深浦加奈子さんはドラマ「ショムニ」をはじめ、映画やドラマに欠かせない名脇役の女優で、突然の訃報に多くの人が涙しました。
今回は深浦加奈子さんの若い頃や代表作、結婚の有無、壮絶な闘病生活と死因や最期をまとめました。
この記事の目次
深浦加奈子のプロフィール&経歴
深浦加奈子のプロフィール
- 深浦 加奈子(ふかうら かなこ)
- 誕生日:1960年4月4日
- 没年日:2008年8月25日
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- グループ:第三エロチカ(1980~1989)
- 所 属:シス・カンパニー
深浦加奈子さんは、これまで数多くの様々な役柄をこなし、名脇役として評されていました。
彼女は公務員の家庭に生まれたので、母親は深浦加奈子さんにも公務員になって欲しいと思っていたそうです。
そんな彼女は、小学生の頃から成績優秀だったそうで、高校は都立日比谷高校、大学は明治大学文学部演劇学科を卒業しています。
大学在学中には、アングラ劇団の「第三エロチカ」の旗揚げに参加し、看板女優として全公演に出演した後、1989年に退団しています。
深浦加奈子の若い頃とは
もともとは劇団員だった!
深浦加奈子さんが所属していた、「第三エロチカ」とは小劇場第三世代の劇団で、破天荒な物語と個性豊かなスタイルで、若い観客からの支持を得ていた劇団の1つでした。
そんな彼女は、第三エロチカを退団後、活躍の場を舞台からドラマや映画に移し、独特な個性と演技力を活かし、数々の映像作品に出演しました。
そして、誰からも認められる名脇役女優として幅広く知られるようになりました。
深浦加奈子は結婚している?
深浦加奈子さんと言うと、「結婚」や「夫」というワードが出てきます。
果たして、深浦加奈子さんは結婚していたのでしょうか?
「生涯独身」だった!
調べてみると、深浦加奈子さんに夫はいませんでした。
離婚して夫がいないのではなく、最初から結婚はしておらず、夫となった人物はいなかったようです。
つまり、深浦加奈子さんには結婚歴はなく、生涯独身のままでした。
「仕事が恋人」発言も!
深浦加奈子さんは、よく「仕事が恋人」と言っていたそうです。
深浦加奈子さんほど、美しくて魅力のある人と結婚したいと思た男性は、周囲にいくらでもいたことでしょう。
しかし、深浦さんは誰とも結婚する事はありませんでした。
「仕事が恋人」だった深浦さんは、仕事に没頭するあまり、深浦さんにとって仕事以上の結婚相手はいなかったのでしょう。
深浦加奈子さんは、かつて俳優の”高橋克実さんと結婚していた”という噂も浮上しています。
なぜそのような噂が広まったかと言うと、高橋克実さんは2005年に深浦加奈子さんが退所するまで事務所が同じで、公私共に親しかったからでした。
550人以上が参列した深浦加奈子さんのお別れの会に先立ち、身内40人ほどで営まれた告別式にも、高橋克実さんは参列していて、深浦加奈子さんの棺を抱える役も担っています。
その点からも、余計に高橋克実さんが元夫だという噂に信憑性が加わったのかもしれません。
深浦加奈子の代表作① 「ショムニ」
第2シリーズの第4話にゲスト出演していた!
深浦加奈子さんは、「ショムニ」の第2シリーズの第4話にゲスト出演していました。
主人公の坪井千夏(江角マキコ)と敵対している、秘書課のリーダー杉田美園(戸田菜穂)の元先輩社員であり、経理課のお局社員・梅林君子という役でした。
「定年までやめませんから」と言い放つ、強い女性役で印象的でした。
この「ショムニ」は、ゲスト出演にも関わらず、視聴者に強く残っている作品の1つでしょう。
深浦加奈子の代表作② 「科捜研の女」シリーズ
「科捜研の女」シーズン5まで出演!
深浦加奈子さんは、「科捜研の女」シーズン3に小向光子役で出演し、シーズン5まで出演していました。
科捜研の女シーズン6では、産休という設定で出演していませんが、最終話には出演しています。また、2008年の科捜研の女スペシャルにも出演しています。
深浦加奈子の代表作③ 「家なき子」
「家なき子」では家政婦役!
深浦加奈子さんは、「家なき子」の主人公・すずを弟子として引き取った美術評論家の大坪家に住み込んでいる家政婦の役でした。
彼女は大坪家の主人に密かに思いを寄せており、主人がすずを亡き娘と重ねていくことに嫉妬して、すずに陰湿な虐待を繰り返した末、主人を刺して一緒に窓から転落死する壮絶な役でした。
真面目で優しかった「科捜研の女」の小向光子役とは対照的に、エキセントリックなほどに追いつめられ、狂気に落ちていく役は、深浦加奈子さんの本領発揮とも言える役どころでした。
深浦加奈子の死因は大腸がん~壮絶な闘病生活も紹介
2008年8月25日に、都内の病院にて深浦加奈子さんが48歳という若さで亡くなりました。
この訃報は、日本中の多くのドラマ好き・芝居好きのファンたちを驚かせました。深浦加奈子さんが闘病生活を送っていたことを、ほとんどの人たちが知らなかったそうです。
彼女は、一体いつからどんな病気と闘っていたのでしょうか、調べていきましょう!
死因は「大腸癌」だった!
深浦さんは、2002年冬に放送されたドラマ「美女か野獣」の撮影中、腹部に激しい痛みを感じたため、産婦人科で検査を受けたそうですが、その時は異常はみつかりませんでした。
また、痛みも一過性で、すぐに消えたのでそのまま撮影を続けていました。しかし、症状は徐々に酷くなっていったのです。
「美女か野獣」の撮影が終了した2003年3月、彼女は都内の病院に緊急入院しました。
その診断結果は、S状結腸癌(大腸癌)で、浸潤やリンパ節への転移のないステージ2というものでした。
しかし、2週間後の3月24日の手術で開腹した医師は、予想以上に癌が進行していて、リンパ節転移を伴うステージ3bに達していることを知ることになります。
ステージ3に達していた…!
看護師の資格があった彼女の母親は、摘出した肉片を触り、しこりが3cmに達するものだったことを知り、状況の厳しさを思い知ったそうです。
そして、ここから彼女の壮絶な闘病生活が始まることになりました。
手術そのものは成功し、深浦さんは2ヶ月ほどで仕事復帰を果たし、驚異的な数のドラマや映画、演劇などに出演し、以前にも増して人気を不動のものにしていきました。
闘病生活は壮絶なものだった…!
2006年には、2度めの肝転移!
癌が発覚してから、深浦さんは家族や周囲の人たちから、闘病生活中は治療だけに専念するようにと勧められていたそうです。
しかし、「仕事が恋人」と言っていた彼女は、周囲には自身が癌であることを隠して、闘病しながら仕事を続けることを選びました。
しかしその裏側で、大腸癌の再発・転移と治療による小康状態が繰り返されていたのです。
そして手術から2年後の2005年4月には、彼女は重篤な腸捻転を患います。
この時、彼女は所属事務所に迷惑が掛からないようにと、所属事務所のシス・カンパニーから独立して、闘病しながらフリーで活動を続けられました。
翌年の2006年には、肝転移も発見されています。その際には、医者からも「治療の術なし」とさじを投げられてしまったそうです。
終末医療を勧める病院側に対し、深浦加奈子さんは癌について独自に勉強し、医者に「放射線治療」を提案することで、治療を継続することとなりました。
最後の舞台!
2007年に、抗がん剤の治療による副作用に耐えながらも、深浦加奈子さんは「若い夫のすてきな微笑み」の舞台に立っています。
舞台中の深浦加奈子さんは、闘病中の苦しさなどは微塵も感じさせず、見事な演技を披露しました。
しかし同年12月、縦隔大動脈のリンパ節に小さな癌がみつかり、翌年には両肺への転移も明らかとなっていたのです。
転移に対応する新しい薬の治療は効果が出ませんでした。そんな中でも、最後の舞台となる「新しい橋」に出演していました。
そして、舞台「新しい橋」に出演後、深浦さんは自宅で治療に専念することになりました。
深浦加奈子の最期とは…
最後の仕事は「ナレーション」
亡くなる1か月前にも仕事していた!
深浦さん最後の仕事は、テレビ新広島の報道番組「描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶」のナレーションでした。
2008年7月のことなので、既に癌が両肺に転移していたので、ナレーションの仕事は本当に辛かったことでしょう。
ですが、「このテーマは絶対にやりたい」と言っていたそうで、実姉が付き添って広島まで行き、気力を振り絞って乗り切ったと言います。
その頃は、家族全員で深浦さんの闘病生活と仕事面を支えていました。
彼女は母親に「この仕事が最後になると思う」と覚悟を明かしていて、その言葉通り、東京に戻ってから容体が急変したのでした…。
「座ったまま」永眠…
「2008年8月25日午後10時57分」永眠…
家族全員に支えられながらの闘病生活でしたが、彼女の身体はついに限界を迎え、再入院となりました。
入院したものの、もう医者も匙を投げていると家族が感じるほどの状態だったと言います。
容体は悪化の一途を辿り、8月18日には、肝機能の低下で黄疸が出て、呼吸も思わしくない状態に…。
「身体のどこが痛いという訳ではないけど、身体全体に不快感がある」と言っていたようです。
肺に酸素がいかないので、一言話すだけでも息が切れる状態で、22日には会話もできなくなっていたそうです。
そして、2008年8月25日午後10時57分、壮絶な闘病生活の末、家族に見守られながらベッドに座ったまま息を引き取ったのです。
深浦加奈子のお別れの会には大勢の芸能人が参列し話題に
深浦加奈子さんの告別式は9月2日に営まれ、親族と特に親しい関係者が40人ほど参列しました。
その後の「お別れ会」には、550人ほどが参列しました。
松嶋菜々子さんら大勢の芸能人が参列!
告別式の会場は、東京都杉並区にある堀ノ内斎場で行われました。
親族と特に親交のあった関係者が集まった告別式には、オペラ歌手の森公美子さんや俳優の渡辺いっけいさん、松嶋菜々子さんが来ていたそうです。
映画やドラマで共演していた松嶋菜々子さんは、深浦加奈子さんを姉のように慕っていたそうです。そんな2人の出会いは、ヨーロッパに住む日本人を探す旅番組でのことだったそうです。
お別れ会で弔辞を読んだのは小泉今日子!
お別れ会で弔辞を読んだ小泉今日子さん
お別れ会では、小泉今日子さんが弔辞を読みました。
深浦さんは、小泉今日子さんのことを「キョン」と呼んでいて、小泉さんもまた深浦さんのことを姉のように慕っていました。
弔辞を読んでいた小泉さんは、肩を震わせ涙を見せていたそうです。
2人の出会いは、2002年に行われた舞台「おかしな二人(女編)」で、共演以降は、様々なことを深浦さんに相談していた仲だったそうです。
深浦加奈子さんは亡くなる直前の8月に、”自分の財産は愛猫のニコラスに寄贈する”と遺言をしていたそう。
また生前、両親に自分の遺骨は海に散骨して欲しいと頼んでいたそうです。そして遺骨の一部は、彼女の遺言通りに大好きだった逗子の海に撒かれたとのことです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
深浦加奈子さんが壮絶な闘病生活を送りながら女優を全うした姿には、多くの役者仲間達の心の奥深くに刻まれていることでしょう。
そして、これからも作品の中で生き続けている深浦加奈子さんに、私たちはいつでも会うことができます。
改めて深浦加奈子さんのご冥福をお祈りすると共に、彼女が亡くなって10年が経ちましたが、いまだに死亡率共にトップ3に入る大腸癌の良い治療法が開発されることを祈るばかりです。