「虹を織る」や「武田信玄」で知られる美人女優の紺野美沙子さんは氷見市副市長の篠田伸二さんと妻としても話題です。
この記事では紺野美沙子さんの学歴や若い頃の出演や画像、長門裕之さんの暴露本や旦那・篠田伸二さんとの馴れ初めと結婚、子供、自宅、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 紺野美沙子のプロフィール
- 紺野美沙子の学歴① カリタス小学校
- 紺野美沙子の学歴② カリタス女子中学校
- 紺野美沙子の学歴③ 慶應義塾女子高等学校
- 紺野美沙子の学歴④ 慶應義塾大学文学部国文学専攻
- 紺野美沙子の若い頃① 高校生の時に女優業を開始
- 紺野美沙子の若い頃② NHK少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」
- 紺野美沙子の若い頃③ ユニチカマスコットガール
- 紺野美沙子の若い頃④ NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン
- 紺野美沙子の若い頃⑤ 1987年に日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞
- 紺野美沙子の若い頃⑥ NHK大河ドラマ「武田信玄」にレギュラー出演
- 紺野美沙子の若い頃⑦ ヒットドラマ「教師びんびん物語」の奥沢まゆみ役
- 紺野美沙子は当時の事務所代表の長門裕之の暴露本に抗議した事も話題に
- 紺野美沙子の旦那は元テレビ局プロデューサーで氷見市副市長の篠田伸二
- 紺野美沙子と旦那・篠田伸二の馴れ初め
- 紺野美沙子と旦那・篠田伸二の結婚
- 紺野美沙子と旦那・篠田伸二の子供
- 紺野美沙子と旦那・篠田伸二の自宅
- 紺野美沙子の現在
- まとめ
紺野美沙子のプロフィール
紺野美沙子のプロフィール
本名 :篠田美佐子(旧姓は佐藤)
生年月日:1960年9月8日
出身地 :東京都狛江市
身長 :167cm
血液型 :A型
旧芸名 :佐藤美沙子
紺野美沙子さんは1970年代から1990年代にかけて多数のテレビドラマや映画に出演し人気を集めた女優です。
10代の頃より児童劇団に所属して女優活動をはじめ、慶應義塾大学文学部在学中だった1980年にNHKの連続テレビ小説「虹を織る」のヒロインに抜擢されて注目されました。
その後も、大河ドラマ「武田信玄」やNHK連続テレビ小説「あすか」、1980年代のフジテレビの大ヒットドラマ「教師びんびん物語」(1988年の第2シーズン)などの多数の話題作に重要な役柄で出演し正統派の美人女優として活躍しました。
映画や舞台、エッセイストとしても活躍し、1987年の第10回日本アカデミー賞では、映画「姉妹坂」、「新・喜びも悲しみも幾歳月」での演技が評価され優秀助演女優賞を受賞したのをはじめ、1980年のエランドール新人賞、1984年のウーマン・オブ・ザ・イヤー ハーレクインロマンス賞、1995年の日本文芸大賞女流文学賞受賞、2024年のグッドエイジャー賞など受賞歴は多岐にわたります。
舞台女優としては、2010年に公演された谷崎潤一郎原作の舞台「細雪」の雪子役、松平健主演 忠臣蔵〜大石内蔵助〜、2012年と2014年の日本の面影、2020年の両国花錦闘士などでの好演が高い評価を得ています。
紺野美沙子さんはボランティアや国際協力活動にも力を注がれており、1998年には国連開発計画親善大使の任命を受けてカンボジア、パレスチナ他、アジア・アフリカの各国を視察されています。
紺野美沙子の学歴① カリタス小学校
紺野美沙子さんは東京都狛江市の出身で、3人姉妹の次女として育ちました。
両親が小学2年生で離婚しており、小学校4年生の時にNHK交響楽団のホルン奏者だった男性と再婚しています。
私には実父と養父がいるのです。実の両親は私が小学2年生の時に離婚しました。その後母と祖母、私が真ん中の3人姉妹の5人で2年ほどくらしましたが、私が小4の時、母はNHK交響楽団のホルン奏者だった養父と再婚し、6人家族となったのです
この母親の再婚と同時期、小学4年生の頃に紺野美沙子さんは公立の小学校から神奈川県川崎市のキリスト教カトリック系の私立校「カリタス小学校」へ転校されています。
姓が養父のものに変わったことと、公立校から私立カリタス小学校への転校が同時に起き、ショックというより『何が起きているの』という感じでした。
紺野美沙子さんはカリタス小学校に転校した後の小学5年生の時に演劇部に入っています。
私は川崎市のカリタス小学校というミッション系の学校に通っていました。物心がつくころから「音読」が大好きで、小学校に入ってからは、国語などの教科書を朗読することも楽しかった。無意識に、「演じる」ということに快感を覚えていたのかもしれません。それで、部活動が始まる5年生のとき、迷わず演劇部に入ったのです。
紺野美沙子さんは演劇部に入部してすぐに、県内の「青少年演劇コンクール」の森鴎外原作「安寿と厨子王」のオーディションを受けて主役の「安寿」の役に抜擢されています。
稽古はスパルタ式でとても厳しかったそうなのですが、その分発表がうまくいった時には心の底から褒めてくれ、紺野美沙子さんは子供ながらに演劇の面白さを肌で感じられたそうです。紺野美沙子さんはこの頃に将来は演劇の道へ進みと決意されたのだとか。
紺野美沙子の学歴② カリタス女子中学校
紺野美沙子さんはカリタス小学校を卒業後は系列の「カリタス女子中学校」へ進学されています。
紺野美沙子さんは中学生の頃は児童劇団に入って演劇を続けられています。学校では、社会科が好きで歴史や地理の勉強を頑張り、歴史クラブにも入っていたのだそうです。
中学生の時,社会の先生が好きで,先生を慕って歴史の勉強を頑張ったり,地理の白地図を使った学習に一生懸命取り組んだり…。歴史クラブにも入りました。また,理科の先生も好きで,替え歌を作って元素記号を一生懸命覚えました。
紺野美沙子の学歴③ 慶應義塾女子高等学校
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紺野美沙子さんは高校は「慶應義塾女子高等学校」(現在の偏差値は76)へと進学しています。
紺野美沙子さんは両親に四年制大学に続く高校を選びなさいと言われ、最難関の女子高校の1つである慶應義塾女子高等学校を受験し合格されています。
紺野美沙子さんはこの高校時代に女優としての活動をスタートさせました。紺野美沙子さんの若い頃の女優活動については後述します。
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一方で、紺野美沙子さんは高校ではフィギュアスケート部に所属して熱心に取り組み、半回転ジャンプもできるまでになったのだそうです。
高校1年から大学1年まで、フィギュアスケート部に入っていました。
始めたきっかけは11歳のとき。
札幌オリンピック(1972年)で、「銀盤の妖精」と呼ばれたジャネット・リン選手の華麗な演技を見て、憧れたのです。
紺野美沙子の学歴④ 慶應義塾大学文学部国文学専攻
紺野美沙子さんは慶應義塾女子高校卒業後は「慶應義塾大学文学部」(偏差値65)へ進学し国文学を専攻されています。
紺野美沙子さんは大学進学後に映画「黄金のパートナー」のヒロイン役、NHK朝ドラ「虹を織る」のヒロイン(主役)に抜擢されるなど女優として花開いています。
一方、高校からのフィギュアスケートは大学1年まで続けて熱心に取り組んだり、三越の配送センターで中元の紐掛けのアルバイトをしたり、初めて男性と交際したりと大学生活も楽しまれていたようです。
ただ、女優として人気が上がった後は仕事で忙しくコンパにはほとんど参加できなかったのだとか。忙しい中でも紺野美沙子さんは慶應大学を卒業されています。卒論のテーマは「中世の女流日記文学について」だったそうです。
紺野美沙子の若い頃① 高校生の時に女優業を開始
学歴のところでも触れましたが紺野美沙子さんは慶應義塾女子高校在籍中に女優としての活動をスタートさせています。
紺野美沙子さんは高校1年生の頃まで児童劇団に所属しており16歳の時に特撮ドラマ「宇宙鉄人キョーダイン」の第29話にゲスト出演しており、これが女優としてのデビュー作でした。
紺野美沙子さんの役は花に精気を吸われる女学生の役で佐藤美沙子の名義での出演でした。
紺野美沙子の若い頃② NHK少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」
紺野美沙子さんは、17歳だった1977年にNHKの少年ドラマシリーズ「未来からの挑戦」に出演しています。
この作品も佐藤美沙子名義での出演で、西沢杏子という中学生の役を演じています。当時はそのかわいさで話題になりました。
紺野美沙子の若い頃③ ユニチカマスコットガール
紺野美沙子さんは1979年から1981年まで、繊維・化学メーカーの「ユニチカ株式会社」のイメージガールであるユニチカ3代目マスコットガールを務めました。
写真が趣味の叔父が紺野美沙子さんポートレートをカメラ雑誌に投稿したのがモデル事務所の関係者の目に留まり、それがきっかけになってユニチカマスコットガールに起用されました。
写真が趣味の叔父がカメラ雑誌に紺野さんのポートレートを投稿したのを機に、ユニチカのマスコット・ガールに決まったのだ。
これがきっかけになって、1979年映画「黄金のパートナー」のヒロイン役に抜擢され、映画デビューを果たしています。
紺野美沙子の若い頃④ NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン
紺野美沙子さんは1980年のNHK朝の連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン(主人公)の島崎佳代役に抜擢され女優としてブレイクを果たしました。
紺野美沙子さんは若手の売れっ子女優の仲間入りを果たし、1980年度のエランドール新人賞を受賞しています。
紺野美沙子の若い頃⑤ 1987年に日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞
紺野美沙子さんはその後もテレビや映画で活躍を続け、1985年映画「姉妹坂」と1986年の映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」での演技が評価され1987年の第10回日本アカデミー賞で優秀助演女優賞を受賞しています。
紺野美沙子の若い頃⑥ NHK大河ドラマ「武田信玄」にレギュラー出演
紺野美沙子さんは1988年のNHK大河「武田信玄」に、武田信玄の正室の三条の方の役でレギュラー出演しました。
武田信玄を演じた中井貴一さんとの熱愛の噂なども出ましたが、実際には仲の良い友人関係だという事です。
紺野美沙子の若い頃⑦ ヒットドラマ「教師びんびん物語」の奥沢まゆみ役
紺野美沙子さんはフジテレビの大ヒットドラマ「教師びんびん物語」の1988年放送の第2シーズンに英語塾講師でお嬢様の奥沢まゆみ役でレギュラー出演し話題を呼びました。
紺野美沙子は当時の事務所代表の長門裕之の暴露本に抗議した事も話題に
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紺野美沙子さんは、1985年に俳優の長門裕之さんが出版した暴露本「洋子へ:長門裕之の愛の落書集」の内容について会見を開き、涙ながらの抗議をした事でも話題になりました。
「一時、所属していた事務所の代表だった長門裕之が、暴露本的な『洋子へ』を出版。紺野について『男性関係がルーズで、ずいぶん泣かされちゃった』と言及した」(同前)
紺野は会見を開き、悔し涙を流し否定。長門は『真意が伝わらなかった』と釈明し、全面降伏。
長門裕之さんはこの暴露本「洋子へ」の中で多くの有名女優や歌手を名指しで批判的内容を書きたてていますが、紺野美沙子さんについては「才女みたいに言われてるけど、パーティーなんかあるとすぐ男と消えちゃう。男のことになると、てんでだらしがないんだ」などと書いています。
紺野美沙子さんは一時期、長門裕之さんの事務所に所属していたもののこの暴露本が出る前に退所して独立しており、長門裕之さんがその腹いせのためにこうした内容を書いたのではないかとも言われました。
紺野美沙子さんはこの内容に怒って緊急の記者会見を開き、怒りのあまり涙を流しながら書かれている内容を否定し「嫁入り前の娘がこんなことを書かれて黙ってられません」と言い、暴露本をその場に叩きつけました。
これを受けて、長門裕之さんは「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」と釈明し、紺野美沙子さんら、イメージダウンに繋がるような内容を書かれた関係者に謝罪しています。
紺野美沙子の旦那は元テレビ局プロデューサーで氷見市副市長の篠田伸二
篠田伸二のプロフィール
生年月日:1961年3月9日
出身地 :愛知県春日井市篠木町および岐阜県郡上八幡
紺野美沙子さんの旦那さんは、元TBSテレビプロデューサーで、、現在は富山県氷見市の副市長を務める篠田伸二さんです。
紺野美沙子さんの旦那さんの篠田伸二さんは、1985年から2016年まで約30年間TBSテレビで報道・情報番組やドキュメンタリー番組などの制作に携わり、2016年に退社後はドキュメンタリー映画の監督として活躍し、「Daddy Long Legs〜あしながおじさん〜」、「シンプルギフト~はじまりの歌声~」などの作品で評価を得ました。
2020年に富山県氷見市の公募に応募して氷見市副市長に選ばれ2024年の現在も務められています。
紺野美沙子と旦那・篠田伸二の馴れ初め
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんの馴れ初めは、2018年1月24日放送のテレビ朝日系「あいつ今何してる?」に紺野美沙子さんがゲスト出演した際に明かしています。
紺野美沙子さんは若い頃から、TBSの日曜9時からのドラマ枠「「TBS東芝日曜劇場」のドラマに常連のようによく出演しており、1981年から1992年にかけて約30作品に出演しています。
篠田伸二さんはTBS社員としてこのドラマ現場に関わっており、仕事終わりにはよく俳優陣やスタッフで飲みに行っていたのだそうです。
当初はグループ交際でしが、ある時に紺野美沙子さんと篠田伸二さんが2人でデートをする事になり、それから2週間後には結婚を約束したのだそうです。
紺野美沙子と旦那・篠田伸二の結婚
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんは1992年に結婚されています。
紺野美沙子さんは結婚会見にて、「初めて会った時に海の水がサーッとひいて結婚への1本の道が見えた」と語っていて、出会ったときから篠田伸二さんとの結婚を意識されていたようです。
紺野美沙子と旦那・篠田伸二の子供
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんには子供が1人生まれています。
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんの子供は1995年7月9日に生まれた長男で、出産には篠田伸二さんが立ち会ったそうです。
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんの子供の学校ですが、幼稚園から高校まで神奈川県横浜市の私立「森村学園」に通っていたとの情報が出ています。紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんの子供は高校時代にはバンドでベースを弾いていたそうです。
紺野美沙子さんと旦那さんの篠田伸二さんの子供ですが、高校卒業後は慶應義塾大学へ進学したとの情報がありますが不確定情報です。
2023年1月に公開された紺野美沙子さんのインタビュー記事で、息子さんがコロナ前に独立したと明かされているため、紺野美沙子さんと篠田伸二さんの子供は現在は大学を卒業し社会人として活躍されているのだと思われます。
コロナ前に息子が独立し、子育ては一段落。
引用:紺野美沙子「息子の独立、母を看取り、愛犬も見送って。生活を見直すタイミングで始まった氷見と横浜の二拠点生活。断捨離してこれからはモノよりコトに」
紺野美沙子と旦那・篠田伸二の自宅
紺野美沙子さんと旦那の篠田伸二さんの自宅は、元々は神奈川県横浜市でしたが、2020年に篠田伸二さんが氷見市の副市長に就任したのを機に、富山県氷見市にも自宅を構えていて、現在は紺野美沙子さんは2つの自宅を行き来して生活されているという事です。
紺野は元TBSのプロデューサーである夫の篠田伸二氏が2020年4月に富山県氷見市の副市長に就任したことをきっかけに、元々自宅のあった横浜と、氷見市での2拠点生活をスタートさせた。
2024年1月に発生した能登半島地震では、この氷見市の自宅にも大きな被害があったそうで、紺野美沙子さんは1月中は自宅の片付け作業に追われていたという事でした。
家の中がめちゃくちゃになって。冷蔵庫が倒れたり、テレビが倒れて壊れてしまったりだとか。1月中はずっと部屋の中の細かいガラス片を取る作業をしたり、ずっと片付けに追われていました。家の中でずっと靴を履いて、生活していました。それでももっと大変な方がいらっしゃるので
紺野美沙子の現在
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
紺野美沙子さんは現在の女優として活躍されていますが、ここ数年はドラマや映画などへの主だった出演はありません。舞台も大きなものでは2020年から2021年に公演された「両国花錦闘士」への出演が最後となっています。
紺野美沙子さんは2010年より舞台芸術の発展を目的とした「朗読座」を主宰していて、音楽や映像など様々なジャンルのアートと朗読を組み合わせたパフォーマンスを全国で公演しており、現在はこちらの活動に注力されているようです。
また、2022年からは横綱審議委員会委員に就任し現在も務められています。
まとめ
今回は、NHK朝ドラ「虹を織る」や大河ドラマ「武田信玄」などで知られる女優の紺野美沙子さんについてまとめてみました。
紺野美沙子さんは学歴も話題で、小学校と中学はミッション系のお嬢様学校である私立「カリタス小学校」と「カリタス女子中学校」を卒業し、高校は「慶應義塾女子高校」、大学は「慶應義塾大学文学部」を卒業しています。
紺野美沙子さんの若い頃は、1979年にユニチカマスコットガールに起用された事で注目を浴び、その年の映画「黄金のパートナー」のヒロイン役に抜擢、1980年のNHK朝ドラ「虹を織る」では主演を務めてブレイクを果たしました。
紺野美沙子さんは長門裕之さんの暴露本「洋子へ」で、名指しで名誉を傷つけられた事で会見を開き涙ながらに抗議した事でも話題になりました。
紺野美沙子さんは1992年に現在の旦那さんの篠田伸二さんと結婚されています。旦那さんの篠田伸二さんは元TBSのプロデューサーで現在は富山県氷見市の副市長を務めています。
紺野美沙子さんと篠田伸二さんの馴れ初めは、紺野美沙子さんが若い頃からTBSのドラマに常連女優として出演していて、出演者やスタッフでのグループ交際から交際に発展したという事です。
紺野美沙子さんと篠田伸二さんとの間には1995年7月9日に子供が生まれています。紺野美沙子さんと篠田伸二さんの子供は息子さんで現在は独立し社会人として活躍されているようです。
紺野美沙子さんと篠田伸二さんの自宅は元々横浜市でしたが、篠田伸二さんが氷見市の副市長に就任してから氷見市にも自宅を構えて2拠点で生活されています。
現在も紺野美沙子さんは女優として活躍されていますが、自らが主宰する「朗読座」の活動をメインとされているようです。