ロックバンド「LINDBERG」のボーカルである渡瀬マキさんですが、アイドル時代や病気も話題です。
今回は渡瀬マキさんの身長と若い頃の経歴、結婚した旦那や子供(息子・娘)、子宮頸がんや声など病気と再発、現在をまとめました。
この記事の目次
- 渡瀬マキの身長などプロフィール
- 渡瀬マキの若い頃の経歴① 生い立ち
- 渡瀬マキの若い頃の経歴② 松田聖子に憧れて養成所に入所
- 渡瀬マキの若い頃の経歴③ アイドル時代
- 渡瀬マキの若い頃の経歴④ ロックバンド「LINDBERG」のボーカルに
- 渡瀬マキの若い頃の経歴⑤ LINDBERGを2002年に解散
- 渡瀬マキの若い頃の経歴⑥ LINDBERG解散後は期間限定で復活も
- 渡瀬マキの若い頃の経歴⑦ LINDBERG再結成
- 渡瀬マキの結婚相手はLINDBERGのメンバー・平川達也
- 渡瀬マキの子供は2人(息子と娘が1人ずつ)
- 渡瀬マキの病気① 2018年に機能性発声障害を告白
- 渡瀬マキの病気② 子宮頸がん疑惑・再発は?
- 渡瀬マキの現在:2020年にLINDBERG結成30周年ツアーを開催
- まとめ
渡瀬マキの身長などプロフィール
生年月日:1969年2月22日
出身地:三重県
所属事務所:アップフロントクリエイト
渡瀬マキさんは歌手で、ロックバンド「LINDBERG(リンドバーグ)」のボーカルを担当しています。
小柄な印象が強いですが、身長は公開されておらず、共演者やバンドメンバーとの対比からおそらく153~156cmほどではないかと言われています。
渡瀬マキの若い頃の経歴① 生い立ち
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渡瀬マキさんは幼少期、妹や友人たちと野山を駆け回っているような子供だったそうで、自宅からマヨネーズを持っていき、野草を食べたこともあるのだとか。
また、両親は共働きで忙しくしていましたが、母親は毎日食事をつくり「えらい(鳥羽弁で疲れた)」といった言葉も口にしなかったといいます。
運動会のお弁当でも、たくさんのご馳走を作ってくれたことを覚えています。一緒にいる時間は少なかったけれど、愛されている実感は得られていました。だから、いつか両親に楽をさせてあげたいという思いはいつも頭にあって。高校時代には、両親のために私が夕飯を作っていましたね。
渡瀬マキの若い頃の経歴② 松田聖子に憧れて養成所に入所
渡瀬マキさんは中学生の時、アイドル歌手・松田聖子さんに憧れて歌手を志します。
そして、愛知県名古屋市にあったタレント養成所「ジャパン・アーチスト・オフィス」に通い始めました。
中学1年のころ、大好きだった音楽番組の「ザ・ベストテン」で松田聖子さんを見て、強い衝撃を受けたのです。聖子さんにとにかく憧れて、「ブラウン管の向こう(芸能界)はどんな世界なのかな」とそればかり考えていました。歌手になりたいと夢を持ってからは、雑誌に掲載されているオーディション情報を見て履歴書を送り続けました。家では部屋の雨戸を閉めて、1人で歌の練習をしていました。
オーディションの応募費用・養成所のレッスン料・養成所までの交通費などは、飲食店や海の家といったアルバイトをして、すべて自分でまかなっていたそうです。
渡瀬マキの若い頃の経歴③ アイドル時代
渡瀬マキさんはロックバンド「LINDBERG」のボーカルとして知られていますが、実はデビュー当初はアイドル歌手として活動していました。
渡瀬マキさんの芸能界入りのきっかけは、1986年に開催された青年向け漫画雑誌「ヤングジャンプ」が主催したコンテスト「ヤングジャンプクイーン」でした。
渡瀬マキさんは通っていた養成所で勧められ、同コンテストに応募したところ、見事グランプリを受賞し、本名の「渡瀬麻紀」で芸能活動を開始しました。
アイドル時代は、フジテレビ系バラエティ番組「正義の味方株式会社」にレギュラー出演するなど、デビューした1986年から活躍。
そして翌年、「真珠のような女の子」というキャッチコピーで、シングル「パールモンド・Kiss」を発売し、アイドル歌手としてデビューを果たします。
渡瀬マキの若い頃の経歴④ ロックバンド「LINDBERG」のボーカルに
渡瀬マキさんはその後、アイドル時代にバックバンドを務めていた平川達也さんと、平川達也さんの音楽仲間だった川添智久さん・小柳昌法さんの4人でロックバンド「LINDBERG」を結成。
結成翌年の1989年に、シングル「ROUTE 246」でデビューしています。
2ndシングル「今すぐKiss Me」で大ブレイク
1990年の2ndシングル「今すぐKiss Me」は、フジテレビ系ドラマ「世界で一番君が好き!」の主題歌に起用され大ヒットし、LINDBERGは一躍人気バンドの仲間入りを果たします。
渡瀬マキさんは同年、ニッポン放送系のラジオ番組「オールナイトニッポン」でパーソナリティを担当するなど、バンド活動以外でも活躍。
以降もLINDBERGは、1991年発売「BELIEVE IN LOVE」(バラエティ番組「夢で逢えたら」のオープニング曲)、1993年発売「だってそうじゃない!?」など数々のヒット作を連発。
ちなみに、LINDBERGの楽曲は結成当初こそ楽曲提供を受けていたものの、作詞を渡瀬マキさん、作曲はそのほかのメンバーが手掛けています。
メンバーごとによる制作数にも偏りがなく、平川達也さん・川添智久さん・小柳昌法さんそれぞれがヒット作を生み出しているそうです。
1994年以降は一時売り上げが落ち着くも、路線変更をして1995年に発売した「もっと愛しあいましょ」が再び大ヒット。
以降もヒット作が続き、”第2の全盛期”と評されていました。
また、1995年にはLINDBERGでの活動と並行して、「渡瀬マキ」名義でソロデビューも果たしています。
渡瀬マキの若い頃の経歴⑤ LINDBERGを2002年に解散
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渡瀬マキさんは1997年に、同じLINDBERGのメンバーである平川達也さんと結婚します。
結婚後も活動を続けていましたが、1999年に子供を授かったため、LINDBERGは産休として一時活動を休止しました。
そして、2年ほど育児に専念した後、音楽活動に復帰しています。
復帰前は、復帰ライブに向けて断乳をしたり、泣く息子さんを置いて家を出たりと、辛い経験をしながらも頑張っていたといいます。
しかし、ツアー開催中に息子さんが入院する事態に。渡瀬マキさんは「こんな状況であっても一緒にいることができないなんて」と、とても辛かったそうです。
そんな辛くて苦しい音楽活動と育児の両立が限界に達した渡瀬マキさんは、メンバーにLINDBERGの解散を申し出たといいます。
メンバーは何も言わずに受け入れてくれたそうで、2002年に解散を発表。ファイナルツアーを開催したのちにLINDBERGは解散しました。
渡瀬マキさんは「解散」という形をとった理由について、以下のように語っています。
理由はたったひとつ。私の本能と細胞のすべてが、当時生まれたばかりの息子に向かっていたからです。この気持ちに逆らって続けていくことが、これ以上できないと判断しました。ライヴを観に来てくれる人たちにも失礼やし、歌に失礼。息子に対しても失礼。みんなに失礼なことになるから、きっぱりやめようと。
渡瀬マキの若い頃の経歴⑥ LINDBERG解散後は期間限定で復活も
渡瀬マキさんはLINDBERG解散後の翌年、長女を出産するなど、子育てや家庭を優先してしばらくは音楽活動をしていませんでした。
- しかし2006年、自身がプロデュースした子供服ブランド「Ontembaar(オンテンバール)」を立ち上げ(2010年に閉店)、音楽とはジャンルが違うものの、公の活動を再開。
- 2007年には、CSのキッズステーションで放送されていた子供番組「モンすたージオ」のテーマソング「色々iroiro」で作詞を担当するなど、5年振りの新曲を発表しました。
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- 「色々iroiro」の作曲は、旦那である平川達也さんが担当しており、以降は夫婦で音楽活動をする機会も多く、「スマイルゴーラウンド」「タツマキ」などのユニットを結成しています。
その後、2009年にはソロライブ「Present」を開催し、そのライブ内で”年内いっぱいのLINDBERG復活“を発表しました。
期間限定で復活したLINDBERGは、新たに録音されたベストアルバム「LINDBERG XX」を発売したほか、数多くのライブに出演。
野外音楽イベント「サマーソニック」「a-nation」などにも出演したり、日本武道館で単独公演をしたりと大きな話題を呼びました。
そして当初の宣言どおり、同年12月31日に行ったライブを最後に活動を終了。メンバーはそれぞれの活動へと戻っています。
渡瀬マキの若い頃の経歴⑦ LINDBERG再結成
2009年の期間限定復活から4年後の2014年、結成25周年を迎えたLINDBERGは再び集結。
前回の期間限定復活とは異なり、「継続的な活動を行うための再結成」として活動を再開しました。
人生折り返し(笑)あと半分の音楽人生は、LINDBERGの音楽と共に生きよう!と決心しました。この気持ちを「音返し」(おんがえし)という形で、今後はファンの皆様に私たちなりのペースでお届けしたいと思っています。これからも応援よろしくお願いします。(渡瀬マキ)
活動再開後は、ライブツアーなどを精力的に行っています。
- また、2014年にLINDBERGが再始動した頃から、渡瀬マキさんはタレント活動も開始。
- TBS系情報番組「いっぷく!」での曜日パーソナリティをはじめ、バラエティ番組などに数多く出演するようになりました。
渡瀬マキの結婚相手はLINDBERGのメンバー・平川達也
- 渡瀬マキさんは、1997年にLINDBERGのメンバー・平川達也さんと結婚しています。
- 2人は「ファンには自分たちの口から結婚を報告したい」と、LiNDBERGでの”結婚報告ツアー”を開催したことが話題になりました。
平川達也のプロフィール
生年月日:1962年2月27日
出身地:静岡県
職業:ギタリスト・作曲家・プロデューサー
所属事務所:不明
平川達也さんはギタリストで、「LINDBERG」のメンバーです。作曲家・プロデューサーとしても活躍しています。
個人の活動としては、1996年にLINDBERGの曲をインストゥルメンタルで収録したソロアルバム「LINDBERG INSTRUMENTAL」を発売しました。
2002年にLINDBERGが解散してからは、作曲&プロデューサー業をメインとしており、フォークデュオ「sacra」や「神楽」をプロデュース。
楽曲提供においては、ロックバンド「中ノ森BAND」の「旅への扉」や音楽ユニット「Bitter&Sweet」の「Bitter&Sweet」などを手がけています。
また、2005年に放送していた日本テレビ系オーディション番組「歌スタ!!」には、審査員としてたびたび出演していました。
告白は旦那の平川達也から
渡瀬マキさんは、平川達也さんについて「父親に似ている」という第一印象を抱いていたそうです。
また、告白は平川達也さんからだったといいます。
“父に似てる”っていうとこから入ってるから、ものすごく親近感もあったし、すごく波長が合っていて。でも、私は全然タイプじゃないから、恋愛とは違って。私の親友に『たっちゃんいい人だから、1回付き合ってみな』って、自分から薦めてみたりするほどだった(笑)。だから、最初に告白されたときは本当に困ったの。
渡瀬マキさんは当時、平川達也さんが自分に恋愛感情を抱いていたことにまったく気づいておらず、告白を受けた時はとても驚いたそうです。
そして、「これからもずっと会うのだからそれ以上は言わないで」と一度告白を断ってしまったといいます。
その後、ギクシャクすることもなく、これまでどおりの関係に戻っていた2人でしたが、最初の告白から2年後に再び平川達也さんが告白。
渡瀬マキさんはその際に平川達也さんを初めて男性として意識し、しっかりと考えた結果、「この人と結婚するかもしれない」と思い、交際をスタートしたそうです。
渡瀬マキの子供は2人(息子と娘が1人ずつ)
渡瀬マキさんは、1999年に第1子となる息子を出産。前述のとおり、息子を出産後は産休としてLINDBERGの活動を一時休止していました。
その後、2002年にLINDBERG解散すると、その翌年である2003年に第2子の長女を出産。
子育てにおいては、”子供たちの話を聞く・待つ・認める”ことを心がけているという渡瀬マキさん。
2015年に「第8回ベストマザー賞」の音楽部門を受賞。自身のブログに受賞を報告する記事を投稿していました。
息子が中学を卒業するときの両親への手紙の中で「マキちゃんはおっちょこちょいですね、もう少ししっかりしてほしいです」なんて書かれてる母ですが(笑)ベストマザー賞音楽部門いただきました
出産を経て音楽活動を再開した当初は、家事・育児・音楽活動(LINDBERG、ソロ、旦那である平川達也さんとのユニット)と、とにかくタスクが多く大変だったといいます。
そんな状況が続き、渡瀬マキさんは家族で車に乗っていた際に「明日起きれなかったらどうしよう」とふとこぼすと、旦那は「(子供たちが)自分でやればいいんだよ」と答えたそう。
数日後、渡瀬マキさんが本当に寝坊してしまったところ、朝早く登校する必要のある息子さんはすでに食事を自分で済ませ、登校した後だったといいます。
渡瀬マキさんは当時を振り返り、「旦那の発言で子供たちの意識が変わった瞬間だった」とコメントしています。
現在、息子さんは成人しており、服飾を学んでいるそうです。
娘さんは中学時代、軽音部でドラムを担当していたこともあったようですが、両親というよりは幼稚園時代に熱中していた音楽ゲーム「太鼓の達人」の影響が強いそうです。
そんな娘さんも大学生となっているようですが、現在は幼稚園教諭や児童心理学に興味を持っているといいます。
渡瀬マキさんは2人の子供について「好きなことを見つけ、好きなものに囲まれて生きてほしい」と語っています。
渡瀬マキの病気① 2018年に機能性発声障害を告白
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渡瀬マキさんは、2018年に機能性発声障害となったことを発表しています。
機能性発声障害とは、声帯といった発声器官に障害がない状態でありながら起きてしまう病気です。
診断は耳鼻咽喉科専門医でも難しいとされており、渡瀬マキさんもいくつかの病院を受診してやっと診断が下りたそう。
1年ほど前から不眠・食欲不振・頭痛・吐き気などに悩み、2018年にはパッと声をかけようとしたときや、タクシーで行先を告げようとしたときなどに声が出なくなってしまったうです。
渡瀬は「昨年より体調を崩し、だんだんと身体が弱っていき、いつも苦しくて、何も楽しめなくなった」「のどに違和感を感じ始め、会話も苦痛になり、しゃべろうとすると声が出ない状態が続いた」と苦しかった病状を振り返った。現在は試行錯誤を繰り返しながら治療を行っていて、「昨年から比べたらとてもよい」「散歩の距離も長くなり、家で軽い筋トレも始めた」と報告。
また、2021年12月に受けたインタビューで「今も治療を継続している」と語っていました。
渡瀬マキの病気② 子宮頸がん疑惑・再発は?
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渡瀬マキさんは1999年に長男を出産していますが、妊娠時に産婦人科で子宮頸がん(ステージ2)の疑いがあると伝えられたそうです。
子宮の入り口の一部を切除して検査を行った結果、がんではないことが判明しましたが、臨月間際まではっきりとした結果が出ず、不安な日々を送ったそうです。
また、同じく長男妊娠時には切迫早産も経験していました。
産休前で様々な仕事をこなさなければならない中、医師から絶対安静の指示が出て入院措置になり、つらかったと振り返っています。
さらに陣痛が起きて病院へ向かおうとしたところ、実家の玄関で破水してしまうなど「ドタバタの出産だった」と語りました。
なお、渡瀬マキさんは疑いがあっただけで、現在まで子宮頸がんを患っておらず、もちろん再発もしていません。
渡瀬マキの現在:2020年にLINDBERG結成30周年ツアーを開催
出典:http://www.flight-lindberg.com/
渡瀬マキさんは現在も歌手として活動中で、2020年にはLINDBERGとして30周年を迎えて30周年を記念したツアー「NO LIND, NO LIFE ?」も開催しています。
ツアー決定時、渡瀬マキさんの機能性発声障害は完治しておらず、ツアー開催に向けてボイストレーニングの先生とともにリハビリに励んだそうです。
「こんにちは」から始めて、「こんにちは、お疲れさまです」「渡瀬マキです」っていう発声練習です。声が出るようになると、次の段階は言葉をメロディーに乗せてみてという形です。本当にツアーはできるのかなぁ、人前で歌えるのかなぁと考える日々。自分もわからないし、お医者さんもわからない。そんな状態でした。
引用:[歌手 渡瀬マキさん](下)長男妊娠と同時に子宮頸がんの疑い…無事出産し、全感情が子供に向かい音楽活動は休止、バンドは解散
新型コロナウィルス感染拡大に伴い、2度の延期を経て、2020年11月08日~2021年01月06日にかけてツアーは無事に開催されました。
まとめ
渡瀬マキさんは、アイドルとしてデビューしたのち、ロックバンド「LINDBERG」のボーカルとして長年活動しています。
2ndシングル「今すぐKiss me」がドラマ主題歌に起用されたことをきっかけに、大ブレイク。
息子の出産後の2002年に一度解散した後は、ソロデビューやタレント、旦那である平川達也さんと「スマイルゴーラウンド」「タツマキ」という夫婦ユニットとしても活動していました。
2009年に1年間の”期間限定復活”で話題になったLINDBERGは、2014年に再々結成。
2020年には結成30周年を迎えており、30周年を記念したツアーも開催されました。
LINDBERG再結成後は順調に見えた渡瀬マキさんでしたが、実は2018年頃より心因性の発声障害に悩み、ボイストレーナーと懸命なリハビリに取り組み、ツアーをやりきったそうです。
過去に疑惑のあった子宮頚がんについては今も再発(発症)していないものの、発声障害については現在も完治しておらず、治療を継続中だといいます。
商売道具でもある声の病気を抱えながらの音楽活動で、辛い状況が続いていると思いますが、これからも渡瀬マキさんの歌声が聴けることを願いたいですね。