まだ5歳の子供が「もうおねがいゆるして」と許しを請うメモや過酷な虐待の事実に、多くの人が涙した「目黒女児虐待事件」。
今回は事件の経緯、船戸雄大の嫁と子供など家族、出身高校や大学など生い立ち、判決や現在を紹介します。
この記事の目次
「目黒女児虐待事件」とは~5歳の女の子・船戸結愛ちゃんが虐待死
「目黒女児虐待事件」とは、2018年3月2日に東京都目黒区で度重なる虐待を受けていた5歳の女の子・船戸結愛ちゃんが虐待死した事件です。
結愛ちゃんの死因は、肺炎からの敗血症。16kgあった体重は、東京・目黒区に引っ越してきてからのたった1ヶ月余りで、12.2kgにまで減っていたと言います。
司法解剖の結果、結愛ちゃんの足には重度の凍傷が認められたのみならず、長期に渡って満足な食事が与えられておらず、死亡前の臓器は正常な5歳児の5分の1ほどに萎縮していたそうです。
出典:https://www.fnn.jp/
その後、彼女に虐待を加えていた義理の父親である船戸雄大と、それに逆らえずに放置していた実の母親・船戸優里が逮捕され、保護責任者遺棄致死罪などで起訴されています。
「もうおねがいゆるして」結愛ちゃんの最期のメッセージを公表
この「目黒女児虐待事件」で犠牲となった5歳の女の子・結愛ちゃんは、亡くなる数日前に、ママに宛てて次のようなメッセージをノートに書き残していることが公表されています。
出典:https://ameblo.jp/
事件の経緯や背景を知れば知るほど、目を背けたくなるような悲しい内容なのですが、あえて文字に起こしてみました。
ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりかもっと
あしたはできるようにするから
もうおねがいゆるして ゆるしてください
おねがいします
もうほんとうにおなじことはしません
ゆるして
きのうぜんぜんできなかったこと
これまでまいにちやってきたことをなおす
これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶってあほみたいだからやめる
もうぜったいぜったいやらないからね
ぜったいやくそくします
もう あしたはぜったいやるんだとおもって
いっしょうけんめいやる やるぞ
小学校へ上がる前のたった5歳の女の子が、覚えたばかりの「ひらなが」で、必死に実の母親に許しを請うという異常な内容のメモなんですよね。
結愛ちゃんがどんな思いでこれを書き、何を思いながら静かに死んでいったのかを想像すると、本当に胸が詰まる思いです。
これまで虐待死した子供のメモなどを、目にすることはほとんどありませんでした。今回、このメモの公開に踏み切った警視庁には、次のような意図があるのだとか。
虐待事件捜査では、家族内の当事者にしか知りえない状況を立証する難しさ。いわゆる「密室感」があります。今回警視庁が明らかにしたメモは、結愛ちゃんが事件直前どんな劣悪な環境にいたか、そしてどんなに切迫した状況だったかを亡くなった結愛ちゃん自身の言葉で声高に示す状況証拠です。警視庁は両親による悪質な犯行を裏付けるうえで重要な証拠と判断し、結愛ちゃん自身が記したメモの公開に踏み切ったと言えます。
引用:虐待されても「ママゆるして」に島田キャスター思わず涙 結愛ちゃんは救えた命 https://www.fnn.jp/
警視庁の並々ならぬ覚悟が読み取れますね。
そこで今回、そんな「目黒女児虐待事件」の経緯と、長期間に渡って結愛ちゃんを虐待し続けていた義理の父親である船戸雄大の生い立ちを中心にまとめてみました。
「目黒女児虐待事件」の経緯~船戸雄大と嫁の船戸優里・子供など家族関係も解説
結愛ちゃんは船戸優里が最初の旦那との間にできた子供だった
結愛ちゃんの実の母親である船戸優里の詳しい生い立ちや経歴については、実はまだよく分かっていないのですが、船戸優里は香川県出身で、19歳の頃に結愛ちゃんを出産しています。
出典:https://twitter.com/
結愛ちゃんの実の父親とは、2015年に離婚しており、その後は母子家庭として結愛ちゃんと2人で仲良く暮らしていたようです。
また、船戸優里はFacebookをしており、そこには無邪気に愛らしい笑顔を見せる結愛ちゃんの写真が投稿されています。
出典:https://ja-jp.facebook.com/
結愛ちゃんを可愛がっていた曾祖父の心配が的中することに…
ちなみに、2015年に離婚した結愛ちゃんの実父は、幼少期に両親の離婚後は祖父母が引き取り、親代わりとなって育てられました。
祖父母にとって、結愛ちゃんの実父は孫とは言え子供のような感覚だったことから、ひ孫である結愛ちゃんは孫のような存在だったと言います。
出典:https://twitter.com/
結愛ちゃんが亡くなってまもなく投稿された記事に、次のような曾祖父のコメントが掲載されています。
「どっちが悪いかわからんが、(孫夫婦は)3年前に離婚したんや。でも母親は結愛のことを大事にしていたし、結愛も母親が大好きやった。この子に結愛を預ければ大丈夫と思っていたのに……。離婚で犠牲になるのは子どもや。
(中略)
結愛の母親が再婚して、実の子どもができたら、やっぱり連れ子やから大切にしてもらえんのじゃないかと心配しとった。まさか本当に犠牲になるなんて……」
引用:女児虐待死事件、別れた実父の祖父母が語る悲しみ胸中 (週刊女性PRIME) – LINE NEWS https://news.line.me/
そんな曽祖父の嫌な予感は的中してしまうことに…。
船戸雄大は優里との結婚を機に就職。しかし同居と同時に始まる結愛ちゃんへの虐待
船戸雄大は、2016年4月に香川県三豊市の冷凍食品会社に入社するのですが、その直前に船戸優里と入籍しています。
正確には、当時交際中だった船戸優里の妊娠を知った船戸雄大が、結愛ちゃんと生まれてくる子供の父親として生きていくことを決心し、入籍を機に正社員を選んだと言えるかもしれません。
そして、予定通り同年9月には長男が無事に誕生するのですが……船戸雄大の結愛ちゃんに対する虐待は、同居と同時に始まっており、次第にエスカレートしていくことになります。
以降の結愛ちゃんへの虐待の内容と、「目黒女児虐待事件」に至った経緯について、まとめた一覧表がこちら。
こうやって整理してみると、結愛ちゃんを救うチャンスは何度もあったことが分かります。
なぜ、懸命に生きようとした小さな命を救うことができなかったのでしょうか…。
「目黒女児虐待事件」の犯人・船戸雄大の生い立ち~出身高校や大学も紹介
今回、船戸雄大の家族関係や生い立ち、出身高校・大学について調べてみたのですが、結論から言うと、ほとんどまともな情報はありませんでした。
実際、船戸雄大の出自については、不自然なほど情報がなく、多くの人が疑問に感じているようです。そんな中で、ようやくいくつかの信憑性が高そうな情報が見つかったので紹介します。
出典:https://zaitakudemamawork.com/
北海道札幌で育った船戸雄大の小学校時代はバスケに熱中する人気者だった
北海道の札幌で育った船戸雄大は、小学生時代は明朗活発で友達も多く、バスケットボールが得意なクラスの人気者だったようです。
バスケットボールは「将来プロになれるんじゃないか」と言われるほどの腕前で、体育の先生よりも上手だったとの証言もあるようです。
実際、船戸雄大の卒業文集には将来の夢として「日本人初のNBA選手になる」と書かれていたそうです。
しかし、なぜかその後の中学、高校時代の船戸雄大についての情報は皆無と言ってよく、もちろん出身高校などの情報もありませんでした。
船戸雄大は東京の大学に進学したらしい…但し、出身大学は不明
船戸雄大は2003年4月、大学進学のために上京しています。東京の私立大学に進学したと言われていますが、具体的な大学名は出てきませんでした。
大学時代の船戸雄大は、「NBA選手になる」との夢は諦めたようですが、バスケットボールは続けており、バスケサークルに所属し、リーダー的存在のまとめ役だったと言われています。
大学卒業後は通信関係の大企業に就職した船戸雄大
2007年4月に大学を卒業した船戸雄大は、その後も東京に残り、通信関係の大企業に就職しました。
仕事もできて上司の評価も高く、その上元来の世話好きな性格から、同期会ではいつも幹事を引き受けるなどの社交性の高さも見せていたそうです。
出典:https://www.fnn.jp/
一方、行きつけの飲み屋では、船戸雄大が兄のように慕っていた先輩に「辞めたい」「もう通信関係の仕事はやりたくない」「他の仕事がしたい」と頻繁に漏らすようになっていたそうです。
地元札幌に戻った船戸雄大は高級クラブのボーイに転職
かねてより幼少期を過ごした札幌への異動を希望していた船戸雄大は、2014年5月にようやく受理され、札幌に戻ることになりました。
しかし、念願の札幌に戻ることができた船戸雄大ですが、その後すぐに会社を辞めています。
出典:https://skyticket.jp/
その後は、札幌すすきのの高級クラブでボーイの仕事を始めた船戸雄大ですが…結局、札幌に戻ってからわずか1年後の2015年には、その後の運命を変える香川県へ移ることになります。
香川県で船戸優里・結愛ちゃん親子と出会ってしまった船戸雄大
友達から「人が足りなくて困っている」と声がかかった船戸雄大は、世話好きな性格から、縁もゆかりもない香川県に移住し、高松の繁華街にあるキャバクラのボーイとして働き始めました。
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
そして、そのキャバクラ店で出会ったのが、キャバクラ嬢として働くシングルマザーの船戸優里と当時3歳の娘・結愛ちゃんだったのです。
そして、2人目の子供を授かったことを知った船戸雄大は、ようやく腹をくくったのでしょう、地元・香川県三豊市の優良企業である冷凍食品会社の面接を受け、すぐ採用されたと言います。
後に、勤務先の上司は、当時の船戸雄大の印象について次のように語っています。
「家族ができるのでやらなきゃいけないという、本人も覚悟を決めて面接に望んでましたので、非常に印象は良かったし、やる気というか熱意がよく見えたっていうのはありますね」
引用:なぜ結愛ちゃんを救えなかったのか。目黒・虐待死事件で明らかになった社会の抜け穴 https://www.fnn.jp/
こうして船戸雄大と優里、そして結愛ちゃんの3人の新しい生活が始まったのですが、同居を始めてまもなく船戸雄大による結愛ちゃんへの虐待が始まったと言われています…。
「目黒女児虐待事件」の犯人・船戸雄大と船戸優里の判決と現在
結愛ちゃんの実母・船戸優里に懲役8年の実刑判決が下される
東京都目黒区で船戸結愛ちゃんを虐待死させたとして、保護責任者遺棄致死の罪に問われた実の母親の船戸優里被告の裁判員裁判が、2019年9月17日、東京地裁で開かれました。
・「夫の暴行を認識しながら結果的に容認し、犯情は重い」
・「夫からの心理的DV(家庭内暴力)を受けていたことは否定できない」
として、検察側の懲役11年の求刑に対して、懲役8年の実刑判決を言い渡しました。
出典:https://twitter.com/
守下実裁判長は、結愛ちゃんへの食事制限について…
「わずか1カ月余りで体重の約4分の1が失われており、「明らかに不相当で苛烈(かれつ)なものだった」と批判した。さらに、児童相談所の訪問を拒絶するなどしていたことから、結愛ちゃんの命は「被告らに委ねられていた」とも言及。
食事を受け付けなくなり、異常にやせてけがをしていたのを目にしながら、夫の暴力や自らの不適切な対応が発覚するのを恐れて病院に連れて行かなかったことを「強い非難に値する」と述べた。
「大好きだった母親」からも救いの手が差し伸べられなかった結愛ちゃんの気持ちについても、「苦しみや絶望感は察するにあまりある」
引用:結愛ちゃん母に懲役8年実刑判決 東京地裁 目黒虐待死 https://www.asahi.com/
出典:https://www.change.org/
と、強く断罪する一方で、元夫・船戸雄大から長時間に渡る説教や言葉の暴力を受けていたことなどから、弁護側が主張する夫の心理的DVの影響も否定できないとするものの…
自ら離婚を切り出したり、夫の目を盗んで食事を与えたりしていたと指摘。「最終的には自らの意思で夫の指示を受け入れており、心理的に強固に支配されていたとは言えない」として、責任を大幅に減らす理由にはならない。
と結論づけました。
なお、優里被告は現在、船戸雄大被告との離婚が成立しているようです。
そして、この判決を不服として控訴することが発表されています。
船戸雄大に懲役13年の判決
優里被告の夫で保護責任者遺棄致死罪や大麻取締法違反罪、傷害罪に問われた船戸雄大被告の初公判は10月1日に開かれました。
出典:https://gochamaz.com/
何度も持っていたハンカチで目頭を押さえていた船戸雄大。また、嗚咽をこらえる様子も見せていたと言われています。
このように、初公判では起訴内容を認め、反省している様子を見せていたようですが、あんなにも長期間結愛ちゃんを虐待し続けていたことを考えると、すぐ改心したとは到底思えません。
その後の10月15日、船戸雄大に懲役13年の判決が出ました。
東京都目黒区で2018年3月、船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)が死亡した事件で、保護責任者遺棄致死や傷害罪などに問われた父親の雄大被告(34)に対し、東京地裁(守下実裁判長)の裁判員裁判は15日、懲役13年(求刑・懲役18年)の判決を言い渡した。
現在、「目黒女児虐待事件」により児童虐待防止法の改正案が成立
船戸雄大が起こした「目黒女児虐待事件」は、そのあまりのむごたらしさにより世間を震撼させました。
結愛ちゃんの死を悼む声とともに、もう二度とこのような悲惨な虐待事件が起こらないように…との多くの声が寄せられました。
そのため、事件後、国会に「児童虐待防止法」の改正案が提出され、2019年6月に参院本会議で全会一致で可決し、成立しました。
出典:https://www.youtube.com/
・しつけ名目の体罰を禁止
・一時保護と保護者支援の担当を分離
・児童相談所への医師、保健師の配置
「児童虐待防止法」にこれらが新たに盛り込まれました。
その意味でも、「目黒女児虐待事件」は、この国のシステムを変える“きっかけ”となった衝撃的な事件だったと言えそうですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
まだ幼い5歳の女の子が、覚えたばかりの“ひらがな”で、「もうおねがいゆるして」と実の母親に許しを請うという異常な様子が衝撃を与えた「目黒女児虐待事件」。
事件の経緯と、長期間に渡って結愛ちゃんを虐待し続けていたとされる、義理の父親である船戸雄大の生い立ちを中心にまとめてみました。
ただ、船戸雄大の家族や中学~高校時代にかけての様子についての情報は、現在はまだ少なく、今後の船戸雄大の裁判の行方とともに注目していく必要がありそうですね。
最後に、結愛ちゃんのご冥福を心よりお祈り致します。
出典:https://www.huffingtonpost.jp/