少年誘拐ホルマリン漬け事件は、犯人・林邦太郎を深く知れば知るほど身の毛がよだつ猟奇的な事件です。
今回は少年誘拐ホルマリン漬け事件の詳細、犯人の林邦太郎のヤバイ性癖、被害者の写真、出所後などその後と現在をまとめました。
この記事の目次
少年誘拐ホルマリン漬け事件とは
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、中学1年生の少年が誘拐・殺害され、遺体をバラバラにされて、ホルマリン漬けにされた事件です。
・発生場所:東京都中野区の犯人の自宅
・被害者:巣山和利君(当時12歳)
・犯人:林邦太郎(当時26歳)
・罪状:誘拐殺人、遺体損壊
この事件は、発生当時に大きく報じられただけでなく、その後も「猟奇的殺人事件」、「怖い事件」、「後味が悪い事件」として、語り継がれています。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の概要
被害者の少年が銭湯から帰らない
1957年4月2日午後7時過ぎ、東京都中野区に住む当時12歳の中学生だった少年は、近所の銭湯の「若松湯」に行きましたが、そのまま自宅に帰ることはなく、行方不明になりました。
母親は心配したものの、この少年の父親はプロレスラーの清美川梅之であり、スキャンダルを避けるために、少年がいなくなったことがわかっても、この時点では警察に届けませんでした。
身代金要求の手紙が届く
被害者の少年が行方不明になった2日後、自宅に「子どもを戻してもらいたかったら、午後4時までに東上線鶴ヶ島駅へ15万持って来い」という身代金要求の手紙が届きました。
母親はすぐに警察に通報したところ、警察は誘拐事件として受理し、捜査本部を立ち上げました。
警察の指示で、母親は要求通り15万円を持って鶴ヶ島駅に行きました。
周囲で捜査員が見張っていましたが、犯人と思われる人物は現れず、母親にも接触してくる人はいませんでした。
その後、警察が銭湯からの足取りを追ったところ、行方不明になった4月2日に「若松湯」から25歳前後の男と一緒に出ていったという目撃情報が出てきました。
精神病院からの電話で遺体発見
銭湯から男と一緒に出ていったという目撃情報以外は手掛かりはなく、その後も犯人からの接触がなかったため、捜査は手づまりとなっていましたが、4月9日の1本の電話で急展開します。
電話の主は都立桜ヶ丘保養院(精神病院)の精神科医でした。
その精神科医は、患者の1人が言動を不審に思い、患者の自宅を訪ねたところ、患者の自室からホルマリン漬けになった遺体を発見したのです。
この患者とは、林邦太郎(当時26歳)でした。
犯人の林邦太郎を逮捕
出典:twitter.com
精神科医からの電話の後、警察は林邦太郎の自宅に急行し、遺体を発見しました。そして、林邦太郎が緊急逮捕されることになったのです。
被害者の遺体は、部屋の畳の下から発見されています。
遺体はバラバラにされていて、2つの金魚鉢にはそれぞれ頭部と両脚、2つの水槽に胴体と両腕がホルマリン漬けになって入れられて密封されていました。
警察の調査で、このバラバラ遺体は行方不明になっていた被害者の少年であることが判明しています。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の被害者少年は犯人の理想だった…
事件の数日前に目を付けられる
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、犯人の歪んだ性愛が動機でした。犯人の林邦太郎は少年愛者だったのです。
事件が発生した4月2日の数日前に、犯人は被害者の少年に目をつけ、接触していたことがわかっています。
また、被害者少年は事件数日前に「さっき、僕の背中を流してくれたあの人(犯人)に、僕は殺されるかもしれない」と同級生に打ち明けていて、事件前から身の危険を感じていたようです。
銭湯で見知らぬ大人に背中を流されるというだけで恐怖ですが、その時に何かしら異常な雰囲気を感じ取っていたのかもしれません。
被害者が拒否したために殺害
そして、事件当日の4月2日。犯人の林邦太郎は被害者に銭湯で声をかけ、執拗に家に誘います。
被害者は既に身の危険を感じていたのに、林邦太郎の家についていってしまったのは、脅されたのかもしれません。
午後9時ごろ、被害者と2人で帰宅した犯人は被害者と2人きりになるために、自分の両親を「銭湯に行け」と言って、自宅から追い出します。
少年と2人きりになった犯人は、少年の服を脱がせていたずらしようとしますが、少年は拒否したため、少年を殴り意識を失わせ、その後首を絞めて殺害しました。
犯人は被害者を殺害後に、2日間かけてノコギリや出刃包丁、小刀などで遺体をバラバラにします。
そして、金魚鉢や水槽を買ってきて、その中に少年の遺体をホルマリン漬けにして密閉し、鑑賞していたのです。
身代金要求の手紙は、犯人がただ単にちょっとしたいたずら心で投函したようで、本気で身代金を奪おうとしたわけはないようです。
日記ノートがヤバイ
犯人の林邦太郎は4月1日から日記をつけていましたが、その日記の内容がかなりやばいんです。
日記ノートの最初のページには次のように書かれていました。
ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた。住所・氏名を聞いた。必ず連れ出そう。必ず。
金魚鉢に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。
ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、
いっそうかわいい。親父たちがいるから、もったいないけど昼間は床下に隠す。
でも隠す前には必ずサヨナラを言うんだ。でも、別れのたびに、つらい・・・
少年愛者で歪んだ性愛を持つ林邦太郎に、被害者の少年は「理想の少年」として映ったようです。そして、目をつけられて狙われてしまいました。
実際に、被害者の少年は美少年として有名だったという情報もあります。
ただ、理想の少年(被害者)を殺害し、ホルマリン漬けにして鑑賞することで、犯人は異常なまでに興奮し、精神的に異常をきたしたようです。
4月6日(犯行から4日後、遺体発見の3日前)から、精神病院に入院することになりました。
少年誘拐ホルマリン漬け事件は被害者・犯人の親が有名人
少年誘拐ホルマリン漬け事件は、被害者・犯人の双方の親が有名人だったことも、事件が大きく報道された1つの要因と言えます。
被害者の親はプロレスラーの清美川梅之
清美川梅之
生年月日:1917年1月5日
没年月日:1980年10月13日
出身:秋田県
所属:元全日本プロレス
活動:元大相撲力士、元プロレスラー
被害者の少年の父親は、元力士でプロレスラーの清美川梅之さんです。
伊勢ケ浜部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏んだ後は、1940年に新入幕、1942年には横綱の双葉山に土をつけて金星を挙げています。1943年には幕内優勝も果たしました。
美男力士として人気でしたが、1946年には廃業しています。被害者の年齢から計算すると、現役時代に息子(被害者)が生まれています。
結婚後は1953年にプロレスラーに転向し、全日本プロレスを旗揚げして、国際プロレスに移籍しています。
国際プロレスは1956年に消滅しますが、その後は世界を転戦しました。この世界転戦中に、少年誘拐ホルマリン漬け事件が起こります。
つまり、事件当時、父親である清美川梅之さんは日本にいなかったということです。
ただ、事件が起こった当時には既に被害者の父親・清美川梅之さんと母親は離婚していました。
被害者の少年が生まれてすぐに、清美川梅之さんは「アメリカに行く」と言い残して失踪したため、母親は失踪届を出して離婚したそうです。
清美川梅之さんが日本に戻ってきたのは、事件から13年経った1970年でした。その後、女子プロレスの発展に貢献するなどして、1980年に脳卒中で他界しています。
犯人の親は囲碁棋士の林有太郎
出典:youtube.com
林有太郎
生年月日:1900年3月28日
没年月日:1983年3月25日
出身:愛知県
所属:日本棋院
活動:囲碁棋士
犯人の林邦太郎の父親は、囲碁棋士の林有太郎です。
1956年には第1期囲碁選手権決勝に進出し、1962年には首相杯争奪戦で優勝するなど、トップ囲碁棋士として長く活躍しています。
1969年に九段に昇格し、羊羹を誤嚥して亡くなる当日まで現役最年長棋士として活動していました。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人は林邦太郎
明治大学卒業
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人の林邦太郎は、1931年に生まれます。そして、1953年に明治大学商学部を卒業しています。
学歴を見る限り、頭脳は明晰で学校の成績は良かったようです。
少年が好き
林邦太郎は少年愛者でした。少年誘拐ホルマリン漬け事件の前から、少年に目をつけていたずらをしていました。
道を歩いている男の子をいきなり抱きしめたり、自宅に300冊以上ある少年雑誌や漫画などを餌にして言葉巧みに家に誘って連れ込んだりしていたようです。
図書館でいきなり少年に抱きついたこともあるという情報もあります。
筋金入りの少年愛者だったということでしょう。
猫を食べた
また、林邦太郎は加虐性と変態的狂暴性を持った人物でもありました。
猫を12匹飼っていて、最初はかわいがっていたのに、突然その猫たちを殺してしまい、一部を食べたことが判明しています。
精神病院に5年間入院
林邦太郎は、上記のような異常性を見せていて、極度の精神障害が認められたため、少年誘拐ホルマリン漬け事件を起こす前には約5年間、精神病院に入院していました。
実は、林邦太郎の姉も精神障害を抱えていたようです。
林邦太郎は事件前は自宅療養していましたが、再び精神状態が不安定になり、被害者を殺害した4月2日以降はそれが加速して、4月4日ごろから異常性が顕著になり、4月6日に再入院します。
入院先でもずっと異常性を見せていたため、精神科医が自宅を訪問し、両親と一緒に林邦太郎の自室に入って、少年の遺体を見つけたということですね。
少年誘拐ホルマリン漬け事件は被害者の遺体写真がグロすぎると話題に
少年誘拐ホルマリン漬け事件では、少年の遺体写真が公開されています。
おそらく、当時の新聞が遺体写真を公開し、それが時代を経てインターネット上にアップされたのでしょう。
被害者の少年の遺体の写真はかなり衝撃的なものです。そのため、記事の中ではモザイクありで紹介します。
どうしても自分で写真を見たい方は、「Forensic Gore Collection」のワードで画像検索してみてください。ただ、衝撃画像が出てくるので、自己責任でお願いします。
この写真を見るとわかるのですが、被害者の少年の遺体は不完全です。バラバラにされていて、それが復元されているのですが、明らかに体のパーツが足りません。
「ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。」とまで言っていた犯人ですから、遺体の一部をトイレに流したり、どこかに埋めたとは考えにくいです。
かわいがっていた猫を食べたことがある犯人。
ということは…。考えたくはないですが、被害者の少年の遺体の一部を食べた可能性は捨てきれないと思います。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎のその後
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人である林邦太郎は、1957年4月9日に遺体が発見された後すぐに逮捕されています。
その後、精神鑑定が行われた結果、責任能力があると認められて、1958年7月に懲役10年の実刑判決を受けました。
少年を誘拐して殺害し、遺体をバラバラにしてホルマリン漬けにしたという残酷な犯罪を犯した林邦太郎。
それなのに、懲役10年というのはあまりにも刑が軽い気がしますが、時代的なものなのでしょうか?それとも、精神疾患があることを多少は考慮されたのでしょうか?
それにしても、たった10年でこのヤバい性癖を持つ人物が普通に出所してくると思うと恐ろしいですよね。
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎の出所後の現在
少年誘拐ホルマリン漬け事件の犯人・林邦太郎は、出所後はどうなっているのでしょうか?
社長になったという噂あり
林邦太郎の出所後はどうやって生活しているのかはわかっていません。
ただ、インターネット上では製薬会社の社長をしていたという情報があります。
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/06(月) 02:24:24.19 ID:???
>>92
製薬会社の社長になってるのはマジ
ソースは大津のいじめで名誉毀損が各地で頻発したから怖いので
本名を検索して出てくる製薬会社社長の略歴から高校とか辿れば一発だよ
あと報道時の顔写真が出てたサイトが消えてるんだが、目の下のほくろがまだ残ってるのと、目が特徴的。
ただ、現在はインターネットで検索しても、製薬会社の社長で「林邦太郎」という名前は出てきません。
この噂がデマなのか、それとも情報が削除されたのかは不明です。
現在はかなりの高齢
林邦太郎は1968年に出所しているはずです。
1931年生まれですから、現在生きていれば90歳になっているはずです。日本人の平均寿命を考えると、亡くなっている可能性も十分にあります。
噂通り、製薬会社の社長になっている可能性もありますが、現実的に考えると、出所後はずっと精神病院に入院していた可能性の方が高いでしょう。
父親はずっと現役棋士でしたし、一緒に住むには世間体が悪すぎます。年齢的にも大罪を犯した息子をずっと監視し続けるのは難しいはずです。
一昔前までは、精神疾患の患者が精神病院に何十年も入院しているのは珍しいことではありませんでした。
そのため、出所後はそのまま精神病院の閉鎖病棟に入院して、そのまま一生を終えた。もしくは、現在も生きていれば、現在も精神病院にいる可能性が一番高いと思われます。
少年誘拐ホルマリン漬け事件のまとめ
少年誘拐ホルマリン漬け事件の概要・詳細や被害者・犯人の親について、犯人の林邦太郎のヤバい性癖や少年のご遺体の写真、犯人のその後と出所後の現在をまとめました。
少年のご遺体の写真は本当にグロいので、苦手な人は興味本位で見ないことをお願いします。