関東連合の元中心メンバーの柴田大輔さんは、工藤明男”名義での執筆活動やテレビ出演などが話題となっていましたが、2021年に亡くなられました。
今回は柴田大輔さんの生い立ち~関東連合時代など経歴、工藤明夫としての執筆活動やテレビ出演、死去までをご紹介します。
この記事の目次
柴田大輔(工藤明夫)の身長などプロフィールと顔写真
プロフィール
名前: 柴田 大輔(しばた だいすけ)
別名義:工藤 明男(くどう あきお)
生年月日: 1979年5月24日
出身地: 東京都調布市
身長:150cm前後
柴田大輔さんの顔写真については特定されており、いくつか貼っておきます。
出典:https://i.imgur.com/
柴田大輔さんの顔写真
出典:https://i.imgur.com/
柴田大輔さんの顔写真
出典:https://stat.ameba.jp/
柴田大輔さんの顔写真
柴田大輔さんの身長について、同じ関東連合メンバーの石元太一さんは「工藤(柴田大輔)は身長が150センチないくらい」、瓜田純士さんは「工藤(柴田大輔)は身長は150センチ前後のチビ」と発言をしていたようです。
柴田大輔(工藤明夫)の生い立ちと経歴
元関東連合の幹部だった柴田大輔さんは、“残虐王子”と恐れられた見立真一さんや、“関東連合元リーダー”の肩書きをもつ石元太一さんらと肩を並べる、その筋では影響力の強い人物でした。
“人違い殺人”とも言われている「六本木クラブ襲撃事件」により、事実上の解散に追い込まれた関東連合。
その後の柴田大輔さんは、”工藤明男(くどう あきお)”名義で、実業家や執筆家として活動していたようです。
出典:https://www.twgram.me/
まずは、そんな柴田大輔さんの生い立ちや経歴から見ていくことにしましょう。
柴田大輔は在日韓国人2世の母親と日本人の父親の間に誕生する
柴田大輔さんは、日本人の父親と在日韓国人2世の母親の間に、1979年に東京都調布市で誕生しました。
柴田大輔さんが小学校3年生の頃に、杉並区西荻窪に引っ越しましたが、両親の夫婦仲が非常に悪かったことが影響したせいか、小学校高学年頃から素行が悪くなっていきました。
その後、柴田大輔さんは不良として喧嘩に明け暮れるうちに、誘われるがままに入隊したのが暴走族の「宮前愚連隊」でした。
そこでも頭角を現していった柴田大輔さんは、いつしか“宮前愚連隊8代目総長”の地位まで上り詰めていました。
そんな柴田大輔さんはこの頃、第22代目永福ブラックエンペラー総長を務めていた見立真一さんや、後に関東連合の中心メンバーとなる石元太一さんや松嶋クロスさんらと出会っています。
関東連合の幹部にのし上がっていった柴田大輔
関東連合は、首都圏を縄張りに活動していた暴走族「ブラックエンペラー」および「マッドスペシャル」を中核として、1970年代に結成された、国内最大勢力の暴走族連合体でした。
しかし、1980年代の中頃から1990年代にかけて、主要メンバーの逮捕などにより有名無実化していたと言います。
そんな壊滅状態だった関東連合を立て直し、復活させたのが見立真一さん率いる暴走族「永福ブラックエンペラー」だったのです。
もちろん以前より見立真一さんと親交のあった、柴田大輔さん率いる「宮前愚連隊」もこれに加わっています。
1990年代、チーマーとの暴力的抗争に勝利し、渋谷のアウトロー界隈を制圧した関東連合。
さらに首都圏での影響力を強めていくとともに、柴田大輔さん自身も、関東連合の中での存在感を高めていきました。
“キング・オブ・アウトロー”瓜田純士にヤキを入れた柴田大輔
柴田大輔さんは、今や“キング・オブ・アウトロー”と呼ばれる瓜田純士さん率いるグループとの抗争の際に、4対4での喧嘩では決着が付かず、後日タイマンで決着を付けることにしました。
しかし、約束の日に現れたのは、瓜田純士さんではなく、後に反関東連合グループのトップとなる木村兄弟の兄・木村泰一郎さんだったのです。
このことに腹を立てた柴田大輔さんは、瓜田純士さんにヤキを入れたと言われています。
関東連合が起こした最悪の残虐事件「トーヨーボール殺人事件」には関与していなかった?
2000年5月13日午前1時頃、都内の大田区池上のボウリング場「トーヨーボール」の駐車場でダンスの練習をしていた少年らが、関東連合に抗争相手と間違えられて襲撃される事件が発生。
そして、少年のうち1人が凄惨極まりない拷問の末、死亡しています。
出典:https://twitter.com/
この事件で逮捕された石元太一さんが、後に「人生で最大の汚点」と語るほど関東連合が起こした事件の中でも最悪の事件と言われている「トーヨーボール殺人事件」。
実はこの事件の主犯格として、当初、柴田大輔さんの名前が挙がり、約8ヶ月間麻布署の留置所に入れられていましたが、証拠不十分により釈放されています。
なお、柴田大輔さんはその後も「トーヨーボール殺人事件」には関わっていないと主張していました。
当時の関東連合の中心的人物の一人。柴田大輔は自著『聖域』で本事件について触れている。襲撃の直前まで犯行グループと一緒にいたことを認めているが、「この日の僕は、なぜか襲撃に参加することをためらった」「何か言葉にできない強い“枷”が僕の中に働いた」「見立真一から『柴田も、もちろん見に行くでしょ?』と聞かれたり、石元太一から『柴田君も付いてきてください』と一言でも誘われたら参加していた」と語り、ネット上では「柴田が主犯格の一人」というのが既成事実となっているものの、本事件には関わっていないことを強く主張している。
引用:Yourpedia – 東洋ボール殺人事件 https://ja.yourpedia.org/
柴田大輔(工藤明夫)は川奈毅に師事し勢力拡大 【芸能界や政財界にも顔がきく関東連合OB】
関東連合OB・川奈毅について
関東連合OBの川奈毅さんは、元関東連合のリーダーで、後に「六本木のモンスター」「六本木の帝王」などと呼ばれる存在となりました。
その後も、AVプロダクションを足掛かりにして、芸能界、政財界の有力者相手にビジネスを展開して太いパイプを持つ、関東連合のパイオニア的存在です。
関東連合 川名毅
— みなみ (@raborabo1212) 2016年6月20日
川名の刺青
のりピーと同じ刺青入れているのは他に梨花、奥菜恵、広末涼子など。刺青はK(川奈毅 関東連合OB)グループの証であり、Kの性玩具の意味もある。梨花、奥菜恵、広末涼子は左ケツに入れているのに、のりピーだけ目立つ場所に入れてるのはランクが上ってこと。
柴田大輔が川奈毅に近づくようになったきっかけ
1997年1月、関東連合が逮捕された仲間達を激励する集会を開いていたところ、警察に急襲されます。
そして、慌てて逃げようとバイクを暴走させたメンバーの1人が、一般人を巻き込む死亡事故を起こしてしまう事件がありました。
出典:https://ji-ko.jp/
当時、関東連合の幹部だった柴田大輔さんと見立真一さんは、事故を起こしたバイクを処分し、集会など開いていないと口裏を合わせました。
その後、警察に逮捕されたものの、死亡事故との関与が認められず、単なる罰金刑だけで釈放されています。
実はこの時、柴田大輔さんは川奈毅さんに事件の処理について相談していたといいます。
これをきっかけに、柴田大輔さんは川奈毅さんに近づいて、その後のビジネス展開を考えるようになったようです。
柴田大輔さんは、その後に出演したネット配信番組AbemaTVの「AbemaPrime」の中で次のように語ってます。
柴田氏によると、関東連合のメンバーは、IT企業の経営者たちが出資したバーなどに出入りし、彼らと交流するとともに、さらに芸能界とのつながりも深めていったのだという。そのキーマンは関東連合OBの”K氏”。
柴田氏の著書『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』によると、「K君は、僕たち関東連合が渋谷や六本木に進出する足掛かりとなったパイオニア的先輩で、芸能、クラブ、不動産といったあらゆる業界の人脈を僕たちにつないでくれた恩人」とある。
「芸能界の入り口はやっぱりK君です。K君がすでにAVの事務所をやっていて、女の子を使って色んな人脈を築いていったっていう背景がある。」
引用:「女の子を使って人脈を築いていった」 関東連合元リーダーがテレビ初出演 | AbemaTIMES https://abematimes.com/
そもそも関東連合の芸能界との関係は、芸能事務所社長などのボディーガードや運転手からスタートしたのだとか。
そして、関東連合と”芸能人”そのものとの交流が深まったのは、暴力団への利益供与を禁止する「東京都暴力団排除条例(暴排条例)」が制定された2011年前後のことだったと言います。
出典:https://times.abema.tv/
関東連合が広く知られるきっかけとなった「海老蔵事件」前までは、関東連合は芸能界との関係においては、現在とは少し違った立ち位置というか、ニュアンスを持たれていたようですね。
その点について、柴田大輔さんは次のように語っています。
「僕らの時は、運転手とかボディーガードとかそういうのをやっていただけでそこ止まりです。関東連合=芸能人・芸能界、っていうのはちょっと大きくまとめられちゃってますけど。僕より上の世代は芸能人とは付き合ったりしないです。関東連合って、暴力団でもなければ、海老蔵事件の前までは”町のギャングスター”みたいな感じで。町の成金の人たちや芸能人の人たちも連れて歩いたり、かわいがっていると顔が立つみたいに、恰好がつく。」
引用:「女の子を使って人脈を築いていった」 関東連合元リーダーがテレビ初出演 | AbemaTIMES https://abematimes.com/
柴田大輔(工藤明夫)が関東連合を引退
川奈毅さんとの仲が深まるにつれ、柴田大輔さんらが率いる関東連合の活動は広がったものの、敵対勢力である木村兄弟をトップとする「新宿ジャックス」との軋轢は深まる一方でした。
そんな中、柴田大輔さんは1997年7月、「新宿ジャックス」との抗争の末に死亡者を出す事件を起こしてしまいました。そして、柴田大輔さんは川奈毅さんにかくまってもらうことに。
出典:https://ameblo.jp/
しかし、過去にヤキを入れたことのある後輩の裏切りで潜伏場所を警察に通報され、事件から3ヶ月後の1997年10月、逮捕されて特別少年院送致となりました。
約2年間の少年院生活を経て2000年3月に出所した柴田大輔さんは、この時成人していたこともあり、そのまま関東連合を引退しました。
また、柴田大輔さんは出所直後、自身の逮捕のきっかけになった、潜伏先を警察にチクった後輩が所属するグループのリーダーに掛け合い、オトシマエとして200万円を支払わせたそうです。
柴田大輔(工藤明夫)が実業家や執筆家として活動を開始
柴田大輔は“工藤明男”名義で関東連合の実態を暴露する著書を次々と出版
2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」によって、事実上の壊滅状態に陥った関東連合。
出典:http://livedoor.blogimg.jp/
また、関東連合を牛耳っていた見立真一さんが、海外逃亡をして日本から離れたことで、柴田大輔さんは、”工藤明男”名義で執筆活動などをしながら静かに暮らすようになりました。
”工藤明男”は、2013年に関東連合の実態を暴露した著書「いびつな絆 関東連合の真実」を出版し話題になりました。
この本の中で、関東連合が勢力を拡大していった経緯や、関与した事件についての真相が明かされています。
特に、世間の注目を集めた「海老蔵事件」や、「六本木クラブ襲撃事件」についての真相が話題となり、発売早々7万部を売り上げるヒットとなりました。
出典:https://item.mercari.com/
”工藤明男”の著書はこれ以外にも、
【ノンフィクション】【新刊】宝島社『破戒の連鎖 いびつな絆が生まれた時代 』工藤明男(1300円+税)関東連合“凶暴化”の裏側を決死の思いで克明に書いた、第一級のノンフィクション。凄惨な抗争と渋谷マネーの内幕。棚番B-1-3(H) pic.twitter.com/0TU4FpHFqo
— 有隣堂ヨドバシAKIBA店 (@yurindo_akb) 2014年7月23日
「破戒の連鎖」は、1990年代の関東連合をテーマに書かれたノンフィクション作品です。
明日発売の『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』(柴田大輔)をゲットできたので、先にこちらを読みます!
— 山窩ラボ (@jackiemito) 2016年10月25日
工藤明男こと柴田大輔氏は、関東連合ボスのひとり。当事者の目で見た、体験した半グレの実態を暴露しています。どの本も秀逸‼︎ pic.twitter.com/u9jJntXlnv
2016年に出版した関東連合の闇ビジネスの実態を描いた「聖域」は、その後、漫画化もされています。
猫組長さん、沖田臥竜さん、柴田大輔さんの共著「悪問のすゝめ」(徳間書店)きた! 猫組長さんのプロフィール写真が猫じゃない……。 pic.twitter.com/RRAPRxFOUh
— 花房観音 (@hanabusakannon) 2017年7月22日
2017年発売の「惡問のすゝめ」は、ヤクザや暴走族の知られざる実態を描いた作品で、元山口組系組長である猫組長や、元山口組直系二次団体幹部だった沖田臥竜さんとの共著本です。
柴田大輔(工藤明夫)がAbemaTVに“元関東連合リーダー”として顔出し出演
“工藤明男”は、当初、本名である柴田大輔の名を伏せて、関東連合の実態や暴露本を出版していました。
しかし、暴露本の内容から“工藤明男”が柴田大輔さんであるということが明らかになると、“工藤明男”は実名を出さなかったことで、卑怯者呼ばわりされるようになりました。
出典:https://times.abema.tv/
また、“工藤明男”名義で出版された著書は、暴走族や関東連合の実情を暴露する内容のもので、言ってみれば“関東連合の名をビジネスに利用した”ことに他なりません。
そのことが面白くない、昔の仲間たちも少なくなかったようです。
その後、柴田大輔さんは”卑怯者呼ばわりされているのが嫌”という理由で、工藤明男の正体が柴田大輔であることを公開しました。
出典:http://urashakai.blogspot.com/
そんな柴田大輔さんは、2016年12月には、ネット配信番組AbemaTVにて、帽子にサングラスで変装してはいるものの、初めて“顔出し”で動画に出演したことが話題となりました。
柴田大輔(工藤明夫)が死去…死因は自殺との噂
2021年11月、柴田大輔さんが亡くなったことが明らかになりました。亡くなったのは11月28日で、死因は自殺とみられています。
この日、柴田大輔さんと連絡が取れなくなったことを心配した関係者が柴田さんの自宅を訪れたところ、傷だらけの柴田さんを発見。柴田大輔さんは精神安定剤を服用していたようで、亡くなる2ヶ月ほど前から自傷行為も繰り返していたと言います。
「亡くなった当日、柴田さんの会社の関係者が、連絡が取れないことを心配して、柴田さんの自宅を訪れたことで発覚しました。柴田さんは精神安定剤を服用していて、衝動的に自分で自分の身体を刃物で切りつけたのでは、と聞いています。葬儀は親族の意向で都内で行われる予定だそうです」(柴田氏の知人)
柴田大輔さんは新型コロナに感染し、重篤化したことで入退院を繰り返していたとのこと。なかなか体調が回復せず苦しんでいたと言われています。
「感染した新型コロナが重篤化したことで、今年に入って入退院を繰り返していました。若いころに筋肉増強剤を長期間にわたって服用していたため、副作用で血栓ができやすく、軽度ですが何度か脳梗塞も起こしています。11月も短期間、入院していました。体調が思うように回復しないことで、苦しんでいるようでした」
また、柴田大輔さんは生前、本を書いたことで「毎日のように『殺す』『ガラを取るぞ(拉致するぞ)』という脅しを受けています。」と明かしていたこともありました。
関東連合を離れ、ビジネスを成功させていた柴田大輔さんは、一部のメンバーから“裏切り者”呼ばわりもされていたようです。
さらに、死の直前には、近々「六本木クラブ襲撃事件」によって収監されていたメンバーの一部が刑務所から出てくるということに、かなり悩んでいたとの証言もありました。
柴田大輔さんは自身が襲撃されることに恐怖を感じていたとみられています。
柴田氏はその後、本名を明かし、執筆活動やメディアへの出演を行っていた。近年は事業家や投資家としても活動していたという。近況について知っている前出の知人が話す。 「本当に悲しくてやりきれません。悲痛な気持ちです。実はもうすぐクラブ襲撃事件によって収監されていたメンバーの一部が刑務所から出てくるのです。最近柴田さんはそのことでかなり悩んでいたようです」
まとめ
いかがでしたでしょうか。
関東連合の元中心メンバーであり、“工藤明男”名義で、関東連合や裏社会の実態を暴露する執筆活動をしていた柴田大輔さんの経歴についてまとめてみました。
世間に名を轟かせながらも、最期は自死という形で独りで人生を終えた柴田大輔さん。晩年、柴田さんが何を思っていたのかは今となっては知る由もありませんが、何かに怯え不安を感じていたようです。柴田大輔さんのご冥福をお祈り申し上げます。