宮野裕史の現在!生い立ちと親や家族・身長・出所その後まとめ【女子高生コンクリート殺人事件の犯人】

宮野裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格で、近年でも最悪の少年犯罪者の1人として注目されています。

 

この記事では、宮野裕史の起こした「女子高生コンクリート事件」とその判決や、そこに至るまでの親や家族との生い立ち、身長やその後の住所、現在の情報などについてまとめました。

宮野裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

宮野裕史は、1988年11月25日から1989年1月5日にかけて発生した昭和最後の、そして最悪の少年犯罪事件「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格です。

 

当時18歳だった宮野裕史は、当時17歳の高校3年生だった古田順子さんを、共犯者(当時15歳→16歳の少年)の自宅自室に監禁し、約40日間にわたって、複数名の共犯者ら(10代の少年ら)と共に、古田順子さんに強姦、暴行、陵辱を加え続け、死亡にいたらしめた挙げ句、遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして遺棄しました。

 

この記事では、昭和史上最も凶悪な少年犯罪者の1人であるこの宮野裕史について見ていきます。

 

 


宮野裕史が起こした「女子高生コンクリート殺人事件」の概要

 

出典:https://i.ytimg.com/

 

宮野裕史について詳しく見ていく前に、この男が起こした「女子高生コンクリート殺人事件」の概要を改めて確認しておきます。

 

宮野裕史が後輩の湊伸治と通りすがりの女子高生古田順子さんを襲撃して拉致

 

1988年11月25日の夕方頃から、当時18歳の宮野裕史と、その中学時代の後輩の当時15歳の湊伸治の2人は、通行人からのひったくりと若い女性を強姦する事を目的に、それぞれ原付バイクに乗って埼玉県三郷市内を徘徊していました。

 

同日20時半頃、アルバイト先から自宅へと自転車に乗って帰る途中だった当時17歳の県立八潮南高校3年生の古田順子さんを見つけ、宮野裕史は湊伸治に「あの女を蹴飛ばして来い」と指示しました。

 

湊伸治はその指示に従って、古田順子さんを自転車ごと蹴飛ばして転倒させるとそのまま逃走します。そこへ宮野裕史は何食わぬ顔で近づき、「今のやつは気違いだ、俺も今ナイフで脅された。危ないから送っていく」などと言って、言葉巧みに古田順子さんを騙し近くの倉庫内へと連れ込みました。

 

宮野裕史はそこで態度を豹変させ、「俺はさっきの奴の仲間でヤクザだ、いう事を聞けば命だけは助けてやるセックスをさせろ」などと言って古田順子さんを脅しホテルに連れ込んで強姦します。

 

その後、宮野裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」で共犯となる湊伸治(古田順子さんを転倒させた後先に帰宅していた)、小倉譲(当時17歳)、渡邊恭史(当時16歳)の3人と合流した上共謀して、古田順子さんを東京都足立区綾瀬の湊伸治の自宅(実家の2階6畳間の自室)へと拉致しました。

 

監禁した古田順子さんに対し約40日間にわたって強姦・暴行・陵辱を加える

 

出典:https://img.aucfree.com/

 

1988年11月26日の未明頃に古田順子さんを湊伸治の自室に拉致監禁した宮野裕史らは、翌1989年1月4日までの約40日間にわたって、古田さんに対して強姦・暴行・拷問を加え続けました。

 

宮野裕史らは、古田順子さんを輪姦するだけでは飽き足らず、タバコやシンナーを無理やり吸わせ、古田順子さんが抵抗すると罰だとして陰毛を剃り、性器にマッチ棒を挿入して火をつけ、古田さんが熱がるのを見て面白がるなど鬼畜な行為をしました。

 

1988年12月の初め頃、古田順子さんは犯人らの隙を見て湊伸治の自宅の電話を使って警察に通報し助けを求めますが、それが宮野裕史らに発見された事により、その鬼畜行動はさらにエスカレートします。

 

宮野裕史らは古田順子さんの警察への通報を発見すると顔面を多数回拳で殴りつけ、宮野裕史はライターの火を古田順子さんの足首に押し付けて火傷を負わせました。

 

その後も宮野裕史らは古田順子さんへの暴行と陵辱行為を続け、全裸にして音楽に合わせて踊らせる、自慰行為を強要する、顔面にペンで落書きをする、性器に鉄棒を挿入して何度も出し入れする、肛門にオロナミンCなどの瓶を挿入する、シンナーを無理やり吸引させ、ウィスキーや焼酎を一気飲みさせる、真冬の夜中にベランダに半裸状態で出し、水や牛乳を大量に飲ませてタバコを2本咥えさせて放置するなど、筆舌に尽くし難いような鬼畜の所業が繰り返されました。

 

12月の中旬から下旬頃、宮野裕史が古田順子さんのこぼした尿を踏んだ事を口実にして、小倉譲と湊伸治の2人が古田さんの顔面を何度も拳で殴りつけました。古田順子さんの顔面が腫れ上がって変形したのを見た2人は「でけぇ顔になった」といって大笑いしています。

 

宮野裕史もその後、古田順子さんの腫れ上がった顔を見てさらに殴りつけ、続けて古田順子さんの太腿や手にライター用のオイルをたらしてそれに火をつけ、それが消えると再び同様に点火する事を繰り返して火傷を負わせています。

 

この頃になると、古田順子さんはあまりの苦痛に耐えかねて「もう殺して」と哀願するようになっていたと言います。

 

1988年が終わる頃になると、古田順子さんは食事も満足に与えられていなかったため衰弱し、顔面は腫れ上がって手足の火傷後や身体中の傷跡は化膿して異臭を放つようになり、トイレに行くのさえ困難となって終日監禁されている部屋に倒れているような状態になりました。

 

1989年1月4日に2時間にわたる暴行を加えて古田順子さんを殺害

 

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1989年1月4日、宮野裕史は賭け麻雀に負けた鬱憤を晴らすために古田順子さんを暴行しようと考え、共犯者らとよってたかって古田順子さんに対して殴る蹴るなどの暴行を加え、蝋燭に火をつけてロウを垂らして顔面をロウまみれにし、両まぶたの上に火のついた蝋燭を立てるなどしました。古田順子さんは最早ほとんど反応を示さず、されるがままになっていたようです。

 

さらに、宮野裕史らは、古田順子さんが飲料パックにしていた尿を無理やりストローで古田さんに飲ませ、続けて顔面に回し蹴りを繰り返し入れるなどして暴行しています。古田順子さんは倒れてステレオにぶつかって痙攣を起こすなどしましたが、宮野裕史らはこのまま暴行を続ければ古田さんが死亡する事を十分に認識しながらもさらに暴行を続けました。

 

続けて、宮野裕史らは、キックボクシングの練習器具の鉄製脚部(約1.74kg)で、ゴルフスイングのような要領で古田順子さんを数十回にわたって殴打し、さらには、この器具を肩の高さから古田順子さんの腹部めがけて2、3回落下させています。

 

さらに、宮野裕史はライターオイルを古田順子さんの太腿部分に垂らして火をつけるなどしましたが、古田さんは既にほとんど反応を示さずにぐったりと倒れたままでした。

 

この暴行は午前8時頃から午前10時頃まで約2時間にわたって間断なく続けられ、その間に古田順子さんは重篤な状態に陥りやがて死に至りました。このようにして宮野裕史らは古田順子さんを殺害しました。

 

事件発覚を恐れた宮野裕史らは古田順子さんの遺体をコンクリート詰めにして遺棄

 

古田順子さんを殺害した宮野裕史らは、事件の発覚を恐れ、遺体を隠蔽しようと工作しました。

 

宮野裕史らは、古田順子さんの遺体を大型の旅行鞄に入れた上でガムテープを巻きつけ、宮野裕史のかつての仕事先から、運搬用のトラックを借りてセメントをもらい受け、近所から盗んできたドラム缶に鞄ごと古田順子さんの遺体をいれて、その上からコンクリートを流し込みました。

 

宮野裕史らは古田順子さんの遺体の入ったドラム缶を、江東区内の工事現場横の空地へとトラックに乗せて運び、そこへそのまま遺棄しました。

 

以上が「女子高生コンクリート殺人事件」の概要となります。

 

 

宮野裕史の「女子高生コンクリート殺人事件」判決は懲役20年

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

その後、宮野裕史は「女子高生コンクリート殺人事件」とは別の容疑(1件の婦女暴行と20件の)で逮捕され警察の取り調べを受けていました。

 

取り調べに当たった刑事が宮野裕史に対して「殺しをしてはダメじゃないか」とカマをかけた所、宮野裕史は他の共犯者が自供したと勘違いして自ら古田順子さん殺害を自供した事で「女子高生コンクリート事件」は発覚しました。

 

1989年3月30日に宮野裕史は殺人・死体遺棄容疑で逮捕されます。

 

宮野裕史は犯行当時未成年でしたが「刑事処分が相当」と判断され、殺人、猥褻目的略取誘拐、逮捕監禁、強姦などの罪状で起訴されました。

 

東京地裁での宮野裕史への第一審判決は懲役17年(求刑は無期懲役)でした。

 

この判決を受けて、検察側、被告人側の双方が控訴しています。

 

東京高裁での宮野裕史に対する控訴審判決は、一審判決よりも重い「懲役20年」でした。

 

宮野裕史は上告はせず、この懲役20年の判決が確定しています。

 

 

宮野裕史の生い立ち① 両親と妹の4人家族に生まれるが愛情を受けず育つ

 

続けて、「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯・宮野裕史の生い立ちを見ていきます。

 

宮野裕史は、1970年4月30日に東京都足立区で長男として生まれました。両親と妹の4人家族で、父親は証券会社勤務、母親はピアノ講師で裕福な家族だったようです。

 

ただ、家族は円満ではなく、宮野裕史は両親の愛情をあまり受ける事なく育ったとされます。

 

 

宮野裕史の生い立ち② 父親は証券マンだったが愛人を作り家族は崩壊状態

 

宮野裕史の父親の宮野良規(女子高生コンクリート殺人事件当時47歳)は、宮野裕史が誕生した頃には証券外務員として営業で好成績を上げ、かなりの高収入を得ていたようです。

 

しかし、家庭を顧みずに外に愛人を作り、その家に入り浸っていたため、宮野裕史の家族は崩壊状態にあったようです。

 

また、宮野裕史が小学校1年生の時に妹が誕生していますが、父親は妹ばかり可愛がって欲しいものを買い与え、宮野裕史には目もくれなかったという事です。

 

こうした家庭で育った事で、宮野裕史は幼い頃から気性が荒くなり、非行に走るようになったと言われています。

 

この父親は、宮野裕史が「女子高生コンクリート殺人事件」を起こして逮捕された後には、証券会社を辞職してトラック運転手になったと言われています。

 

また、この父親は自宅を売却して、被害者の古田順子さんの遺族に慰謝料5000万円を支払っています。

 

 

宮野裕史の生い立ち③ 母親からは過剰に厳しいしつけと教育を受けた

 

宮野裕史の母親・宮野静江は女子高生コンクリート殺人事件当時47歳で、私立大学の音楽学部を卒業後ピアノ講師として働き、相応の収入を得ていました。

 

ただ、父親が愛人の家に入り浸って家に帰らないため、幼い頃の宮野裕史は母親の仕事中は近所の家に預けられ、母親が夜遅くに迎えに来るという生活を送ったようです。当時の宮野裕史には家族で食事をとった記憶がないという事でした。

 

こうした環境から、宮野裕史は幼少時代から非行に走っており、家族の金を盗んで駄菓子屋に行き、それを母親が見つけて靴べらで叩くなどの厳しい「しつけ」を行なっていたという事です。

 

ただ、この母親は宮野裕史の教育に力を注いでおり、幼い頃から英語教室に通わせ、公文式も学ばせ、自身も夜遅くまでつきっきりで勉強を見ていたという事です。

 

この母親も宮野裕史が女子高生コンクリート事件を起こした後にピアノ講師の仕事を辞めています。

 

 

宮野裕史の生い立ち④ 小学生時代から非行に走る

 

宮野裕史は1977年4月に地元の足立区立綾瀬小学校に入学しています。

 

ここまでも触れたように、宮野裕史は家族の愛情を受けなかった事から凶暴な性格で、小学校5年生の頃には髪型をパンチパーマにし、集団万引き、校内暴力や器物損壊、喧嘩、家庭内暴力など非行に走るようになります。ヌンチャクや木刀などの武器を持って学校に殴り込みをかけた事もあったようです。

 

ただ、宮野裕史は小学校6年生の時に成績の良い真面目な同級生と仲良くなり、それをきっかけに一旦は更生の兆しを見せています。

 

宮野裕史は小学校の卒業文集に、将来の夢として「少年院の院長」を挙げており、その理由として、自分はこれまでに万引きや喧嘩などの悪いことをたくさんしたので、そうした非行に走る子供達の気持ちがわかる。自分なら非行少年を立ち直らせる事ができるので、自分にはそういう仕事が向いていると思うと書いています。

 

 

宮野裕史の生い立ち⑤ 中学時代は柔道に打ち込み都大会2位の実績を残す

 

一旦は更生の兆しを見せた宮野裕史は、1983年4月に足立区立東綾瀬中学校へと進学し、柔道部に入部し、大会では優勝や準優勝などの優秀な成績を残しています。都大会2位というかなりの実績も残しています。

 

宮野裕史は中学3年間は特に問題を起こす事なく卒業しています。

 

 

宮野裕史の生い立ち⑥ 高校に進学するも柔道部でいじめに遭い1年で中退

 

宮野裕史は柔道で推薦を受けて、1986年4月に東海大学付属高輪台高等学校へと進学しています。

 

宮野裕史は柔道部に入部し、先輩にも引けを取らない実力を見せて顧問に期待をかけられますが、それを快く思わない先輩からの激しいいじめを受けるようになります。

 

宮野裕史は執拗に投げ飛ばされ、締め技で何度も失神させらるなどしながらも、堪えて柔道に取り組みましたが、先輩らから殺虫剤とライターを使って炎を吹き付けられるといった柔道と関係のないいじめも受けるようになり、いじめを受けないためにわざと先輩に試合で負けるようにすると、次は顧問から叱責され殴られるという理不尽な環境についに心が折れ、1986年9月に柔道部を退部し、1987年3月、2年生に上がる直前に同校を自主退学しています。

 

 

 

宮野裕史の生い立ち⑦ 再び非行に走り犯罪行為を繰り返すようになる

 

高校を中退した宮野裕史は、実家近くのタイル工場(有限会社中村タイル)に就職しますが、同じ頃に地元の暴走族に入り、傷害や建造物侵入、学校への殴り込み、窃盗などの犯罪行為を繰り返すようになり、保護観察処分になります。

 

ただ、その後、宮野裕史は暴走族を辞め、約1年間タイル工として真面目に働き、高校時代に交際を開始した恋人(コンクリート事件共犯者の渡邊恭史の姉)と18歳で結婚する事を目指して200万円貯金するなどもしています。

 

ところが、宮野裕史は1988年8月頃になると、タイル工場の給料が安い事に不満を漏らすようになって仕事を怠け始め、同じ頃に中学時代の同級生の紹介で知り合った暴力団関係者に勧誘されて、タイル工を辞め、的屋、ブランド品の偽物の販売、花屋(水商売の店に花を届ける仕事)、暴力団事務所の当番などとして働くようになります。

 

この頃から、宮野裕史はシンナーを吸引しはじめ、また、強姦などの性犯罪も起こすようになり、愛想をつかせて前述の恋人も離れて行きました。

 

そして、宮野裕史は仲間らとともにひったくり窃盗や強姦事件を繰り返すようになり、そうした生活の中でついに「女子高生コンクリート殺人事件」を起こす事になったのでした。

 

 

宮野裕史の身長など風貌について(ネットで出回っている顔写真は偽物)

 

宮野裕史の身長は「160cm」と小柄ですが、がっしりとした体格でした。柔道が強かった事からもわかるように、身長が低くとも身体能力は高く喧嘩は強かったようです。

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

なお、宮野裕史の顔画像として上の画像がネットで広まっていますが、これは韓国系アメリカ人のプロレスラー、ジョー・サンの顔写真なので偽物です。

 

 

宮野裕史の現在の風貌としては、目線入りですが以下の画像が出回っており、これは本物ではないかと言われています。

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

 

 

宮野裕史は出所後に住所を転々としているが現在の住所は不明

 

宮野裕史は、「女子高生コンクリート殺人事件」により懲役20年の判決を受けて千葉刑務所に服役していましたが、2007年2月2日に仮出所したと言われています。

 

その後の住所については、東大阪市西石切町7丁目付近に2ヶ月ほど住んで保護観察を受け、2007年に埼玉県川口市蓮沼へと住所を移して宮内解体工業所というところで勤務し、さらに2008年の秋頃に住所を栃木県小山市に移し、その後、埼玉県川口市蓮沼を経て、茨城県西南西部で日研総業の派遣社員として茨城県古河市のキャノン化成に勤務していたと言われています。

 

さらにその後、2009年の住所は茨城県取手市で、母親の営む寝具店で働いていたという情報もあります。

 

また、2013年頃の住所は東京都多摩市だったと言われています。

 

その後の住所は現在のところつかめていないようです。

 

 

宮野裕史の現在① 養子縁組により「横山裕史」に改名

 

宮野裕史は、2007年2月に千葉刑務所を仮出所し、関西の保護司と養子縁組をして「横山裕史」に改名していると言われています。ただ、現在は既に違う名前に再改名しているという事です。

 

 

宮野裕史の現在② 2013年に振り込め詐欺容疑で逮捕も不起訴処分に

 

出典:https://banmakoto.air-nifty.com/

 

宮野裕史(当時は横山裕史)は2013年1月にパチンコ必勝法の情報量という名目で現金を振り込ませる「振り込め詐欺」を働いた容疑で警視庁池袋署に逮捕されています。

 

ただ、宮野裕史は黙秘し続け、1月31日に不起訴処分となっています。

 

この事から、宮野裕史は現在もろくな事はしていないようです。

 

 

 

宮野裕史の現在③ 実話ナックルズによると現在の名前は「K」

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

2013年10月に発売された暴露系雑誌「実話ナックルズ」に、宮野裕史の現在の様子が特集されていました。

 

その記事によれば、宮野裕史はマルチ商法などで生計をたており、キックボクシングジムに通って試合にも出ていたという事です。かなり儲けており、BMWを所有しているという事でした。

 

記事には目線入りで宮野裕史の現在の写真(上画像2枚)も掲載されていました。

 

なお、記事によると、宮野裕史は「横山裕史」からさらに改名しており、現在の名前のイニシャルは「K」だという事です。

 

ただ、この記事の情報元は宮野裕史の知り合いだという事で、本人からの取材で得られた情報ではなく、この情報提供者が「女子高生コンクリート事件」の犯人では?と問いただすと、宮野裕史と思われる人物は忽然と姿を消したという事になっており信憑性はあまり高くないようです。この情報提供者が謝礼金目当てで作り話をしたという可能性も十分に考えられます。

 

 

 

まとめ

 

今回は、「女子高生コンクリート殺人事件」の主犯格として知られる宮野裕史についてまとめてみました。

 

宮野裕史は、裕福な家族に生まれながら両親の愛情に恵まれない生い立ちを持つ事から非行に走り、ついには「女子高生コンクリート殺人事件」を起こすに至りました。

 

宮野裕史はこの事件で懲役20年の判決を受けていますが、2007年に仮出所し、現在は住所を転々としているようです。2013年には振り込め詐欺の容疑で逮捕され、同年10月の「実話ナックルズ」には、マルチ商法で稼いでいるとの情報も書かれており、相変わらずろくな事をしていない様子です。

 

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