役者・司会者として活躍する三宅裕司さんですが、ケガや病気が多く難病の噂も浮上中です。
今回は三宅裕司さんの生い立ちなど若い頃の経歴、実家の家族、結婚した嫁の天然語録や子供2人、自宅の騒音騒動、難病の噂や現在をまとめました。
この記事の目次
- 三宅裕司のプロフィール
- 三宅裕司の実家の家族
- 三宅裕司の若い頃の経歴① 生い立ちや学生時代
- 三宅裕司の若い頃の経歴② 劇団を渡り歩き、自ら旗揚げ
- 三宅裕司の若い頃の経歴③ 映像作品にも多数出演・高い演技力が評価
- 三宅裕司の若い頃の経歴④ ラジオパーソナリティ・司会者などマルチに活躍
- 三宅裕司が結婚した嫁・子供2人
- 三宅裕司の嫁の天然エピソード・おもしろい嫁語録を紹介
- 三宅裕司の自宅騒音騒動は「セカオワハウス」が原因だった
- 三宅裕司は難病にかかっている?これまでの病気とケガ歴を紹介
- 三宅裕司の現在① 公演舞台はチケットが入手困難となる人気ぶり
- 三宅裕司の現在② メディアでも引き続き活躍中
- 三宅裕司の現在③ 「三宅裕司70歳記念落語会」が開催された
- まとめ
三宅裕司のプロフィール
生年月日:1951年5月3日
出身地:東京都
所属事務所:アミューズ
三宅裕司さんはお笑いタレントで、役者・司会者としても活躍しています。
また、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を主宰しているほか、演劇ユニット「熱海五郎一座」で座長を務めています。
三宅裕司の実家の家族
三宅裕司さんの実家は印刷業を営んでおり、父親は8ミリ映画の撮影が趣味とのこと。
母親は松竹歌劇団に所属していたことがあり、日本舞踊の名人でもあったそうです。また、伯母も松竹歌劇団の団員だったといいます。
また、曾祖父は”郵便制度の父”と称される前島密さんと兄弟だそうです。
三宅裕司の若い頃の経歴① 生い立ちや学生時代
三宅裕司さんは松竹歌劇団だった母親の影響から、幼少の頃より日本舞踊・三味線・長唄・小唄を習っていました。
近所には、画家のいわさきちひろさんが住んでおり、乳児期にはいわさきちひろさんに母乳を飲ませてもらい育ったといいます。
当時のいわさきちひろさんは、諸事情で息子・松本猛さんを遠方の両親に預けており、「再会までに母乳が途切れないように」との思いから、三宅裕司さんへの授乳を行っていたといいます。
そんな三宅裕司さんは中学になると、落語やバンド活動を開始。
その後は、明治大学付属明治高等学校に進学し、明治大学経営学部を卒業しました。
明治大学では落語研究会に所属しており、後輩には落語家・立川志の輔さんや、タレント・渡辺正行さんらがいたといいます。
落語研究会では、4代目「紫紺亭志い朝」を襲名。その後、5代目を立川志の輔さんが、6代目を渡辺正行さんが引き継ぎました。
また、2021年に公開された「文春オンライン」の三宅裕司さんに関するコラムでは、三宅裕司さんの学生時代について以下のように紹介しています。
小学生のころは、勉強もスポーツもよくでき、学芸会でオルガンを弾いたり、町内会の祭りでは太鼓を叩いたりと常に目立つ存在だった。高校・大学時代は、バンド活動と落語研究会を掛け持ちする。目立ちたがり屋の彼は、バンドでドラムを叩いていても、どこでスティックを回せば目立つかとか、どんな衣装にすれば女の子にモテるかとか、パーティの入場料をいくらにすれば儲かるかとか、音楽以外のことに神経を使っていた。
三宅裕司の若い頃の経歴② 劇団を渡り歩き、自ら旗揚げ
大学卒業後の三宅裕司さんは、俳優を目指して活動を始めます。
最初に「日本テレビタレント学院」に入学するも3ヶ月で辞め、劇団「東京新喜劇」に入団。しかし、1度も公演することなく劇団自体が解散となりました。
その後も、コントグループ「少年探偵団」に入ったり、役者の斎藤洋介さんらと劇団「大江戸新喜劇」を旗揚げしたりするもすぐに脱退しています。
1979年になると、小倉久寛さん、八木橋修さんらと「ミュージカル・アクション・コメディ」をコンセプトとした劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」を旗揚げし、座長に就任。
なお、同劇団には過去、岸谷五朗さんや寺脇康文さんといった人気役者も在籍していました。
三宅裕司さんはインタビューで、劇団旗揚げ時の気持ちについて以下のように語っています。
旗揚げした頃は、実は深刻な社会的テーマを笑いのオブラートで包んでラストまでお客さんをぐんぐん引っ張り、見終わった後で「なるほど! スゴイことを発信していたんだ」と唸うならせるような芝居を目指していました。
2004年からは、”東京の笑い”とされる「軽演劇」を後世に伝えるべく、劇団「伊東四朗一座」としても活動。
三宅裕司さんが師と仰いでいる伊東四朗さんや渡辺正行さん、小倉久寛らさんとともに毎年公演を行っています。(伊東四朗さん不在公演は「熱海五郎一座」に名称が変更される)
さらに、上記公演とは別に、伊東四朗さんとコントライブ「いい加減にしてみました」も不定期で上演。舞台で精力的に活動しています。
三宅裕司の若い頃の経歴③ 映像作品にも多数出演・高い演技力が評価
三宅裕司さんは舞台だけではなく、映画・ドラマといった映像作品にも出演しています。
1979年放送の日本テレビ系ドラマ「俺たちは天使だ!」第1話への出演をきっかけに、TBS系ドラマ「冗談ストリート」シリーズに出演。
1986年放送のテレビ朝日系ドラマ「アイドル殺人事件 歌番組での殺しの方法教えます」で主演を務めて以来、単発ドラマを中心に主演も務めるようになりました。
主演ドラマとしては、1990年放送のTBS系ドラマ「お嬢様教育」や、1995年放送のNHKドラマ新銀河「拝啓自治会長殿」などが挙げられます。
また、朝の連続テレビ小説にも多数出演しており、1979年放送の「マー姉ちゃん」、1996年放送の「ひまわり」などに出演。2015年放送の「朝が来た」では、渋沢栄一役を演じました。
- そのほか、テレビ朝日系ドラマ「遺留捜査」シリーズや、テレビ東京系2時間ドラマ「金沢のコロンボ」シリーズなど、人気シリーズにも継続して出演しています。
映画においては、1986年公開の映画「四月の魚」以降、1994年公開の「居酒屋ゆうれい」などに出演。
映画「サラリーマン専科」シリーズでは主演を務めました。
- 2003年は映画「壬生義士伝」に出演。大野次郎右衛門役で見せたシリアスな演技が高く評価され、「第27回日本アカデミー賞」で優秀助演男優賞を受賞しています。
- また、声優として活動することもあり、1999年放送のアニメ「レレレの天才バカボン」でのモク山さん役や、2013年公開のジブリ映画「かぐや姫の物語」で翁役を担当しました。
三宅裕司の若い頃の経歴④ ラジオパーソナリティ・司会者などマルチに活躍
三宅裕司さんは1984年から1990年にかけて、ニッポン放送でラジオ番組「三宅裕司のヤングパラダイス」でパーソナリティを担当。
同番組は若者を中心に絶大な人気を誇り、三宅裕司さんの知名度が高まるきっかけとなりました。
その後、1986年放送のTBS系バラエティ番組「テレビ探偵団」や1989年放送のTBS系バラエティ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」などの司会を担当。
さらに、1995年放送の日本テレビ系音楽番組「THE夜もヒッパレ」や、1997年放送の読売テレビ系料理バラエティ番組「どっちの料理ショー」などの司会を務め、ジャンルを問わず活躍。
2000年放送の朝日放送系バラエティ番組「世界痛快伝説!!運命のダダダダーン!」や、2004年放送の朝日放送系ネタ番組「笑いの金メダル」でも司会を務めました。
また、2007年にはビッグバンド「三宅裕司 & Light Joke Jazz Orchestra」を結成。
学生時代からの夢だったというビッグバンドで、ライブを中心に音楽活動も行っています。
メンバーは三宅裕司さん以外はプロのミュージシャンで、ライブではグッチ裕三さんやコロッケさん、戸田恵子さんといったメンバーが参加することもあるそうです。
三宅裕司が結婚した嫁・子供2人
三宅裕司さんは、1986年6月9日に結婚。披露宴は浅草ビューホテルにて執り行われました。
嫁となった女性は正子さんといい、一般人で小学校時代の幼馴染だそうです。
三宅裕司さんが自身のラジオ番組などで嫁のことを語るときは「マコさま」と呼んでおり、ファンにはお馴染みの人物です。
2人の間には男女1人ずつ、2人の子供が誕生しました。
また、2020年には娘が出産し、三宅裕司さんにとっての初孫が誕生。
なお、娘婿は役者の弓削智久さんで、テレビ朝日系特撮ドラマ「仮面ライダー龍騎」などに出演したことで知られています。
三宅裕司の嫁の天然エピソード・おもしろい嫁語録を紹介
三宅裕司さんの嫁・正子さんは”天然”な性格で、変わった発言が多いことで知られています。
嫁語録① 「ベッドインは何時ですか?」
三宅裕司さんの嫁はホテルを予約する際に、「チェックイン」を言い間違え、「ベッドインは何時ですか?」と聞いてしまったそうです。
嫁語録② 「あそこに立っているのが主人です」
三宅裕司さんの嫁はある日、自宅で料理教室を開催したそうです。
しかし、そのことを知らなかった三宅裕司さんはパジャマのまま、その場に登場してしまったそうです。
嫁は「あそこに立っているのが主人です」と、動じることなく参加者に旦那を紹介したといいます。
「マコさま」は天然でありつつも、肝が据わった女性なんですね。
三宅裕司の自宅騒音騒動は「セカオワハウス」が原因だった
三宅裕司さんは、2008年にそれまで住んでいた一戸建てを売却しています。
そしてその後、旧三宅邸に大物アーティストたちが住んだことで大きな話題となりました。
三宅裕司が売却した自宅に、SEKAI NO OWARIが住んでいる?
三宅裕司さんはかつて、都内の閑静な住宅街にある一戸建てに住んでいました。
土地面積180平方メートル、地上3階+地下1階のレンガ造りの豪邸で、1994年から住んでいたものの2008年に売却されています。
その後、その一戸建を4人組ロックバンド「SEKAI NO OWARI」がシェアハウスとして利用し始めたそうです。
2014年頃には、SEKAI NO OWARIメンバーによる騒音騒動が話題となった際には、いまだに「三宅裕司宅」と勘違いされ、三宅裕司さんが近隣住人からとばっちりで非難されていました。
彼らのせいで、まったく関係のない“ある人”が非難されていた。近隣に住む女性が、呆れたように話す。「三宅さんがしっかりしないから、若い人たちが騒がしくするのよ。ちゃんと叱ってもらいたいですね」ん? 三宅さん? 話を聞くとそれは、三宅裕司(63才)のことだった。実は、かつてこの豪邸の主は三宅だったのだ。
いまだに管理していると周囲に思われているということは、三宅裕司さんは引っ越しする際、近隣住民にきちんと引っ越しの挨拶をしなかったのでしょうか。
テレビでの真面目なイメージからすると、きちんとけじめをつけていそうな気もしますが、そのあたりも気になります。
ロックバンド「SEKAI NO OWARI」とは?
結成年:2007年
所属事務所:TOKYO FANTASY
所属レーベル:Virgin Music
SEKAI NO OWARIはヴォーカルのFukase、サウンドプロデュース&ギターのNakajin、ピアノのSaori、DJのDJ LOVEからなる4人組バンドです。
2010年にアルバム「EARTH」を発売したことを機に音楽業界で注目されるようになり、2011年にアルバム「INORI」でメジャーデビュー。
代表曲には「スターライトパレード」「RPG」などが挙げられます。
三宅裕司は難病にかかっている?これまでの病気とケガ歴を紹介
三宅裕司さんは、病気やケガの話題が多い人物でもあります。
今のところ、難病指定された病などではないようですが、何度も手術・入院などを経験されているそうです。
椎間板ヘルニアで緊急手術
三宅裕司さんは、2011年に椎間板ヘルニアの症状が悪化。救急搬送され、緊急手術を受けています。
手術は無事成功したものの、下半身の感覚が戻らない状態が続き、リハビリ期間は長期にわたったようです。
そのため、術後予定していた舞台やライブなどを中止し、出演していた番組も当時劇団員であった岸谷五朗さんや寺脇康文さんなどが代役を務めています。
三宅裕司さんはその後、2012年にニッポン放送のラジオ番組「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」で復帰を果たしました。
前立腺肥大症を患い、手術
三宅裕司さんは2018年、前立腺肥大症と診断されたことを公表しました。
前立腺肥大症とは、加齢によって前立腺内腺の細胞数が増加・肥大化する疾患です。
現在は日本人男性のほとんどが80歳までに患うと言われていますが、治療を要する人は症状が出る人のうち4分の1程度なのだそうです。
三宅裕司さんはその後手術を行い、入院期間を経て、発表の翌月には復帰を果たしています。
スキー場で骨折し、手術
三宅裕司さんは2019年、プライベートで訪れていた長野県のスキー場で滑走中に転倒。左大腿骨転子部を骨折し、現地の病院で手術を受けています。
骨折に伴い出演できなかったラジオ番組「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」には、小倉久寛さんが代打として出演。三宅裕司さんも入院先の病院から電話で出演しました。
その後、リハビリを経て1ヶ月ほどで復帰を果たしています。
三宅裕司の現在① 公演舞台はチケットが入手困難となる人気ぶり
三宅裕司さんは現在も、主宰を務める劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」で公演を行っています。
同劇団の公演は旗揚げから40年以上経過した現在も大人気で、チケットは即完売。
同じく、伊東四朗さんらと活動している劇団「伊東四朗一座」(劇団「熱海五郎一座」としても活動)も大人気で、チケットはプレミア化するほど入手困難な状況となっています。
また、2018年からは劇団「こどもSET」を創立。子供たちへの演技指導なども行っているそうです。
2019年に創立40周年を迎える劇団スーパー・エキセントリック・シアターが未来のエンタメ界を担う新たな才能を発掘するべく、小中学生を対象とした「劇団こどもSET」を創立し、「ミュージカル・アクション・コメディー」をこども達に余すことなく継承します。こども用に書かれた作品を演じるのではなく、これまで劇団SETでプロの俳優達が演じ、創り上げてきた数々の公演を大人と同じ台本で上演していきます。
引用:劇団こどもSET始動!
同劇団には、2021年の時点で小学校1年生から中学3年生までの子供たちが所属。
三宅裕司さんは子供への指導について「思った以上の感性を持っているし、得意な部分を伸ばしやすい。非常に幅が広いので小学校1年生からでも十分対応できる」と語っています。
また、子供による劇団を創立した動機について、以下のように述べました。
40年以上、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)というミュージカル・アクション・コメディーを旗印にした劇団をやってきて、年齢的にそろそろ今まで培ってきたものを若い人たちに伝えていきたいなと思ったのが動機です。それが結果的に日本のエンターテインメント界の底上げに繋がればいいな、と。
三宅裕司の現在② メディアでも引き続き活躍中
三宅裕司さんは現在も、多数のメディアに出演しています。
2014年放送のNHKバラエティ番組「きわめびと」シリーズや、2018年放送のバラエティ番組「実家を片付けてみませんか?」などで司会を担当。
ゲストとしても、2019年放送の「芸能人格付けチェック!2019 お正月スペシャル」をはじめとする多数の番組に出演しています。
また、2015年・2019年には日本テレビ大喜利番組「笑点」の演芸コーナーで小倉久寛さんとコントを披露しており、大御所2人による”ネタ披露”は、大きな反響を呼びました。
さらに、2022年には日本テレビ系音楽特別番組「Premium Music 2022」内で、「THE夜もヒッパレ復活企画」が行われ、司会を担当。久々の復活にファンからは喜びの声が挙がりました。
三宅裕司の現在③ 「三宅裕司70歳記念落語会」が開催された
2021年、三宅裕司さんの70歳を記念して「三宅裕司70歳記念落語会」が開催されました。
この落語会は、明治大学落語研究部に在籍していた際、三宅裕司が4代目となった「紫紺亭志い朝」という高座名を受け継いだ立川志の輔さん、渡辺正行さんからのプレゼント企画でした。
渡辺正行さんが落語「時そば」、立川志の輔さんが落語「八五郎出世」、三宅裕司さんが落語「鰻の幇間」を披露しています。
プロ野球・ヤクルトファンの三宅は、演目を前に「昨日からずっと言い聞かせてた。『絶対大丈夫』」と高津臣吾監督の合言葉を拝借。落研のOBが駆けつけるなど満席となった会場を見渡し、「ここからの景色は一生の思い出になります」と感激した。万感の思いを胸に、古典落語「鰻の幇間(うなぎのたいこ)」をテンポのいい語り口で披露し、三本締めで会を締めくくった。
まとめ
三宅裕司さんは劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」で主宰を務めるほか、劇団「伊東四朗一座」などでも活動。
“軽演劇”と呼ばれる笑いを継承するべく、尽力されています。
旗揚げ以来、いずれの公演も大人気となっており、現在はチケットが即完売するためプレミア化しているそうです。
また、三宅裕司さんは役者として、舞台だけではなく映像作品にも多数出演。ドラマ「お嬢様教育」や、映画「サラリーマン専科」シリーズなどでは主演も務めました。
その一方でラジオパーソナリティ・司会者としても活躍。
料理バラエティ番組「どっちの料理ショー」や音楽バラエティ番組「THE夜もヒッパレ」など多ジャンルにわたって司会をこなしました。
プライベートに関しては天然な嫁・正子さんの天然語録や、病気・ケガによる入退院の多さも度々話題に。
2021年に70歳を迎え、今も現役で舞台・ラジオ・司会と幅広く活躍する三宅裕司さん。
今後も健康に気を付けて、頑張っていってほしいですね。