元プロハンドボール選手で、レスリング山本聖子さんの元旦那の永島英明さんの現在が話題です。
この記事では永島英明さんのハンドボールでの実績や身長、元嫁の山本聖子さんとの馴れ初めや結婚と子供、離婚原因、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
永島英明(ハンドボール選手)のプロフィール
永島英明のプロフィール
生年月日:1977年3月24日
出身地 :大阪府
身長 :189cm
血液型 :不明
元プロハンドボール選手の永島英明さんは、国内のトップ選手の1人として活躍し2008年の北京オリンピックでは日本代表チームの主将を努めました。
永島英明の経歴
大阪府で生まれた永島英明さんは、小学校から中学校時代には野球に打ち込み、必死に努力するも野球の名門校4校をスポーツ推薦で受験するも全て不合格となり、高校入学を前に挫折してしまいます。
スポーツに対する情熱を失いかけていた時、普通に受験して進学した此花学院高等学校でハンドボール部の顧問の先生に声をかけられたのをきっかけにハンドボールを始め、その才能を開花させます。
高校3年生の永島英明さんがエースとなった此花学院高校ハンドボールは県大会で優勝し、全国大会でも8位という素晴らしい成績を残しました。
永島英明さんは高校を卒業後は大阪体育大学へと進学してハンドボールを続け、大学時代には2度のインカレ優勝を飾っています。
大学卒業後には株式会社三陽商会に入社してハンドボール部に所属して活躍。同部が休部になった後は、大崎電気のハンドボールチーム「大崎OSOL(オーソル)」に移籍してプロ契約を結び、日本ハンドボールリーグや全日本総合ハンドボールリーグ選手権大会など各大会で優勝を果たしています。
日本代表の主力選手として国際大会でも活躍されました。
その後、2013年に現役を引退されています。
永島英明(ハンドボール選手)の身長は189cm
永島英明さんの身長は「189cm」です。永島英明さんは現役時代、この高身長を活かしたポストプレーで活躍されました。
ちなみに、永島英明さんは高校1年生の頃には既に身長が182cmもあったそうです。
高校1年生のとき、既に身長182センチメートル。
永島英明(ハンドボール選手)はレスリングの山本聖子と結婚も現在は離婚
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
永島英明さんは2006年10月に人気レスリング選手だった山本聖子さんと結婚されていますが、2014年9月に離婚されています。
ここからは永島英明さんと元嫁・山本聖子さんの結婚や離婚について見ていきます。
永島英明の元嫁・山本聖子のプロフィール
生年月日:1980年8月22日
出身地 :神奈川県川崎市
身長 :165cm
血液型 :B型
永島英明さんの元嫁の山本聖子さんは、レスリング日本代表としてミュンヘンオリンピックなどで活躍した山本郁榮さんの次女で、姉はレスリング選手で総合格闘家の山本美憂さん、兄は、元レスリング選手、人気総合格闘家だった山本“KID”徳郁さん(2018年に他界)です。
山本聖子さんも姉と兄の影響で5歳の頃にレスリングをはじめ、10代の頃から世界トップクラスの選手として頭角を現し、世界選手権で、51kg級、56kg級、59kg級の3階級制覇という偉業を成し遂げました。
オリンピック代表候補としても注目されましたが、主戦場としていた59kg級がオリンピック種目に採用されず、ウェイトの軽い55kg級での出場を目指しましたが叶わず、オリンピックには未出場に終わっています。
現在はメジャーリーグで活躍するプロ野球選手のダルビッシュ有さんの妻として知られています。
永島英明(ハンドボール選手)と元嫁・山本聖子の馴れ初め
永島英明さんと元嫁・山本聖子さんの馴れ初めについては詳しいことは明かされていませんが、永島英明さんが離婚後に受けたインタビューで元嫁の山本聖子さんとの馴れ初めの時期について以下のように明かされていました。
永島:
出会ったのは二十四、五歳で、ともにアテネオリンピックを目指していた頃ですね。
二十九歳で結婚して、三十七歳で離婚しました。
この事から、永島英明さんと元嫁の山本聖子さんの馴れ初めの時期は2000年から2002年頃だったようです。2人がいつ頃交際に発展したのかは不明ですが、馴れ初めの時期と同時期に、永島英明さんと元嫁の山本聖子さんが同じ施設でリハビリに取り組まれているといった個人ブログの記事なども見つかるため、共にリハビリに取り組んだりトレーニングをするうちに交際に発展した可能性もありそうです。
その後、永島英明さんと元嫁の山本聖子さんは2006年3月に婚約を発表され、その7ヶ月後の同年10月に結婚を発表されています。馴れ初めの時期から見ても数年間の交際期間を経て結婚に至ったようです。
なお、永島英明さんとの婚約を発表された後の2006年7月に山本聖子さんは「結婚準備」を理由に現役を引退を発表されています。周囲は山本聖子さんの現役引退を引き止めたそうなのですが、料理などの花嫁修行をしたいとの山本聖子さんの強い意向により引退が決定したという事でした。
しかし、結婚から2年半後の2009年1月に山本聖子さんは現役に復帰され、国際大会で何度も金メダルを獲得するなど見事な復活を遂げられています。
永島英明(ハンドボール選手)と元嫁・山本聖子の子供は男の子が1人
永島英明さんには、元嫁の山本聖子さんとの間に2007年9月に生まれた子供が1人います。
永島英明さんと元嫁の山本聖子さんの子供の名前は匠瑛さんで、2021年4月の現在は13歳になっているはずです。
06年に引退し07年9月にハンドボール選手の夫、永島英明(大崎電気)との間に長男の匠瑛くんを出産した。
山本聖子さんはこの子供の匠瑛さんが2歳だった2009年に現役復帰を表明され、子育てとアスリートとしての活動を両立していた事でもよく話題になっていました。
永島英明さんの元嫁の山本聖子さんはこの子供の匠瑛さんが7歳になったばかりの2014年9月に離婚されています。
その離婚の数ヶ月後の同年11月に、山本聖子さんとメジャーリーガーのダルビッシュ有さんとの交際が公表(ダルビッシュ有さんのTwitterで発表された)されましたが、その当時の記事では、この子供がダルビッシュ有さんにとても懐いていると週刊誌などで報じられていました。
ダルビッシュさんは、聖子さんの息子さんのことがかわいくて仕方がないみたいです。聖子さんも、“彼は息子のことを、自分の子供のように愛してくれるから幸せ”と周囲に漏らしているくらい。7才といったら、物心もついていますし、両親が離婚した直後であれば難しい時期だと思うんですが、ダルビッシュさんの愛情はちゃんと伝わっているようで、息子さんのほうもダルビッシュさんにとてもなついてるんですよ。
永島英明(ハンドボール選手)と元嫁・山本聖子の離婚原因
永島英明さんと元嫁の山本聖子さんは、2014年9月に離婚されていますが、その離婚原因についても見ていきます。
永島英明さんと元嫁の山本聖子さんの離婚原因となったのは、2013年6月に山本聖子さんがアメリカのレスリング女子ナショナルチームのコーチに就任し、永島英明さんを日本に残して子供を連れて渡米した事だったようです。
永島英明さんは週刊誌の取材を受けて、「日本とアメリカの距離は、夫婦の間では少し遠すぎた」とコメントされていました。また、詳細は不明ですが元嫁の山本聖子さんとの間に何らかの「考え方の違い」があった事も離婚の原因となったという事でした。
「アメリカに行けるなんて、アスリートとして素晴らしいことですから“行くな”とは言えませんでした。それだけ、彼女がこれまで成し遂げてきたことがすごいという証拠です。ただ、日本とアメリカとの距離は、夫婦の間では少し遠すぎました。それ以上に考え方の違いもあって、離婚という結論に至ったんです」
一部では、山本聖子さんがダルビッシュ有さんと不倫をしており、それが実際の離婚の原因だったのでは?との噂もあるようですが、これについては永島英明さんが否定されています。
インターネット上の記事には、「永島さんが、“聖子さんに別の男性の影がある”と悩んでいた」というものもあったが、これを永島はきっぱり否定した。
「ふたりが向こうで会っているのは…知っていました。彼が所属するチームの試合を、息子と一緒に観戦に行ったとも聞きましたから。ただ、彼女が好意をもっているとか、そんなことは一切思っていなかったので…」
永島英明さんは、元嫁の山本聖子さんとの子供がダルビッシュ有さんに懐いているという事につても、「懐かないよりはいいじゃないですか、息子が幸せになるのであれば、それでいいのかなって(思っている)」とコメントされていました。
ただ、山本聖子さんが自身との離婚成立後すぐにダルビッシュ有さんと再婚宣言をされた事については多少の戸惑いがあったようでした。
それでも永島英明さんは、「僕と彼女はしっかりと話し合って納得した上で別れた」、「僕には僕の人生があるし、今後幸せになるつもりです。彼女にも幸せになって欲しいと思います」とも話されており、元嫁の山本聖子さんの選択を尊重されていて、また、一部メディアで言われているようにダルビッシュ有さんの存在が離婚の原因になったとは考えていない事をはっきり示されていました。
永島英明(ハンドボール選手)の現在① スポーツ用品を扱う会社を設立
2021年4月の現在、永島英明さんは44歳になっており、ハンドボール選手としては2013年に現役を引退されています。
永島英明さんは現役引退後の2014年にスポーツ用品を扱う会社「株式会社HIH」を設立され、現在も代表取締役を務められています。
同社では現在、ドイツ製の歴史あるサポーター「バウアーファインド」の国内での代理販売を主な事業とされているという事です。
永島英明(ハンドボール選手)の現在② 「広島焼き とこしえ」を開業
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永島英明さんは現役を引退後、「株式会社HIH」を経営する一方で、東京都港区西麻布の名店「焼肉ステーキ あつし」で働きながら3年間料理の修行を積み、広島県や東京都内の広島風お好み焼きを食べ歩いて日々研究して、2019年1月に東京都世田谷区三軒茶屋「広島焼き とこしえ」をオープンされています。
永島英明さんはこのお店を「仲間と楽しくハンドボールを見られるお店があったらいい」と思い開店されたという事でした。
昔からお好み焼きが好きだったので、大好きなお好み焼きを食べながら、美味しいお酒を飲んで、仲間と楽しくハンドボールが見られる店があったらええやん!という至ってシンプルな発想です。
永島英明(ハンドボール選手)の現在③ 「夢教室」プロジェクトに参加
永島英明さんは現在、「夢先生(ユメセン)」として、全国の小中学校を回って講演し、子供達に夢を持つことの素晴らしさや努力、仲間と協力することの大切さなどを伝えるプロジェクト「JFAこころのプロジェクト『夢の教室』」にも参加されています。
まとめ
今回は、元プロハンドボール選手で、オリンピックの日本代表チームの主将も務めた永島英明さんについてまとめてみました。
永島英明さんは、高校入学と同時にハンドボールを始め、当時から180cm超えの身長と小・中学時代に野球で培った身体能力を武器にすぐに頭角を現し、全国大会ベスト8の成績を残されています。大学進学後にはインカレ2度優勝の実績を残し、社会人になってからもハンドボールを続け、大崎電気のハンドボールチーム「大崎OSOL(オーソル)」でプロ契約を結び、国内や海外の大きな大会で主力選手として活躍されました。
そんな永島英明さんは、2006年にレスリング選手の山本聖子さんと結婚し子供も誕生しましたが、2014年9月に離婚されています。離婚の原因は山本聖子さんがアメリカナショナルチームのコーチに就任して渡米し夫婦間に距離ができた事だったようです。
現在、永島英明さんはスポーツ用品を扱う「株式会社HIH」やお好み焼き店「広島焼き とこしえ」の経営、子供向けの講演プロジェクト「JFAこころのプロジェクト『夢の教室』」の講師など、幅広く活躍されています。