三毛別羆事件の詳細!生き残りの証言・場所やヒグマ写真も総まとめ【アンビリバボーで紹介】

史上最悪の獣害事件と言われる「三毛別羆事件」は、2018年7月に「アンビリバボー」で紹介されて注目を集めています。

 

今回は「三毛別羆事件」が起きた場所や写真、被害者や生き残りのその後や証言など、詳細をまとめてみました。

 

「三毛別羆事件」とは 【獣害史上最大の惨劇】

 

出典:https://www.waypoints.blue/

 

 

「三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)」は、1915年12月9日~14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別、六線沢で起きた世界的に見ても他に例を見ない、史上最悪の獣害事件です。

 

 

より具体的には、六線沢にある小さな集落の民家を、巨大な人食いエゾヒグマが数回に渡って襲撃し、開拓民7名が死亡し、3名が重傷を負うという悪夢のような被害を出した事件です。

 

この事件は、発生した地名から「六線沢熊害(ろくせんさわゆうがい)事件」、「苫前羆(とままえひぐま)事件」、「苫前三毛別(とままえさんけべつ)事件」など、様々な呼び方がありますが、この記事では「三毛別羆事件」に統一します。

 

 

出典:https://www.waypoints.blue/

 

 

「三毛別羆事件」の詳細① 時系列の経緯・被害者数 

 

「三毛別羆事件」の詳細① 池田家に巨大ヒグマが現れる 【1915年11月初旬】

 

1915年11月初旬の夜明け頃、北海道の開拓民として流れてきた東北民が住む六線沢の、三毛別川上流に住む池田家に巨大なヒグマが現れました。

 

この時は、池田家の飼い馬が驚いて大きな鳴き声を発したことから、ヒグマは驚いて逃げ出し、被害は保存食のとうもろこしを食べられる程度でした。

 

 

出典:https://www.youtube.com/

 

当時の六線沢は、まだ開拓にかかったばかりの土地だったこともあり、このような野生生物の襲来は珍しいことではありませんでした。

 

しかし、ぬかるみに残ったヒグマの足跡の大きさが約30cmもあったことから、家主である池田富蔵さんは懸念を抱いたと言います。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細② 太田家で初の被害者 【1915年12月9日】

 

前述の池田家同様、三毛別川の上流に住む太田家では、家主の太田三郎さんの内縁の妻・阿部マユさんと、太田家に養子になる予定だった少年・蓮見幹雄くんが囲炉裏端で小豆の選別作業をしていました。

 

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

同日の昼、太田家に住み込みで働いている伐採業を営む長松要吉さんが、昼食のために帰宅したところ、蓮見幹雄くんが土間の囲炉裏端に背を見せる形で大人しく座っていたそうです。

 

幹雄くんがふざけて狸寝入りをしていると思った長松要吉さんは、わざと大声で話しかけながら近づき、幹雄くんの肩に手をかけて顔を覗き込んだところ…。

 

幹雄くんの顔下には流れ出た大量の血が溜まっており、のど元には何かで鋭くえぐられたような傷が…。

 

さらに、側頭部には親指大の穴が空いており、幹雄くんは座ったままの形で絶命していました。

 

長松要吉さんは恐怖に震えながら、家にいたはずの阿部マユさんを呼ぶのですが、返事はありませんでした。

 

ただならぬ事態を察した長松要吉さんは、そのまま家を飛び出して、下流の架橋現場まで逃げ出しました。

 

 

出典:https://tohoyukai.com/

 

太田家の異変を聞きつけて集まってきた村の男達は、太田家の惨状に衝撃を受けます。

 

そして、入口の反対側にあるトウモロコシを干してあった窓が破られ、そこから土間の囲炉裏まで一直線に続くヒグマの足跡が見つかったことから、この惨劇をヒグマの仕業と断定しました。

 

 

足跡が続く居間を調べると、くすぶる薪がいくつか転がり、柄が折れた血染めのまさかりがあった。ぐるりと回るようなヒグマの足跡は部屋の隅に続き、そこは鮮血に濡れていた。それは、まさかりや燃える薪を振りかざして抵抗しつつ逃げるマユがついに捕まり、攻撃を受けて重傷を負ったことを示していた。そこからヒグマはマユを引きずりながら、土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユのものとおぼしき数十本の頭髪が絡みついていた。

 

引用:三毛別羆事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/

 

村の男達は惨劇があった太田家から500mほど下流にある明景安太郎さんの家に集まり、善後策を話し合いました。

 

その結果、ヒグマを討伐して行方不明となっている阿部マユさんの遺体を収容すべく、約30人の捜索隊が結成されました。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細③ 討伐隊の結成と阿部マユさんの遺体発見 【12月10日】

 

翌12月10日の早朝、男30人からなる討伐隊が、ヒグマの足跡を追って森に入ったところ、150mほど進んだあたりで巨大ヒグマと遭遇しました。

 

あまりの巨大さに圧倒されながらも、鉄砲を持っていた5人がなんとかヒグマに銃口を向けるも、手入れが行き届いていなかったため、発砲できたのは、たった1丁だけでした。

 

 

出典:https://www.gamer.ne.jp/

 

怒り狂うヒグマに捜索隊は散り散りとなりますが、あっけなくヒグマが逃走したため、討伐隊に被害は出ませんでした。

 

その後、討伐隊が周囲の捜査を続けたところ、トドマツの木の根元に小枝が重ねられ、赤く血に染まった雪が確認されました。

 

そこを掘り返してみると、その下にあったのは、頭蓋の一部と黒い足袋を履いた膝下の脚しかない阿部マユさんの遺体でした。

 

ヒグマは、阿部マユさんのほとんどを食べ、残りを保存食として雪の下に隠そうとしていたようです。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細④ 被害者の通夜の席にヒグマが襲来 【12月10日】

 

その夜、阿部マユさんと蓮見幹雄くんの通夜が太田家で営まれました。

 

ただ、参列したのは蓮見幹雄くんの両親とその知人、六線沢から3人と三毛別から2人、喪主の太田三郎さんの9人だけで、ほとんどの村人はヒグマの再襲来に怯え、参列しませんでした。

 

そんな村人の予感は的中してしまいます。

 

しめやかに通夜が執り行われていた夜8時半頃、突然轟音とともに居間の壁が崩れ、猛り狂ったヒグマが阿部マユさんの遺体を取り返すため、家の中に乱入してきたのです。

 

 

出典:https://www.waypoints.blue/

 

棺がひっくり返されて遺体がバラバラに飛び散り、参列していた9人は恐怖におののいて家の梁の上に上ったり、野菜置き場や便所にと散り散りに身を隠しました。

 

程なくしてヒグマは退散し、この時はヒグマによる被害者が出なかったことから、皆は安堵し、いったん明景家に退避しようということになり、一同は下流へ向かいます。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細⑤ 避難所となっていた明景家をヒグマが襲来 【12月10日】

 

「三毛別羆事件」で最も短時間のうちに、最悪の被害を出してしまったのが、この夜、待避所となっていた明景家だったんですよね。

 

当時、明景家にいたのは次の10人(タケさんのお腹の中にいた胎児を含めると11人)です。

 

明景家の6人

・明景安太郎の妻・ヤヨさん(当時34歳)

・長男・力蔵くん(当時10歳)

・次男・勇次郎くん(当時8歳)

・長女・ヒサノちゃん(当時6歳)

・三男・金蔵くん(当時3歳)

・四男・梅吉くん(当時1歳)

 

斉藤家から避難していた妊婦のタケさん(第三子を身ごもっていました)、その息子の巌くん、春義くんの3人

 

そして、唯一の男手として同行していた長松要吉(当時59歳)さん

 

この日、明景家に避難した女や子供らは、いつも以上に火を焚きつつ、怯えながら過ごしていました。

 

しかし、太田家に現れたヒグマは、この守りのいない状態の明景家に向かっていたのです。

 

太田家からヒグマが逃げ出して20分と経たない午後8時50分頃、ヤヨさんは末っ子の梅吉くんをおんぶして討伐隊の夜食を作っていました。

 

すると突然、地響きのような轟音とともに巨大な黒い塊が窓を破って家の中に入って来たのです。その正体は見たこともない巨大なヒグマでした…。

 

 

出典:http://tukinowaguma.net/

 

ヒグマがわざとやったとは思えませんが、かぼちゃを煮ていた囲炉裏の大鍋がひっくり返され、囲炉裏の火が消えたことから、室内は真っ暗闇となりました。

 

ヤヨさんは慌てて逃げ出そうとしましたが、足をとられてよろけてしまい、そこをヒグマが襲いかかって、背負っていた梅吉くんの頭に噛みつきました。

 

そして、母親の近くにいた勇次郎くんをも引きずり込み、ヤヨさんの頭にも噛みつきました。

 

しかし、その直後に逃げだそうと戸口に走っていく長松要吉さんに気を取られたヒグマは、母子3人を離したため、ヤヨさんはその隙に勇次郎くんと梅吉くんを連れて外へ脱出しました。

 

ヒグマに追われた長松要吉さんは物陰に隠れようとしますが、腰の辺りを噛みつかれ、大きな悲鳴を上げたところ、その声に驚いたヒグマは、まだ7人が残っていた屋内に目を向けることに。

 

ヒグマは、屋内に見つけたまだ幼い金蔵くんと春義くんを一撃で撲殺すると、さらに近くにいた巌くんに噛みついたのです。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

この時、野菜置き場のむしろに隠れていたタケさんが、わが息子が目の前で噛みつかれて動揺し、思わず顔をむしろから出してしまいます。

 

それに気付いたヒグマは、タケさんを居間に引きずり出して襲い始めました。

 

当時、身籠もっていたタケさんは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたと言われています。

 

もちろんヒグマに理解できるわけもなく、タケさんは上半身から食べられることに…。

 

 

暗闇から聞こえてくる断末魔のうめき声と肉や骨を咀嚼する異様な音

 

一方、川下にいた討伐隊は、明景家から聞こえる絶叫や家が壊される轟音を聞いたと言います。

 

そこへ、頭に重傷を負いながらも子供達を連れて逃げてきたヤヨさんがたどり着き、ようやく状況を把握しました。

 

討伐隊は直ちに明景家を取り囲みますが、暗闇となった屋内に迂闊に踏み込むことができませんでした。

 

ただ、その暗闇の中からは、タケさんと思われる女性の断末魔のうめき声や、肉を咀嚼し骨を噛み砕く、異様な音だけが鳴り響いていたと言います。

 

家に一斉に火をかける案や、闇雲に一斉射撃しようという案も出ましたが、まだ子供達が生存し隠れているかも知れないと、ヤヨさんが必死で反対したそうです。

 

 

討伐隊が目にした悲惨な光景とは…

 

そこで、討伐隊は二手に分かれ、入り口近くに銃を構えた10名あまりを配置し、残りは家の裏手に回りました。

 

裏手班が空砲を撃つと、目論見通りヒグマは入口を破って、表で待つ狙撃隊の前に現れるのですが…またしてもことごとく不発に終わり、ヒグマはそのまま森の中へと姿を消していきました。

 

 

出典:http://pumpkiiin.com/

 

たいまつを手に明景家に入った討伐隊が屋内に入ってみると…。

 

彼らが目にしたものは…家の天井にまで飛び散った血しぶきと、大量の血の海、そして無残にもヒグマに食い裂かれたタケさんの遺体と、叩き殺された金蔵くん、春義くんの遺体でした。

 

上半身を食べられたタケさんの腹は破られ、胎児が引きずり出されていたそうですが、ヒグマが手を出した様子はなく、発見した時にはまだ少し動いていたとも言われています。

 

幸い、長男の力蔵くんは雑穀俵の影に隠れて難を逃れており、長女のヒサノちゃんは失神し、無防備なまま居間で倒れていたようですが、不思議なことに彼女も全くの無傷でした。

 

 

またいつヒグマが引き返してくるか分からないので、一行は急いで力蔵くんとヒサノちゃんを保護し、遺体を収容して家を出ようとしたところ、屋内から男児の声が上がりました。

 

1人が戻って確認すると、むしろの下に隠されるように横たわっていた巌くんを発見しました。

 

しかし、巌くんは肩や胸を噛みつかれていた他、左大腿部から臀部はヒグマに食われて骨だけになっており、結局その20分後には息絶えることに…。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細⑥ 伝説的マタギによってヒグマが討伐される 【12月14日】

 

ことここに至っては、小さな村の住民だけではもはや為す術はなく、ヒグマ討伐の応援を警察や行政に頼ることになりました。

 

帝室林野管理局、近隣の青年会や消防団、志願の若者やアイヌにも協力を仰ぎ、村田銃60丁や刃物類、日本刀を携えた者を含め、270人以上が三毛別に集結し、大討伐隊が結成されました。

 

 

出典:https://www.sankei.com/

 

しかし、林野に上手く紛れることのできるヒグマの姿をとらえることは、一向にできなかったと言います。

 

そんな中、六線沢の惨事の噂を聞きつけて、ある一人のマタギが三毛別に入りました。彼の名は山本兵吉さん(当時57歳)

 

熊の習性を知り尽くしているという山本兵吉さんは、若い頃には鯖裂き包丁一本で熊を仕留めたこともあることから、「サバサキの兄ぃ」との異名をとる人なのだとか。

 

 

出典:https://www.tripadvisor.jp/

 

軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に、数多くの獲物を仕留めた伝説のマタギと呼ばれる凄腕の持ち主なんですよね。

 

そんな山本兵吉さんは、討伐隊とは別行動をとり、単独で山へ入りると、たちまちのうちに「三毛別羆事件」の巨大人食いヒグマを仕留めました。

 

まるでスナイパーのような山本兵吉さんの活躍は次の通り。

 

 

ヒグマは頂上付近でミズナラの木につかまり体を休めていた。その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、兵吉の存在にはまったく気づいていない。音を立てぬように20mほどにじり寄った兵吉は、ハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。

 

銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。しかしヒグマは怯むことなく立ち上がって兵吉を睨みつけた。兵吉は即座に次の弾を込め、素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。

 

引用:三毛別羆事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/

 

12月14日午前10時、突如として轟いた2発の銃声に駆けつけた討伐隊が目にしたものは…村を恐怖のどん底に叩き落とした巨大ヒグマの死骸だったのです。

 

 

ヒグマは金毛を交えた黒褐色の雄で、重さ340kg、身の丈2.7mにも及び、胸間から背中にかけて「袈裟懸け」といわれる弓状の白斑を交えた大物であった。推定7 – 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。これほど特徴のある熊を誰も見たことがないという。

 

隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者などさまざまだった。やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。

 

終わってみると12日からの3日間で投入された討伐隊員はのべ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇であった。

 

引用:三毛別羆事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/

 

 

 

「三毛別羆事件」の詳細② 事件の場所と人食い巨大ヒグマの写真

 

北海道苫前郡苫前村三毛別

 

「三毛別羆事件」の現場は、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で、日本海沿岸から内陸へ30kmほど入った、冬には氷点下20度を下回ることもある極寒の地でした。

 

 

出典:https://ameblo.jp/

 

 

出典:https://ameblo.jp/

 

「三毛別羆事件」の当時、六線沢には15戸の民家に、合計40人余りの村人が暮らしていたと言います。

 

 

「三毛別羆事件」を起こした人食い巨大ヒグマの写真

 

残念ながら「三毛別羆事件」で討伐された、実際の巨大人食いヒグマの写真は残っていないようです。

 

その代わりに、この事件が起こった六線沢には、近年の町民によって当時の情景を再現した「三毛別羆事件復元地」が作られ、公開されています。

 

 

出典:https://www.kitakaido.com/

 

当時の村人の生活を再現した民家を復元し、その民家に今まさに襲いかかろうとする巨大なヒグマの像が設置されているんですよね。

 

 

出典:http://blog.goo.ne.jp/

「三毛別羆事件復元地」に再現された巨大ヒグマの像

 

 

 

一緒に写っている人と比較すると、村を襲ったヒグマがいかに巨大であったかが実感できますね。

 

もちろん、この「三毛別羆事件復元地」には、事件を解説する看板や犠牲者の慰霊碑なども建立されています。

 

また、北海道に出現する巨大エゾヒグマのスケール感がよく分かることから、この「三毛別羆事件」を解説する上でよく紹介されている画像がこちら。

 

 

出典:https://twitter.com/

巨大エゾヒグマの実際の写真

 

 

 

向かって右端に立つ人と比較してみてください。

 

この画像のエゾヒグマは、「三毛別羆事件」を起こし、討伐されたヒグマではありませんが、こんな巨大生物が凶暴度MAXで襲いかかってきたと想像するだけで、身の毛がよだちます。

 

 

「三毛別羆事件」で真冬にヒグマが人を襲った理由

 

本来、熊という動物は臆病な生き物で、余程のことが無ければ自ら人間に近づいてくることはないと言われています。

 

まして、民家を複数回に渡って襲撃する…なんてことは、非常に珍しいことなのだとか。

 

 

出典:https://japaneseclass.jp/

 

それにも関わらず、「三毛別羆事件」の巨大ヒグマが、まるで自ら人を襲うために三毛別にやって来たとしか考えられない行動をとったのは、一体どういうことなのでしょうか?

 

その理由は、いくつかの悪い条件が偶然にも重なってしまったためと言われています。

 

 

事件の起きた時期は真冬で、本来であればヒグマは冬眠しているはずです。ですが、このヒグマの場合、どうやら苫前に現れる以前に、別の地域で猟師に追われ、冬眠に入る機を逸して、いわゆる「穴持たず」となってしまった。それで究極の空腹状態となり、旭川や天塩地域でも女性を襲ったとの証言がありました。事実、退治された後に解剖したところ、証言に一致する被害者の脚絆などが出てきました。手負い・穴持たず・空腹という要素が重なって、異常な執念と凶暴性を持つに至ったのではないか、と思います。

 

引用:文春オンライン – 元林務官が執念の取材で追究した、ヒグマによる史上最悪の惨殺事件の真実――2018年も気をつけたい身近な危険生物 https://bunshun.jp/

 

さらに、あまりに巨体だったために、入れる手頃な越冬穴を見つけることができなかった可能性も指摘されています。

 

 

「三毛別羆事件」からわかるヒグマの習性

 

本来、野生動物は火や人間を恐れるため、火が焚かれている場所や人が多く集まっている場所には近寄らないと言われています。

 

しかし、ことヒグマに限っては言えば、条件さえ揃っていれば、火が焚かれていようが、人が何人いようが関係ないようです。

 

 

出典:https://twitter.com/

 

例えば、一般に動物は火を怖がる、とされていますが、ヒグマの場合はその限りではありません。実際にこの事件では、明々とかがり火を焚いていたにも関わらず、ヒグマは何度となく集落を襲っています。それから、ヒグマにとって「獲物」は所有物ですから、遺留物があるうちは、そこから立ち去りません。この事件でも、「遺体」を自分の所有物とみなして、通夜の席にまで乱入しています。それから、通夜の席に乱入したことでも分かりますが、人間側の人数の多寡は関係ない、つまり10人いようと20人いようと襲うときは襲う、ということです。

 

引用:文春オンライン – 元林務官が執念の取材で追究した、ヒグマによる史上最悪の惨殺事件の真実――2018年も気をつけたい身近な危険生物 https://bunshun.jp/

 

「三毛別羆事件」を起こしたエゾヒグマは、手負い、かつ冬眠をし損ねて極限の空腹状態という条件が揃っていたため、凶暴度が増し、手当たり次第に村民を食い殺したと言われています。

 

 

「三毛別羆事件」の詳細③ 被害者の生き残りのその後&証言 

 

「三毛別羆事件」は、事件を起こした巨大ヒグマが伝説のマタギ・山本兵吉さんに討伐されたことで終止符が打たれましたが、その後も六線沢の村人に拭いきれない恐怖心を残しました。

 

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

三毛別羆事件の現場近くにある石碑

 

「三毛別羆事件」で家族を亡くした太田三郎さんは、家を焼き払って隣町の羽幌へ去り、その後、生まれ育った故郷である青森に移住したものの、早くして死去したと言われています。

 

頭部に深い傷を負いながらも生還した明景ヤヨさんは、順調に回復するも、彼女に背負われたままヒグマに噛みつかれた梅吉くんは、後遺症に苦しみ、2年8ヶ月後に亡くなっています。

 

そこで、この梅吉君を含めて、「三毛別羆事件」の死者数を8人とする説もあるようです。

 

 

また、村外に頼れる者がいる村人は、早々に六線沢を去りましたが、多くの村民はそのようなつてを持っておらず、ヒグマに壊された家屋を修復して、そのまま住み続けようとしたそうです。

 

しかし、六線沢は1人また1人と村を去り、最終的には下流の辻家を除いて無人集落となってしまったそうです。

 

 

出典:https://ameblo.jp/

 

最後に、「三毛別羆事件」の主犯である巨大エゾヒグマを仕留めた、伝説のマタギ・山本兵吉さんは、その後もマタギとして活躍し続け、1950年に92歳で亡くなりました。

 

山本兵吉さんが、生涯に倒したヒグマは300頭を超えるとも言われています。

 

 

「三毛別羆事件」の生き残り被害者の証言から書籍が出版される

 

「三毛別羆事件」は、日本国内は言うに及ばず、世界的に見ても他に例を見ない、史上最悪の獣害事件と言われています。

 

奇しくも事件発生から100年を迎えた2015年、生存者の証言を元に、「三毛別羆事件」の詳細をまとめた書籍「慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件」が出版されました。

 

 

出典:https://bunshun.jp/

 

著者の木村盛武さんは、時に怒鳴られ、何度も門前払いを食らいながらも、残り少なくなった生存者から聞き取りを続け、まさに執念で「三毛別羆事件」の真相に迫ったと言われています。

 

と言うのも、「三毛別羆事件」はあれだけの被害者を出した大惨事でありながら、木村盛武さんが取材するまでは、正確な被害者数すら正式に把握されていなかったそうです。

 

 

例えば、事件の起きた日時や場所、被害者の人数、年齢性別、現場の状況など、基本的な事実さえ、私が父や伯父から聞いた話、当時の新聞報道、あるいは事件について触れた刊行物は、それぞれ食い違っていました。単なる伝聞情報だけで書かれたものや、過剰な脚色が入ったものもあり、客観的な事実が掴めなかったんです。そういうこともあって、だったら自分が真実を追究しようと考えた次第です。

 

中略

 

結局、約30名もの事件の生存者や関係者から話を聞くことができたのですが、興味深かったのは、肝心の熊の大きさや色でさえ、十人十色で、「赤かった」という人もいれば「真っ黒だった」という人もいるという具合で、それだけ異常な状況だったことをまざまざと知らされると同時に、正確な事実を確定させるのには、慎重を要しました。いずれにしろ、そうした多くの方の協力があって、本を完成させることができました。

 

引用:元林務官が執念の取材で追究した、ヒグマによる史上最悪の惨殺事件の真実――2018年も気をつけたい身近な危険生物 | 文春オンライン https://bunshun.jp/

 

 

 

「三毛別羆事件」が「アンビリバボー」で取り上げられ話題に 

 

2018年7月19日、「奇跡体験!アンビリバボー」で熊による獣害事件が特集され、この「三毛別羆事件」の再現VTRが紹介されたことから、1世紀の時を超えて再び注目を集めています。

 

 

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/

 

しかし、熊による獣害事件は決して珍しいものではなく、つい最近にも発生しているんですよね。

 

アンビリバボーでは、2009年9月19日に乗鞍岳の登山口で起きた、ツキノワグマによる襲撃事件も紹介されました。

 

本来臆病な性格であるはずのツキノワグマが、多くの観光客で賑わう「畳平バスターミナル」のレストランやお土産店を襲撃したこの事件。

 

この時も「三毛別羆事件」の時同様、いくつかの悪い偶然が重なった結果起きた事件だったようです。

 

 

大黒岳頂上付近にいたクマは、恐らく風上にいて、人間の匂いに気づかなかったと思われる。 そして、クマと遭遇した観光客が驚いて大声を出す。 突然人に大声を出され、パニックに…走って斜面を逃げ下りた先が、バスが走るあの道路だった。 そこで、バスと接触!

 

さらに…運転手の目撃情報によれば、その後クマは現場近くにあった駐車場の鉄柵に頭から突っ込み、胴体が挟まって身動きがとれなくなったという。 もがいているうちに体は抜けたものの、もはやパニック状態! 斜面を走り下りた先こそが…最初にクマが人を襲った場所だったのではないか。

 

引用:フジテレビ – 実録!恐怖のクマSP 観光地を襲う前代未聞の惨劇 https://www.fujitv.co.jp/

 

専門家によれば熊は本来、人間がいるとわかればまず逃げ出すため、こうした事件が起きてしまう背景には、ほとんどの場合、何かしらの人間に責任があるそうです。

 

熊との遭遇を回避する方法としては、昔から鈴やラジオなど音の出るものを持つことなどが言われていますが、熊鈴だけだと渓流や滝などの水音によってかき消されてしまうケースがあるそうです。

 

そんな時でも有効なのが…蚊取り線香なのだとか。もちろん蚊除けにもなりますし、蚊取り線香の匂いがすれば、多くの熊は人間の存在を察知して避けてくれるそうです。

 

 

しかし、「三毛別羆事件」のヒグマや、乗鞍岳のツキノワグマなど、不幸な偶然が重なって、手がつけられないほど興奮している熊と遭遇した場合、何らかの対処法はあるのでしょうか?

 

前述した専門家によると…

 

 

「すでにそういう攻撃的なクマが出来上がってしまっていたので、初めに襲われた方は出来ることは、残念ながらなかったかなと思います。」

 

引用:奇跡体験!アンビリバボー:実録!恐怖のクマSP 観光地を襲う前代未聞の惨劇 – フジテレビ https://www.fujitv.co.jp/

 

 

出典:https://www.waypoints.blue/

 

 

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

日本国内のみならず、世界的にも例を見ない、史上最悪の獣害事件「三毛別羆事件」は、2018年7月放送の「アンビリバボー」で再現VTRが紹介されたことで、再び注目を集めています。

 

そこで今回、「三毛別羆事件」が発生した場所や巨大ヒグマの写真、被害者や生き残りの証言など、事件の詳細について時系列に沿って総まとめしてみました。

 

この悲惨な獣害事件で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りして、この記事の結びにしたいと思います。

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