといけないと思った」と、10年かけて日本でラグビーをより多くの人に知ってもらう活動に力を入れようと誓いました。
大躍進を遂げたラグビー日本代表
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大畑さんやその他のラグビーに携わる関係者の地道な活動の成果に応えるように、ラグビーワールドカップ2019において、ラグビー日本代表「さくらジャパン」は大躍進を見せました。
ロシア、サモア、スコットランド、アイルランドの、強豪ひしめくプールAを次々と撃破し、なんとブロック1位で決勝リーグに進出。
この大快挙に、日本中が連日連夜、大熱狂に包まれました。
そんな日本代表を大畑さんは、「逆転は強いチームじゃないとできないんです。あんな試合をしていたら、昔だったら負けています」と、現在の日本代表を「めちゃくちゃ強い」と太鼓判。
また、ラグビーを題材としたドラマがワールドカップ前にちょうど放送されていました。
このドラマ放送とラグビー日本代表の大躍進などが重なり、これまで一切ラグビーに興味がなかった人々も、ラグビーに熱狂し、心から応援し、さくらジャパンのさらなる勝利を願いました。
最終的にベスト8という結果で大会を終えた日本代表でしたが、選手たちの活躍により、間違いなく、日本のラグビー熱が高まりファンも一気に増えたはずです。
そして、これからのラグビー界を背負って立つ、子どもたちに「ラグビーをやってみたい」と思わせたはずです。
また、試合後に見せる日本代表の「ノーサイドの精神」は世界でも絶賛され、日本のラグビーは世界に通用するものであることを見せつけました。
これだけのラグビー熱を日本にもたらしたのは、大畑大介さんのこれまでの活動も大変大きく影響していると言えるでしょう。
まとめ
日本のラグビー界のレジェンドとして知られる大畑大介さん。
現役時代に樹立した代表試合トライ数69という記録は今も破られていませんし、2度の大きな怪我を乗り越えた不屈の精神でも知られています。
現役引退後には、日本でのラグビーの認知度を高める活動に力を入れて、ラグビーワールドカップ2019大会で日本にラグビーブームを起こした1人とも言えます。
和服美人な奥様と、2人の娘さんにも優しくてイクメンな顔も持つ大畑さん。これからの活躍も楽しみですね。