2001年~2006年まで内閣総理大臣を務めていた小泉純一郎さんは絶大な人気を誇った政治家で、家系図や若い頃も話題です。
今回は小泉純一郎さんの家系図やイケメンと噂の若い頃、元嫁と子供3人、現在をまとめてみました。
この記事の目次
小泉純一郎のプロフィール&経歴
小泉純一郎(こいずみ じゅんいちろう)
出身地:神奈川県横須賀市
誕生日:1942年1月8日
出身校:慶應義塾大学経済学部
小泉純一郎さんは、大学卒業後はイギリス留学をしていましたが、1969年に政治家だった父親が亡くなり、帰国しています。
そして父の跡を継ぐため、その直後に行われた「衆議院議員選挙」に出馬するも落選してしまいます。
そして元総理の福田赳夫さんの秘書を務めた後、1972年の衆議院議員選挙に再出馬し、自民党公認の下で初当選を果たし、政治家としての人生がスタートしました。
1972年初当選組の「YKKトリオ」
1972年の初当選組である小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓の3人は「YKKトリオ」と呼ばれ、1990年代の政治界、特に自民党内で存在感を発揮していました。
ただ、小泉さん自身は一匹狼的な言動もあったことから、時には「永田町の変人」と言われたこともありました。
小泉純一郎さんの主な経歴は、厚生大臣や郵政大臣、外務大臣などを経て、2001年に内閣総理大臣に就任し、2006年に退任しています。
また、内閣総理大臣としては、1980日間という長期政権になりました。
小泉政権時代には、敵勢力は悪役とし、自身は明確なキャッチフレーズによって大衆の味方であることをマスメディアを通し伝え、圧倒的で絶大な支持を獲得しました。
これはいわゆる劇場型政治として言われている手法であり、”小泉旋風”や”小泉劇場”といった造語までも生み出しました。
「郵政民営化」を訴える小泉氏…
また任期中は、郵政民営化や道路公団民営化、派遣法緩和、医療制度改革、終戦日の靖国参拝、北朝鮮電撃訪朝・拉致被害者5人の解放などを実現しました。
そして、2009年に政界を引退しています。
彼に対しての評価は分かれるかと思いますが、間違いなく日本の歴史に名を刻んだ政治家と言えるでしょう。
小泉純一郎の華麗なる家系図 【祖父も父も政治家だった】
小泉純一郎の家系図
小泉純一郎さんの元嫁の実家は、エスエス製薬元社長・元会長がいて、小泉純一郎さんの弟の嫁方は石原一族に連なっているようです。
華麗なる小泉家!
小泉純一郎の祖父・小泉又次郎
小泉純一郎の祖父は、小泉又次郎!
小泉又次郎さんは、1900年代前半に活動していた政治家です。
又次郎さんの父・小泉由兵衛さんが興した家業の先駆けは、明治時期の海軍に様々な物資・人材を送る請負師で、いわゆる職業斡旋の口入れ屋でした。
そんな小泉家の家業を、「小泉組」という土木請負業にしたのが又次郎さんだったそうです。
そしてこの小泉組というのは、いわゆるヤクザ組織だったと言います。
横須賀の請負師・鳶職等をしていた家業を継ぐために、政治家になる以前は、全身に刺青を掘っていて、「いれずみ大臣」と呼ばれていました。
小泉純一郎の父親・小泉純也
小泉純一郎の父は、小泉純也!
小泉純也さんは、1930年代〜1960年代まで衆議院議員として活動され、1964年〜65年には防衛庁長官を務められました。お子さんは、小泉純一郎さんを含めた3男2女がいます。
小泉純也さんは、小泉又次郎の娘(愛人の子で、のちに本妻に子供がいなかった小泉家に引き取られている)・芳江さんと婿入り結婚し、政治家となりました。
元々、小泉純也さんは、又次郎さんが所属する立憲民政党の事務員だったそうで、それが縁で芳江さんと知り合ったと言います。
そういった経緯で、小泉芳江さんは小泉純也さんさんと結婚したのです。
芳江について「“貰われっ子”であることを強く意識していたはず」と分析する。芳江は「成長するに従い、“家”に、あるいは“家族”に強いこだわりを見せるようになる」のだった。芳江は結婚相手に民主党の事務員である鮫島純彌(すみや)を選んだ。小泉家の世襲を成り立たせたのは、芳江の存在だったのである。
その後、池田勇人内閣で防衛庁長官として初入閣した純彌は、65歳という若さで急逝。跡継ぎとして呼ばれたのが、イギリスに留学中の長男・純一郎だった。又次郎の孫であることをアピールし、選挙を仕切ったのは、もちろん芳江だ。国会議員として当選後、純一郎の秘書を務めたのも小泉家の一族だ。「家族で一致団結して家業を守り立てる。それが“貰われっ子”である芳江の抱いた、理想の家族像だったのだろうか」
しかし一方では、Wikipediaなどの情報を見てみると、上記の引用記事とは少し異なる見解もあるようで…。
Wikipediaによると、イケメン好きの芳江さんが純也さんと恋に落ち、その後2人は駆け落ち同然となったので、純也さんが跡取りとなることを条件に又次郎さんが結婚を許したそうです。
また、この小泉純也さんについては何やら怪しい噂もあります…。
朝鮮総連本部が競売にかけられた競売で、45億で競り落としたのが鹿児島にある寺の池口恵観法主という人物で、その彼の本名が「鮫島正純」でした。
小泉純也さんの結婚前の本名は「鮫島純也」であることから、2人は「どういった関係が?」という怪情報もありました。
小泉純一郎の若い頃がイケメンだと話題に
小泉純一郎さんの若い頃
「イケメン!」と話題になっている写真です。ミスチルの桜井和寿さんに似ているとも言われています。
この写真は、37歳(1979年)頃と思われます。
昔の小泉純一郎さんと息子たち
この写真は、子供たちの年齢を考えると1980年代後半~1990年代前半ぐらいのものと思われます。
小泉純一郎さんは、パパとしてもかっこいい顔をしています。
首相になる前の小泉純一郎さん
こちらは、1990年代頃の小泉純一郎さんです。
まだ髪が黒々しくて、この頃は、ワタミ創業者の渡辺美樹さんに似ているという声も多数寄せられていました。
首相時代(2005年頃)
世間のみなさんは、やはりこの時のイメージが強いことでしょう。
近年の小泉純一郎さん
これは2017年頃の写真になりますが、かなり年老いたと感じる人もいることでしょう。
小泉さんは1942年生まれなので、2019年現在77歳になっています。
2019年9月頃の小泉純一郎さん
こちらの写真は、息子の進次郎さんが環境相に就任したことを受けてのインタビュー時になりますが、首相時代に比べると、かなり年老いた感じがします。
小泉純一郎の元嫁は宮本佳代子 【馴れ初め~離婚原因まで】
青山学院大学在学中に宮本佳代子さんと結婚
小泉純一郎さんの元嫁・宮本佳代子さん
宮本佳代子(みやもと かよこ)
誕生日:1957年生まれ
血液型:B型
出身地:神奈川県鎌倉市
出身校:青山学院大学
小泉純一郎さんは、1977年の青山学院大学在学中に宮本佳代子さんとお見合いし、その日のうちにプロポーズし、翌年1978年に結婚しました。
宮本佳代子さんは、エスエス製薬の社長・会長を務められた泰道照山を祖父に持つお家柄で、政治的な背景のある(政略結婚?)と思われていました。
ですが、幼い時に実の父親と死別していた宮本佳代子さんの父親代わりだった泰道照山さんはこの結婚に反対だったと言われています。
なので、この結婚により宮本さんは実家である泰道家と関係が悪化したようですが、小泉純一郎さんを信じて結婚しました。
泰道照山の血縁者は「結局、泰道家とは絶縁寸前までいった。“出て行くならその身体一つでいけ”という具合。それでも小泉さんから“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った」と述べている
その後2人の間には、小泉孝太郎さんや小泉進次郎さんら3人の子供たちが生まれますが、宮本さんが3人目のお子さんを妊娠中に離婚することになってしまったのです。
結婚期間、約4年間の間に3人の子供に恵まれながらも離婚という結果に至った背景には、一体何があったのでしょうか?
小泉純一郎と宮本佳代子さんの離婚原因
小泉純一郎さんと宮本佳代子さんの離婚原因で主に言われているのが、小泉家の兄弟姉妹の存在でした。
離婚原因は小泉純一郎の姉(信子)が原因?
小泉家は3代続く政治一家なので、家族の結束が非常に強いそうで、結婚後も義母、義姉、義弟夫妻が同居していました。
一方、エスエス製薬の創業者の孫である宮本さんは、政治家に必要な“票とカネ”を「集める苦労も知らない嫁」として小泉家のメンバーから疎んじられ、また、ただ義家族と同居するだけではなく生活費を夫・純一郎からではなく義姉から受け取っており、20歳も離れた義姉たちに「口答えひとつ許されず服従するしかなかった」と『週刊現代』(2001年8月18・25日号)で報じられています。
特に、小泉純一郎さんを公私共にサポートしていた姉の信子さんの存在が強いようでした。
小泉家を事実上取り仕切ってきたのは、純一郎の姉で秘書も務めてきた信子さんです。信子さんは純一郎が首相時代は首相公邸に同居し、純一郎の折々の政治決断に大きな影響を与えました。また、純一郎の元妻のAさんにかなり厳しく当たり、離婚後に進次郎たちと会うことを許さなかったのも信子さんだといわれています。
小泉信子さんは、父・小泉純也さんの代から、政治のサポート役をしていたそうで、弟の純一郎さんの代になってもその選挙活動を取り仕切り・政治的助言までもしていたと言われています。
宮本佳代子さんが後に語った話では、結婚期間中に「何もしなくて良い」と言われたものの、「政治家の嫁」として選挙活動に注力していたそうです。
ですが、それは”嫁には選挙活動をとり仕切らない”という昔からのしきたりがあると言われていた小泉家では、火種になったとも言われていました。
小泉純一郎、女癖の悪さも離婚に影響?
前述にあるように、小泉家のしきたりに宮本佳代子さんが馴染むことができなかったのが、離婚原因だと言われています。
しかし、一方では、若い頃はイケメンでモテモテだった小泉純一郎さんの女性問題や、それ以外の要因もあったのではないかと言われています。
なんでも小泉純一郎さんは、かつての政治家仲間からは、「女の話しかしない」などと評されているほどでした。
それは婚姻期間中の話ではありませんが、女性関係ではかなりの悪評が流れていたのです。
大学時代にレイプ疑惑も浮上していた?
これに関しては、本人は「デタラメ」と否定しているものの、内容が内容なだけにショックが大きいですね。
1990年代には小泉純一郎の愛人が変死?
1990年頃には、新橋の芸者・小はんさんが高級マンションで変死し、当時はネット上などでさまざまな憶測が飛び交う事件でした。
3人目を妊娠中に宮本佳代子さんと離婚
3人目を妊娠中に離婚!
小泉家には、ご存じの通り上の息子2人が残りましたが、離婚時に妊娠中だった三男は、調停の末、宮本さん側に引き取られることになりました。
これまでたくさんの依頼があっても何も話さなかった宮本佳代子さんでしたが、2016年に初めて小泉純一郎さんとの離婚時のことをインタビューで明かしました。
《日に日におなかが大きく膨らむ中で、「ひとりで元気な子を産むことができるのか」という不安、そして「子どもを抱えて自立できるのか」という不安――二重の不安に押しつぶされそうで毎日泣き続けていました。しかも、ふたりの息子とは生き別れた状態でしたから、胸の中にはさまざまな思いが渦巻いて…。今振り返っても、離婚直後はいちばんつらく悲しい時期で、一生分くらいの涙を流した気がします》
離婚後、宮本佳代子さんは、無事に三男(佳長さん)を出産しています。
その半年後には、三井不動産グループ・三井不動産リアルティに入社し、宅建を取得し、女手一つで見事子供を育てあげました。
日本賃貸住宅管理協会のレディース委員会で講演をした宮本さんは、不動産業界を選択した理由についてこう明かした。「身内を頼ることもできたが、それは嫌なので働くことにした。その際、女性ではめったに扱えない億単位の仕事ができる不動産を選んだ」
小泉純一郎の子供は息子3人
小泉純一郎さんと宮本佳代子さんの間には、子供が3人いらっしゃいます。宮本佳代子さん曰く、長男が1番母親似、次男は父と母の中間、三男は1番父親似だそうです。
小泉純一郎の長男・小泉孝太郎
長男:小泉孝太郎(こいずみ こうたろう)
誕生日:1978年7月10日
出身地:神奈川県横須賀市
身 長:177 cm
血液型:AB型
所 属:イザワオフィス
小泉純一郎さんは、孝太郎さんにとって厳しい父親だったと言います。
純一郎氏は、厳しい父親だったという。「家にいるときから、外に出ても。すべてが鍛錬だった気がします」と孝太郎。歩き方や言葉づかい、すべてのたたずまいのほか、銭湯での浴槽でのつかり方やタオルのしぼり方まで細かく教えてくれたといい「バスタオルも使わせてもらえなかった。『小さなタオルでもしぼれば拭き取れるから、大切に使いなさい』と」と、父のからの教えも紹介した。
また、「政治家はつらいから、自分が夢中になれることを探せ」と言われていたそうで、そこで孝太郎さん選んだのが「芸能界」だったのです。
小泉純一郎の次男・小泉進次郎
次男:小泉進次郎(こいずみ しんじろう)
誕生日:1981年4月14日
出身地:神奈川県横須賀市
職 業:政治家(衆議院議員)
所 属:自由民主党
小泉進次郎さんが滝川クリステルさんと結婚した際には、「自分は父親のような父親になりたい」と話されていました。
政治家小泉純一郎のまねはすべきじゃないし、したくもないと思いますけど、父親としては、小泉純一郎のような父親になりたいなと。愛情深く、心から自分が親から愛されているということを一点の曇りもなく思わせてくれたから、こうやって生きてこれたと思うので、そんな父親になりたいと思います。
この発言からも、かなり良い環境で育ってきたことが分ります。
また、小泉進次郎さんは、幼少期に両親が離婚していたため、母親代わりに育ててくれていた小泉純一郎さんの姉である道子さんを本当の母親だと思って過ごしてきたそうです。
中学2年生の頃に真実を打ち明けられた際には、「ウソ!」とかなりショックを受けたそうですが、「道子さんが本当の母親だと思ってる」とも話していたそうです。
小泉純一郎の三男・宮本佳長
三男:宮本佳長
誕生年:1983年
宮本佳代子さんに引き取られたのが、三男の宮本佳長さんです。
佳長さんの詳細は不明ですが、中学卒業後には、アメリカ・テネシー州の高校に留学し、帰国後は京都の私立大学に通い、中国語を学ばれたそうです。
そして、大学卒業後に母親と同じ、不動産業界のサラリーマンになったそうです。
2007年に大学卒業後、佳長さんは母親と同じく不動産の道へ。そのときのことを母・宮本さんはこう述懐しています。 <同じ不動産業界に進んだときは、うれしかったですね。私の背中を見ていてくれたのかな、と。私は「父親が有名でも、あなたとは関係ない。あなたの母はいちサラリーマン。勘違いしないで生きなさい>
宮本佳長さんは、長い間、父親の小泉純一郎さんや兄弟たちとは絶縁状態だったそうですが、小泉純一郎さんが政界を引退する前後に再会しています。
また、2013年に結婚されていますが、結婚式には父兄弟たちが訪れたことも伝えられています。
小泉純一郎の現在
小泉純一郎さんは、現在は主に「脱原発ゼロ」を主張されています。
現在は、「脱原発推進」
小泉氏は「あの事故が起こるまでは原発に疑いを持っていなかった」と述べ、「日本の原子力発電は絶対安全で、低コスト、クリーンエネルギーと言われていた」と振り返った上で「この3大大義名分は全部うそだった」と強調した。
「事故前に全国40基の原発でまかなわれていた電力は全体の約30%。現在は太陽光や風力発電などで15%の電力がまかなわれている」と話し、「原発の大義名分にだまされた私があほやねん。そうと分かれば自然エネルギーでやっていこう」と呼び掛けた。
講演会はもちろんのこと、ラジオや雑誌などでも脱原発ゼロを熱く語られています。
首相時代の頃は、むしろ推進派だったそうですが、2011年の東日本大震災をきっかけに脱原発へと方向転換したと言います。
まとめ
近年は、政界を引退していたこともあって、メディア等で見かけることがほとんどなくなった小泉純一郎さん。
次男の小泉進次郎さんと結婚した滝川クリステルさんと初めて対面した際には、「なんでクリスタルじゃなくて、クリステルなの?」と質問する場面もあったことでも話題になりました。
孫の誕生がぞかし楽しみなことでしょう!