1966年の殺人事件で逮捕された袴田巌さんが冤罪を主張する袴田事件ですが、真犯人や裁判が話題です。
今回は袴田事件の次女など被害者家族、冤罪理由6つ、おぞましい怨恨を持つ長女が真犯人説など真相、裁判など現在をまとめました。
この記事の目次
袴田事件とは 【逮捕された袴田巌が冤罪を主張している】
袴田事件とはどんな事件でしょうか?袴田事件について、時系列に概要を説明していきます。
1966年に強盗放火殺人事件が発生
袴田事件の始まりは1966年です。1966年6月30日に静岡県清水市で、強盗放火殺人事件が発生し、焼け跡からは味噌製造工場の専務一家4人が遺体となって発見されました。
これが、袴田事件の始まりです。
袴田巌が逮捕される!
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静岡で起こった強盗放火殺人事件で、事件から約2ヶ月後の1966年8月18日、袴田巌さんが逮捕されました。
袴田巌さんは味噌製造工場の従業員で、工場2階の寮で住み込みで働いていた人物でした。警察は次の理由で、袴田巌を犯人と断定し、逮捕に踏み切りました。
・事件直後に左手中指をけがしていた
・袴田巌のパジャマから袴田さんとは違う血液型の血液が検出された
・袴田巌は元プロボクサーという経歴だった
殺害された専務は体が大きく、さらに柔道2段だったため、普通の人物では殺害は難しいが、袴田巌さんは元プロボクサーで強かったから専務を殺害できたはず、という理由ですね。
ただ、左手中指は消火活動でケガしたものですし、袴田巌さんのパジャマから検出された血液は被害者のものと判明したわけではありませんでした。
拷問のような取り調べの末、自白
1966年8月18日に逮捕された袴田巌さんは、翌日から拷問のような取り調べを受けます。
・8月20日:合計7時間23分
・8月21日:合計6時間5分
・8月22日:合計12時間
・8月23日:合計12時間50分
・8月24日:合計12時間7分
・8月25日:合計12時間7分
・8月26日:合計12時間26分
・8月27日:合計13時間17分
・8月28日:合計12時間32分
・8月29日:合計7時間19分
・8月30日:合計12時間47分
・8月31日:合計13時間18分
・9月1日:合計13時間18分
・9月2日:合計9時間15分
・9月3日:合計9時間50分
・9月4日:合計16時間20分
・9月5日:合計12時間50分
・9月6日:合計14時間40分
毎日休みなく長時間にわたる取り調べが行われました。トイレに行くことも許されず、取調室内に便器を持ち込んで、取調官の前で用を足さなくてはいけないこともありました。
また、アルコール依存症患者と同じ房に入れて、アルコール依存症患者を騒がせ、袴田巌さんを眠らせないようにしたこともあります。
そのように拷問のような取り調べを長時間続け、袴田巌さんを精神的に追い込んでいきました。
袴田巌さんは取り調べの最初から犯行を否認し続けていましたが、9月6日になって犯行を自白しました。この自白は、警察が袴田巌さんを追い込んで強要したものと言われています。
しかし、自白したことで45通の自白調書を作成し、起訴に持ち込んだのです。
無罪を主張するも死刑が確定
1966年11月15日、静岡地裁で裁判が開始されました。袴田巌さんは裁判中は自白を撤回し、一貫して無罪を主張します。
また、裁判の途中であり、袴田巌さんの逮捕から約1年後の1967年8月31日、味噌工場の味噌タンクから血染めの衣類5点が見つかり、袴田巌さん以外の犯人がいる可能性を示す新証拠が出ました。
それにも関わらず、1967年9月11日に静岡地裁で死刑判決が言い渡されました。そして、高裁・最高裁で控訴・上告が棄却され、1980年に死刑が確定したのです。
再審決定で拘置所から釈放!
1980年に死刑が確定した袴田巌さんですが、弁護団が袴田巌さんの無罪を信じて、再審請求を行います。
第一次再審請求は棄却されましたが、第二次再審請求で証拠品のDNA鑑定で新たな証拠が出てきたとして、2014年に再審開始が決定しました。
この再審開始決定により、袴田巌さんの死刑執行は停止され、袴田巌さんは拘置所から釈放されました。1966年に逮捕されて2014年に釈放されるまで、45年以上の月日が流れていました。
再審が取り消される
2014年に静岡地裁で再審開始が決定されましたが、2018年に高裁は静岡地裁の決定を取り消し、再審が取り消されることになりました。
ただ、袴田巌さんは再収監はされておらず、現在はお姉さんと一緒に静岡で暮らしています。
再審取り消しについて、詳しくは後述します。
袴田事件のきっかけの強盗放火殺人事件とは? 【次女の遺体がひどすぎると話題に】
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袴田事件の原因となった強盗放火殺人事件の詳細を見ていきましょう。
・場所:静岡県清水市の味噌工場の専務の自宅
・犯罪:強盗放火殺人事件
・被害者:専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)
被害者家族の長女は、事件発生時、別棟にいたので助かっています。
この強盗放火殺人事件は、家族4人が犠牲になっていますが、遺体の状況はおぞましいほど悲惨でした。
・妻:7ヶ所の刺し傷
・次女:9ヶ所の刺し傷(肋骨を切断し、肺と心臓を貫通していた)
・長男:10ヶ所の刺し傷
袴田事件で逮捕された袴田巌とは? 【現在、拘禁反応・認知症の症状あり】
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袴田巌
生年月日:1936年3月10日
出身:静岡県浜名郡雄踏町
静岡の強盗放火殺人事件で逮捕され、冤罪の可能性が高い袴田巌さんは、1936年3月10日に静岡県で生まれます。
中学卒業後は浜北市の織物工場や自動車修理工場で働きますが、ボクシングと出会って、プロボクサーを志して上京します。
上京後はプロテストに合格して、フィリピンのマニラに遠征するなど実力を発揮し、日本フェザー級6位にランクインしたこともあります。
しかし、プロデビューから3年後の1962年にプロボクサーを引退、静岡に戻ってバーテンとして働くことになりました。
そして1963年、プロボクサー時代に出会った女性と結婚し、翌年には長男が誕生しています。
1965年には事件が起こった味噌製造工場で働き始めます。この頃、夫婦仲はうまくいっていなかったようで妻とは別居しており、袴田巌さんだけが従業員寮に住み込みで働いていたようです。
そして1966年に事件が起こり、袴田巌さんは逮捕されました。
その後、1968年に離婚することになり、1980年に死刑が確定。1984年にはカトリックの洗礼を受けています。
拘禁症状あり
袴田巌さんは1966年に逮捕されてから2014年に釈放されるまで45年以上、留置所・拘置所に収監されていました。そして、1980年に死刑が確定します。
死刑が確定した後、袴田巌さんは精神的に追い込まれ、親族とも弁護団とも会わず、精神に異常をきたし始めました。無実なのに死刑が確定したら、誰だって精神的におかしくなりますよね。
しばらくして弁護団や親族に会うようになりましたが、コミュニケーションがうまく取れない状態になり、拘禁症状が出ていました。
拘禁症状とは、刑務所や拘置所など抑圧した環境に拘禁された場合に精神的に変調をきたす症状のことです。的外れなことを言ったり、うつ状態になったり、妄想がひどくなったりします。
袴田巌さんはこの拘禁症状によって、再審準備の時にはコミュニケーションが成立しない状態になっていて、2009年にはお姉さんが保佐人となっています。
2014年に釈放された後は精神病院に入院したことで、拘禁症状は回復傾向にありますが、現在でもその影響は残っているようです。
袴田事件で袴田巌が冤罪と言われる理由6つ
袴田事件はなぜ冤罪と言われているのでしょうか?その理由を詳しく見ていきましょう。
この理由を見れば、あなたも「袴田事件は冤罪であり、袴田巌さんは被害者である」と思えるはずです。
1.5点の衣類と犯行時の着衣
まずは、犯行時の衣服です。自白調書では「自分のパジャマを着ての犯行」となっています。
袴田巌さんのパジャマに袴田巌さん以外の血液がついていたため、パジャマを着ての犯行で間違いないとして、裁判が進められました。
しかし、裁判中に味噌工場の味噌蔵から血液がべったりとついた5点の衣類(ジャンパー、下着、ブリーフ、ズボン、ステテコ)が発見されました。
そして、検察側は犯行時に着用していたのはパジャマではなく、この5点の衣類であると陳述を変更して裁判を進めました。
ちなみに、袴田巌さんはこの5点の衣類について、自白で一切触れていませんし、5点の衣類はサイズが小さすぎて、袴田巌さんは着ることができませんでした。
このサイズ違いについては、検察側は「袴田巌が太った」、「味噌漬けにされてサイズが縮んだ」という主張をし、うやむやにして裁判を続けていました。
2.5点の衣類のDNA不一致
強盗放火殺人事件の犯人として袴田巌さんの死刑判決を決定づけたのは、5点の衣類のシャツの右肩についていた血痕です。
袴田巌さんは当時右肩にけがをしていて、味噌樽から出てきたシャツの右肩についていた血痕と袴田巌さんのDNAが一致したという鑑定結果が出ました。
5点の衣類は犯行時に犯人が着用していたものと裁判で確定しており、その衣類から袴田巌さんのDNAが出たことで袴田巌さんが犯人で間違いないということになり、最高裁で死刑が確定したのです。
しかし、2008年の第二次再審請求で、弁護側がもう一度DNA鑑定を行ったところ、「シャツの血痕と袴田さんのDNA型は一致しない」という結果が出ました。
つまり、「袴田巌さんの血痕ではない=袴田巌さんは事件に関係ない」ということになります。
この再DNA鑑定が決め手になって、再審決定+釈放という決定が下ったのです。
これが決定打となって、静岡地裁は4年前に「無罪の明らかな証拠だ」として再審開始を認めました。静岡地裁の決定では「5点の衣類」は、「警察がねつ造した疑いがある」と指摘されました。そして「耐えがたいほど正義に反する状況だ」と述べ、極めて異例ですがこの時点で、袴田さんの釈放を決めました。
ちなみに、重要証拠の衣類5点のネガフィルムは、静岡地方検察庁は「存在しない」と主張していましたが、実は静岡県警内で保管されていたことが、袴田巌さんの釈放後に判明しています。
3.自白の強要
袴田事件が冤罪の可能性があるのは、自白が強要されたことです。
袴田巌さんは逮捕後から一貫して犯行を否認しています。犯行を認めたのは、長期間・長時間の拷問のような取り調べが続いた9月6日だけ。そして、裁判中も犯行は否認しています。
ということは、自白は拷問のような取り調べの中で精神的に追い込まれ、警察に自白を強要された可能性が高いと言えます。強要された自白は証拠にはなりません。
また、自白では犯行時に着ていたものは自分のパジャマだったのに、裁判中には新しい証拠として5点の衣類が発見され、それが犯行時に犯人が着用していたものと認められました。
袴田巌さんはこの5点の衣類については一切触れていませんし、自白もしていません。
ということは、やはり袴田事件は冤罪の可能性が高いということですね。
4.くり小刀での犯行は不可能
犯行時に使われたのは、くり小刀とされています。
くり小刀は現場に残されていました。そして、くり小刀を店で買ったのは袴田巌さんだという証言があり、犯人は袴田巌さんと結論付けられました。
でも、刃物店の店員の証言はあやふやで、本当に袴田巌さんがくり小刀を買った人物だったのかは非常に疑わしいんです。
さらに、遺体の刺し傷は形や深さ、長さがバラバラで、物理的にくり小刀では負わせることができない傷もありました。
くり小刀1本だけでは犯行は無理という結論があるのに、袴田巌さんが犯人と決めつけたなら、やっぱり冤罪の可能性は高いですね。
5.犯行動機
警察は、袴田巌さんの動機を金、つまり強盗目的の犯行と結論付けています。
というのも、袴田巌さんは事件当時、嫁との関係が悪く、息子を引き取って自身の母親と3人で暮らすためのアパートを借りる資金を用意しなければいけませんでした。
つまり、金に困っていた。だから、犯行に及んだというわけですね。
ただ、確かにお金に困っていたかもしれませんが、だからといって、家族4人をめった刺しにする必要はありません。
給料の前借りなどの解決策はあったはずで、そのような中でめった刺しにして放火するような殺害方法を選ぶのはおかしいということになります。
この犯行動機も警察のこじつけに過ぎないという見方が濃厚であり、冤罪を示すものだと言われています。
袴田事件で再審請求の裁判が棄却された理由とは
袴田事件では第二次再審請求が行われ、2014年に静岡地裁で再審が決定されました。つまり、裁判がもう一度開かれることが決定したのです。
しかし、2018年に東京高裁は再審請求を棄却する、つまり裁判は行わないことを決定しました。
なぜ一度は認められた再審請求が棄却されたのか?それは、高裁はDNAの再鑑定に疑問を呈したからです。
高裁では、別の専門家が検証した結果、「鑑定の手法や結果には疑問がある」とする報告をまとめていました。今回の判断は、この報告などをもとに「地裁が認めた鑑定の手法の科学的原理や有用性には、深刻な疑問が存在する」とした上で、さらに犯人のものとされる衣類は袴田さんのものだとした確定判決の認定に不合理な点はないという判断を示しました。
DNA鑑定にはいろいろな鑑定方法がありますし、どんどん進化しているものです。それに、高裁の決定が間違っているとは言い切れません。
ただ、再審は基本的にはなかなか認められないものです。
再審を認めてしまうと、「三審制」が崩れてしまう原因になりかねません。そして、再審を認めると、裁判所は自分たちの過去の過ち・間違いを認めることになります。
だから、裁判所が再審を認めることは非常にまれであり、「冤罪以外には考えられない!絶対に冤罪!」という状況以外では、再審が認められないことがほとんどです。
袴田事件の真相 【真犯人は長女?家族へのおぞましい怨恨が動機?】
袴田事件は冤罪が濃厚であり、袴田巌さんは無罪であるとの見方が強いですが、袴田事件のもとになった強盗放火殺人事件の真犯人は誰なのでしょうか?
袴田巌が釈放された翌日に長女が死亡
出典:mainichi.jp
袴田事件の真相を考える上で、1つの重要なキーとなるのは、被害者家族の長女です。
被害者家族は4人がめった刺しで死亡しましたが、長女は別棟にいたために運よく助かりました。
そして、その生き残りの長女は袴田巌さんが釈放された翌日、自宅で亡くなっているところを発見されたんです。自宅で警察と消防により死亡が確認されたとのことです。
袴田巌さんが45年以上経ってから釈放された翌日に、被害者家族の唯一の生き残りである長女が自宅で死亡する…これは何らかの力が働いたと思えてきますよね。
死因は明らかになっていませんが、自殺という噂があります。つまり、長女が真犯人で、袴田巌さんが釈放されて再審が始まることを恐れ、絶望して自殺したのではないかと言われています。
長女は家族から勘当状態になっていた
出典:news24.jp
事件当時の1966年、19歳だった長女は家族から勘当状態でした。
情報では、長女は暴力団関係の男性と交際をしたために家族から勘当されていて、実家を出ていたというのです。そして、家族からは距離を置かれ、家族とはかなり仲が悪かったようです。
事件当日はかなり久しぶりに実家に戻っていましたが、家族と同じ家では寝ておらず、線路を挟んだ向かいの祖父母の家で寝ていたために難を逃れたそうです。
次女や専務など家族全員がめった刺し状態
袴田事件の真相を考える上で、重視しなければいけないことは、家族全員がめった刺しにされていることです。
警察が捏造した袴田巌さんの動機のように、金目的ならわざわざ全員をめった刺しにする必要はありませんよね。
1人残らずめった刺し、次女は顔もめった刺しにされていて遺体の損傷が激しかった…このようなことを考えると、家族におぞましいほどの恨みを持つ者の犯行ではないかと言えます。
特に、次女はピアノの鴨居を枕にしていて、その下にはなぜか生理用パンツが2枚置かれていたそうです。
「なんとも、おぞましい”処刑”ではないか。次女は、この板を枕がわりにして、うつ伏せにされていたのである。犯人は彼女の顔や上半身をことさらによく焼くことを意図してこういう火葬台ともいうべき”装置”を考案したのだ」
やはり、家族におぞましい恨みを持つ者と言えば、長女の可能性があります。
やくざ者と駆け落ちしたとはいえ、家族から距離を置かれたとなれば、恨みを持ってもおかしくありません。父親や妹から厳しい言葉を浴びせられ、恨みを持ったことは十分にありえます。
長女と暴力団が協力した可能性も
袴田事件の真相は暴力団がらみという見方もあります。
前述のように、長女は暴力団関係の男と交際していたとの情報があります。被害者家族は、中小企業とはいえ、「専務」一家だった。つまり、裕福な家だったということです。
長女は家族全員に恨みを持っており、被害者一家は裕福だったことを考えると、長女は恨みを晴らすため、暴力団は金銭目的で犯行を実行したと考えてもおかしくはありません。
もし被害者家族が亡くなれば、遺産は長女が全部相続することになります。そこから、暴力団員にお金が流れることは十分に考えられます。
実際、この強盗放火殺人事件では4人家族が合計で50ヶ所以上もめった刺しにされていました。そして、凶器はくり小刀だけではなく、他のもっと大きな刃物が使われた可能性が高いです。
ということは、犯人は1人だけでなく、複数いた可能性があるということです。
ただ、この長女関与説は、あくまでも推測であり、明らかな証拠があるわけではありません。
警察の関与が疑われている
出典:ameblo.jp
この袴田事件は警察の関与も噂されています。直接的に人を殺害したという犯行に関わったというわけではなく、袴田巌さんの冤罪を作るという犯行です。
味噌樽の中で見つかった5点の衣類は、警察が捏造したものと言われています。
この袴田事件を扱った刑事たちは、拷問によって自白を強要し、冤罪事件を多数生み出した紅林麻雄警部の指導を受けた者たちでした。
警察は、最初に逮捕した袴田巌さんを「実は犯人ではありませんでした、誤認逮捕でした」とは言えず、警察の威信にかけて袴田巌さんを犯人にするしかなかったということでしょう。
ただ、この無駄な警察の威信によって、袴田巌さんは48年間も拘置所で過ごさなければならなくなり、拘禁症状も出てしまい、人生が滅茶苦茶になってしまったのです。
袴田事件の現在
再審巡る審理が高裁に差し戻される
袴田事件は現在でも決着はついていません。
2018年に高裁で再審請求が棄却されましたが、決定を不服として弁護側は最高裁判所に特別抗告しています。
そして最高裁は2020年12月に、再審開始を認めなかった高裁の決定を取り消し、審理を差し戻す決定をしました。
最高裁は、犯行時の着衣とされる味噌蔵から発見された衣類の血痕について「審理が尽くされていない」と判断したとのことです。
血液のタンパク質はみその糖分に触れると褐色化するとされる化学反応に着目し、「1年以上もみそ漬けにされた着衣に、なぜ赤みのある血痕が残っていたのか」と指摘。衣類がみそに漬けられた時期が袴田さんの逮捕後だったとすれば、「犯人であることに合理的疑いを差し挟む可能性が生じる」とし、「みそ漬けにされた血液の色が、どのような要因で変化するか、専門的知見から調査すべきだ」として審理を高裁に差し戻した。
再審開始が決定する
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審理が差し戻しとなった後、弁護側と検察側は、味噌漬けにされた衣類の血痕の色の変化に着目し、科学的な実験などを行ってきました。
それらの結果に基づき、東京高裁は2023年3月に袴田巌さんを「犯人と認定することはできない」と判断し再審開始を認める決定を出しています。
その後、東京高検は高裁決定について最高裁への特別抗告を断念し、再審開始が確定しました。
今年3月の東京高裁の再審開始決定は、確定判決が犯行時の着衣だとした「5点の衣類」の血痕の色調に着目。確定判決は血痕に赤みが残っていることを前提としていたが、弁護側が実施した血痕が付いた衣類のみそ漬け実験では、短期間で血痕の色調は黒褐色に変わった。高裁決定は実験の信用性を認め、無罪を言い渡すべき新証拠とした。さらに、実験結果が確定判決と矛盾することから、5点の衣類は袴田さんが逮捕・起訴された後に捜査機関が捏造(ねつぞう)した可能性に踏み込んだ。
ようやく再審開始が決定しましたが、袴田事件から57年が経ち、袴田巌さんはもう87歳、巌さんを支え続けてきたお姉さんも90歳となっています。
2人は現在、静岡県で穏やかに暮らしているようですが、お姉さんは「少しでも長生きして再審開始を見届けたい」「勝って死刑囚という肩書を取ってもらいたい」などと語っていました。
まとめ
袴田事件の概要と冤罪の理由や裁判・再審請求について、事件の真相と真犯人、死刑判決を受けた袴田巌さんの現在をまとめました。
日本の刑事裁判では99.9%が有罪になり、無罪になる確率は0.1%しかありません。刑事裁判ではほぼ全部が有罪になるわけですが、その中には冤罪事件も含まれていると言われています。
日本では今までに複数の冤罪が発生していますが、その代表とも言える事件が袴田事件です。冤罪で逮捕されてしまったら、人生が大きく狂い、取り返しがつかないことになるのです。
そのため、冤罪は起こってはならないものです。だから、日本では三審制を取っているのでしょう。それでも冤罪は起きています。
冤罪が起こると、無罪なのに袴田巌さんのように何十年も拘置所内で過ごさなくてはいけません。
しかも、死刑囚という烙印を押され、「いつ死刑が執行されるのだろうか」という恐怖と闘い続けなければいけなくなります。
袴田巌さんがご存命のうちに無罪判決が出て、少しでも早く、本当に穏やかな日々を送れるようにしてほしいものです。