金村キンタローさんは韓国籍の元プロレスラーですが、ひき逃げでの逮捕が話題です。
今回は金村キンタローさんの身長などプロフィール、生い立ちや高校時代、結婚した嫁&子供など家族、大日本プロレスでの事件、引退の理由も紹介します。
この記事の目次
- 金村キンタローの身長と体重などプロフィール:韓国国籍のプロレスラー
- 金村キンタローの家族:韓国にルーツがあるものの詳細は不明
- 金村キンタローの生い立ち:高校時代は身長を理由に全日入門を断られる
- 金村キンタローの経歴① 「パイオニア戦志」でプロレスラーデビュー
- 金村キンタローの経歴② 試合での大やけどやブリブラダンスが話題に
- 金村キンタローの経歴③ 大谷晋二郎に史上最短の3秒で敗れる
- 金村キンタローの経歴④ アパッチプロレス軍やXWFを旗揚げ
- 金村キンタローの経歴⑤ ZERO-1の試合を中心に活躍後、現役を引退
- 金村キンタローの引退理由
- 金村キンタローが起こした事件:大日本プロレス女性スタッフに強制わいせつ
- 金村キンタローが結婚した嫁は元プロレスラーの中見川志保
- 金村キンタローの元嫁・中見川志保のプロフィール
- 金村キンタローに子供はいる?
- 金村キンタローの現在:2023年10月にひき逃げで逮捕
- まとめ
金村キンタローの身長と体重などプロフィール:韓国国籍のプロレスラー
生年月日:1970年8月9日
出身地:三重県
所属:不明
金村キンタローさんは元プロレスラーで、在日韓国人のため国籍は韓国、本名は「李 珩晧(リ・ヒョンホ)」といいます。
身長は178cm、体重は115kgです。
恩師である冬木弘道さんの愛称「理不尽大王」が由来となり、「理不尽小僧」という愛称で親しまれていました。
金村キンタローの家族:韓国にルーツがあるものの詳細は不明
金村キンタローさんは在日韓国人であることを公表していますが、その詳細は不明です。
インタビューなどでも父親や母親といった家族については言及しておらず、どういった経緯で日本に来たのかや在日何世にあたるのかもわかっていません。
金村キンタローの生い立ち:高校時代は身長を理由に全日入門を断られる
金村キンタローさんは中学時代、友人に見せられた「世界オープンタッグ選手権」のビデオがきっかけで、プロレスラーを志すようになったのだとか。
その中でも、同選手権に出場していたアメリカのプロレスラー、テリー・ファンクに魅了されたといいます。
そんな金村キンタローさんは高校に進学すると、ラグビー部へと所属。
また、高校在学時にプロレス団体「全日本プロレス」の試合会場で入門を直訴していますが、身長の低さを理由に断られたそうです。
金村キンタローの経歴① 「パイオニア戦志」でプロレスラーデビュー
金村キンタローさんは高校を卒業後、上京。プロレスラー・アニマル浜口さんが経営する「アニマル浜口ジム」へと入門します。
入門した翌年に、アニマル浜口さんからプロレスラー・剛竜馬さんを紹介される形で、インディープロレス団体「パイオニア戦志」へ新弟子として入団。
1990年に開催された、齋藤彰俊さんとの試合でデビューを果たしました。
しかしその後、同団体は崩壊。金村キンタローさんは崩壊前に脱退しており、プロレス団体ではなく、プロレスラーで空手家でもある青柳政司さん主宰の空手道場「誠心会館」に所属します。
誠心会館に所属したのはパイオニア戦志を脱退した直後で、パイオニア戦志に引き入れてくれた剛竜馬さんとのトラブルを回避するためだったそうです。
その後、誠心会館の自主興行などに参加していた金村キンタローさんは、翌年の1991年に旗揚したばかりのプロレス団体「W★INGプロモーション」へと参戦。
同団体の試合ではメイン試合にも出場するようになったほか、1992年にはデビューからわずか1年4ヵ月で「PNWヘビー級王座」を獲得しました。
また、同年には「WWC認定カリビアンヘビー級王座」も獲得。1993年には海外遠征なども行っています。
金村キンタローの経歴② 試合での大やけどやブリブラダンスが話題に
金村キンタローさんは、W★INGプロモーションのエースが続々と離脱していく中、最後まで団体に残って活躍。エース的立ち位置となり、団体を支え続けました。
しかし1993年開催の「スクランブル・ファイヤーデスマッチ」で大やけどを負い、長期欠場を余儀なくされます。
同試合では、邪道さん・外道さん・非道さんと対戦していますが、邪道さん・外道さんにはかねてよりひどいイジメを受けていたそうで、かなり恨んでいるとのこと。
1994年にW★INGプロモーションが活動停止状態となり、同年新たに旗揚げされたプロレス団体「IWAジャパン」にフリーとして参戦するもののすぐ離脱。
プロレス団体「FMW」の試合に乱入する形で、大仁田厚さんがいる正規軍と対戦し、1997年にはその大仁田厚さんが率いる「ZEN」に加入しますが、こちらもすぐに離脱しました。
その後、冬木弘道さん・ミスター雁之助さんたちと「TNR(チーム・ノーリスペクト)」を結成します。
その一方でミスター雁之助さん、そして因縁のある邪道さん・外道さん・非道さんとの「ブリーフブラザーズ」でも人気を博しました。
ちなみに、ブリーフブラザーズとして始まった「ブリブラダンス」は、以降も入場時のパフォーマンス、そして金村キンタローさんの代名詞として披露されています。
※ブリブラダンスは2:20頃から
金村キンタローの経歴③ 大谷晋二郎に史上最短の3秒で敗れる
金村キンタローさんは2002年にFMWが倒産すると、冬木弘道さんとプロレス団体「WEW」に所属しながら、様々なプロレス団体の試合に参戦。
同年に開催されたプロレス団体「ZERO-ONE」の試合では、大谷晋二郎さんを相手にプロレス史上最短試合となる記録を作ってしまい、大きな話題となりました。
ゴングが鳴ってからわずか3秒で負けが決まったという同試合では、大谷晋二郎さんにバックを取られ、フルネルソン→ドラゴン・スープレックスを決められたといいます。
その翌年に冬木弘道さんが逝去。金村キンタローさんは冬木弘道さんの代わりに橋本真也さんと対戦し、電流爆破マッチに挑みました。
金村キンタローの経歴④ アパッチプロレス軍やXWFを旗揚げ
金村キンタローさんはその後の2004年に、プロレス団体「アパッチプロレス軍」を旗揚げ。翌年の2005年に長州力さんに破れると軍門に下ります。
プロレス団体「新日本プロレス」へも参戦しますが、ヒールユニット「C.T.U」との抗争によりメジャー志向のプロレスファンから批判を受けることに。
以降もC.T.Uとの抗争は続き、「アパッチプロレス後楽園ホール大会」ではストリートファイト6人タッグマッチで激突。金村キンタローさんらが勝利を収めました。
以降もファイティングオペラ「ハッスル」に参戦したり、真壁刀義さんと「WEWヘビー級王座」を巡って対戦したりと第一線で活躍。
2007年6年にはWEWヘビー王座を獲得するも、翌月には矢野通さんに敗北し、ベルトを奪われてしまいます。
その後、ケガによってサポートへとまわり、女性スタッフへの強制わいせつ行為にまつわる事件を起こしたことから無期限活動休止も経験。
被害者女性と和解ののち、2008年に復帰を果たしました。
また、同年には黒田哲広さん・田中将斗さんと「インディペンデント・ハードコア・ブラザーズ」を結成。さらには、プロレス団体「XWF」を旗揚げします。
金村キンタローの経歴⑤ ZERO-1の試合を中心に活躍後、現役を引退
金村キンタローさんは2009年にXWFが活動停止状態となると、翌年の2010年よりプロレス団体「ZERO-1」の試合を中心に活動。
同年、アパッチプロレス軍復活を発表するも負傷欠場が続き、本来ならば休養を取らねばならないところを人員の薄さを補うため、完治する前に復帰するという状況が続きました。
2014年には「冬木弘道13回忌メモリアル〜金村キンタロー25周年大会」を開催。
翌年の2015年には「WEWヘビー級選手権」で橋本友彦さんに破れ、現役引退を発表しました。
そして2016年12月27日に「金村キンタロー引退興行」を後楽園ホールで開催。当日は、佐々木貴さんや葛西純さんといった面々が参戦しています。
金村キンタローの引退理由
金村キンタローさんは、2016年に現役を引退しています。
引退理由については数年前からある左ひざから下のしびれを挙げており、手術を要する状態にあるものの、手術をしてまでプロレスを続ける気はないため引退を決意したと語っていました。
「手術してまで(プロレスを)続ける気はない。20歳になる年からデスマッチをやって、骨折しようがやってきて、体はボロボロ。ボロボロになったら引退と思っていた」とリングから去ることを決断。「あと1年、全団体に上がってあらゆるベルトを取らせてもらう」と“有終”の引退ロードを予告した。
また、デビュー当時からこれまでの中での思い出を問われた際には、以下のように回答しています。
90年デビューから25年で思い出を聞かれると、「大仁田さんとの金網電流戦、(03年に黒田と)アジアタッグを取ったこと、あと(02年)ゼロワンの札幌での炎武連夢(大谷晋二郎&田中)との試合は最高の青春だった」と振り返った。
金村キンタローが起こした事件:大日本プロレス女性スタッフに強制わいせつ
金村キンタローさんは前述したとおり、2008年にプロレス団体「大日本プロレス」の女性スタッフに対して強制わいせつ行為をしたという事件を起こしています。
★わいせつな行為とは??
性的な意味を有し、性的羞恥心の対象となるような行為をいいます。具体例としては、陰部に手を触れたり、自己の陰部を押し当てる、女性の胸を触る、キスをするなどです。
引用:強制わいせつ罪
被害女性は、団体に対し「新たな被害者を出さないためにも公式に発表してほしい」と懇願したものの、同団体の統括部長は女性に泣き寝入りを強要し、隠ぺいを図ったそうです。
事実を知ったリングアナウンサー・村上☆健さんが一連の事件をブログで告発しようとしたところ、同団体への出入りを無期限で禁止される事態に。
その後、被害女性が団体の公式メルマガで暴露。警察へ届け出ると表明しました。
団体は女性の暴露を受けて、金村キンタローさんの無期限出場停止処分を発表。また、アパッチプロレス軍団も無期限活動停止となりました。
隠蔽工作を図った統括部長は、自ら役員報酬3ヵ月分から100分の30を返納。さらに現場責任者・統括部長を解任すると発表しています。
しかし、これらはあくまでも管理責任をとるための処分でしかなく、隠ぺい工作の責任についての言及や謝罪などは一貫してなされませんでした。
その後、金村キンタローさん自身も謝罪会見を開き、同団体の試合のみならずプロレスラーとしての活動を無期限で自粛することを発表。アパッチプロレス軍も解雇となりました。
それからしばらくして、金村キンタローさんが被害者女性との和解成立を報告。
被害者女性の希望により、本人が同席せず代理人、そして村上☆健さん参加のもとで行われたという話し合いでは、以下の3つの条件が提示されたといいます。
・金村キンタローさんが被害者女性に一切の接触をしないこと
・アパッチプロレス軍を含め、誹謗中傷などのコミュニケーションをとらないこと
・慰謝料・示談金の請求をしないこと
ちなみに村上☆健さんのブログによれば、被害者女性はその後M新たな職場で働いているそうです。
明確には記載されていませんが、文章のニュアンスや金村キンタローさんとは和解している事実からして、被害女性は被害以上に同団体の隠ぺい行為に憤慨していたことがうかがえました。
金村キンタローが結婚した嫁は元プロレスラーの中見川志保
金村キンタローさんは過去に、元プロレスラーの中見川志保(現在の椿志保)さんと結婚していました。。
結婚した時期や婚姻期間については不明ですが、その後離婚しています。
ちなみに、中見川志保さんは2016年に受けたインタビューで、同時期に引退することになった元旦那・金村キンタローさんについて問われた際、以下のように答えていました。
楽しかったなーって思い出しかないし、離婚したからには色々あったんですけど、かといってそれを嫌だな~あん時嫌だったなーという感じもないんですよ。会ったら会ったでおう元気―?ってなるし、最近どうよって上手くいってんの?ぐらいの話はするんですけど、みんなが世間的に思ってるほどなんかこう因縁もなきゃ情念もなきゃ、私的にはね?向こうは知らないですけど。私は全然なんともないですよね。
“過去”に興味がないという中見川志保さん。それは男性に限らず、過去手掛けていたイベント・映画・小説などに関してもそうだといいます。
そのため、金村キンタローさんだから、というわけではなく今付き合っている人以外に興味はないそう。
同インタビューで離婚理由には触れていませんでしたが、さっぱりとした語り口で、離婚後のしこりは見受けられませんでした。
金村キンタローの元嫁・中見川志保のプロフィール
生年月日:1973年7月22日
出身地:東京都
所属:RING
中見川志保さんは元プロレスラーで、現在は「椿志保」名義で活動しています。
7歳で空手、13歳からレスリングを習い、レスリングでは「全日本大会」3位に輝いたことも。
14歳になると、女子プロレス団体「全日本女子プロレス」の練習生となり、1990年に16歳で同団体のオーディションに合格。
同年に「中見川志保」としてプロレスデビューを果たしました。
さらに「新人王トーナメント」で優勝し、新人王も獲得していますが、金原キンタローさんと結婚したことを機に一時引退しています。
その後復帰し、2000年に渡米。アメリカのプロレス団体「ECW」で日本人初となる”ディーヴァ”となりました。
ディーヴァ(DIVA)は、かつてアメリカのプロレス団体、「WWE」に登場する女性プロレスラーの意として2016年迄使われていた総称。直訳は歌姫であり、これはWWEディーヴァの一人、リリアン・ガルシアらが試合前に国歌を歌っていたことにちなむ。なお、J SPORTSの字幕や週刊プロレスなどのメディアにおいては「ディーバ」と表記される。
引用:ディーヴァ (プロレス)
2005年にパフォーマンス集団「RING」を設立して以降は、イベントのプロデュースなどを手掛けています。
RINGという名前だけではピンとこなくとも、”和泉元彌が「レッツゴー!陰陽師」を踊っていた試合をプロデュースしていた”と言われれば分かる人も多いのではないでしょうか。
プロレスの試合の他に和泉元彌が陰陽師の格好をして『レッツゴー!陰陽師』を踊り、古坂大魔王(ピコ太郎)や長州小力、桜塚やっくんやエグスプロージョンなどブレイクする前の有名人が数多く出演。ダンスや様々なパフォーマンスのショーケースが行われ、プロレスもCLUBで音楽を流しながらお酒を飲みつつ試合を楽しむ、現在のプロレス界でいうダブスタイルの源流とも言える大会であった。
引用:元全女・椿志保の結婚を祝い伝説のRINGが復活し最終興行!長嶋美智子&YOSHIYA夫妻も一夜限りの復帰戦で祝福!
また、そのほかにもVシネマのプロデュース・中学生向けの小説執筆&同作の映像監督を務めるなどマルチに活躍。
日本のプロレス業界においては、2008年にプロレス団体「KAIENTAI DOJO」でリングへと復帰しています。
2012年にプロレスイベント興行「プロレスリングfive」を旗揚げして以降、代表と総合プロデューサーを務めており、2016年8月に現役を引退しました。
金村キンタローに子供はいる?
金村キンタローさんは前述の通り、過去に中見川志保さんと結婚していました。
しかし、金村キンタローさん・中見川志保さんともに子供について言及しておらず、これまでインタビューなどでも明言していないことから、子供はいない可能性が高いでしょう。
金村キンタローの現在:2023年10月にひき逃げで逮捕
金村キンタローさんは、2023年10月に自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道路交通法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕されています。
現場は見通しの良い片側1車線の県道だった。事故が起きたのは10月13日午後3時前だ。千葉県千葉市稲毛区内の道路を走っていた軽乗用車が、自転車に乗っていた64歳女性の右ヒジに接触。軽傷を負わせたにもかかわらず逃走し、2分後には約390m離れた地点で停止していた77歳の男性が運転する自動車に追突した。同乗していた78歳と52歳の女性が軽傷を負っている。
金村キンタローさんは容疑を認めていますが、見通しのよい、交通事故が起きるには不自然な場所で発生した事故であったため、ネットなどでは様々な憶測が飛び交っているようです。
また、事件当時に乗車していた車両は、後輩で親友でもあるプロレスラー・火野裕士さんのものだったそう。
火野裕士さんは事件後、金村キンタローさんと対面したところ、「報道内容と異なる部分がある」と本人が主張していたことを明かしていました。
迎え行ってきました
— 火野裕士 (@hinoyuji) November 2, 2023
色々話聞いたけど
報道と事実がちがうので
ちょっと今後のこと考えます
中ではちゃんとしてたみたいで
警察の方々の印象はよかったし
体調は問題ありません
金村『心配お掛けして申し訳ございませんでした。ただ報道されてるのは事実と異なってます。僕は逃げてません。』 pic.twitter.com/xJcTMfNhGz
まとめ
金村キンタローさんは在日韓国人を公表している元プロレスラーです。
家族についてはこれまであまり言及されておらず、何世にあたるのかなど、ルーツの詳細は不明でした。
高校時代はラグビー部に所属し、全日本プロレスの試合で入門を直談判するも身長を理由に断られた経験があるのだとか。
その後、パイオニア戦志からプロレスデビューした金村キンタローさんは様々な団体で活躍。
2008年には大日本プロレスで女性スタッフへ強制わいせつ行為をしたことで無期限出場停止処分が下るといった事件もありましたが、和解を経て復帰しました。
プライベートでは、元プロレスラーの中見川志保さんと結婚するも離婚。子供については明言されていませんが、いない可能性が高いでしょう。
そして現在は、2023年10月に起こしてしまったひき逃げ事件で悪い注目を集めてしまっている金村キンタローさん。
独身ではありますが、後輩かつ親友というプロレスラー・火野裕士さんの存在もあり、徐々に社会復帰されていくのではないでしょうか。今後の動向に注目したいですね。