柔道家・塚田真希さんと言えば、アテネオリンピックで日本人女性初の重量級を制した金メダリストです。
今回は塚田真希さんのプロフィールや経歴、オリンピックなど柔道の戦績、結婚の有無、コーチや母校の副監督など現在をまとめました。
この記事の目次
塚田真希はアテネオリンピックの柔道金メダリスト
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元柔道の塚田真希
塚田真希さんは、2004年に開催されたアテネオリンピックにおいて、78kg超の重量級で金メダルを獲得した元柔道選手。
それまで、日本人の女性選手が世界大会で重力級を制するのは難しいと言われていました。
この常識を打ち破り、塚田真希さんが金メダルを獲得したことは当時大きな話題を呼びました。
塚田真希のプロフィール
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塚田 真希(つかだ まき)
生年月日: 1982年1月5日
出身地: 茨城県下妻市
血液型: A型
身長: 170cm
体重: 125kg
女性柔道家・塚田真希さんは、大学卒業後に綜合警備保障に入社し、かつて吉田沙保里さんや井上康生さんと一緒に「ALSOK」のテレビCMに出演したこともあります。
同じ柔道界では、63kg級でオリンピック連覇の記録を持つ谷本歩実さんと仲が良いことで知られています。
好物はから揚げで、趣味はドライブだそうです。
塚田真紀の経歴① 実は美術部に入ろうとしていた
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塚田真希さんが柔道を始めたのは、中学生の時のこと。
幼少期から絵を描くことが好きだった塚田真希さんは、美術部に入ろうとしていたそうです。
そんな中で柔道を始めるきっかけとなったのが、同じ学校の先輩だったそうです。
ここでは、塚田真希さんの中学生時代について紹介します。
先輩がきっかけで柔道部へ
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塚田真希さんは絵を描くことが大好きだったので、美術部への入部を考えていました。
しかし、地元で「ヤワラちゃん」と呼ばれていた先輩・上野敦子さんから「一緒に柔道をやろう」と声を掛けられたそうです。
塚田真希さんは「有名人に誘われてしまった」と嬉しくなって、つい入部してしまったと後年インタビューで明かしています。
中学時代に柔道部の監督を務めていた教師は、柔道の経験が無く、さらに他の部活の監督を兼任していました。
そのため、負けても怒られることはなく、プレッシャーが無くてとても楽だったそう。
ただし、監督は時間には厳しい人だったようで、一度だけトレーニングに遅刻してかなり叱られたことがありました。
それ以降、塚田真希さん自身も時間に関してはストイックになっていったようです。
そんな中学生時代は県大会で3位に入賞したのが最高で、さほど目立った戦歴はなかった選手でした。
塚田真紀の経歴② 高校は名門・土浦日大高校
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柔道選手として塚田真希さんが頭角を現したのは、高校生になってからでした。
上下関係がとても厳しい部活だったようで、柔道を続けるのが嫌になってしまったこともあったようですが、塚田真希さんを救ったのはある先輩の一言がきっかけ。
ここでは、塚田真希さんが才能を開花させるまでの経緯を振り返ってみましょう。
心が折れて実家に帰ったことも
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進学先の高校は、地元でスポーツの名門として知られる、土浦日大高校。寮生活を送りながら、ほぼ休みなくひたすら柔道の練習に取り組む過酷な環境でした。
上下関係がとにかく厳しい世界で、上級生から「あんたみたいな弱い相手とは練習してあげない」と暴言を浴びせられたことも。
精神的に参ってしまった塚田真希さんは、一時期実家に逃げ帰ったといいます。
柔道に対して、後ろ向きな姿勢のままで取り組んでいた1年生の夏休みのある日、OGの斉藤紀江さんが偶然練習を見に体育館を訪れました。
そして、暫く様子を見ていた斉藤紀江さんが、塚田真希さんに向かって「逃げてばかりで楽しい?もう少し自分と向き合ってみたら?」と声を掛けたのです。
そのアドバイスを聞いた塚田真希さんは、初めて真剣に柔道と、そして自身としっかり向き合う時間を取ったそうです。
練習を変えたら結果へ繋がった
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これまでは、ガムシャラに相手を倒すことを考えていた塚田真希さんでしたが、苦手なことを克服するための練習を取り入れたところ、体力がついて、できる技が増えていきました。
高校2年生の時に出場した全国高校選手権78kg超級では、オール一本勝ちで優勝。国体では、茨城県を2年連続で優勝に導く立役者として活躍しています。
高校3年生の時にフランスジュニア国際で優勝し、さらに全日本ジュニアでも優勝するなど、次々に輝かしい戦歴を残すことになりました。
塚田真希の経歴③ 大学時代は海外大会で活躍
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高校卒業後、東海大学に進学し柔道部に入部した塚田真希さん。さらに目覚ましい戦歴を重ねて、個人戦でも団体戦でも大活躍します。
しかし、その陰には監督の厳しい指導に泣かされたり、スランプに陥ったりしたこともあったようです。
大学時代の塚田真希さんの苦悩についてのエピソードを紹介します。
監督からこのデブ!と罵倒されたことも
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東海大学に入学した年に、出場したフランスジュニア選手権で優勝を飾り、6月に開催された学生優勝大会の団体戦においてもチームの優勝に大きく貢献した塚田真希さん。
さらに、9月の全日本ジュニアで連覇、10月の世界大会でも優勝。
まさに負け知らず状態でしたが、12月の福岡国際大会で無差別級に出場したところ、キューバのダイマ・ベルトランさんに負けて2位になりました。
この試合では、女子監督を務める吉村和郎さんから厳しく声掛けをされていました。
そして、試合がヒートアップするに従い、「いかんかい、このデブ!」、「こら、くそデブ」と罵倒されています。
後年、「悔しくて涙が止まらなかった」と、インタビューにおいて塚田真希さんは語っています。
スランプを脱したのは亡き父親のおかげ
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大学2年生頃から次第にスランプに陥っていった塚田真希さんは、海外選手に負けることが増え、監督からは叱られて落ち込むという負のスパイラル状態に。
世界選手権に出場したい気持ちはあるのに、ちょっとした国際大会でも優勝を飾れずにいたことで、どんどん自信を失っていきました。
ちょうどそんな停滞時期に、塚田真希さんの父親が逝去してしまいました。
ふと、生前にもらったメールを読み返したところ、「弱気は最大の敵だから、とにかく強気で頑張って自分の柔道をしなさい」と書かれていたのです。
これは、父親が大好きだった広島カープの津田恒美さんの言葉だったそう。
津田恒美さんの本を改めて読んでいくうちに、自分なりに頑張れば良いのだと思い至り、プレッシャーから解放されたと語っています。
こうして開き直った気持ちで試合に臨んだところ、思いのほか体が動いて、さらに結果も残せるようになったことで、スランプから脱出できたそうです。
塚田真希のアテネオリンピックでの戦績
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塚田真希さんは、これまでの選手生活の中で2回のオリンピックに出場しています。
日本の女子選手は重量級を制することは難しいという常識を打ち破った塚田真希さんの、アテネオリンピックでの活躍について見ていきましょう。
初めてのオリンピックで金メダル
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アテネオリンピックが開催された2004年、塚田真希さんは大学を卒業して、綜合警備保障に入社、そしてオリンピック代表に選ばれました。
オリンピックの舞台では順調に勝ち続けて、決勝の相手はキューバの選手のベルトランさん。
前回の世界大会では勝っている相手でしたが、気合を入れなおし試合に臨みました。
先に「技有」を取られるという、いきなり不利な状況になったものの、塚田真希さんは慌てず、寝技からの袈裟固めで抑え込んで鮮やかな逆転勝ちをして、金メダルを手に入れたのです。
塚田真希の北京オリンピックでの戦績
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2008年の北京オリンピックでは、前回のアテネでの金メダリスト・塚田真希さんに対する世間の期待は高まりました。
その期待通り、塚田真希さんは対戦相手を次々に破り、決勝戦は注目のカードとして日本中が手に汗握る試合となったのです。
しかし、連覇がかかった一戦で、塚田真希さんはまさかの敗退を喫しています。
残り8秒で逆転負け
試合が行われたのは2008年8月15日のこと。
決勝戦の相手は中国の佟文選手で、2007年に行われた世界選手権では敗北しており、決して負けることは許されない試合でした。
塚田真希さんが有利な状態で試合が進んでいたのですが、残り8秒で背負い投げを許してしまい、まさかの逆転負けを喫した塚田真希さん。
後日友人から、「なぜ、あの時(自分から前に)行ったの?」と質問されたそうですが、塚田真希さんはその瞬間を覚えていないのだとか。
相手の鮮やかな背負い投げが決まり、はたと我に返ったタイミングについて以下のように語っています。
気づいたときは、天井を見上げていて相手が大喜びしているという状況で、「あっ、私負けたんだ」と。
でも、自分の持っているものを決勝の畳で120%出せたので、達成感というかすっきりしちゃったんですよ。
引用:塚田真希 著名な柔道家インタビュー – 柔道チャンネル https://www.judo-ch.jp/
ふと周囲を見渡すと、コーチはうなだれていたそう。
この様子を見て、「ああ、私はこれまでいろんな人に協力してもらって、この人たちの期待を一身に背負っていたのに」と、猛烈な悲しみが押し寄せてきたといいます。
手を負傷していた
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実は、決勝戦の試合中に相手から寝技をかけられた際、塚田真希さんは腕を負傷していました。
塚田真希さんによると「その時に、肘の靭帯がブチブチと切れる音がして。ここは腕が折れようとも我慢すると決めて、唇を嚙みしめました」と語っています。
相手に負傷したことを気づかれたら腕を狙われてしまうと思い、平気な顔を装いましたが、気が付いたら負けてしまっていたそう。
銀メダルを獲得して表彰台に上がりましたが、肘がもう上がる状態ではありませんでした。
なんとか観客の気持ちに応えたいと思い、両腕は無理でしたが、痛みを隠しながら負傷してない方の腕を振って、元気なフリをして表彰式を乗り切りました。
これまで監督から「このデブ」と罵倒されていたのですが、この日ばかりは「お前、あの時よく我慢したな」と労ってもらえたのが嬉しかったそうです。
塚田真希の引退理由とは
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塚田真希さんは、2010年12月に引退会見を開いて選手生活に幕を降ろしました。
ここからは、引退の理由や現役時代の戦歴について紹介します。
目標が無かったことに気が付く
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2010年に開催されたワールドマスターズに出場した塚田真希さんでしたが、5位に終わり、9月に開催された世界選手権においても78kg超級の準決勝で中国に敗れて3位になりました。
本来は、無差別級にも出場をする予定をしていましたが辞退しています。
世界選手権ではあまり本調子ではなく、「逆によく準決勝まで行けたな」と思ったそうです。
監督は塚田真希さんの調子の悪さを見抜き、試合後に「なんであんな試合になったか分かるか?」と塚田真希さんを問い詰めました。
答えられずにいると「お前には目標がないんだよ。目標がないから、あんな試合になるんだ」と返されてハッとしたという塚田真希さん。
よくよく考えると、試合をしたくてしたくてしょうがないものの、目指す場所がなく、明確な目標がなかったといいます。
こんな状態で日本代表になっても代表の座を汚すことになる、という結論に辿り着き、潔く引退を決断したそうです。
監督の反応は?
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引退を決意した塚田真希さんは、アテネオリンピックから指導をしてくれた吉村和郎さんに、「これで終わりにしようと思う」と伝えました。
これを聞いた吉村和郎コーチは「もう身も心もボロボロだろ。よくやった」と返したのです。
塚田真希さんにとってはこれが一番一番嬉しい言葉で、ホッとしたのだとか。
こうして、日本の重量級のエースとして君臨していた塚田真希さんは、2010年12月に引退することになりました。
引退会見で今後の予定を聞かれると、「語学留学をして、この先指導者になった時に困らないようにしたい」と、将来は後進の育成を見据えている回答をしています。
塚田真希の戦績は?
現役時代は、国内外で数多くのメダルを獲得してきた塚田真希さん。
オリンピックにおいては、2004年のアテネオリンピックで金、2008年の北京オリンピックで銀を取っています。
世界選手権では、無差別級で金メダルを1回、銀メダルを2回、銅メダルを3回獲得しました。
2009年から2010年にかけてグランドスラムにも出場し、3回とも金メダルを獲得。
日本人女子の重量級の先駆者として日本女子柔道界を牽引してきた、そんな現役時代だったと言えるでしょう。
塚田真希の現在① コーチとして全日本を率いている
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2010年に引退した塚田真希さんですが、それから11年という年月が経過した現在、日本代表のコーチとして後進の育成に努めています。
今年は東京オリンピックが開催され、柔道女子の金メダルが話題になりましたが、塚田真希さんの名前もニュースに登場しました。
コーチとしてどのような活動をしているのかについて、見ていきましょう。
濱田尚里を金メダルに導く
スポーツは、選手本人の努力がフォーカスされがちですが、その陰にはコーチの存在が欠かせません。
2021年7月29日に行われた東京オリンピックの女子柔道の78kg級では、濱田尚里さんが崩上四方固で一本勝ちを収めています。
畳を降りた直後、コーチの塚田真希さんと抱き合って優勝の喜びを分かち合っていました。
また78kg超の重量級では、素根輝さんが金メダルを獲得し、「塚田真希さん以来の4大会ぶりの快挙」と報道され、塚田真希さんの名前を見かけた方も多かったのではないでしょうか。
塚田真希の現在② 母校・東海大学の副監督に就任
母校を12年ぶりの優勝へ導く
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塚田真希さんが、母校である東海大学のコーチに就任したのは2016年11月のこと。
2019年に開催された全日本学生柔道体重別選手権において、東海大学は12年ぶりの優勝を飾っています。
塚田真希さんはインタビューにおいて、「感無量の一言。(指導者になり)現役時代の優勝とはまた違う喜びで、チームが1つになれた結果だと思う」と涙を浮かべてコメントしました。
塚田真希の現在③ 結婚しているの?
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ここまでは柔道家としての塚田真希さんについて紹介してきましたが、現在38歳になる塚田真希さんのプライベートも気になりますよね。
まだ結婚していない
塚田真希さんの結婚について調査してみましたが、現時点で結婚をしている様子はなく、独身のあるようです。
現在は、全日本女子のコーチや母校の監督業務をしていることから、かなり多忙な生活を送っていることが考えられます。
そのため、自身の結婚については後回しになっている可能性が考えられます。
まとめ
出典:https://www.twcpe.ac.jp/
塚田真希さんは、2004年のアテネオリンピックの柔道女子78kg超級で金メダルを獲得した柔道家で、日本人女性初の快挙を成し遂げた女性です。
中学生の時に柔道を始め、その才能を開花させたのは高校生の頃でした。国体や全日本選手権などで次々に優勝し、フランスジュニア大会では連覇を飾っています。
2008年の北京オリンピックでは惜しくも銀メダルだったものの、その後のグランドスラムで3大会連続の金メダルを獲得するという輝かしい戦歴を残しました。
なかなか思うように勝てなくなり、柔道を続ける目標を持てなくなったことから、2010年12月に引退し、指導者の道を選んだ塚田真希さん。
現在は母校の監督や、全日本女子のコーチを務めるなど、後進の育成を中心に活動されています。
2021年に開催された東京オリンピックでは、裏方として日本女子選手のサポートをする塚田真希さんの姿も話題になりました。
日本の柔道を支えていくであろう塚田真希さんを、これからも応援しましょう。