Netflix「極悪女王」にも登場するライオネス飛鳥さんが話題です。
この記事ではライオネス飛鳥さんの実家の家族や長与千種さんとの「クラッシュ・ギャルズ」で一世を風靡した若い頃、ダンプ松本さんやジャガー横田さんとの関係、カミングアウトや結婚、現在についてまとめました。
この記事の目次
- ライオネス飛鳥のプロフィール
- ライオネス飛鳥の実家は埼玉県蓮田で母子家庭
- ライオネス飛鳥の実家の家族
- ライオネス飛鳥の若い頃① ビューティ・ペアに憧れプロレスラーを目指す
- ライオネス飛鳥の若い頃② 長与千種とのクラッシュ・ギャルズで人気に
- ライオネス飛鳥の若い頃③ 1度目の引退後はプロレス解説やタレント業
- ライオネス飛鳥の若い頃④ 現役復帰後はヒールに転向
- ライオネス飛鳥の若い頃⑤ 長与千種とクラッシュ2000でタッグを再結成
- ライオネス飛鳥は若い頃はダンプ松本と抗争を繰り広げたが実は仲が良い
- ライオネス飛鳥の師匠はジャガー横田
- ライオネス飛鳥のカミングアウトとは
- ライオネス飛鳥は結婚はしておらず独身
- ライオネス飛鳥の現在① 銀座でスナック「gangs」を経営
- ライオネス飛鳥の現在② ドラマ出演や雑誌での連載など幅広く活躍
- まとめ
ライオネス飛鳥のプロフィール
ライオネス飛鳥のプロフィール
本名 :北村智子
生年月日:1963年7月28日
出生地 :東京都練馬区
出身地 :埼玉県蓮田市
身長 :170cm
血液型 :A型
ライオネス飛鳥さんは、1980年代に一世を風靡した元女子プロレスラーで、長与千種さんとのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」は、当時の若い女性達を中心にアイドル的人気を博し、当時を代表するヒールレスラーであるダンプ松本さん率いる「極悪同盟」との抗争を繰り広げました。
ライオネス飛鳥さんは1980年代の終わりに1度は現役を引退しましたが、1994年に復帰し2005年までリングで活躍。現在は銀座でのスナック経営やタレント業など幅広く活躍されています。
2024年9月に配信がスタートし、圧倒的な反響を呼んでいるNetflixオリジナルドラマ「極悪女王」は、80年代の女子プロレスでヒールとしてカリスマ的人気を得た若い頃のダンプ松本さんの活躍を元に描かれた作品ですが、そのライバルであるライオネス飛鳥さんも登場し、剛力彩芽さんの再現度の高い熱演が話題です。
ここでは、ドラマ「極悪女王」のヒットで再び注目を浴びているライオネス飛鳥さんについて紹介していきます。
ライオネス飛鳥の実家は埼玉県蓮田で母子家庭
ライオネス飛鳥さんの実家は埼玉県蓮田市でした。生まれは東京都練馬区でしたが、中学校までに家族で埼玉県蓮田市に移りそこで育っています。
ライオネス飛鳥さんの実家は母子家庭でした。
飛鳥「中学校卒業でオーディションを受ける資格はあるんですけど、うちは母子家庭で母親から高校だけは行ってくれと言われたので、高校受験はしました。
ライオネス飛鳥の実家の家族
ライオネス飛鳥さんの実家の家族は、母親と姉が1人いる3人家族だった事が明かされています。
ライオネス飛鳥さんは3歳の時に両親が離婚して母親に引き取られ、母親は看護師として働きながら、女手一つでライオネス飛鳥さんとお姉さんを育てられたそうです。
飛鳥の両親は飛鳥が3歳のときに離婚している。飛鳥は看護師の母に育てられながら、コンプレックスを抱えていた。それは、体が大きいこと。病弱で小児結核なども患った飛鳥は、薬の副作用で太ってもいた。
ライオネス飛鳥さんは自身のブログで母への感謝の気持ちをよく綴られていました。
女手ひとつで姉と自分を何不自由なく育ててくれた母。
ライオネス飛鳥さんの母親は、2018年3月15日に亡くなられています。
ライオネス飛鳥の若い頃① ビューティ・ペアに憧れプロレスラーを目指す
ライオネス飛鳥さんは子供の頃は身体が弱く運動も苦手で幼い頃に小児結核などの病気を患い、その薬の副作用で太っていて、身長が大きかったためそれが強いコンプレックスになっていたそうです。
そんなライオネス飛鳥さんは蓮田市立黒浜中学校1年生の時に、テレビで全日本女子プロレスでアイドル的人気を博した、ジャッキー佐藤さんとマキ上田さんのタッグチーム「ビューティ・ペア」の試合を観て、「この人達みたくなりたい」と女子プロレスラーを夢見るようになったそうです。
ライオネス飛鳥さんはプロレスラーを目指してトレーニングとダイエットに励み、一時は80kgあった体重を1ヶ月で60kgまで絞り、身体を強くするためにソフトボールをはじめ、埼玉県立蓮田高校進学後はバレーボールも始めています。
そして、高校1年生の冬にオーディションに一発合格して全日本女子プロレスに入門。高校を中退して女子プロレスラーとしての道を歩み始めています。
全日本女子プロレスに入門したライオネス飛鳥さんは厳しいトレーニングを経て、1980年5月10日に同期入門の奥村ひとみさん、師玉美代子さんとの巴戦でリングデビューしました。
若い頃のライオネス飛鳥さんはすぐに頭角を表し、1981年に全日本ジュニア王座、1982年に全日本シングル王座を獲得しています。
ライオネス飛鳥の若い頃② 長与千種とのクラッシュ・ギャルズで人気に
出典:https://cdn-business.nikkei.com/
ライオネス飛鳥さんは、1983年、同じジャガー横田さん率いる「ダイナミック・ジャガーズ」の一員で同期入団でもあった長与千種さんとタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」を結成しました。
長与千種のプロフィール
本名 :長與千種(読みは同じ)
生年月日:1964年12月8日
出身地 :長崎県大村市
身長 :167cm(現役時代のデータ)
血液型 :O型
長与千種さんの実家の父親は父親は競艇選手の長與繁さんでしたが、父が知人の借金の保証人になった事で多額の借金を抱える事になり家族は離散。長与千種さんは中学卒業後に実家の長崎県から単身上京して全日本プロレスに入門しました。
しかし長与千種さんはデビュー後も結果を残せず、先輩レスラーとの確執もあって引退を考えるようになりました。
そんな時に、同期入団のライオネス飛鳥さんとの試合が決まり、長与千種さんはどうせ辞めるならやりたい事をやろうと考えて、試合前にライオネス飛鳥さんに力と力のぶつかり合いの試合をしようと提案しました。
それまで、女子プロレスは華麗なファイトスタイルを重視していましたが、長与千種さんは男子プロレスのような激しいファイトスタイルで試合をしようとライオネス飛鳥さんに持ち掛けたのでした。
ライオネス飛鳥さんも観客を惹きつける面白い試合がしたいとの思いを強くしていたためこれに賛同し、試合ではそれまでの女子プロレスにはなかった激しいファイトを見せて観客を沸かせました。
これがきっかけとなり、ライオネス飛鳥さんと長与千種さんはタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」を結成する事になりました。
ライオネス飛鳥さんと長与千種さんのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」は、女性ファンを中心にアイドル的な人気を獲得し、同期のダンプ松本さん率いるヒールユニット「極悪同盟」との激しい抗争を演じ、空前の女子プロレスブームを引き起こしました。
クラッシュギャルズは、1984年8月にWWWA世界タッグ王座を獲得し、「炎の聖書」でレコードデビューもし、芸能活動でも絶大な人気を得ました。
以降、ライオネス飛鳥さんはクラッシュギャルズとしてシングル6枚、アルバム6枚、ミニアルバム2枚をリリースし、「FNS歌謡祭」、「夜のヒットスタジオ」にも出演。
バラエティ番組やドラマなどテレビでも活躍し、「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」、「毎度おさわがせします」など当時の人気番組に多数出演しました。
ただ、芸能活動での人気が次第に長与千種さんに偏るようになり、ライオネス飛鳥さんが芸能活動の休止を申し出た事で、1985年を最後にクラッシュギャルズとしての活動は一時休止になり、その後、1989年に長与千種さんが現役を引退してクラッシュギャルズは解散となり、ライオネス飛鳥さんも1990年に引退を表明して一時現役を退きました。
ライオネス飛鳥の若い頃③ 1度目の引退後はプロレス解説やタレント業
1990年にプロレスラーを引退後、ライオネス飛鳥さんは女子プロレスの解説業をしながら、1人でのタレント活動も本格化させています。
ライオネス飛鳥さんは1990年3月公開映画「のぞみウィッチィズ」のスケバン役で映画デビューし、1991年と1992年にVシネマ「極道ステーキ」シリーズや1993年のドラマ「私が愛したウルトラセブン」にも出演。
その他、テレビゲームバラエティ「ゲーム王国」の司会者を務めるなど、ジャンルを問わず幅広く活躍されました。
一方で、ライオネス飛鳥さんはJAFの国際Aライセンスを取得しカーレーサーとしてもデビューしています。
ライオネス飛鳥の若い頃④ 現役復帰後はヒールに転向
出典:https://tokyo-sports.ismcdn.jp/
1994年11月、ライオネス飛鳥さんは現役に復帰し、ジャガー横田さんとバイソン木村さんと「ライディーン・アレイ」を結成しました。
現役の復帰の理由ですが、ちょうど1年前の1993年11月に、クラッシュギャルズを組んでいた長与千種さんが現役復帰しており、「千種が戻ったから復帰しちゃおう。まだできるし」という軽いノリで復帰されたのだそうです。
しかし、5年のブランクに加えて甲状腺疾患(バセドウ病)を患って思うようなパフォーマンスを発揮できず、一時は再びリングに上がれない時期が続きました。
ライオネス飛鳥さんは甲状腺疾患を克服し、FMWに「ヒールをやってみないか?」と誘いを受けてヒールに転向。イーグル沢井さんやシャーク土屋さんらと「平成裁恐猛毒GUREN隊」を結成して東京スポーツ女子プロレス大賞を受賞するなど、ヒールレスラーとしての人気を爆発させました。
ヒール時代のライオネス飛鳥さんは吉本女子プロレスJd’、FMW、LLPW、WWFなど団体の枠を超えて活躍。特に井上京子さんとの幾度もの激闘は現在も伝説的に語られています。
ライオネス飛鳥の若い頃⑤ 長与千種とクラッシュ2000でタッグを再結成
ヒールとして再ブレイクしたライオネス飛鳥さんは、「平成裁恐猛毒GUREN隊」を離脱し、かつてのパートナーである長与千種さんが現役復帰後に設立したプロレス団体「GAEA JAPAN」に殴り込みをかけます。
ライオネス飛鳥さんはGAEA JAPANの運営権その他を含む会社の全権利を賭けての試合を要求し、1999年4月4日に横浜文化体育館で長与千種さんとの10年ぶりとなるシングルマッチを闘って勝利し、GAEA JAPANの運営権を奪取しました。
半年後の1999年9月15日、アメリカで肉体改造をした長与千種さんは再びライオネス飛鳥さんにシングルマッチを挑んで勝利しGAEA JAPANの運営権奪回に成功。
これらの激闘を経て、2000年にライオネス飛鳥さんは長与千種さんとのタッグチームを「クラッシュ2000」として再結成しました。
その後、ライオネス飛鳥さんは脊柱管狭窄症と指定難病の靭帯骨化症を患うなど満身創痍の身体で現役を続けて人気を集めましたが、医師から「次に怪我をすれば四肢が麻痺する」と告げられ、2005年4月3日のGAEA JAPAN横浜文化体育館大会を最後に現役を引退しました。
ライオネス飛鳥は若い頃はダンプ松本と抗争を繰り広げたが実は仲が良い
ダンプ松本のプロフィール
本名 :松本香
生年月日:1960年11月11日
出身地 :埼玉県熊谷市
身長 :164cm
血液型 :B型
ライオネス飛鳥さんは若い頃は長与千種さんとタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」でアイドル的人気を獲得し、ダンプ松本さん率いるヒールユニット「極悪同盟」との激しい抗争を繰り広げました。
ダンプ松本さん率いる「極悪同盟」は、一斗缶やヌンチャク、竹刀、チェーンなどを使った容赦のない凶器攻撃を繰り出し、負傷箇所を狙って攻撃するなどの極悪非道ぶりで、女子プロレス界を大いに盛り上げました。
ダンプ松本さん率いる極悪同盟は、熱狂的なクラッシュ・ギャルズファンからのヘイトを集める事になり、その中心であるダンプ松本さんは、生卵やカップ麺をぶつけられたり、実家に石をぶつけられて罵声を浴びせられたり、自宅マンションに窃盗に入られたり、購入したばかりの新車に「死ね」と傷をつけられたり、乗っていたバイクをパンクさせられたり、自転車のサドルを盗まれたり、タクシーを乗車拒否されたりと壮絶な嫌がらせを受けたそうなのです。
それでもダンプ松本さんはヒール役に徹し、1980年代の女子プロレスブームの立役者となりました。
そんなダンプ松本さんですが、ライオネス飛鳥さんや長与千種さんとは同期入団で、同じ釜の飯を食った仲間だった事から実際には当時からとても仲が良かったのだそうです。
しかもライオネス飛鳥さんは全日本女子プロレスの寮を出た後、1年ほどダンプ松本さんと目黒区碑文谷の共同トイレ共同洗面所風呂なし6畳一間の家賃2万円のアパートに一緒に住んでいた時期があった事も明かしています。
ちなみに、プロレスファンの間ではライオネス飛鳥さんとダンプ松本さんが実際には仲が良い事は以前から知られており、ライオネス飛鳥さんの1度目の現役引退後の1993年には、ダンプ松本さん(1988年に引退)と大森ゆかりさん、ライオネス飛鳥さんの3人で「デブデブガールズ」というユニットを結成した事もありました。
ライオネス飛鳥の師匠はジャガー横田
ジャガー横田のプロフィール
本名 :木下利美(旧姓は横田)
生年月日:1961年7月25日
出身地 :東京都荒川区
身長 :160cm(現役時代データ)
血液型 :B型
現在も現役のプロレスラーでありタレントとしても人気のジャガー横田さんですが、若い頃は人気と実力を兼ね備えた全日本女子プロレスを代表するレスラーで、ライオネス飛鳥さんの先輩であり師匠でした。
ライオネス飛鳥さんは現役時代から現在までジャガー横田さんをとてもリスペクトされているようでよく名前をあげています。
ライオネス飛鳥さんの1989年8月24日の1度目の引退時の引退試合の相手は、当初は立野記代さんが務めましたが、試合の後に立野記代さんが解説者席にいたジャガー横田さんに声をかけ、ジャガー横田さんはすでに引退していたにもかかわらず3年ぶりにリングに上がり、ライオネス飛鳥さんの引退試合の相手を務めました。
ライオネス飛鳥のカミングアウトとは
インターネット上で、ライオネス飛鳥さんと「カミングアウト」というワードが関連づけられているようです。
これは、ライオネス飛鳥さんが女子プロレスラーとして活躍されていた頃から男性レスラーのような自らを投げ打つような激しいファイトを繰り広げ、コスチュームを含めたルックスもクールで男性的なイメージが前面に出されたものであった事から、性同一性障害や同性愛者であることをカミングアウトしているのではないかといった声があるためのようです。
実際にはライオネス飛鳥さんがそうした内容をカミングアウトしたという事実はなく、ライオネス飛鳥さんが性同一性障害や同性愛者である事を示すようなエピソードも確認できません。
ライオネス飛鳥さんのイメージが先行した結果、カミングアウトというワードが関連づけられただけのようです。
なお、往年のプロレスファンの間では、若い頃のライオネス飛鳥さんとある女性芸能人との関係の噂が囁かれていて、2010年にノンフィクションライターの柳澤健さんが「オール讀物」に寄稿した「クラッシュ・ギャルズが輝いた時代」という記事の中でこの件についてかなり具体的な内容が書かれていて、ネット上でも若干話題にされていました。
『オール讀物』の『クラッシュ・ギャルズが輝いた時代』読了。「プロレスはあらかじめ勝敗が決められている」とカミングアウトしているのに対して、ライオネス飛鳥のある女性との友情を超えた関係については、直接的な表現を避けて書いてあったのが、ちょっとおかしかった。
— unknown (@unknown_twi) August 30, 2010
あの柳澤健が書いた「クラッシュギャルズが輝いた時代」(オール讀物)。女子プロはガチだった。ライオネス飛鳥と三原じゅん子の関係もやはりガチだった。オール唸る読物。
— プチ鹿島 (@pkashima) August 26, 2010
これもライオネス飛鳥さんのカミングアウトというワードが関連づけられている事に関係しているようです。
ライオネス飛鳥は結婚はしておらず独身
ライオネス飛鳥さんは現在は結婚はされておらず独身です。過去にも結婚歴はありません。これもライオネス飛鳥さんのカミングアウトなどの噂につながっているようですが、結婚をしない生き方を選択している女性は別に珍しくはありません。
ライオネス飛鳥の現在① 銀座でスナック「gangs」を経営
出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/
ライオネス飛鳥さん現在は東京の銀座で「gangs」という会員制のスナックを経営されています。
ライオネス飛鳥さんは2003年頃から友人のシュートボクシング選手・仁あきらさんが経営していた銀座の会員制ラウンジ店で約3年ほど働いて銀座での経営や接客のノウハウを学び、2006年に「gangs」をオープンし現在まで経営されています。
ライオネス飛鳥さんはお店の場所や電話番号などは一切公開せず、完全会員制で経営されています。
住所も電話番号も非公開、最大20人程度しか入れない会員制スナック「gangs」は、高級クラブが林立する中心部からほど近い場所にある。
銀座で18年間にわたって飲食店を経営するというのは並大抵の事ではなく、ライオネス飛鳥さんには経営の才覚もあるのでしょう。
ライオネス飛鳥の現在② ドラマ出演や雑誌での連載など幅広く活躍
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
ライオネス飛鳥さんは現役を完全引退した後は、プロレスの解説の他にもタレント業や文筆業、上でも触れた会員制スナック経営など幅広く活躍されています。
現在の時点での直近の活動としてはGAORAの「プロ格KING」のレギュラー解説の他、2024年4月30日にBS-TBSで放送されたドラマ「御社の乱れ正します!」の第5話に佐藤すみれ部長役で出演。また、愛犬家として知られているライオネス飛鳥さんはWalkerplusのフリーマガジン「わんにゃんWalker」にて、『ライオネス飛鳥のわん!!ダフルライフ「愛犬とタッグを組んで、商品探求」』を連載されています。
まとめ
今回は、1980年代の女子プロレスブームを牽引した1人で、Netflixドラマ「極悪女王」でも話題の元プロレスラーのライオネス飛鳥さんについてまとめてみました。
ライオネス飛鳥さんの実家は埼玉県蓮田市で、母子家庭の家族で育ち、高校1年生の時に全日本女子プロレスのオーディションを受けて合格し、高校を中退して上京してプロレスラーになりました。
若い頃のライオネス飛鳥さんは長与千種さんとのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」を結成し、ダンプ松本さん率いる「極悪同盟」と激しい抗争を繰り広げ、空前の女子プロレスブームを起こしました。
ライオネス飛鳥さんや長与千種さん、ダンプ松本さんらの若い頃の活躍は、Netflixドラマ「極悪女王」でかなり忠実に描かれています。
実際にはライオネス飛鳥さんとダンプ松本さんは同期入団で同じ釜の飯を食った仲間でとても仲が良く、一時は格安アパートでルームシェアをしていた間柄でした。また、ジャガー横田さんはライオネス飛鳥さんの師匠で、ライオネス飛鳥さんは現在もジャガー横田さんをとても尊敬されているようです。
ライオネス飛鳥さんの若い頃からのキャラクターや、現在まで結婚されていない事から、ネット上ではライオネス飛鳥さんと「カミングアウト」というワードが関連づけられていますが、ライオネス飛鳥さんが何かをカミングアウトしたという事実はありません。
ライオネス飛鳥さんは現在は、プロレスラーは引退しており、銀座で会員制のスナックを経営しながら、プロレスの解説やタレント業、文筆業など幅広く活躍を続けられています。