川尾朋子さんは国内外で注目を集める書道家ですが、元旦那である作詞家・松本隆さんとの結婚や離婚も話題です。
今回は川尾朋子さんのプロフィールや年齢、学歴と経歴、馴れ初めや結婚、子供の有無、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
- 川尾朋子のプロフィールと年齢
- 川尾朋子の経歴と学歴① 6歳で書道を始める
- 川尾朋子の経歴と学歴② 同志社女子大に進学・就活で内定するも辞退
- 川尾朋子の経歴と学歴③ 祥洲の弟子を経て、30歳で書道家として独立
- 川尾朋子の経歴と学歴④ 書と向き合うために体も鍛えている
- 川尾朋子の師匠・祥洲とは
- 川尾朋子は喘息・アトピーに悩んでいた・・・書道と同じぐらい長い漢方歴
- 川尾朋子が結婚した旦那は作詞家の松本隆・馴れ初めは書道教室?
- 川尾朋子と結婚した旦那・松本隆は作詞家で有名な曲を多数手がけている
- 川尾朋子と旦那・松本隆は2019年に離婚している
- 川尾朋子に子供がいるかは不明だがいない可能性が高い
- 川尾朋子の現在① 書道家として今も現役で活躍中・国外での展示も
- 川尾朋子の現在② 対談やインタビューを中心にメディアにも出演
- 川尾朋子の現在③ NHK WORLDの「Corekyoto 書に生きる」に出演
- まとめ
川尾朋子のプロフィールと年齢
生年月日:非公開(1977年8月4日とされている)
出身地:非公開(兵庫県出身だとされている)
所属事務所:不明
川尾朋子さんは書道家(書家)で、国内外で多数の賞を受賞しています。
2013年放送のNHK大河ドラマ「八重の桜」の題字などで知られ、四国大学の特認教授も務めています。
また、詳細なプロフィールは公開されていませんが、ネットでは1977年8月4日生まれ、兵庫県出身という噂が。
それが正しければ、現在の年齢は45歳となります。
川尾朋子の経歴と学歴① 6歳で書道を始める
川尾朋子さんは6歳より書を学び始めました。
川尾さんが「書」を始めたのは6歳の頃から。「男勝りで言うことを聞かない性格が少しでも落ち着けばいいという母の勧めで習い始めた」と言う。「墨を擦る音。筆と紙が接触する時の緊張感や、書けば書くほど上達していくのが自分でもわかり、ともかく好きでしたね。誰かを好きになるのに理由がないのと同じような感覚だと思います」と川尾さん。
小学校から中学校にかけては書道の私塾に通い、高校では書道部に所属。部長を務め、日々の練習に励んでいたといいます。
また、高校3年生のときには読売新聞主催の書道大会で、最優秀賞を獲得しました。
川尾朋子の経歴と学歴② 同志社女子大に進学・就活で内定するも辞退
出典:https://mainichi.jp/
その後、川尾朋子さんは同志社女子大学に進学。同大学の偏差値は61〜67ほどで、俗に言う高学歴の部類に入ります。
そして卒業間際だった4年生の時に、転機が訪れたといいます。
当時、アパレル会社から内定をもらい、内部研修を受けていたという川尾朋子さん。
研修を受けていく中で、就職後に書道と仕事の両立が難しいのではないかと不安を感じるように。
実は、川尾朋子さんは幼い頃から虚弱体質で、中学から高校にかけて半分ほどしか通学できなかったといいます。
入退院を繰り返す日々の中で、心を落ち着かせてくれたのが「書」なのだそう。
「自分のアイデンティティを支えてくれたのはいつの時も『書』だったということに、失うことになるかもしれないと悟った瞬間に気づかされました」
自身のアイデンティティが「書」だと気づいた川尾朋子さんは内定を辞退。
ただ、書道の道を志すものの道は険しく、京都大学医学部で秘書・実験補助要員として約7年ほどフルタイムで勤務していました。
遺伝子工学関連で、細胞を育てたり、顕微鏡をみたり、実験したり。こういう経験も、いまやっている墨の調合などで役に立っていたりして、無駄はなかったですね。体のなかのほうを見せてもらったのも、生命の捉え方という点で、特別な経験になりました。
当時は出社前と帰宅後に字を書く毎日を送っており、川尾朋子さんにとって書は生活の一部に。
旅行先にも、書道の用具や書に関する本を持参していたといいます。
川尾朋子の経歴と学歴③ 祥洲の弟子を経て、30歳で書道家として独立
川尾朋子さんはその後、2004年より書道家(書家)・祥洲さんに師事し、30歳を機に独立。
古典に向き合いつつも、空中における筆の軌跡に着目した「呼応」シリーズを生み出します。
また、近年では自身を含めて文字を完成させる「HITOMOJI」シリーズや、英語を縦書きで表現する「二十一世紀連綿」シリーズなども発表。書の持つ可能性を追求し続けています。
日本だけではなく世界からも注目されており、BBCの「The Art of Japanese Life」にも出演。
阪急嵐山駅「嵐山」や、Panasonicの巨大ショーウィンドウでのパフォーマンス、寺院の石碑などその活動は様々です。
川尾朋子の経歴と学歴④ 書と向き合うために体も鍛えている
2010年にはアトリエを構えており、アトリエへ移動するとオンオフのスイッチが無意識に切り替わるそう。
また、作品のために体づくりにも配慮しているという川尾朋子さんのアトリエにはダンベルが置いてあり、作品を描き続けるために必要な個所の筋肉を鍛えているのだといいます。
2013年に受けたインタビューでは今後の展望について、以下のように語っていました。
いまはフォントばかりの世界になってきていて、自分で文字を書くことが少なくなってきています。生きた文字というか、生きた人間が書いた文字をもっと世の中に残していきたいです。あとは、私にしかできないことを、もっと広い世界でやりたい、という漠然とした思いがあります。
また、書と向き合うため、毎日の訓練とルーティンを欠かさないそうです。
書道には欠かせないのですが、古典臨書、つまり模写の訓練を毎日続けています。また、祥洲先生に師事していますが、先生がいつも「紙の命は一回」と言っておられ、一枚一枚を大事に、「二枚目はない」と常に意識して書くことを心がけています。パフォーマンスに臨むときには、そういう日頃の行為を自分自身に言い聞かせています。そして現場では、正座をして墨をするなどの準備の段階を経て、呼吸を整えていきます。
川尾朋子の師匠・祥洲とは
生年月日:1958年(月日は非公開)
出身地:京都
職業:書家・写真家・現代美術作家
所属事務所:不明
祥洲さんの本名は「福田祥洲」さんで、近年は「祥洲」名義で活動している書道家(書家)です。また、写真家・現代美術作家としても知られています。
6歳から書を学び、立命館大学に在学していたときに書道家としてデビュー。
しかし、書道界の在り方に疑問を持った祥洲さんは、それまで所属していた会派をすべて脱会してしまいます。
その後、1990年に開催された「中国国際書法篆刻芸術博覧会」で書法部門のグランプリとなるなど、グローバルに活躍。
「祥洲 Art-Office」を設立し、”実力派書道家(書家)”として多ジャンルで活躍しています。
特に、「デザイン書道」と言われるデジタル処理を施した作品のパイオニアであることで知られており、商標デザインなどにも着手。
iPod関連商品やメルセデスベンツの「Eクラス」など、一般的にも広く知られる製品にも携わっています。
さらに、独自に考案したという書道指導カリキュラムも話題となり、2011年放送のバラエティ番組「嵐にしやがれ」でも紹介されました。
そのほか、2012年に行われた伊勢神宮の式年遷宮パフォーマンスや、2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の題字を担当。
さらに、2017年発売のアイドルグループ「AKB48」のシングル「シュートサイン」の題字などでも知られています。
また、川尾朋子さんのほかに、HILOKIさん・福田匠吾さんといった書道家を弟子としていました。
川尾朋子は喘息・アトピーに悩んでいた・・・書道と同じぐらい長い漢方歴
今や書道家として、国内外での活動のために多忙だという川尾朋子さん。
その活動内容からパワフルな印象が強いですが、実は学生時代に大病を経験したそうで、その経験から自分の体を意識し、向き合うようになったといいます。
幼い頃から喘息の症状があり、書道を始めた6歳ごろから漢方薬を飲み始めたそうで、書道と同じぐらい漢方歴も長いのだとか。
「書道で使う墨や紙も、漢方薬と同じで自然からの恩恵です」と語るほど川尾朋子さんにとって漢方薬はなくてはならないもののようです。
その後、陸上を始めたことで喘息の症状は改善されたそうですが、今度はアトピーの症状に悩まれ、中学・高校は半分ほどしか通学できなかったといいます。
特に高校時代の症状がひどく、2年生のときには半年ほどの入院も経験しました。
アトピーは「奇妙な」という意味のギリシャ語が由来で、原因も治し方もまだはっきり解明されていない病気ですよね。その当時は、食生活や体のことを毎日勉強する時間がありましたので、母と一緒にいろいろな本を読んで調べたりしました。自分の体はどうしてこうなるのか、どうしたら治るのか、と。母がどちらかというと東洋医学で治そうという人なので、自然治癒力で治す方法を片っ端から一緒に探していった感じですね。
引用:川尾朋子 | 墨の一滴一滴、紙の一枚一枚に集中する なにかに集中することで他のことを遮断する それが健康にすごく密接なことなんじゃないかと思います
現在は症状がかなり緩和されているものの、今もアトピーの症状が出るかどうかが健康のバロメーターになっているといいます。
以前は作品作りに没頭するあまり、夜中まで書に向き合うこともあったそう。
ですが、無理しない毎日が良い作品につながると考えるに至り、「食べる・書く・寝る」というワークライフバランスに落ち着いたのだとか。
そんな中でも、ツムラの漢方薬シリーズが自宅に常備しており、不調を感じたらすぐ飲むようにしているそう。
また、時には漢方薬と書の結びつきを想像することがあるとも述べています。
葛根湯も飲んでいますし、胃がもたれているような時には六君子湯をすぐに飲むようにしています。六君子湯は、明の時代から存在していたようですね。中国や日本の歴代の偉大な書のスターたちの作品を模写することを臨書というのですが、もしかしたらその当時の彼らも六君子湯を飲んでいたかもしれませんよね。そういう想像をすると身近に感じて面白いです。
引用:川尾朋子 | 墨の一滴一滴、紙の一枚一枚に集中する なにかに集中することで他のことを遮断する それが健康にすごく密接なことなんじゃないかと思います
川尾朋子が結婚した旦那は作詞家の松本隆・馴れ初めは書道教室?
川尾朋子さんは、2016年に作詞家・松本隆と結婚し、28歳の年の差婚が話題に。
お互いが作詞家・書道家であり、厳密には芸能人ではないためか、結婚は公表されておらず、一部メディアの報道によって世間に知られることとなりました。
川尾朋子さんと松本隆さんは馴れ初めについて公の場で語っていませんが、川尾朋子さんは京都を活動の場としており、松本隆さんもまた2013年頃に拠点を関西へと移しています。
その後、2016年頃より松本隆さんが川尾朋子さんに書道のレッスンを受けているため、ネットではそれがきっかけとなったのではないかと噂に。
それを裏付けるかのように、松本隆さんは2016年6月にインスタグラムへ上の写真を投稿しており、キャプションに以下の内容をつづっています。
川尾先生は超絶美人で、あの人とあの人を足して2で割った感じ。ぼくのフレーズをさらさらと書いたら、息を飲むほど美しい文字になった。
また、2017年には友人たちを含めて神戸花火大会を楽しむ様子の写真を投稿しており、どちらの左手薬指にも指輪がはめられていたのだとか。
さらに、2018年発売のCD「白鳥の歌」では松本隆さんが詞を、川尾朋子さんが題字を揮毫した夫婦による共同作品となっています。
川尾朋子と結婚した旦那・松本隆は作詞家で有名な曲を多数手がけている
生年月日:1949年7月16日
出身地:兵庫県
所属事務所:不明
松本隆さんは作詞家・ミュージシャンで、ロックバンド「はっぴいえんど」ではドラマーとしても活動していました。
1968年に、細野晴臣さんらとバンド「エイプリル・フール」を結成。
この頃から作詞を担当するようになり、同バンド解散後は「バレンタイン・ブルー(のちのはっぴぃえんど)」を結成しました。
はっぴぃえんどが解散した後は、バンド「ムーンライダーズ」として活動しつつ、作詞家・音楽プロデューサーとして活動。
しかし、プロデュース1作目となる南佳孝さんの「摩天楼のヒロイン」が完成した際、世界観が強すぎるがゆえに南佳孝さんから「これはあなたのアルバムだ」と言われ、情熱を消失。
その後、いくつかの作品を手掛けたのちに、作詞に専念しています。
アグネスチャンさんの「ポケットいっぱいの秘密」がヒットして以降は、歌謡界を中心に活躍。
太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」や桑名正博さんの「セクシャルバイオレットNo.1」、近藤真彦さんの「スニーカーぶる〜す」などの作詞を手がけました。
また、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」や寺尾聰さんの「ルビーの指環」、松田聖子さんのヒット曲のほとんどを手掛けるなど、名作詞家・阿久悠さんに匹敵する活躍を見せました。
近年は若手を育成しつつ、アイドルデュオ・Kinkikidsや中川翔子さん、アニメ「マクロスF」の挿入歌「星間飛行」などを手掛けたほか、2013年に慶應義塾大学特選塾員に就任。
2017年には紫綬褒章を受章しました。
川尾朋子と旦那・松本隆は2019年に離婚している
川尾朋子さんと松本隆さんは、結婚から数年しかたっていない2019年に離婚。結婚同様、離婚した事実やその原因などについては公表されていません。
しかし、離婚を報じた「週刊女性PRIME」は関係者の証言を掲載し、2人の別れが多忙によるすれ違いだと推測しています。
「ふたりの年齢差は実に28歳。ふた回り以上離れているので心配していましたが、約1年半の結婚生活の末、2019年には離婚されたそうです。川尾さんは仕事で世界を飛び回ることも多く、松本さんもまだまだ現役。夫婦で過ごす時間がなくなり、すれ違いが増えたことが原因のようですね」(同・レコード会社関係者)
川尾朋子に子供がいるかは不明だがいない可能性が高い
川尾朋子さんは、子供がいるかどうかについて明言していません。
しかし、松本隆さんと結婚していた時期も出産にまつわる報道は出ておらず、仕事を長期的に休養していた時期もないため、おそらくは子供はいないものと見られます。
川尾朋子の現在① 書道家として今も現役で活躍中・国外での展示も
川尾朋子さんは現在も、書道家として現役で活躍されています。
2021年にNHK総合で放送された「倫敦ノ山本五十六」の題字を担当。
また、2022年3月に発売された第一工業製薬の健康食品「天中花草」のパッケージや、同年4月にBSデジタル放送「BSJapanext」で放送されたドラマ「平田さん」の題字を担当。
さらに、国外の美術館で作品が展示されるなどグローバルに活躍しており、2022年7月にイスラエルのエルツ美術館で作品が展示されたました。
同年9月には、中国・香港藝術館(Hong Kong Museum of Art )で「Traces」の展示が行われました。
2020年に京都で展示した「Traces」が今日から香港藝術館で展示されます。
池田航成さんと共同制作した、文字を書いている時の空中での筆の動きを可視化した「Traces」の写真作品と、モーションキャプチャにより身体と筆の動き52点を可視化した映像作品を展示。
川尾朋子の現在② 対談やインタビューを中心にメディアにも出演
川尾朋子さんは、対談やインタビューという形でメディアに出演しています。
2022年1月には、スペインのレザーブランド「LOEWE」の企画でスタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんと対談。「書」への思いや、創造の源について語っています。
同年3月には、ポルシェの電気自動車「Porsche Taycan」のPR映像に出演。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=x-25gGmdhcw]
また、大関の日本酒「辛丹波」のパッケージを担当しCMにも出演したほか、コカ・コーラ「ドラゴンブースト」でもCMに出演しています。
関西のテレビ番組にも出演することがあり、朝日放送の情報番組「おはよう朝日 土曜日です」、京都放送の宗教番組「比叡の光」、情報番組「週末ライブ キモイリ! 」に出演しました。
川尾朋子の現在③ NHK WORLDの「Corekyoto 書に生きる」に出演
川尾朋子さんは、2022年3月に放送されたNHK WORLD(NHK国際放送)の「Corekyoto書に生きる」に出演。
同番組は、世界各国およそ160もの国と地域で公開されています。
メインは川尾朋子さんの師匠・祥洲さんの紹介となっていますが、弟子である川尾朋子さんも登場し、川尾朋子さんの手がける「HITOMOJI」シリーズが紹介されました。
文字クリエイターアカデミー講師の祥洲氏、その弟子を代表して、川尾朋子氏、HILOKI氏、福田匠吾氏にスポットを当て、今の京都に生きる書家と、そして書の新しい姿を世界の人々に伝える番組。2021年2月撮影スタート。途中、緊急事態宣言発出などもあり、完成まで7ヶ月以上を要し、9月11日編集完了。
まとめ
川尾朋子さんは書道家(書家)として活躍しており、大河ドラマ「八重の桜」の題字などで知られています。
プライベートでは作詞家・松本隆さんと結婚・離婚しており、これを機に注目を集めました。
6歳に書道を始め、大学卒業時には内定を辞退して書道の道へ進むことを決めたという川尾朋子さん。
30歳に独立し国内外で活躍されてるようになり、そのグローバルな活躍ぶりからパワフルなイメージがありますが、過去には喘息やアトピーといった不調に悩まされた日々も。
松本隆さんとの離婚が心身に影響を及ぼさないかが気になるところですが、その後の活躍ぶりからして、すでに本人にとっては過去の出来事となっているのかもしれません。
今後のますますの活躍に期待したいですね。