関東連合のOB「S52世代」の中心的不良である田丸大は2013年に銃刀法違反で逮捕されていますが、最近出所したのでは?との噂が話題になっています。
今回は田丸大の生い立ち、逮捕された事件や判決、現在は出所しているとの噂、また伝説的に語られる木村兄弟・弟との喧嘩についてまとめます。
田丸大の生い立ちや関東連合との関係
田丸大は、1977年生まれで、関東連合OBの中心人物の一人で、最も有名な関東連合のリーダー・見立真一や、松嶋クロス、邑井祐介らの1つ上の世代に当たる「S52世代」です。
伝説的チーマーグループ「TOP-J」を立ち上げ
同じく「S52世代」の井上勇とともに、中学生(砧南中学校)の頃にチーマーグループ「PBB」に加入し、その後、2人で独立し、同世代のチーマーグループ「インセプション」と合流し、後に伝説のチーマーグループと呼ばれる事になる「TOP-J」を立ち上げました。田丸大は「TOP-J」では副代表の立場でした。
なお、田丸大はこの頃、世田谷工業高校へ進学していますが、わずか3日で中退しています。その後、強盗致傷事件を起こし、保護観察処分を受けています。
田丸大らは独力で「TOP-J」を巨大なチーマーチームに育て上げ、渋谷区を中心に活動し一時は200人規模の巨大グループになっています。
田丸大は、16歳の頃、器物損壊障害で一般短期少年院(市原)へ入る事になったのですが、半年後、17歳で出所すると、メンバーの多くが別のチームに所属するなど状況が大きく変わっていてたため代表であった井上勇と相談し「TOP-J」を自分達一代で解散する事を決断します。結果として「TOP-J」は伝説的チーマーグループと呼ばれる事になります。
「TOP-J」解散後「4代目用賀喧嘩会」に合流
「TOP-J」解散後、田丸大は18歳の頃、チーマーグループでありながら暴走族色も強い「4代目用賀喧嘩会(ようがけんかかい)」に合流しています。この「用賀喧嘩会」は関東連合との関わりも強いグループで、田丸大も関東連合との関わりを深めていきます。
田丸大は「用賀喧嘩会」時代に、世田谷区を中心に相当に暴れまわっており、「芦川公園殺人事件」や「東洋ボール殺人事件」など陰惨な事件が次々と起こる最中を不良グループの中心人物として過ごしました。
田丸大は、こうした人死にが絡んだ凶悪事件に直接絡んだわけではないものの、当事者にあたる不良少年達の後ろ盾のような立場にあった事もあり、事態の収拾などには関わっているようです。
仲間内の評判がかなり良い田丸大
チーマー時代の田丸大の評判はかなり良く、「仲間を助けるために体を張る」「筋の通った優しい男」「偉ぶらず、威張らず、押し付けない男」と仲間内から絶大な信頼を集めています。
当時の関係者からは「田丸くんの悪口を言う奴を見たことがない」「悪く言われるような人ではない」といった評判が多く上がっています。
池袋でのタイマン合戦は伝説に
田丸大は、チーマーとして暴れていた中学3年生の頃、同じく有名な不良だった谷口秀行(後の宗教家・与国秀行氏)と組み、池袋の不良達とのタイマン合戦を行いました。
この時、田丸大は左足を骨折していましたが、自らグループの代表だと名乗り出てタイマン合戦に参加、見事勝利しています。このエピソードは現在でも田丸大の伝説的武勇伝として語り継がれています。
その後は暴力団幹部に
田丸大は「用賀喧嘩会」時代、道路交通法違反、公務執行妨害に、違法薬物などが絡んで逮捕状が出され、一時逃亡しますが、その後逮捕され、約1年5ヶ月の間新潟少年院へと収容されています。
田丸大は20歳の頃に新潟少年院を出た後、チーマーや暴走族を卒業し、指定暴力団「住吉会幸平一家」に所属して事務局長という肩書きの幹部になっています。喧嘩が強く、仲間からの信頼も厚い大物の不良だった田丸大は暴力団にも重宝される存在でした。
田丸大自身は、暴力団でのシノギ(資金調達)はあまり得意な方では無かったという事ですが、田丸大を慕って組に入る元関東連合メンバーは10数名に上り、組みの側としても元関東連合の不良達を束ねる存在として用いていたようです。
ただ、その後、関東連合が「市川海老蔵暴行事件」「六本木クラブ襲撃事件」などで世間を騒がし、「準暴力団」に指定され重点的に警察にマークされるようになると、関東連合OBの大物である田丸大は、暴力団組織にとってお荷物のような存在になってしまいました。
結果的に、田丸大は「住吉会幸平一家」内で立場を無くし、追い詰められていく事になります。そしてこれが田丸大が2013年5月に発砲事件を起こし、警察に出頭し逮捕される事態へとつながったとされます。次の見出しから、田丸大の事件や出頭・逮捕劇についても紹介します。
田丸大が逮捕された事件について
2013年5月5日の未明、田丸大は東京都新宿・警視庁戸塚署に出頭しました。田丸大は拳銃一丁と実弾13発を所持しており、銃刀法違反容疑で逮捕されました。
その前日5月4日には、新宿区西早稲田のマンションに入っている、ある会社の事務所に銃弾が撃ち込まれる事件が発生しており、これが田丸大によるものと疑われました。
田丸大は関東連合と決別したがっていた
しかし、田丸大がこの発砲事件の犯人とされたのには別の理由がありました。田丸大は「六本木襲撃事件」の主犯格とされる見立真一の一つ上の世代にあたりますが、見立真一は先輩である田丸大を立てる事はなく、暴力団組織の一員でもあった田丸大を良いように利用する事が多かったとされます。
そのため、田丸大は見立をはじめとする「関東連合」の武闘派連中と距離を置きたがっており、また、暴力団組織の中でも、凶悪事件を繰り返し警察からの締め付けがきつくなる一方の「関東連合」関係者を組織内に置いておくリスクから、田丸大に対する厳しい意見が多く出るようになっていました。
こうした状況に危機感を抱いた田丸大は、関東連合と結びつきの強い人物の会社に拳銃弾を撃ち込む事で自分は関東連合とは決別するという意思を示しつつ、さらに自分の身を守るために刑務所に入る事を目的にして、拳銃を持って自ら警察署に出頭したのではないかと言われているのです。
田丸大の裁判や判決は?
田丸大は2013年5月に銃刀法違反(加重所持)で逮捕されていますが、その罰則は懲役3年以上の有期刑と定められています。
しかし、田丸大は、新宿区西早稲田マンションへの発砲事件の犯人だった事もその後判明しているため、銃刀法違反の発射容疑も付加される事になり、その場合は最低でも懲役10年は固いと言われています。
田丸大の裁判での判決については不明ですが、少なくとも後数年は出所する事はないと考えられます。
田丸大の現在は出所しているとの噂も
2019年6月、関東連合OBの大物が刑務所から出所したとの情報がネットに流出しました。この出所した大物というのが、田丸大ではないか?という噂が広がっているようです。
しかし、現在も田丸大は府中刑務所に服役中であるとの情報が出ており、この噂は否定されています。田丸大は現在でも指定暴力団である「住吉会幸平一家」の関係者として警察に登録されているため仮釈放は難しいとされます。
以上から、大方の予想通り、田丸大は銃刀法違反で実刑判決を受け、現在も府中刑務所に服役中だと推測されます。
田丸大と木村兄弟の弟・木村孔次郎の喧嘩も伝説に
以上のように、暴力団員としては出世できなかったという田丸大ですが、チーマー時代は数々の伝説を残しました。
その中でも現在もよく語られているのが、関東連合に牙をむいて長年抗争を続けた事で知られる伝説の不良「木村兄弟」の弟、木村孔次郎と田丸大の喧嘩です。
木村孔次郎は喧嘩が強い事で知られていましたが、田丸大は木村孔次郎を圧倒し、その時の写真がアウトロー雑誌に掲載されたとされていますが、詳細については口伝のみで、はっきりとした事はわかりません。
途中警察が来たため勝ち負け無しで終了したと言われますが、木村兄弟の木村孔次郎と田丸大の喧嘩を実際に現場で見ていたという人の話では、「どう見ても田丸大が勝っていた」という事でした。
まとめ
関東連合OB「S52世代」の有名な不良・田丸大についてまとめてみました。田丸大は関東連合で最も凶暴と言われる見立真一ら「S53世代」の一つ上の世代で、チーマーグループ「TOP-J」や「用賀喧嘩会」などに所属する有名な不良でした。
その後、指定暴力団「住吉会」の二次団体「幸平一家」に所属し本職の暴力団員になります。関東連合関係の後輩からの信頼も厚かった事で、組の上層部からも重宝されますが、その後関東連合OBが立て続けに凶悪事件を起こして警察からのマークが厳しくなるにつれ、田丸大の暴力団組織での立場も悪くなりました。
結果、2013年、田丸大は自分の身を守るために、拳銃の発砲事件を起こしその後警察署に出頭し、刑務所に入ったとされます。
現在は府中刑務所に服役中と見られており、出所は少なくとも数年先だと推定されています。