1990年代に東京都や千葉県を中心に活動していた伝説的チーマーグループ「KGB」が話題です。
この記事ではチーマー・KGBの成り立ちや、初代から4代目までの歴代のリーダーやそのエピソードや現在、内藤裕さんや高谷裕之さん、矢尻哲郎さんといった有名メンバーなどをまとめました。
この記事の目次
KGB(チーマー)の概要…内藤裕や高谷裕之も所属していた
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
KGB(キング・オブ・ギャング・ボーイズ)は、1990年代初めから半ばにかけて東京都と千葉県を中心に活動していた伝説的チーマーグループです。
チーマー・KGBの結成のきっかけは、亀有の高校に通っていた、東京都江戸川区、葛飾区の千葉県松戸の不良少年グループが、千葉県津田沼(習志野市)、柏市の不良グループと合流し共闘体制を敷いた事だったようです。
KGBは武闘派の集団として知られ、当時の不良少年らに恐れられる存在でした。全盛期には関連グループも含めると1000人以上もの構成員がいたとも言われています。
YouTubeチャンネル開設で話題の内藤裕は元KGBメンバー
YouTube「内藤ゆたかチャンネル」で話題の内藤裕さんは、このチーマーグループ・KGBの幹部で、初代から3代目まで在籍していました。
内藤裕さんは、チーマー時代、喧嘩になると全く躊躇することなの人を刺しまくるため、「人刺ゆたか」と呼ばれて恐れられていました。
危ない奴というイメージがある内藤裕さんですが、身内に対しては非常に優しく、面倒見も良い人物らしく、後輩からはとても慕われているようです。
そんな内藤裕さんですが、2009年には総合格闘技大会「THE OUTSIDER」に出場し話題になりました。
内藤裕さんは自身のYouTube動画でチーマー・KGBについてもよく話されています。
元総合格闘家の高谷裕之もKGBの元メンバー
KGBの幹部・高谷裕之のプロフィール
生年月日:1977年6月10日
出身地 :千葉県習志野市
身長 :168cm
血液型 :A型
また、元総合格闘家で元DREAMフェザー級王者の高谷裕之さんも、少年時代にはこのチーマーグループ・KGBに所属していた事が知られています。上で触れた内藤裕さんは、尊敬する人物、格闘家としてこの高谷裕之さんの名前を挙げられていた事があります。
高谷裕之さんは、総合格闘家としてかなりの実績を残しており、「修斗」の2003年ライト級新人王、2010年に第2代DREAMフェザー級王座を獲得されています。通算成績は「25勝15敗2分」でした。この高谷裕之さんの総合格闘技での活躍によって、チーマーグループ・KGBの名前も全国的に知られるようになりました。
現在、高谷裕之さんは、EXILEの所属する芸能事務所「LDH」傘下のトレーニングジム運営会社「LDH martial arts」の代表取締役CEOを務められています。
私生活では2009年11月22日にモデルの三浦麻穂さんと結婚されています。2人は三浦麻穂さんが17歳、高谷裕之さんが19歳の頃に交際をはじめ、当時から同棲されていたそうです。13年の交際を経て結婚されています。
KGB(チーマー)の歴代リーダー① 古谷もりひろ
チーマーグループ・KGBの歴代のリーダーについて見ていきます。
KGBの初代リーダーは、「信義(のぶよし)」という人物や、「兼弘(カネヒロ)」という人物だという情報がネットの匿名掲示板などに書き込まれていましたが、KGBの2代目リーダーで総合格闘家として活躍後、現在は芸能事務所やトレーニングジムを経営するTさんが、KGBの初代リーダーは「古谷もりひろ」という人物だと明言されています。
ただ、「兼広」という人物は亀有の高校の不良グループのトップで、KGBの中心的人物だったようで、当初はそこから「カネヒロ・ギャング・ボーイズ」と命名され、これが「KGB」の命名由来になったという説もあります。
また、他にも亀有の高校の不良グループが中心だったため「カメアリ・ギャング・ボーイズ」がKGBの命名由来となったとする説もあります。
KGB(チーマー)の歴代リーダー② 2代目・T
初代リーダーのところでも触れましたが、チーマーグループ・KGBの2代目リーダーは、プロキックボクサーのTさんです。
Tさんは、子供時代から空手を学んで中学に入る頃には黒帯に、また中学校ではバスケットボール部に所属してキャプテンを務め、高校は県内有数の進学校へ進学するなど元々は優等生でした。
しかし、趣味のサーフィンなどのハマるうちにチーマー文化へ憧れを持つようになり、次第に不良グループの一員として過ごすようになったようです。
この後、内藤裕さんが別の傷害事件を起こすなどして逮捕収監されるなどしたため、Tさんの上の世代のKGBは一時的に解散状態になりました。
そして、上の世代から引き継ぐ形で、TさんはKGBの2代目リーダーになったという事です。それまで通称であったKGBを正式に「ギャング・オブ・キング・ボーイズ」という名称にしたのはこの2代目リーダーのTさんだとも言われていますが真偽不明です。
Tさんが率いていた頃のKGBは、喧嘩の強さだけでなく、その力と人脈を背景にしたビジネスを展開し、かなりの資金力を持っていたようです。
その頃のKGBは大きなクラブを貸し切ってイベントを催して、そのチケット販売などで毎回数百万円単位の利益を上げていたという事でした。
その当時のKGBの幹部らは、そうして得た資金を使い、キャデラックやベントレーのリムジンを乗り回し、かなり華やかな日々を送っていたようです。アウトロー系のメディアでも度々取り上げられるなど、当時のストリートの不良少年らの憧れの存在でもあったようです。
KGB(チーマー)の歴代リーダー③ 3代目・矢尻哲郎
チーマーグループ・KGBの3代目リーダーは、矢尻哲郎(やじり・てつお)さんという方です。
上の画像の正面から見て左端に立っているスキンヘッドの大柄な方が矢尻哲郎さんです。この矢尻哲郎さんは圧倒的な喧嘩の強さで知られ、体重127kgの体格で子供の頃から柔道をやっており、喧嘩相手が彼に投げ技をかけられると身体が半回転して吹っ飛んだそうです。
当時、渋谷区の有力なチーマーグループだった「TOP-J」の井上勇さんは、この矢尻哲郎さんに喧嘩で敗れて土下座したという情報もあります。
ちなみに今回の記事でも度々登場している元KGBメンバーの内藤裕さんは胸に刺青で「矢尻哲郎」と彫っています。内藤裕さんにとって矢尻哲郎さんは兄貴分にあたるようです。
この矢尻哲郎さんですが、2009年1月に東京都八王子市で現金2千万円が強奪された事件で2010年に逮捕されています。この時の報道では指定暴力団山口組系組員と報じられていました。
KGB(チーマー)の歴代リーダー④ 4代目は不明
チーマーグループ・KGBには4代目リーダーまで存在すると言われていますが、どういった理由かこの4代目リーダーについては、匿名掲示板の噂レベルも含めて全く情報が上がっておらず、どのような人物だったのか不明です。
KGB(チーマー)の現在
当時は関東でも最強と言われたチーマーグループ・KGBですが、現在は既に存在していません。
KGBは4代目まで存続した事はわかっていますが、その後、どのような経緯で無くなったのかなどの情報もないようです。
現在は元KGBのOBが格闘家や経営者として何人も活躍していますが、それぞれKGBへの特別な想いは持たれているようなので、元メンバー間のつながりなどは現在も存在していると思われます。
ただ、一般的な世界(いわゆるカタギの世界)で成功されている方も多いため、反社会的な存在であるKGBの名前を公に出す事は避けている部分もあるようです。
まとめ
今回は、1990年代はじめから半ばにかけて、東京都、千葉県を中心に悪名を轟かせた伝説的チーマーグループ・「KGB(キング・オブ・ギャング・ボーイズ)」についてまとめてみました。
KGBは、勝つためには手段を選ばない武闘派集団として恐れられ、その力と人脈を武器にビジネスの面でも成功し、一時は関東のチーマーグループでは最強と言われました。
KGBの初代は、亀有の高校の不良少年グループと、千葉県津田沼や松戸の不良グループと手を組んだ事でできた不良グループで、初代リーダーは古谷もりひろという人物だったようです。この頃からのメンバーには後に総合格闘家として成功する高谷裕之さんや、現在はアウトロー系YouTuberとして人気の内藤裕さんなどがいました。
2代目リーダーは、キックボクサーのTさんで、この方の代にKGBはクラブを貸し切ってイベントを開催するなど大きなビジネスを成功させるようになり、おそらく数千万円単位の資金力を得ていたと思われます。
3代目リーダーは、圧倒的な喧嘩の強さが伝説的に語り継がれている矢尻哲郎さんという方で、この方はKGB引退後に山口組系の暴力団組織に所属し、2010年に1度現金強奪事件の容疑で逮捕されています。
現在、KGBは存在していませんが、その歴代のメンバーらはそれぞれ活躍しており、YouTubeなどでは色々と当時のエピソードが語られ話題になっています。