大王製紙事件で一躍脚光を浴びた井川意高ですが、藤原紀香やほしのあきなど芸能人との豪遊や事件後の生活が話題です。
今回は井川意高のプロフィール、大王製紙事件とカジノの返済、嫁や娘、芸能人との関係、資産や現在をまとめました。
この記事の目次
井川意高のプロフィール
出典:twitter.com
井川意高
生年月日:1964年7月28日
出身:愛媛県伊予三島市
学歴:東京大学法学部卒
活動:大王製紙の前会長
井川意高は、「エリエール」などのブランドで知られる製紙メーカーの大王製紙の創業一族であり、創業家3代目の人物です。
若くして大王製紙の会長の職に就きましたが、大王製紙事件を起こして大ニュースになりました。
そんな井川意高の経歴を生い立ちから見ていきましょう。
井川意高の経歴
生い立ち~学生時代
井川意高の実家は大王製紙の創業一族です。大王製紙は売上高5,464億3,300万円の日本を代表する大企業であり、井川意高は創業一族の3代目となります。
大王製紙は四国の愛媛県に拠点を置いていた企業で、井川意高は愛媛県で生まれました。大王製紙の創業者の井川伊勢吉の孫・2代目の井川高雄の長男になります。
小学校6年生ごろまでを愛媛県で過ごしましたが、中学受験を前に東京に引っ越してきます。
そして、筑波大学附属駒場中学校に入学し、高校もエスカレーターで筑駒に進学、そこから東京大学法学部を卒業します。
学歴から見ても、疑いようもなくエリートそのものですよね。
大王製紙に入社して2007年に社長に
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東京大学法学部を卒業後は、自分の実家が会社を経営している大王製紙に入社します。一般社員ではなく、創業家一族の子息であり会長の長男ですから、一般社員とは違います。
1988年に入社後、三島工場次長・常務取締役・専務取締役などの役職に就き、入社10年(1998年)で代表取締役副社長となりました。
それから、1年間だけ子会社の名古屋パルプの社長を務め、2007年には大王製紙の社長に就任します。入社から約20年、42歳という若さでした。
この社長就任はただ単に「創業者一族の長男」だからというわけではありません。ブランド戦略や取引先との関係構築によって、大王製紙を黒字転換させたという手腕が評価されたためです。
井川意高は創業家一族のボンボンというわけではなく、敏腕経営者だったのです。
大王製紙を追放される
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井川意高は2007年に42歳で社長に就任しますが、2011年には巨額赤字の責任を取る形で社長を辞任し、会長に就任しました。
この後に詳しく説明しますが、この大王製紙の巨額赤字は大王製紙事件によるものであり、井川意高自身が作り出したものであることが判明します。
会長就任からわずか3ヶ月後に大王製紙を追放、そして井川意高だけではなく、創業家一族も経営から追い出されることになります。
井川意高が逮捕された「大王製紙事件」とは
創業家の3代目であり、大王製紙の会長に就いていた井川意高でしたが、大王製紙事件を起こして大王製紙を追放されることになりました。
さらに、井川意高は特別背任の容疑で逮捕されることになったんです。
この大王製紙事件について、詳しく見ていきましょう。
大王製紙事件とは?
2011年9月6日、大王製紙事件が発覚しました。発覚のきっかけは、社内の告発メールです。
大王製紙事件は簡単に言うと、井川意高がカジノを楽しむために、会社の金を勝手に使っていたという事件です。井川意高が私的に流用していた額の合計は106億円にも上ります。
井川意高が会社のお金を不正に引き出していたのは、2010年4月から2011年9月までの1年半のことです。
1年半の間に106億円をカジノで散財していたというのは、信じられないですよね。あまりの短期間にあまりに大きい金額を使っていた…一般庶民には想像できない世界です。
これらのお金は、本来なら必要である取締役会の決議や賃借契約書の作成などがないまま、井川意高に融資されていたんです。
これは、大王製紙側が創業家一族には絶対に逆らうことができず、「NO」と言えない社内風土があったため、ずさんな融資が行われていたという背景があります。
106億円をカジノで溶かす
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大王製紙の創業家一族であり、大王製紙の前社長・会長だった井川意高は、どう考えても正真正銘のセレブであり、お金に困っていたとは思えません。
では、なぜ106億円もの会社のお金を勝手に使っていたのでしょうか?
答えはカジノです。井川意高はカジノで遊ぶことが大好きだったようです。
シンガポールやマカオのカジノに以前から通っていましたが、社長就任2年目の2008年ごろから通う頻度・賭ける金額が大きくなっていきました。
そして、カジノで負けて多額の借金を作り、2009年に初めて会社のお金に手を付けます。ただ、この時は数百万円という比較的少ない額でした。
しかしそれだけでは収まらず、2010年度には約23億5,000万円、2011年度は9月までの半年間で約60億円もの会社のお金を不正に引き出しています。
一応、「融資」という形での引き出しでしたので一部は返却していました。しかし、問題が発覚した時点で約50億円が未返却だったんです。
カジノで106億円ものお金を使うというのは、大企業の創業家一族は金銭感覚が違うとしか言いようがありません。
大王製紙を追放
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大王製紙は2011年3月、連結決算で182億3400万円という超巨大赤字を出しました。そして、その赤字の責任を取って井川意高は社長職を辞任し、会長に就任していました。
しかし、井川意高による106億円もの不正引き出しが発覚し、大王製紙社内では当然ながら大問題になりました。
会社の赤字の一因は当時の社長だった井川意高にあったことがわかったんですから。
その後、井川意高は会長職を辞任しています。そして同時に創業家一族は経営の主要ポストから外され、大王製紙から追い出されることになりました。
「創業家一族の権力が強すぎて、不正にお金を引き出しても文句を言えない。不正に気付いていても、NOと言えない」という社内風土を一掃しました。
有罪判決を受ける
さらに、大王製紙は井川意高を刑事告発し、警察は井川意高を特別背任の疑いで捜査を始めます。
そして2011年11月22日、井川意高は特別背任の容疑で逮捕され、渋谷区広尾の自宅や愛媛県の実家は家宅捜索を受けることになりました。
2012年10月、東京地裁で懲役4年の判決が言い渡され、井川意高は控訴するも高裁は棄却、さらに最高裁に上告するも棄却され、刑務所(喜連川社会復帰促進センター)に収監されました。
井川意高のカジノの借金は実家が返済していた
井川意高は総額106億円を会社から不正に引き出し、一部は返済したものの、50億円はまだ返済しておらず、会社への借金という形で残っていました。
この50億円はその後どうなったのか?実は、実家である大王製紙の創業家が返済しています。
2012年に大王製紙創業一族の井川家は、大王製紙と関連企業の株を北越紀州製紙へ譲渡しています。
それによって、井川一族は大王製紙の経営から完全に排除されることになりましたが、その分の譲渡金を入手することができたので、それによって50億円の借金を返したようです。
さすが大王製紙創業一族。50億円ものお金をすぐに用意することができたんですね。
そもそも、井川意高は生まれた時からかなりのお坊ちゃんです。創業家一族3代目として、金銭面では不自由するどころか、かなり甘やかされて育ってきたのでしょう。
小学校時代は愛媛県に住んでいましたが、中学受験のために飛行機で東京の学習塾に通っていたエピソードがあります。また、大学生の時には銀座のクラブで大物経営者と交流していたそう。
子供の頃から金銭感覚はぶっ壊れていて、「お金はどんどん湧いてくるもの」という環境で育っていたため、大王製紙事件のようなとんでもない事件を起こしてしまったのかもしれませんね。
井川意高の嫁や娘とは
嫁は大学生の時に知り合う
井川意高の嫁は陽子さんといい、清泉女子大学文学部から成城大学に学士入学した女性です。この経歴だけでお嬢様であることがわかりますね。
清泉女子大学文学部に在学中、東大ヨット愛好会で井川意高と知り合い、交際に発展して結婚しています。
離婚の噂もありますが、自宅やお子さんのことを考えて離婚はしていない可能性が高いです。
娘は慶應との噂
井川意高は子供の名前や年齢は公表していませんが、情報を探っていくと、息子が1人・娘が2人いるようです。
・長女:井川美弥子
・二女:井川真璃子
長男は2014年の時点で、慶應義塾大学2年生でラクロス部に入っていたようです。また、娘も幼稚舎から慶應に通っているという噂がありますので、3人とも慶應出身の可能性が高いです。
井川意高と藤原紀香・ほしのあきの関係【芸能人と酒池肉林だった?】
井川意高は逮捕される前は、かなり派手に遊んでいたという噂があります。
六本木などで派手に遊んでいた
井川意高は交友関係がかなり派手でした。2007年に行われた社長就任パーティーには、次のような人が参加しています。
・佐治信忠(サントリー社長)
・神田うの
また、夜な夜な六本木や西麻布で遊び歩いていたようで、関東連合やIT社長、芸能人と派手に交流していたとのことです。
大王製紙事件が報道された際も、藤原紀香や田丸麻紀、滝川クリステル、熊田曜子などとの交流が大きく取り上げられました。
そんな井川意高は、2013年に出版した「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」の中で、具体的に芸能人との交流を詳しく述べており、話題になりました。
藤原紀香との関係
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藤原紀香さんは、大王製紙事件の報道の頃から、井川意高と交流があると言われていて、著書の「熔ける」の中でも詳しく書かれています。
ただ、藤原紀香さんと井川意高はグループで旅行に行ったりしたことはあったけれど、あくまで友達という関係であり、男女の仲ではなかったとのことです。
ほしのあきとの関係
元グラビアアイドルのほしのあきさんも、「熔ける」の中に登場しています。
ほしのあきさんは井川意高さんとかなり親しかったようで、飲んでいる時に呼び出したら、ほしのあきさんはどんなに忙しくても必ず顔を出してくれたと書いていました。
また、実名を出した女性芸能人について肉体関係をきちんと否定していることが多いのですが、ほしのあきさんとは「肉体関係はあった」とは書いていないものの、否定もしていません。
井川意高と交流があった他の芸能人
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「熔ける」の中で井川意高と交流があったと書かれていた芸能人は、次のような人たちです。
・市川海老蔵
・伊藤英明
・紺野あさ美
・滝川クリステル
・ジャニーズタレント
・女性アイドル
井川意高の資産
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そもそも、カジノ遊びでの借金がかさんで、会社の金に手を付けたことが大王製紙事件の始まりです。
さらに、大王製紙事件で井川意高が返済できていなかった約50億円は、実家である創業家が支払っていました。
だから、いくらお坊ちゃんでセレブ一族の井川意高も、普通に考えたら、現在はそれほど資産はなさそうですよね。
でも、そんなことはないようです。大王製紙の社長・会長をやっていた時の井川意高は、東京の渋谷区広尾に立派な自宅を持っていました。その家は家宅捜索を受けています。
家宅捜索のニュースから見ると、この広尾の自宅はかなりの大きさで、まさに「邸宅」です。そして、どうやら現在でもこの豪邸に住んでいるようなんです。
また、「新人なんで、道教えてもらえますか」のタクシー運転手にあたった。
— 井川 意高 (@mototaka728) June 14, 2020
自宅広尾から、西麻布交差点まで!
しかも、また安定の日本交通。
このツイートを見る限り、井川意高はまだ広尾に住んでいることがわかりますよね。
広尾は日本でも有数の超高級住宅地で、坪単価500万円以上になることもある地域です。自宅だけで数億円の資産があると言えます。
それ以外にも、いろいろな資産を持っている可能性があります。自宅の維持費・固定資産税などを考えると、それなりの収入を持っていないと広尾の一軒家は維持できないでしょうから。
さらに子供3人も慶應に行っていることなどを考えると、まだまだセレブ生活であることは間違いないようです。
そのため、井川意高の資産は最低でも10億円以上はありそうですね。
井川意高の現在
井川意高は2011年に大王製紙の会長職を追われ、2013年には刑務所に収監されています。その後、2016年12月に仮釈放され、2017年6月に刑期満了となっています。
刑期満了後は、東大・実業家・刑務所という共通点が多い堀江貴文さんと一緒に「東大から刑務所へ」という本を出版しています。
また、カジノで106億円を使って熔かしたという経験を活かして、Abemaテレビにも出演したりしています。Abemaの麻雀イベントでは500万円を獲得していました。
InstagramやTwitterを見ていると、井川意高はまだまだ羽振りがよさそうですし、一緒にいる人物(堀江貴文や見城徹など)を見ると、いろいろな事業に手を出していそうですね。
大王製紙を黒字転換させた手腕を評価され、42歳で大王製紙の社長に就任した人物ですから、ビジネスの嗅覚は超一流です。今後、新しい分野でのビジネスで成功するかもしれません。
ただ、もう1度カジノに手を出したら、今度こそ手を付けられないところまで転落していく可能性もありますね。
まとめ
井川意高のプロフィールや経歴、大王製紙事件やカジノの借金の返済、嫁や娘の情報、藤原紀香・ほしのあきなど交流があった芸能人、資産や現在をまとめましたがいかがでしたか?
・東大卒で若くして社長に就任するなど超セレブだった
・会社の金106億円を不正に引き出した大王製紙事件で有罪判決を受ける
・借金は創業家が株を売って補填
・嫁とは大学時代に知り合った
・子供は3人という情報で、3人とも慶應生?
・派手に遊んでいて、藤原紀香やほしのあきと交流があった
・現在も広尾の自宅など資産はかなりある様子
幼いころから金銭感覚は狂っていたようですが、そこにギャンブル好き・カジノ好きという要素が加わると、とんでもない状態になってしまうんですね。
今後は実業家としての才能を存分に生かして、世間をあっと言わせてくれることに期待しましょう。