巣鴨子供置き去り事件の母親と長男の現在!事件概要と現場・母が知的障害の噂と真相も解説【映画「誰も知らない」のモデル】

「巣鴨子供置き去り事件」は、身勝手な母親の行動で子供たちが犠牲になった社会問題を提起した事件です。

 

今回は「巣鴨子供置き去り事件」の概要と事件現場、子供を置き去りにした母親の知的障害の噂、長男の現在をまとめました。

 

巣鴨子供置き去り事件の概要

 

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「巣鴨子供置き去り事件」は、1988年(昭和63年)7月18日に発覚した、保護責任者遺棄事件です。

 

事件現場となった東京都豊島区西巣鴨のマンションには当初、家主である母親と長男、長女、次男、次女、3女の5人の子供の6人が住んでいました。

 

しかし、1987年の秋頃、母親は愛人と同棲するために長男に妹達(後述しますが、次男はこの時点で既に死亡)の世話を任せて家を出てしまいます

 

その後、長男は母親から時折送られてくるわずかなお金を使って妹達の面倒を見ていましたが、部屋が子供達の溜まり場になっている様子を不審に思ったマンションの大家が通報

 

これによって警察が介入し、母親が蒸発している事が発覚しました。

 

さらに、押入れの中からビニール袋に包まれ、白骨化した嬰児の遺体が発見された事で大騒動になります。

 

 

その後、警察の調べで母親の所在が明らかになり、長男と次女と住んでいたはずの3女が行方不明になっている事も判明します。

 

警察が長男から事情を聞いたところ、長男と友人らによって3女が殺害されていた事も明らかになります。

 

 

母親はその後、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。

 

長男は3女殺害に関与していた事から、東京家庭裁判所に送致されていますが、親に置き去りにされていた状況が考慮され、次女と共に養護施設へと送られています。

 

この「巣鴨子供置き去り事件」は、当時社会問題化していた「家族崩壊」を象徴する事件として大きく報じられました。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の現場となったマンションとは

 

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事件の経緯を詳細に説明する前に、イメージしやすくするために事件現場となったマンションについて説明します。

 

母親が兄妹らを置き去りにしたマンションは、東京都豊島区西巣鴨に所在する鉄筋コンクリートの4階建で、1階には24時間営業のコンビニエンスストア(ミニストップ)が入っていました。

 

JR山手線の大塚駅から10分弱の場所にあり、家賃は月9万円ほどでした。部屋は2部屋以上はあり、畳敷きでした。

 

兄妹らが置き去りにされた部屋には、洗濯機や炊飯器、テレビなどの家電製品は一通り揃っており、保護された時には、兄妹らがそれらを使用して生活していた形跡もありました。

 

部屋のカーテンは締め切られ、衣服が散乱していましたが、洗濯機には洗いかけの衣類、台所には調理した味噌汁、炊飯器内には炊いたご飯、冷蔵庫には若干の野菜が入っていたそうです。

 

長男が中心となって、かろうじて生活が営まれていた状況が見て取れました。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の経緯① 長男に妹の世話を任せて母親が家を出る

 

それでは、「巣鴨子供置き去り事件」の詳細な経緯を詳しく紹介します。

 

 

母親が愛人と暮らすため子供を置いて家を出る

 

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1987年秋頃、母親が当時14歳の長男当時7歳、3歳、2歳の3人の妹達の世話を任せて家を出ます。

 

母親が家を出たのは交際していた当時56歳の男性と千葉県浦安市で同棲するためでしたが、長男には「大阪に出張する」と嘘をついていました。

 

その後、1988年の正月に母親は一度戻りますが、またすぐに子供達を置き去りにしたまま家を出てしまいます。長男には、千葉県浦安市の住所を教えていたようです。

 

母親はその後、時折様子を見に現れたものの、子供の面倒は全く見ていません。

 

お金についても時々2〜3万円程度を送金するだけでした。1988年2月以降はマンションの家賃も滞納しており、ガスと電気は止められていました。

 

 

長男が妹達の面倒を見ていた

 

母親蒸発後、長男は食事を作ったり、マンション1階にあった24時間営業のコンビニでカップ麺や弁当、菓子パン、おにぎり、アイスクリームなどを購入するなど妹達の面倒を見ていました。

 

また、まだ幼い妹達のオムツを取り換えるなどもしていたようです。

 

長男は毎日のようにマンション1階のコンビニで買い物していましたが、店員は、学校があるはずの昼間や、深夜2時や3時にも店に来たりするので不審に思っていたと言います。

 

近所の住人もおかしいと思っていた人はいたようですが、そうした人々が長男に「学校はどこに行っているの?」と尋ねると、長男は「立教中学に通っている」と答えていたようです。

 

これは、母親が長男に聞かれた時にそう答えるよう、言い聞かせていたためでした。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の経緯② 部屋が少年らの溜まり場になる

 

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長男はじめ兄妹らは、全員出生届を出されておらず、戸籍がありませんでした

 

そのため、本来は中学に通っていなければならない長男は中学へは通っておらず、友人と言える人はいませんでした。

 

しかし、1987年11月頃、長男は近所の駄菓子屋で、同じマンションに住む中学1年生の少年2人と知り合い、友人になります。

 

この2人は、学校へ行っていない長男にとって唯一の友人と呼べる存在でした。

 

この2人の友人にとって、大人の干渉を受ける事のない長男らの住むマンションは快適な場所であり、すぐに溜まり場になります。

 

彼らは菓子や食べ物、飲み物などを持ち込み、連日入り浸るようになりました。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の経緯③ 3女が長男と少年らに殺害される

 

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長男と友人らが三女を暴行

 

1988年4月21日昼頃、友人らの1人が前日に買っておいたはずのカップラーメンが無くなっている事に気がつきました。

 

当時2歳の3女の口元に海苔がついていた事から、3女が勝手に食べたと思った友人2人と長男は3女を殴り始めました

 

暴行は一旦収まったものの、3女がお漏らしをしている事が分かると友人は再び3女を殴ると言い出します。長男は「勝手にやれば」と言って放置し、隣の部屋でテレビを見ていました。

 

それから、2人の友人らは罰ゲームだと言って、押入れの上段に3女を抱え上げ、そこから畳の上に突き落とす遊びを始めます。

 

この遊びは次第に、頭から落としたり、落ちてくるところを腹めがけて蹴り上げたりするなど、エスカレートしていきます。

 

友人2人は、面白いからと言って隣室にいた長男も加わるように促し、長男も暴行に加わっています。

 

この時、長男がどのような気持ちだったかは不明ですが、当時の考察では「長男にはこの2人しか友人がおらず、友人を失いたくなかったため、従うしかなかった」とされています。

 

 

翌日3女が死亡

 

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何度も押入れから落とされる暴行を受けた3女は、次第にぐったりとして動かなくなります。

 

長男と友人らは焦り、救急車を呼ぶ事や母親に連絡する事なども考えたようですが、結局怖くなってそれはせず、見よう見まねの人工呼吸をしたり、湯たんぽや毛布で温めたりしています。

 

3女は翌22日の朝8時頃に死亡したとされますが、これは後の少年の証言によるもので、正確な時刻ははっきりしません。

 

長男は、3女の顔に白い布を被せ、蝋燭を立てて葬式の真似をしています。この時、友人の少年らも手を合わせたとされています。

 

それから3女の遺体を消臭剤と共にビニール袋に入れ、押入れに入れます。しかし、すぐに遺体が臭い始めたようです。

 

そのため、長男は4月26日に3女の遺体をボストンバック(リュックサックとの情報も)に入れ、友人と共に電車に乗り、秩父市大宮の公園に向かいます。

 

そして23時頃、公園脇の雑木林の中に3女の遺体を捨てています。

 

長男はそれから時々、3女の遺体を捨てた場所に手を合わせに行っていたそうです。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の経緯④ 大家の通報により事件発覚

 

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大家が警察に相談に行く

 

1988年7月17日、マンションの大家が、長男らの住む部屋は電気もガスも止められ、家賃も滞納している、家主が見当たらず不良達の溜まり場になっていると派出所に相談しています。

 

巣鴨署の警察官が大家を伴って様子を見に行ったところ、長女と次女がおり、ガリガリに痩せて腹を空かせている様子で、大家がおにぎりやバナナを差し出すと貪るように食べたそうです。

 

大家は母親と長男の2人暮らしだと思っており、それを聞いた警察官が長男に説明を求めると、「夜の仕事の人の子供で預かっているだけ、母親は大阪に出張でいない」と答えました。

 

明らかに不審な状況に、翌18日改めて巣鴨署の署員と福祉事務所の相談員がマンションを訪れ、子供らは一時福祉事務所に預けられる事になります。

 

 

警察が捜査を開始

 

警察が長男に詳しく事情を聞いたところ、やはり母親はおらず、時々2万~3万円のお金を送ってくる事、子供らがその金で食べ物を買って生活している事などが明らかになります。

 

事態を重く見た警察は、マンション賃貸契約書などから母親の実家を調べ、少年らの祖母にあたる女性に事情を聞きます

 

しかし、娘(少年らの母親)は20年以上前に実家を出たきり音信不通であり、どこで何をしているのかもわからないという事が判明しただけでした。

 

犯罪が絡んでいる可能性もあると考えた警察は、7月22日にマンションを家宅捜索します。押入れの中から、ビニール袋に包まれ、白骨化した嬰児(次男)の遺体を発見します。

 

 

母親が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕される

 

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マンションから連絡先が書かれたメモが発見され、これを元に警察が母親の所在を調べます。

 

翌23日に保護責任者遺棄致死の疑いで母親は逮捕されています。(母親はニュースを見て怖くなり自ら出頭した説もあり)

 

母親は「長男に幼い妹達の面倒を見させて悪かった」と供述したとされますが、涙などは一切見せていないと報じられています。

 

また、マンション押入れから見つかった嬰児の遺体について聞かれると、母親は「帰ってきたら哺乳瓶を加えたまま死んでいた」と供述しています。

 

母親は殺したわけではなく、自然死である事を強調していますが、死亡してからかなりの時間が経っている事もあり、真相については不明です。

 

 

長男が傷害致死・死体遺棄の疑いで家裁送致

 

母親の供述から、マンションには保護された長男と長女、次女の他に3女がいたはずだと判明、3女が行方不明になっている事が発覚します。

 

これについて、警察が長男に事情を聞いたところ(福祉事務所職員立ち会いの下で柔らかく追求)、3女が死亡し、その遺体を捨てた事を素直に明かしたようです。

 

長男が3女の暴行に加わった事も判明し、傷害致死ならびに死体遺棄の疑いで家庭裁判所に送致されています。

 

8月10日、東京地検は長男の処遇について、過酷な状況に置かれていた事などを考慮し、少年院ではなく、養護施設(教護院)へと送るのが妥当との決定を下しています。

 

また、犯行に加わった友人2人については、刑事責任を問えない年齢(当時中学1年生)だったため、巣鴨署によって補導されるだけの処置が取られています。

 

 

母親に対しては有罪判決

 

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保護責任者遺棄致死の罪に問われた母親の判決公判は10月26日に開廷され、「懲役3年執行猶予4年」の有罪判決が下されています。

 

母親は、裁判官から「無責任、身勝手極まりない」「3女の死の遠因といっても過言ではない」などと断罪されます。

 

ですが、「同棲相手と結婚してやり直すと誓っている事」などが考慮され、「今回に限り自力更生の機会を与える」として、執行猶予付きの判決が下されています。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の母親① 生い立ち~男性遍歴~事件発覚後

 

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巣鴨子供置き去り事件の母親は、事件発覚当時40歳でした。

 

神奈川県川崎市の生まれで、川崎市内の高校を卒業後に服飾関係の専門学校へと進学しています。若い頃は歌手を目指しており、実際にレコードも出しているとの情報もあります。

 

専門学校卒業後の1968年(昭和43年)、派遣社員としてデパートに就職し、そこで出会った男性と同棲。結婚したいと思ったものの、両親に猛反対され結婚できませんでした。

 

この男性との間に子供が生まれていますが、養子に出されています。

 

その後、母親はこの男性の20万円の借金を母親の両親に肩代わりさせた挙句、2人で蒸発。

 

1973年(昭和48年)頃、この男性との間に長男が生まれますが、母親は正式な結婚の上に生まれた子供ではないという理由で怖くなり、出生届を出しませんでした。

 

 

複数の男性と関係を持ち、次々と子供を出産

 

出産したものの、母親は親としての自覚を持つことはなかったようです。

 

最初の男性と別れた後に、別の男性と関係を持った母親は、1981年(昭和56年)頃に長女、1984年(昭和59年)9月に次男を出産。この次男は前述の通り、生後すぐに死亡しています。

 

さらに、母親は1985年(昭和60年)頃に次女、1986年(昭和61年)頃に三女と、次々と違う男性と性的関係を持ち、子供を出産しています。

 

そして1987年(昭和62年)の秋頃に、長男に妹達の世話を任せ、子供達の中の誰の父親でもない、また別の男性と同棲するために家を出てしまうのです。

 

この5人の子供達の父親は全て違う男性だと言われています。長男は「父親は知らない」と言っており、長男以外の子供については病院にも行かず、自宅で母親が1人だけで産んでいます

 

つまり、この母親がそれぞれの子供の父親と一緒に子供を育てようとした形跡は無いようです。

 

子供達はただ動物的に産み落とされ、生まれた後のケアはほとんどされないまま放置(ネグレクト)されました。

 

 

都内のマンションを転々とし窃盗や売春も

 

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母親は、「巣鴨子供置き去り事件」が発生するマンションに越すまで、都内の賃貸住宅を転々とし、窃盗や売春などで食いつないでおり、警察に捕まった事もあったようです。

 

また、住居を変える際には、死亡していた次男の遺体をビニール袋に入れたままスーツケースに入れて運んでいた事も判明しています。

 

1987年(昭和62年)頃までは、東京都豊島区南大塚の「大塚駅」周辺に住んでおり、その後事件発生現場となった西巣鴨のマンションへと越しています。

 

マンションの大家に対しては「夫は数年前に死亡して長男と2人暮らし」「長男は立教中学に通っていて、自分はデパートに勤めている」と嘘をついて信用させ、部屋を借りたそうです。

 

マンションの大家は、母親と長男が2人で住んでいると思っており、他に子供がいる事は事件発覚まで知らなかったという事です。

 

 

母親のその後について

 

この母親は、当時のマスコミから盛んに「」などと報じられて批判されています。

 

事件後、母親は愛人だった男性と結婚して夫婦となり、子供達を引き取ったとされていますが、その後、親の責任をしっかりと果たしたのかについては情報がないため不明です。

 

 

巣鴨子供置き去り事件の母親② 知的障害があった?

 

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「巣鴨子供置き去り事件」の母親については、そのあまりに身勝手な行動から、発達障害などのなんらかの知的障害を持っていたのではないか?との見方もあるようです。

 

この母親は、親としての責任をことごとく放棄しています。

 

これは他者に興味を持てなかったり、状況に応じて適切な判断ができなかったりといった、なんらかの知的障害の症状が関係していたのではないか?といった説が出ています。

 

知的障害者だから子供を育てられないというわけでは断じてありませんが、やはり周囲の理解と適切なサポートが必要になる場合が多くあります。

 

この母親の場合は周囲からの子育てにおける支援などは一切受けておらず、子育てに行き詰まってしまった可能性なども考えられます。

 

ただし、これはあくまでも知的障害だったのではないか?という説があるというだけで、真相については不明です。

 

 

巣鴨子供置き去り事件をモデルにした映画「誰も知らない」が話題に

 

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2018年「万引き家族」でカンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」を獲得した是枝裕和監督。

 

2004年公開の映画「誰も知らない」も是枝裕和監督の作品で、今回紹介した「巣鴨子供置き去り事件」をモチーフに製作された映画です。

 

「誰も知らない」では母親に置き去りにされる兄妹の長男役を俳優・柳楽優弥が演じています。

 

長男は必死に妹達の面倒を見る心優しい少年として描かれ、細部は演出されていますが、大筋は実際の「巣鴨子供置き去り事件」同様で、育児放棄の問題を痛切に訴える内容となっています。

 

「巣鴨子供置き去り事件」に興味を持たれた方に、是非観て欲しい映画です。

 

 

巣鴨子供置き去り事件のその後〜現在 

 

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最後に、「巣鴨子供置き去り事件」のその後について分かっている範囲で紹介します。

 

 

母親は愛人と再婚し長女と次女を引き取る

 

前述の通り、兄妹達を置き去りにした母親は、同棲していた愛人と結婚しています。愛人は妻がいましたが、その妻と別れ、この母親と再婚する事になりました。

 

置き去りにされた長女と次女は、事件後に母親と旦那となったその愛人に引き取られています。

 

しかし、一度は自分達を捨てた母親と、その原因となった愛人に育てられる事が果たして本当の幸せに繋がるのかどうかはわかりません。

 

その後、この母親と長女と次女がどういった生活を送ったのかは明らかになっていないため、現在については不明です。

 

 

長男のその後や現在については不明

 

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長男は、事件後に養護施設(教護院)へと送致されていますが、その後どういった生活を送り成長したのかは不明です。

 

長男は、事件が発覚した14歳になるまで学校へ通わせてもらっておらず、まともな教育を受けていません。

 

保護された当時は、名字は漢字で書けたものの名前はひらがなでしか書けなかったそうです。

 

そのため、養護施設では改めて基礎的な教育から学び直したものと考えられます。

 

義務教育を受ける年齢であったため中学にも通っているはずで、改めて友人関係を作る機会もあったかも知れません。

 

一時期、長男が大学に通っていたという噂が流れた事もありますが、こちらは真偽不明の噂でした。

 

2020年時点では40代半ばになっているはずですが、幸せな生活を送られている事を願わずにはいられません。

 

 

まとめ

 

今回は、母親が14歳の長男に7歳から2歳までの幼い妹達の世話を任せて失踪した「巣鴨子供置き去り事件」についてまとめてみました。

 

母親にマンションに置き去りにされた長男は、母親からわずかに送られてくるお金を使い、料理を作ったりコンビニで食べ物を買ったりしながら妹達の面倒を見ていました。

 

その後、同じマンションに住む中学1年生の少年2人と知り合い、部屋は彼らの溜まり場となります。些細な事で当時2歳の3女が少年や長男らから虐待を受け、結果3女は死亡してします。

 

それから数ヶ月後、家賃を滞納し母親の姿が見られず、マンションが少年らの溜まり場のようになっている事を不審に思った大家が警察に相談した事で、事件が発覚しました。

 

母親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕され、懲役3年執行猶予4年の有罪判決が下されました。

 

長男は三女死亡に関与した事で、傷害致死ならびに死体遺棄の疑いで家庭裁判所に送致されますが、あまりに過酷な状況が考慮され、養護施設へ送致されるという異例の措置が取られました。

 

「巣鴨子供置き去り事件」は社会問題となり注目を集めましたが、母親や兄妹らのその後については明らかにされておらず、現在の様子についても不明です。

 

あまりにも不幸な生い立ちの兄妹達には、その後はどうか幸せな人生を送っていて欲しいと願います。

 

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