「力道山を刺した男」として知られる住吉会系の元幹部・村田勝志さんが話題です。
この記事では村田勝志さんの住吉会などの経歴と結婚と嫁、息子や総合格闘家だった娘の篠原光さんなどの子供や孫、力道山刺傷事件の真相や死因と晩年などについてまとめました。
この記事の目次 [目次を非表示]
- 村田勝志は力道山を刺して死亡する原因を作った住吉会系暴力団幹部
- 村田勝志の経歴① 中学時代は不良グループのリーダー格で恐れられた
- 村田勝志の経歴② 住吉会の住吉一家の大日本興行の準構成員
- 村田勝志の経歴③ 力道山刺傷事件で服役後住吉会の二次団体小林会の幹部
- 村田勝志の結婚と嫁
- 村田勝志の子供は娘の総合格闘家の篠原光
- 村田勝志の子供が息子で元日テレアナウンサーの篠原光というのはデマ情報
- 村田勝志の孫① 娘の篠原光の1人目の子供(娘)の和田彩(AYA)さん
- 村田勝志の孫② 娘の篠原光の2人目の子供(息子)の光輝さん
- 村田勝志のひ孫…孫のAYAが17歳で娘を出産
- 村田勝志の力道山刺傷事件について
- 村田勝志の死因は病気で糖尿病が関係か
- まとめ
村田勝志は力道山を刺して死亡する原因を作った住吉会系暴力団幹部
村田勝志のプロフィール
生年月日:1939年4月1日
没年月日:2013年4月9日(没年74歳)
出生地 :茨城県土浦市(一説には阿見町)
出身地 :東京都中央区築地
村田勝志(むらだ・かつし)さんは、1963年12月に当時国民的人気プロレスラーであった力道山とナイトクラブでトラブルになり口論の末に取っ組み合いになって登山ナイフで腹を刺して病院送りにし、それが力道山の死の原因(直接的な死因は別)になった事で知られる人物で、指定暴力団住吉会系二次団体の幹部でした。
村田勝志さんはこの力道山刺傷事件により「力道山を刺した男」として当時は全国的に名前が知られるようになりました。
村田勝志の経歴① 中学時代は不良グループのリーダー格で恐れられた
出典:https://upload.wikimedia.org/
「力道山を刺した男」こと村田勝志さんは、茨城県土浦市(茨城県阿見町出身説も)に1939年に生まれています。
村田勝志さんは子供の頃から大柄で喧嘩が強く、中学時代より不良グループ(愚連隊)の“番格”(リーダー格)でカミソリを拳に挟んで殴る喧嘩スタイルから「カミソリ村田」の異名で周囲に恐れられていたという事です。
村田勝志の経歴② 住吉会の住吉一家の大日本興行の準構成員
村田勝志の親分だった住吉会系幹部の小林楠扶氏
村田勝志さんは中学を卒業後に上京して東京都中央区築地に住むようになり、指定暴力団住吉会の前身である「住吉一家」の二次団体「大日本興行」の準構成員となり、暴力団の世界に入りました。
その後、村田勝志さんは23歳だった1963年12月8日の夜、行きつけだった東京港区赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」を訪れていた際に、同じく客として訪れていた力道山とトラブルになり、もみ合いになった際に護身用に持ち歩いていた登山ナイフで力道山の腹を刺す事件を起こしました。
力道山刺傷事件が起きたこのナイトクラブ「ニューラテンクォーター」は国内外のセレブが集う超高級店で若干23歳の若者が遊べるような店ではありませんでしたが、当時村田勝志さんが所属していた住吉会(当時は港会)系「大日本興行」の幹部で村田勝司さんの親分であった小林楠扶氏がこのクラブの顧問を務めていたため、それを通じて常連客となっていたという事です。
村田勝志の経歴③ 力道山刺傷事件で服役後住吉会の二次団体小林会の幹部
力道山刺傷事件を起こした後、村田勝志さんは警察に出頭しようとしましたが、力道山側から「表沙汰にしないでほしい」との申し入れがあり当事者間では和解が成立しています。
しかし、力道山と関係の深かった当時新興だった暴力団組織「東声会」の構成員8名の襲撃を受けて大乱闘を演じ、そこに駆けつけた警察官に現行犯逮捕されます。
さらにその後、刺傷事件後も元気な様子を見せていた力道山の容態が急変して事件から1週間後の1963年12月15日に死去。
これにより、村田勝志さんは傷害致死罪で起訴され懲役7年の実刑判決を受けて服役しました。
村田勝志さんは服役を終えた後は、親分である林楠扶氏が率いる住吉会系の二次団体「小林会」に所属して幹事長や理事長、特別相談役などを歴任しました。
村田勝志の結婚と嫁
村田勝志さんの結婚や嫁については詳しい情報は明かされていませんが、子供である娘の篠原光さんが1974年10月生まれなので、村田勝志さんは力道山刺傷事件で服役し出所した1971年以降に嫁と結婚した可能性が高いと思われます。
また、村田勝志さんの子供の篠原光さんが過去にインタビューで宮城県大河原町に母の実家があると語っている事から、村田勝志さんの嫁は宮城県大河原町出身の女性である可能性が高いようです。
大河原町を選んだのは町内に母の実家があって、ジムの家賃も安いから。
ただ、村田勝志さんには愛人が何人かいた事がわかっており、篠原光さんが本妻との子供なのかどうかまではわかりません。
村田勝志の子供は娘の総合格闘家の篠原光
村田勝志の子供・娘の篠原光のプロフィール
生年月日:1974年10月9日
出身地 :東京都
身長 :170cm
村田勝志さんの子供は娘の篠原光(しのはら・ひかる)さんです。
村田勝志さんの娘である篠原光さんは仙台の名門私立の女子校「仙台白百合学園高校」に通っていましたが17歳で子供を出産して中退し、その後は六本木のキャバクラなどで働いていました。
そのかたわらアマチュアの総合格闘家として試合に出場し始め、2002年2月にプロデビューしました。当時は「力道山を刺した男の娘」のキャッチフレーズで紹介され格闘技界隈でかなり話題になりました。
村田勝志さんの娘の篠原光さんは2011年まで総合格闘家として活躍し、プロでの通算戦績は「15戦6勝9敗」でした。
プライベートでは、2009年2月にタイ人のプロボクサーで元WBA世界ジュニアバンタム級王者のヨックタイ・シスオー氏と結婚しています。子供は2人でヨックタイ氏と結婚する前の17歳の時に出産した娘とヨックタイ氏との間に2009年11月に生まれた息子です。
結婚後の2009年9月には、ヨックタイ氏と2人で宮城県柴田郡大河原町でパーソナルジム「ヨックタイジム」をオープンしています。
村田勝志の子供が息子で元日テレアナウンサーの篠原光というのはデマ情報
元日本テレビアナウンサー・篠原光のプロフィール
生年月日:1994年11月26日
出身地 :東京都杉並区
身長 :176cm
血液型 :B型
村田勝志さんの息子が元日本テレビアナウンサーの篠原光(しのはら・こう)さんという事はなくデマ情報です。
娘の「篠原光(しのはら・ひかり)」さんと漢字が全く同じであるために息子説が浮上したようですが、元アナウンサーの篠原光さんと暴力団には何の関係もありません。
村田勝志の孫① 娘の篠原光の1人目の子供(娘)の和田彩(AYA)さん
村田勝志さんの孫は、娘の篠原光さんが17歳の時に出産した1人目の子供の和田彩さんです。
篠原光さんの娘の和田彩さんは現役の高校生だった2008年9月に格闘技大会「DEEP GLOVE 3」に「AYA」のリングネームで母親の篠原光さんの代役として出場した事で話題になりました。
篠原光さんの子供で村田勝志さんの孫であるAYAこと和田彩さんですが、篠原光さんが車の運転中にトラックに追突される事故で怪我をして決まっていた試合に出場できなくなったため急遽その代打として出場を決めました。
この篠原の欠場を受けて、立ち上がったのが実の娘、AYA(本名:和田彩)だ。篠原が17歳の時に生んだ娘であり、今年で17歳になる高校2年生。現在はクラーク記念高等学校の仙台キャンパスに通い、ヘルパーの勉強中。将来はケアマネージャー(介護支援専門員)になることが夢だという。
AYAさんはそれまで全く格闘技の経験がなくわずか2日練習しただけで試合に出場して富樫さちこと対戦し引き分けています。試合後には一時的格闘家続行とも取れる発言をしていましたが、その後は格闘技の試合には出場していません。
大方の予想を覆し、AYAが見事3分間を“完走”。試合後には「もっと練習して体力をつけたい」と、格闘技続行宣言とも取れる発言が飛び出し、母・光も「えっ!?」と驚愕したものの「私は邪魔しない」と、娘の今後は本人に任せる旨を明言。とはいえその発言のすぐ後に「まだ学校もバイトもあるし…」と、揺れる乙女心も吐露。ケアマネージャーを夢見て、仙台の高校で介護を学ぶ17歳のAYAが、今後どんな決断をするのか注目だ。
村田勝志の孫② 娘の篠原光の2人目の子供(息子)の光輝さん
村田勝志さんの娘である篠原光さんは2009年11月9日に2人目の子供であり、村田勝志さんの孫にあたる息子の光輝さんを出産しています。
「去年の11月9日、17歳での初産以来、18年ぶりになる出産をしちゃいました。生まれたのはタマのような男の子で、光輝って名付けました」
2009年2月に結婚したタイ人の元プロボクサーで元WBA世界ジュニアバンタム級王者のヨックタイ氏との間に生まれた子供でした。
村田勝志のひ孫…孫のAYAが17歳で娘を出産
村田勝志さんの孫にあたるAYAこと和田彩さんは2009年6月20日に娘を出産しており、村田勝志さんにとってひ孫にあたります。
村田勝志さんの娘の篠原光さんが当時ブログで自身の2人目の子供である光輝さんを半年早く生まれたAYAさんの娘(篠原光さんの孫で村田勝志さんのひ孫)が腕枕している画像を投稿していました。
孫「女の子」の腕枕で息子が、寝てます!
5ヶ月違うとだいぶ デカイなぁ。孫はご機嫌でーす!m(__)m
ひかる
村田勝志さんの娘の篠原光さんの2人目の子供と村田勝志さんの孫にあたるAYAさんの娘は同級生という事になります。
実は6月20日に17歳の娘のAYAが女の子を出産したんです。だから、ワタシはもうおばあちゃんで、孫娘とウチの長男が同級生ってことになります。
村田勝志さんはひ孫が生まれた翌年の2010年も健在でしたが、娘の篠原光さんがインタビューで、村田勝志さんがまだ孫にもひ孫にも会っていないと話されていました。
さて、篠原さん、お嬢さま学校で知られる名門・仙台白百合学園高校在学中から「力道山を刺した男の娘」の血なのか、けんかっ早く、地元では怖いものナシだったという。
「やっぱりDNAなんですかね。オトコも軟弱なのはNGです。父? たまに電話で話しますが、まだ孫ともひ孫とも対面してません」
村田勝志の力道山刺傷事件について
村田勝志さんが犯人である力道山刺傷事件ですが、長年昭和の時代のミステリーとされて、CIAの陰謀説なども囁かれていました。
しかし実際には、酒に酔っていた力道山が村田勝志さんに一方的に「足を踏んだ」などと因縁をつけて口論になり、力道山が襲いかかってきてもみ合いになって、力道山のあまりのパワーに「このままでは殺される」と感じた村田勝志さんが護身用に持っていた登山ナイフを咄嗟に出したところへ力道山がのしかかってきて、腹にナイフが刺さったというのが真相のようです。
力道山は腹をナイフで刺された後に、自分の足で歩いて事件現場であるナイトクラブ「ニューラテンクォーター」のステージに上がり、「皆さん、気をつけてください。この店には殺し屋がいます。早く帰った方がいいですよ!」などと騒ぎ、「この店は殺し屋を雇っているのか!」などと喚きながら側近に抱えられて店を出て行ったとされており、刺された後も命に危機があるようにはとても見えなかったようです。
しかし、刺した村田勝志さんはナイフの根元まで脂が付着していた事から、力道山が深手を負っていると気がついており、力道山のマネージャーの吉村義雄さんに「喧嘩になっておたくの先生(力道山)を刺してしまった。早く病院に連れて行かないとロクっちゃう(死んでしまう)よ」と事件のすぐ後に伝えていました。
しかし、力道山やその周辺は傷口から全く血が出ておらず、力道山本人も動き回ったり大声で話したりしている事から傷は大した事がないと誤認識していました。
力道山は自分のプロレスラーとしての名声に傷がつく事を恐れ、情報が漏洩しないように知り合いの赤坂の産婦人科である山王病院の長谷和三医師に治療してもらう事にこだわりました。
力道山は側近らに説得され長谷医師の推薦した聖路加病院から外科医の上中省三氏を呼び、小腸が4か所切れていた事から十数針縫合する手術を受けています。上中医師は「重傷ではあるが命に関わるものではない」とみて、「腹膜炎を起こす心配はないだろう」と判断して傷口を閉じ呪術は成功したと家族や関係者に伝えています。
その後、力道山の見舞いにひっきりなしに知人や関係者が駆けつけましたが、力道山のいつもと変わらぬ様子を見て皆、一様に安心して引き上げていったといいます。
また、力道山の嫁の田中敬子さんによれば、力道山も早く治したいとの気持ちから医師の言いつけを守って水分の摂取を極力控えるなどしており、死去後に噂された「力道山が医師の言いつけを無視して牛乳やサイダーをがぶ飲みした」という内容は事実ではないという事です。(ただし、力道山が嫁や看護師の目を盗んで飲食をしていたとの証言も存在)
ところが、事件からちょうど1週間後の1963年12月15日に、力道山の容態が一変して腹膜炎による腸閉塞を受け再手術を受けます。医師はこの手術も成功したと家族や関係者に伝えていますが、力道山は手術後に1度も目を覚ます事なく昏睡状態に陥り手術から約6時間後のその日の夜9時頃に39歳で亡くなりました。
力道山の直接の死因は併発した腹膜炎で医療ミス説も浮上している
力道山は村田勝志さんが刺した傷が原因となって死亡した事は間違いありませんが、その後の措置が問題なく行われていれば亡くなる事はなかったとの見方が強いようです。
力道山の直接的な死因は「化膿性腹膜炎」とされており、適切な治療が行われていれば死亡する事はなかったと言われています。そのため、力道山が死亡したのは村田勝志さんに刺された事によってではなく医療ミスであったとの説も出ました。
その場では応急処置のみで、力道山は帰宅する。翌日、症状が悪化して1週間後に死亡する。現在では、死因は医療ミスであったとも言われている。
ただし、2019年に力道山の死因が医療ミスだったとする説を否定する報告が医療専門雑誌で発表されています。
村田勝志は毎年力道山の墓参りを続けていた
村田勝志さんは毎年力道山の墓参りを続けていました。力道山の遺族と鉢合わせるのを避けるためにあえて命日から1日か2日ほどずらして墓参りをしていたのだそうです。
村田組長は、「力道山の命日には、毎年、墓参りを続けてますよ」 とこうもいう。
「遺族とカチ合うのを避け、1日か2日ずらして行ってるんですよ。刑務所にいて墓参りができなかった時は、坊さんに来てもらって、読経してもらったしね」
村田勝志の死因は病気で糖尿病が関係か
村田勝志さんは2013年4月9日に74歳で亡くなっています。
村田勝志さんの死因については明かされていませんが「病死とみられる」と報じられています。
戦後の国民的ヒーローだったプロレスラーの力道山をナイフで刺したとして、懲役7年の判決を受けた当時暴力団組員の村田勝志元受刑者(74)が、4月上旬に都内で死亡していたことが13日、関係者への取材で分かった。病死とみられる。
村田勝志さんは糖尿病を患い晩年は長く病床にあったという事です。死因には糖尿病が関連していた可能性が考えられます。
「日本プロレス界の父」と呼ばれたプロレスラー、力道山をナイフで刺した指定暴力団住吉会系の村田勝志幹部(74)が今月上旬、都内で死亡していたことが12日、警視庁関係者などへの取材で分かった。病死とみられる。最近は糖尿病を患っていたという。
まとめ
今回は、住吉会系の元幹部暴力団員でプロレスラーの力道山を刺して死亡する原因を作ったことで知られる村田勝志さんについてまとめてみました。
村田勝志さんの経歴は、中学時代から不良グループのリーダ格として恐れられ、中学卒業後に上京して住吉会系の二次団体「大日本興行」の準構成員となって暴力団の世界へと入り、24歳だった1963年12月8日に、ナイトクラブでトラブルになった力道山を登山ナイフで刺す事件を起こしました。その後、傷害致死の罪で有罪となり7年間服役し、出所後には住吉会系の二次団体「小林会」の幹部になり、2013年4月9日に74歳で亡くなるまで暴力団の世界で活動しました。
村田勝志さんの結婚や嫁については詳しい情報は明かされていませんが、子供は少なくとも娘が1人います。村田勝志さんの娘は総合格闘家として活躍した篠原光さんです。全く同じ漢字を書く元日本テレビアナウンサーの篠原光さんが息子だという説はデマです。
村田勝志さんの子供である篠原光さんには2人の子供が生まれており、村田勝志さんの孫にあたります。村田勝志さんの孫にあたる篠原光さんの1人目の子供は娘の和田彩さんで「AYA」のリングネームで格闘技の試合に出場し話題になった事もありました。村田勝志さんの2人目の孫は、篠原光さんの2人目の子供で息子の光輝さんで2009年に生まれています。
また、孫の和田彩さんも2009年に娘を出産しており村田勝志さんにとってはひ孫にあたります。
村田勝志さんは力道山刺傷事件の犯人ではありますが、事件の真祖は酒に酔った力道山に因縁をつけられてもみ合いになった際に発生した突発的な事故であり、村田勝志さんにはそもそも力道山を殺害する気はもちろん、揉める気すらもありませんでした。
村田勝志さんの死因については明かされていませんが「病気と見られる」、「晩年は糖尿病で長く病床にいた」などの情報が明らかになっています。