たくさんいるレジェンド級のプロ野球選手の中でも華があり根強い人気を持つ清原和博さん。その息子の進路に注目が集まっています。
清原正吾さんのプロフィールや家族(父親・母親・兄弟)と高校や大学などの学歴、野球の実力や身長とイケメン写真、現在の経歴・就職先の会社などをまとめました。
この記事の目次
清原正吾は清原和博の長男&野球選手
清原正吾
生年月日:2002年8月23日
出身:東京都
ポジション:内野手
投打:右投右打
清原正吾さんは、元プロ野球選手である清原和博氏の長男であり、慶應義塾大学野球部で4番を務めた野球選手です。
往年の名選手である清原和博氏の長男が慶應義塾大学野球部の4番打者になり、2024年9月にはプロ志望届を出したことで注目を集めましたが、ドラフト会議では指名されませんでした。
清原正吾の家族①:父親は清原和博
清原和博
生年月日:1967年8月18日
出身:大阪府岸和田市
身長:188cm
所属:元西武ライオンズ・元巨人・元オリックス
ポジション:内野手
投打:右投右打
活動:元プロ野球選手、タレント
清原正吾さんの父親の清原和博氏は、元プロ野球選手です。
1983年に大阪のPL学園に進学すると、1年生の時から4番を務め、5季連続で甲子園出場を果たしました。桑田真澄氏と共に「KKコンビ」と呼ばれ、甲子園の花形スターとなり、通算13本塁打を放ち、注目を集めました。この通算13本塁打は、甲子園の最多記録になっています。
本人は巨人入りを熱望していましたが、1985年のドラフト会議では巨人からは指名されず、6球団から1位指名を受け、抽選の末、西武ライオンズに入団しました。
ルーキーイヤーから1軍で活躍すると、高卒ルーキーとは思えないほどの活躍を見せ、球界を代表する選手に成長します。また、オールスターで活躍したことから「お祭り男」と呼ばれるようになりました。1996年のシーズンオフには、FA宣言をして、憧れの巨人に入団します。
2005年オフには巨人から戦力外通告を受けて、オリックス・バファローズに入団することになりました。しかし、巨人時代から体重が増えケガが多くなったことが影響し、2008年シーズンに現役を引退しています。
現役引退後は野球評論家やタレント活動をしていましたが、ドタキャンするなどあまり評判は良くなく、銀座クラブのママとの不倫が報じられたり、薬物乱用疑惑、糖尿病報道などが出るようになります。
そして、2016年2月に覚醒剤所持で逮捕され、懲役2年6ヶ月執行猶予4年の有罪判決を受けました。素行不良や有罪判決で野球界を追放状態になっていた清原和博氏ですが、執行猶予が明け、プロ野球のキャンプを訪問するなど、少しずつ野球界とつながりを持つようになっています。
清原正吾の家族②:母親は亜希
亜希
生年月日:1969年4月14日
出身:福井県福井市
身長:168cm
所属:NLINE
血液型:O型
活動:モデル
清原正吾さんの母親はモデルの亜希さんです。
若い頃はセブンティーンクラブのメンバーとしてアイドル活動をしていましたが、その後はモデルとして活動するようになります。
2000年に清原和博氏と結婚し、2児を出産します。しかし、夫の清原和博氏の素行不良やDVなどが原因で2014年に離婚します。ただ、離婚後も清原和博氏を支え続けました。
清原正吾さんにとって、亜希さんは強くてカッコいい自慢の母親です。
「強くてかっこいいし、可愛いし、綺麗だし、作ってくれるご飯もお弁当も全部美味しい。モデルの仕事で家を空けないといけない日も、朝早くに起きて家のことを済ませてから外出していた。常に子供たち第一で行動してくれていました」
引用:清原和博“あの慶大の長男”が明かす家族関係…“モデルの母”亜希さんに激怒された日「中学の時、タクシーを使ったら…」「弟は父に似てる」(2/3) – ドラフト会議 – Number Web – ナンバー
父親の清原和博氏の薬物報道が出た時でも、亜希さんは涙を見せたことはなかったそうです。また、亜希さんはモデルなので日焼けは厳禁ですが、清原正吾さんの試合がある日には必ず応援に来てくれる。しかも、屋根のない応援席に座って応援してくれるとのこと。
清原正吾さんが亜希さんのことを「自慢のお母さん」と言えるのは、亜希さんがそれだけ素敵な母親だからなんですね。
清原正吾の家族③:兄弟は弟が1人
清原勝児
生年月日:2005年5月1日
出身:東京都
身長:175cm
体重:80kg
所属:慶應義塾大学野球部
清原正吾さんには弟が1人います。その弟も野球をしています。
野球で世間の注目を集めたのは、清原正吾さんよりも弟の清原勝児さんが先です。
清原勝児さんは慶應義塾高校野球部に所属し、スタメンではなく代打での出場だったものの、2023年の夏の甲子園で優勝しています。
清原正吾さん曰く、弟の勝児さんは父親の清原和博氏に似ているとのことです。
正吾に言わせれば、顔立ちや人見知りをしない自分の性格は「圧倒的に母親似」で、「ぶきっちょなのに、真っ直ぐで熱い」父に似ているのが弟だという。
引用:清原和博“あの慶大の長男”が明かす家族関係…“モデルの母”亜希さんに激怒された日「中学の時、タクシーを使ったら…」「弟は父に似てる」(3/3) – ドラフト会議 – Number Web – ナンバー
勝児さんは慶應義塾高校では1年生の時に留年しましたが、2025年に高校を卒業し、同年4月からは慶應義塾大学野球部に所属する見込みになっています。
プロ野球の西武、巨人などで活躍した清原和博さんの次男、清原勝児内野手(神奈川・慶応高)が慶大野球部の門をたたいた。
清原正吾さんは弟の勝児さんに対して、「俺を超えろ」とエールを送っています。
清原正吾の学歴:高校・大学は慶應
清原正吾の学歴は、小学校から大学までずっと慶應です。
・小学校:慶應義塾幼稚舎
・中学校:慶應義塾中等部
・高校:慶應義塾高校
・大学:慶應義塾大学商学部
さすが、トッププロ野球選手とモデルの両親の子供です。
清原正吾さんは小学生から中学生になるタイミングで、父親の清原和博氏の薬物疑惑や両親の離婚問題などが持ち上がりました。この騒動の時は家から出られないほどの状況になりましたが、学校が慶應だったことで普通の学生生活を送ることができたと振り返っています。
でも、学校には一日も休まず通いました。それができたのは、間違いなく通っていた学校が慶應だったからだと思います。慶應の学生は、中学生でもどこか品があって、状況を理解して大人のような気遣いをしてくれる。だからこそ、僕も普通の学生生活を送れた。
引用:慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音(2/3) – ドラフト会議 – Number Web – ナンバー
エリートが多い慶應義塾だったから、清原正吾さんは両親の離婚や父親の覚醒剤逮捕などがあっても、非行に走ることなく、まっすぐに育つことができたのでしょう。
清原正吾の野球の経歴
一度は野球から離れた
清原正吾さんは6歳の時、父親の清原和博氏の引退試合に行き、父親の背中を追って、小学3年生の時に「オール麻布」という軟式野球チームに入って野球を始めました。
野球を始めた当初は、野球が大好きで、将来の夢はプロ野球選手でした。しかし、小学校高学年の時に、父親の素行不良や薬物疑惑が報道されるようになります。
そのような事情があり、父親のことが嫌いになった清原正吾さんは中学校に進学するタイミングで野球をやめてしまいます。
中学校ではバレーボール部、高校ではアメリカンフットボール部に入ります。どちらも初心者でしたが、体格に恵まれ、さらに運動能力が非常に高かったので、バレーボール部ではエース、アメフト部ではタイトエンドというポジションを任されます。
しかも、アメフト部では神奈川県選抜に選ばれ、MVPも獲得しています。慶應義塾大学アメフト部は、清原正吾さんの入部を心待ちにしていたそうです。
弟の相談から野球を始める
弟の清原勝児さんは中学校でも野球を続けていましたが、バッティングで悩み、兄の正吾さんに相談します。しかし、正吾さんは野球を辞めていたため、父親を頼ることにしたんです。
そして、父親の清原和博氏と弟の勝児さん、そして清原正吾さんは一緒にトレーニングをすることになりました。
大学進学時、薬物依存から立ち直ろうとしている父親のために何かできないかと考えた結果、野球を再び始めることを決意しました。
「大学4年間は、最後の学生生活となる。まずは今まで育ててくれた両親に恩返ししたいというのが、自分の心の第一優先としてありました。アメフトでは正直、高校の部活としては行けるところまで行ったし、やりきった想いも強かった。社会復帰をし始めて頑張っている父の人生を活気づける何かをしたいなと考えた時……」
引用:慶大・清原正吾が語る“清原家の今”「母は涙ひとつ流さなかった」再会した父・和博の謝罪「ごめんな…」中高時代は離れた野球、当時の本音(3/3) – ドラフト会議 – Number Web – ナンバー
弟の野球を応援するために一度は嫌っていた父親を頼り、父親のために再び野球を始めたんですね。
努力の結果4番を掴む
野球を再び始めることを決意した清原正吾さんですが、6年間のブランクがありました。慶應義塾大学野球部は全国から野球のエリートが集まってくる場所です。そんな中に飛び込んだ清原正吾さんは周囲との実力差は歴然でした。
慶應野球部の部員は約200人。その中でとにかく猛練習を続け、2年生の秋の早慶戦でリーグ戦デビューを果たしました。そして、4年生の春からは4番としてチームを率いることになったのです。この成果の影には父親の協力がありました。
「僕自身1番のコーチは父親。この4年間オフの日も常に父と練習し、次の日は野球部の練習に挑むという生活を送っていた。自分の感覚と実戦の結果を動画で擦り合わせ、まずは自分自身で考え、わからなかった時に父にアドバイスを求めた」。
初めてのホームランボールは、父親に渡し、2号は母親、3号は弟に渡したそうです。
ドラフトでは指名されず
清原正吾さんは2024年9月にプロ志望届を提出したことを表明しました。
正吾さんに興味を示した球団は複数あったものの、10月24日のドラフト会議では育成枠でも指名されず、指名が見送られました。プロ志望届を提出した後の秋季リーグで実力を発揮しきれなかったことも要因と言われています。
清原正吾の野球の実力は?
清原正吾さんはプロ志望届を提出した時は、「清原和博の長男で慶應の4番」という触れ込みから、「上位指名確実」という報道もありました。しかし、ドラフト会議では育成枠でも指名されず、指名漏れとなったのです。
プロのスカウトから見ると、指名漏れは当然の結果のようです。
確かに慶應大学の4年間で飛躍的に成長したのは間違いないですけど、それでもチームは5位(今秋)でしょ。本当に力のあるバッターだったら、もう少しチームを勝たせてもいい。いずれにしても、今は時期尚早っていうのがプロ側全体の見方だったんじゃないですか
潜在能力・身体能力は折り紙付きだけど、大学4年時点での清原正吾さんの野球の実力では、プロの世界では通用しないという見方が強かったようです。
また、「慶應」というブランドもプロ入りの足枷になった可能性があります。慶應野球部出身で育成指名はあり得ないとう慣例があるという情報があります。
「六大学の選手が育成契約というのはまずないし、慶応となればなおさら」と別のパ・リーグ球団スカウトが言うように、指名するのならば支配下と考える球団もあるだろう。
引用:「清原ジュニア」慶大・清原正吾がプロ志望届提出、今秋ドラフトで獲得する球団あるか ベストナイン初受賞も本塁打ゼロ…スカウト評価は(2/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト
実力的に「育成指名」だったとしても、慶應出身だから、育成指名は避けられたのかもしれません。とはいえ、清原正吾さんの実力はこの時点ではプロでは通用しないと判断されたことは間違いないでしょう。
清原正吾の身長
清原正吾さんの身長は186cmです。
身長186cm・体重90kg。スポーツ選手として、かなり恵まれた体型をしていることがわかります。
父親の清原和博氏は身長188cm、母親の亜希さんは168cm。父親と母親の体格を引き継いだと言えるでしょう。
この身長ならバレーボールでもアメリカンフットボールでも。良い成績を残せたことに納得できます。
ちなみに、弟の清原勝児さんは175cmです。兄弟で10cm以上違うんですね。
清原正吾がイケメン!母親似!
清原正吾さんは超イケメンです。
清原正吾さんは母親似です。
正吾に言わせれば、顔立ちや人見知りをしない自分の性格は「圧倒的に母親似」
引用:清原和博“あの慶大の長男”が明かす家族関係…“モデルの母”亜希さんに激怒された日「中学の時、タクシーを使ったら…」「弟は父に似てる」(3/3) – ドラフト会議 – Number Web – ナンバー
目がぱっちりしていて、日本人離れした彫の深い顔立ちをしています。これだけの爽やかイケメンで、身長は186cm、慶應義塾大学野球部4番なのですから、超無敵のスペックを持っていることは間違いありません。
清原正吾の現在:就職先の会社はどこ?
清原正吾さんは、ドラフト会議で指名漏れになり、プロ入りの道が閉ざされました。その後、独立リーグからの勧誘はあったものの、野球は大学で引退することを表明しました。
とりあえず、1年間は留年して就職すると言われていますが、大手の総合商社が就職先という噂が出ています。
引退表明前から、大手総合商社内で来年度入社するという話が回っていました。複数日程のインターンシップで活躍すれば優遇があり、内定も近いので、実際は内定しているのではないでしょうか。
体育会の運動部出身の人材は引く手あまたと言われています。しかも、清原正吾さんは慶應出身で、高身長のイケメン。就職先はいくらでも選ぶことができるでしょう。
清原正吾のまとめ
清原正吾さんのプロフィールや家族(父親・母親・兄弟)と学歴(高校・大学)や野球の経歴と本当の実力、身長とイケメン画像、現在の就職先の会社の噂などをまとめました。
今後、どのような進路に進むのか注目ですね。