津山事件の犯人・都井睦雄と寺井ゆり子の現在!30人殺人の詳細も総まとめ

1938年に起きた「津山事件」は30人が惨殺された大量連続殺人事件で、京アニ放火事件で再び注目されています。

 

今回は津山事件詳細と真相、犯人・都井睦雄の生い立ちや犯行動機、許嫁だった寺井ゆり子さんの現在をまとめました。

「津山事件(津山30人殺し)」とは

 

出典:https://twitter.com/

プロフィール

 

事件名:津山事件

場所:岡山県苫田郡西加茂村大字行重

日付:1938年(昭和13年)5月21日

標的:同村の村民

武器:日本刀、猟銃、あいくち

死亡者:30名

負傷者:3名

犯人:都井睦雄

動機:怨恨

結末:犯人の自殺により終結

 

 

たった1人の犯人が2時間足らずのうちに30人を惨殺

 

日中戦争の長期化により、国内の人的・物的資源を結集すべく、国家総動員法が施行されたのは1938年(昭和13年)5月5日のことでした。

 

「津山事件」はその約2週間後の5月21日未明、岡山県津山市加茂町行重(当時・苫田郡西加茂村大字行重)の貝尾・坂元という集落で起きた、日本の犯罪史上最悪の大量連続殺人事件です。

 

 

出典:https://calil.jp/

 

この「津山事件」では、わずか2時間足らずのうちに、たった1人の犯人が猟銃や日本刀、あいくちなどで次々と33人の村人を襲い、最終的に死者30名、重軽傷者3名の被害者が出ました。

 

その犠牲者の数から、「津山事件」は「津山三十人殺し」とも呼ばれています。

 

また、この「津山事件」は横溝正史の小説「八つ墓村」や、西村望の小説「丑三つの村」のモチーフになった事件としても知られています。

 

 

出典:https://ichirock.exblog.jp/

映画『八つ墓村』より

 

 

2019年の“京アニ放火事件”が「津山事件」の死者数を超えた…

 

ちなみに、30人もの死者を出した「津山事件」は、これまで単独犯による殺害人数として最高記録でした。この数字は日本だけでなく、世界的に見ても屈指の大量殺戮事件と言えます。

 

ところが…年号が令和に移って間もない2019年7月18日、京都府京都市伏見区で発生した“京アニ放火事件”での死者が35人となり、「津山事件」の死者数を超えたことになります。

 

このから、80年以上の歳月を越えてこの事件が、再び注目を集めているようです。

 

 

出典:https://news.goo.ne.jp/

 

 

 

 

「津山事件」の犯人・都井睦雄の生い立ち~犯行動機

 

幼少期に両親を肺結核で亡くした都井睦雄

 

「津山事件」の犯人は、1917年3月5日に津山市内(当時・苫田郡加茂村大字倉見)で誕生した都井睦雄です。

 

 

出典:https://twitter.com/

「津山事件」の犯人・都井睦雄

 

都井睦雄は2歳の頃に父親、3歳の頃に母親を、当時流行していた肺結核により相次いで亡くしています。

 

幼くして両親を失った都井睦雄と姉は、その後祖母に引き取られ、津山市加茂町の中心部である塔中に一時身を寄せます。

 

さらにその後は、都井睦雄が6歳の頃に祖母の生まれ故郷であり、後に「津山事件」の舞台となる貝尾集落に引っ越しました。

 

幼少期から病弱だった都井睦雄は、尋常小学校への就学が1年遅れたり、たびたび欠席を繰り返す生徒でしたが、成績は優秀だったと言います。

 

しかし、尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患い、医師から農作業を禁じられ、以降は無為な生活を送ることになります。

 

ただ、都井家にはある程度の所得と資産があったため、一家は不自由の無い生活が送れていたようです。

 

 

都井睦雄は姉の結婚をきっかけに引きこもりに

 

やることが無く、暇を持て余していた都井睦雄でしたが、その後は徐々に病状が落ち着いてきたことから、実業補習学校に入学しました。

 

しかし、大好きだった姉が結婚した頃から徐々に学業への意欲を失い、学校へも行かずに自宅に引きこもるようになっていき、以降は同年代の人間と関わることはなかったと言います。

 

 

その一方で“夜這い”の風習により複数の女性と関係を持っていた都井睦雄

 

再び、暇を持て余すようになった都井睦雄は、自身が子供向けに作り直した小説を近所の子供達に読み聞かるなどしており、子供らの間では人気者だったとも言われています。

 

 

出典:http://flowmanagement.jp/

 

また、都井家は村の中でも名士だったことから、都井睦雄の幼馴染で村一番の美人と言われた寺井ゆり子さんとは、許嫁(いいなずけ)の間柄だったとも言われています。

 

しかし一方で、有り余る精力から異常な性欲に走り始めた都井睦雄は、当時貝尾村に残っていた”夜這い”の風習を利用して、手当たり次第に村の女性に手を出していたと言われています。

 

 

都井睦雄は事件前年に受けた徴兵検査で不合格になり村八分に…

 

しかし、都井睦雄は「津山事件」の前年である1937年に徴兵検査を受けるのですが、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)となってしまいました。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

そして、その出来事をきっかけに、都井睦雄はそれまで関係を持っていた女性たちから、次々と関係を拒絶されるようになっていったと言います。

 

失意のどん底に叩き落とされた都井睦雄は、この頃から若い女性だけでなく、人妻にも関係を迫り、相手が拒否すれば「殺してやる!」と脅して無理やり関係を持つなど、暴走していきます。

 

当然、そんな都井睦雄の異常な行動は、たちまち村中の評判となり、徴兵不合格や病気のことも相まって、“村八分”のような状態になっていきました。

 

 

自分の元を去った寺井ゆり子さんに特に強い殺意を抱く都井睦雄

 

都井睦雄のそんな状況に、幼馴染みで許嫁だった寺井ゆり子さんも当然、都井睦雄との結婚を拒みました。

 

寺井ゆり子さんは都井睦雄に別れを告げると、さっさと丹羽卯一さんと結婚を決めるのですが、未練たらたらの都井睦雄が夜這いをかけてきたため、それが原因で離婚しています。

 

 

出典:http://tomouki.ken-shin.net/

 

しかし、その後、寺井ゆり子さんは隣村の上村岩男さんと再婚しています。寺井ゆり子さんにしてみれば、何がなんでも都井睦雄と結婚することだけは避けたかったようですね。

 

自分を拒否した女性に激しい憎しみを抱いた都井睦雄ですが、特に寺井ゆり子さんと、実家が近くで古くから関係があった西山良子さんの2名に激しい殺意を燃やしていたと言われています。

 

 

犯行数日前から姉などに宛てた長文の遺書を書いていた都井睦雄

 

「津山事件」の犯人・都井睦雄は、大量殺戮計画を実行に移す数日前から、大好きだった実姉をはじめ、数名に宛てた長文の遺書を書いています。

 

実姉に対して遺した遺書は、「姉さん、早く病気を治してください。この世で強く生きてください」という優しい内容でした。

 

 

出典:http://flowmanagement.jp/

「津山事件報告書」より都井睦雄が遺した長文の遺書

 

しかし、その一方で、結核と知ってたちまち見る目を変え、自分の悪口を言って歩いた何人かの女性の名前を挙げ、「復讐のために殺す」という恨み辛みが書き綴られた遺書も残しています。

 

 

「津山事件」の詳細と真相~犯人・都井睦雄の行動を解説

 

寺井ゆり子さんの帰郷に合わせて大量殺人計画を実行に移す

 

特に思入れがあり激しい殺意を燃やしていた、寺井ゆり子さんと西山良子さんを確実に殺害するためには、当時隣村に嫁いでいた寺井ゆり子さんが帰郷するタイミングを狙う必要があります。

 

ちょうど「津山事件」が発生した前後に、西山良子さんの弟の結婚式があり、これに参加するために寺井ゆり子さんが貝尾村に戻ってきていました。

 

それを知った都井睦雄は、大量殺戮計画を実行する決意をしました。

 

 

村中を停電させ就寝中の祖母の首を斧で斬り落とす

 

1938年5月20日の午後5時頃、都井睦雄は電柱によじ登って送電線と電話線を切断し、貝尾集落だけを全面的に停電させました。

 

 

出典:https://ganref.jp/

 

しかし、当時は送電技術が進んでおらず、少しの強風などでもすぐに停電することが珍しくなかったので、村人たちはこの停電を特に不審に思いませんでした。

 

そして、夜も更けた頃、都井睦雄は鉈(なた)を手に、自宅で就寝中の祖母の首を斬り落として即死させました。

 

両親に代わって育ててもらった恩こそあれ、何の恨みもない祖母を真っ先に殺害した理由について、都井睦雄は後に遺書の中で次のように語ってます。

 

 

ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり

 

引用:津山事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/

 

 

「津山事件」の犯人・都井睦雄の犯行時の異様ないでたち

 

都井睦雄は、詰め襟の学生服に軍用ゲートルと地下足袋を履き、そして、頭にははちまきを締めて、小型懐中電灯を頭の両側に1本ずつ固定していたそうです。

 

また、腰には日本刀一振りと匕首を二振り、手には改造した9連発ブローニング猟銃を持つという異様ないでたちでした。

 

 

出典:https://twitter.com/

「津山事件」の犯人・都井睦雄の異様ないでたち

 

この写真だと少し分かりづらいので、再現した映像を紹介します。

 

 

出典:https://twitter.com/

映画「八つ墓村」より

 

 

 

こっちの方が鬼みたいで何倍も恐そうですが、実は懐中電灯の固定の仕方は間違いなのだとか。

 

もっとも、あくまで「津山事件」をモチーフにした映画なので、間違いってわけではないんですけどね。

 

そして、こちらが正解らしいです。

 

 

出典:https://twitter.com/

映画「丑三つの村」より

 

 

 

「津山事件」そのものが題材となっている、古尾谷雅人さんの『丑三つの村』は迫力満点!

 

 

出典:http://www.akb48matomemory.com/

「津山事件」の再現VTRより

 

 

 

 

草木も眠る丑三つ時に犯行を決行!

 

翌、5月21日1時40分頃、村全体が寝静まった頃を見計らって、都井睦雄は次々と近隣の家屋に押し入って、改造猟銃や日本刀などで寝ている村民を淡々と殺害して行きました。

 

この犯行は、わずか2時間足らずのうちに行われており、生き残った被害者たちの証言によると、犯行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされてます。

 

 

出典:https://sokotsumono.com/

 

「津山事件」では、最終的に30名の死者が出ましたが、うち即死者は28名というおぞましいもので、なんと死者のうち5名は16歳未満の子供だったそうです(最年少は5歳)。

 

都井睦雄は大声で喚きながら、まるで鬼のように村民を惨殺して回っていたため、異変に気づいて逃げた人や、懸命に命乞いをして見逃して貰った人などもいたようです。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

都井睦雄にとって“一番の裏切り者”であり、事件を起こす動機にもなった寺井ゆり子さんは、命からがら寺井茂吉さんの家に逃げ込み床下に隠れました。

 

都井睦雄は「お前だけは残しちゃいけんのや!」と叫びながら、猟銃を乱射しますが、幸い命中することなく、寺井ゆり子さんはのどにかすり傷を負った程度だったようです。

 

しかし、寺井ゆり子さんとともに主要な標的とされていた西山良子さんは、彼女を含めて一家4人全員が殺害されています。

 

 

犯行後に遺書を遺して自殺した犯人・都井睦雄

 

約1時間半に及ぶ犯行の後、都井睦雄は隣村のある家屋に上がり込み、以前から顔見知りだった子供から紙と鉛筆を借りると、最期の遺書をしたためました。

 

都井睦雄は去り際にこの子供に、「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけたと言います。

 

 

出典:http://usi32.com/

 

その後、3.5km離れた荒坂峠の山頂で追加の遺書を書いたあと、犯行に使った猟銃で自らの心臓を撃ち抜いて自殺しました。都井の遺体は翌朝になって山狩りで発見されています。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

山狩りで発見された都井睦雄の遺体

 

そして、都井睦雄が最期に鉛筆で書き遺した遺書の内容がこちら。

 

 

愈愈死するにあたり一筆書置申します、決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、楽に死ねる様と思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である、病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生まれてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。

 

思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺元ゆり子が貝尾に来たから、又西山良子も来たからである、しかし寺元ゆり子は逃がした、又寺元倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、岸本順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。 もはや夜明けも近づいた、死にましょう。

 

引用:津山事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/

 

これは個人的な想像ですが、恐らく隣村の民家で紙と鉛筆を借りてしたためた遺書は、元々は前段の「今度は幸福に生まれてこよう。」で終わっていたのではないでしょうか。

 

しかし、自らの死に場所に選んだ荒坂峠の山頂へ向かう、3.5kmもの道中を歩くうちに、本当に殺害したかった相手を討ち洩らしてしまった口惜しさが込み上げてきたのかもしれません。

 

そこで、急遽死に場所である山頂で「思う様にはゆかなかった」から始まる後段を追加したように感じました。

 

 

出典:https://www.alphapolis.co.jp/

 

 

 

「津山事件」のその後

 

「津山事件」の犯人・都井睦雄の墓について

 

都井睦雄は先ほど紹介した遺書の中で、実姉に次のように述べています。

 

はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから決してはか(墓)をして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である

 

しかし、都井睦雄の生誕の地である岡山県津山市加茂町倉見の山奥に、現在もひっそりと墓標が残されているようです。

 

 

出典:http://flowmanagement.jp/

「津山事件」の犯人・都井睦雄の墓

 

 

出典:http://flowmanagement.jp/

「津山事件」の犯人・都井睦雄の墓

 

裏側から見ると…やっぱりただの石っころです。

 

都井睦雄本人が望まなかったにもかかわらず、墓が建てられた経緯については、以下のように説明されています。

 

 

祖母は筑波本の仮名で言えば「寺井」になっている家の出身で、親類(祖母の甥)も貝尾にいたようです。しかし、事件後はそういった親類筋にあたる家の人間も事件の犯人である睦雄を弔うわけにもいかず、睦雄と祖母の遺体を都井家の人たちが倉見まで引き取ってきて埋葬したそうです。

 

(中略)

 

睦雄の姉は「せめて立派な石塔を作ってやりたい」と願った。しかし、姉の夫は「石塔なんてもってのほか。睦雄の墓だということは絶対他人に知られてはいけない」と言って、結局倉見川から拾ってきた川石を石塔代わりに睦雄の遺体を埋めた上に置いた。

 

引用:津山事件: 都井睦雄の墓 その2 http://flowmanagement.jp/

 

史上稀に見る殺人鬼と化した都井睦雄ですが、姉にはそれでもかわいい弟であったようで、そんな弟に取り憑いてしまった「鬼の魂を鎮めたい」、そんな意味合いもあるのかもしれませんね。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

 

 

「津山事件」の犯人・都井睦雄の元許嫁だった寺井ゆり子の現在

 

「お前だけは残しちゃいけんのや!」

 

そう叫んで都井睦雄は、寺井ゆり子さんめがけて猟銃を発砲したと言われています。また、都井睦雄は最期にしたためた遺書の中でも…

 

「思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺元ゆり子が貝尾に来たから、又西山良子も来たからである、しかし寺元ゆり子は逃がした……」

 

都井睦雄は、最期まで寺井ゆり子さんに対する恨みを滲ませていました。

 

しかし、犯行のきっかけとも言われる寺井ゆり子さんが生き残ったことで、「都井睦雄は寺井ゆり子をわざと手にかけなかったのでは?」などという噂まで当時はされていたようです。

 

 

出典:https://togetter.com/

 

そんなこともあって、寺井ゆり子さんは「津山事件」後には他の集落へ移り住んだものの、そこでも“「津山事件」の発端になった人物”として敬遠され続けたと言います。

 

実は、現在も存命中だと言われている寺井ゆり子さんですが、事件から80年以上経過し、100歳近い年齢になった現在も、地域社会から孤立しているそうです。

 

 

「津山事件」に対するネットの声

 

最後に、「津山事件」に対するネットの声を集めてみたのですが、やはり2019年7月18日、京都府京都市伏見区で発生した“京アニ放火事件”とリンクさせたツイートが多いようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一方で「津山事件」と“京アニ放火事件”は、ともに大量の犠牲者を出した悲惨な事件であるものの、その中身は全く別物であり、同一視すべきではないとする鋭い指摘もありました。

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

1938年に岡山県津山市の小さな集落で起きた大量連続殺人事件「津山事件」の詳細と真相、犯人・都井睦雄の生い立ちや動機、事件の発端でもある寺井ゆり子さんの現在を紹介しました。

 

この事件でお亡くなりになった犠牲者のご冥福を、心よりお祈り致します。

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