16歳にして消滅状態にあった関東連合を復活させ、その類い稀なる残虐性から「残虐王子」との異名をとり、関東連合を暴力で支配していた見立真一。
そんな見立真一の生い立ちや中学と高校時代、関東連合時代の事件や伝説、そして現在は「フィリピンに潜伏中説」「死んでる説」など最新情報など総まとめしました。
この記事の目次
見立真一のプロフィール
プロフィール
名前:見立 真一(みたて しんいち)
出身地:静岡県沼津市(東京都杉並区育ち)
身長:168cm
生年月日:1979年3月16日
ニックネーム:残虐王子、ワキガ王子
見立真一の経歴① 家族や生い立ち~中学生や高校生時代編
ごく普通の家庭に育った見立真一
見立真一さんは、1979年3月にタクシー運転手として働く父親の長男として静岡県沼津市に生まれ、小学生時代に東京都杉並区に移住しています。
見立真一さんはグレてからは少年院を出たり入ったりしていましたが、少年院は入る度に知能テストを受けさせるのだとか。見立真一さんは、実は相当地頭が良かったようで、いつもIQが145を超えて、“測定不能”となるほど、知能が高かったとの証言もあります。
と、思わず話がそれてしまったので元に戻すと・・・
このように、見立真一さんはごくごく普通の家庭に育っているんですよね。実際、2~3歳年上だったお姉さんも、グレることもなかったそうなので、見立真一さんが非行に走ったのは、不良少年の家庭にありがちな、父親からのDVなどの家庭環境を原因とするものではなかったようです。
そんな見立真一さんに変化があったのは中学2年生の頃でした。突如として不良グループの一員になったそうです。当時の見立真一さんがイジメを受けていた・・・などの情報は一切なく、見立真一さんが突然不良化した理由は、今も大きな謎として語り継がれているようです。
ただ、不良化する以前から、猫を歩道橋から落としてひき殺させたり・・・といった、動物虐待をしている姿が度々目撃されているようなので、ネット上では見立真一さんは元々サイコパスだったのではないかとの説もあるようです。
都立永福高校に進学するも2ヶ月で中退
その後、本格的にグレ始めた見立真一さん。前述したように地頭が良かったため、ほとんど勉強とは縁のない中学時代を過ごしていたものの、卒業後は都立永福高校に進学しています。
ただ、高校に進学する頃には、既に手の付けられないワルに成長されていたようで、わずか2ヶ月あまりで退学させられることに・・・で、気になる退学理由については、諸説あるようですが、女性に対する性的暴行で逮捕され、少年院送りになったという説が有力のようです。
見立真一の経歴② 関東連合編「残虐王子」としての伝説
16歳で関東連合を復活させた見立真一
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関東連合は、見立真一さん世代の2代前(1976年生まれ組)の世代の多くが、警察に逮捕されたことで、代替わりできずに、消滅状態にありました。
そんな関東連合を復活させたのが、見立真一さん率いる暴走族「永福町ブラックエンペラー」でした。そして関東連合を見事復活させた立役者として、見立真一さんが1978年(昭和53年)生まれ組のリーダーとなったのです。
関東連合の残虐性は見立真一に由来・・・
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復活後の関東連合の特徴と言えば、抗争に金属バットやナイフといった凶器を使うこと、そして、抗争相手に対する残虐なリンチだと言われています。それにより、首都圏の不良少年たちは震え上がったと言います。
特に、見立真一さんがリーダーを務めていた時代の関東連合の残虐ぶりは、一説によるとゲリラの拷問レベルまで達していたとも言われており、監禁した抗争相手の歯を抜いたり、生爪を剥がしたりといった、壮絶なリンチメニューが揃っていたそうです。
また、抗争相手のみならず、その彼女や家族にまで危害を及ぼすようになったのも見立真一さんの世代からだったと言われています。
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そんな関東連合が、不良少年の領域を逸脱した暴力集団と化してしまった最大の要因として挙げられているのが、見立真一さんの存在だったことは言うまでもありません。
そもそも復活した関東連合の核となったのは、暴走族「永福町ブラックエンペラー」ですが、それ自体、見立真一さんらが復活させた暴走族だったため、見立真一さんを制するような先輩世代が存在しなかったようです。
さらに、見立真一さんは仲間に対しても、暴力による恐怖で支配していたところがあり、やがて見立真一さんの命令ともなれば、どんな無茶でも従うしかない状況が醸成されていったようです。
抗争相手が死ぬ寸前までリンチを加える残虐性から、いつしか見立真一さんには「残虐王子」との異名まで付けられることに・・・
“残虐王子”との異名で恐れられる一方で用心深い一面も
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その一方で、常に暴力により周りを支配していた見立真一さんですから、当然、周囲から恨みを買っているとの自覚はあったようです。身内による闇討ちから身を守るために、仲間内にすら自宅の住所や携帯電話の番号すら教えていなかったそうです。
見立真一さんの中学の先輩であり、若かりし頃は武闘派アウトローとして広くしられていた与国秀行(谷山秀行)さんは、後に見立真一さんのことを、抗争相手からの報復を恐れていたからこそ、残虐な追い込みに徹していたのではないかとの推測を述べられています。
成人後は残虐な暴力行為よりも金稼ぎに夢中に
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そんな見立真一さんは、成人後は暴力行為よりもむしろ、闇金業者として金稼ぎに夢中になっていったようです。
ただでさえ違法性の高い闇金業ですが、見立真一さんは多重債務者詐欺にまで手を染めるなど、金を稼ぐためなら手段を選ばなかったようで、時には、持ち前のネットワークを活かして、マルチ商法にも手を出していたとも・・・やがては関東連合の仲間内でも、“金の亡者”と揶揄されるほど荒稼ぎしていたそうです。
多重債務者詐欺をやっていた頃は半端じゃない利益をあげていました。闇金で借金した客って、自分がどこから借りているかなんて分からなくなっているじゃないですか。それをいいことに、貸してもいない相手に返済を迫る。このときは月に3億円のあがりが半年続いた、と聞いています。「30歳までに100億円持つ」と当時の見立君はよく口にしていたけど、「この人なら実現するだろう」と思っていました。
引用:元関東連合・柴田大輔が明かすいびつな絆の核心「見立君と僕は光と影だった」 https://news.ameba.jp/
野球賭博運営や株取引の失敗で「連合経費」を使い込むまでに・・・
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やがて闇社会の富豪にまで上り詰めたかに見えた見立真一さんですが、その成功は長くは続かなかったようです。
見立真一さんが経済的につまづくきっかけになったのは、野球賭博運営や株取引での失敗でした。
ただ、闇金業で大成功をしていた見立真一さんが、なぜわざわざリスクを冒してまで他分野に進出する必要があったのでしょうか?その理由は、2006年の貸金業法改正により、闇金事業の継続が困難になったためではないかと言われています。
やがて、見立真一さんは、その生活レベルを維持するために、関東連合OBたちが相互扶助のために積み立てていた「連合経費」にまで手をつけていたとの話まであるようです。
見立真一が関与したとされる事件や伝説① 与国秀行襲撃事件
そんな成人後は暴力行為よりも金稼ぎに夢中になっていた見立真一さんですが、それでもいくつかの暴力事件に関与していたとの疑惑もあり、そのうちの一つが「与国秀行(谷山秀行)襲撃事件」なんですよね。
先ほども少し触れましたが、与国秀行さんと言えば、見立真一さんにとっては中学の先輩で、1990年代には都内最強とも謳われていた伝説の武闘派アウトローです。
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地元では喧嘩でならしていた“湘南乃風”の若旦那さんが、与国秀行さんといつか拳を交えると覚悟を決めていた時、たまたま与国秀行さんのストリートファイトを目撃し、「レベルが違う・・・オレは1番じゃなくていいや・・・」と、一転して牙を抜かれたチワワとなったことで一躍有名になりました。
そんな与国秀行さんは、成人後は、“幸福の科学”の信者となり、半グレ系勢力とは距離を置いた人生を送ってきた人物でした。
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2009年7月に行われた「第45回衆議院議員総選挙」に「幸福実現党都副代表」として出馬したものの、東京都第12区で最下位落選する憂き目となっています。
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そんな与国秀行さんが妻と共に暴漢に襲われたのは、「第45回衆議院議員総選挙」直後だったと言われており、与国秀行さんはこの事件により、左目を失明しています。
ただ、与国秀行さんが被害届けを提出しなかったため、警察が捜査することもなく闇に葬られた暴行事件となりましたが、ネット上ではこの襲撃は、関東連合のOB達によるものではないかとの見方が有力のようです。
見立真一が与国秀行襲撃事件に関与したと噂される理由
「与国秀行襲撃事件」が、関東連合OB達による犯行説が噂されたのには、実はちゃんとした理由があって、それは、2008年3月に起こった「西新宿事件」がきっかけとなっていると言われています。
この「西新宿事件」では、関東連合OB達のいわゆる“ケツモチ”として強い影響力を持っていた金村剛弘さんが、自宅近くで待ち伏せていた男4、5人に、金属バットでメッタ打ちに遭い、撲殺されています。
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金村剛弘さんの葬儀に参加した見立真一さんは、金村剛弘さんの無残にも変わり果てた痛々しい遺体を見て、号泣しながら犯人に対する復讐を口にしたと言われています。
しかし、金村剛弘さんの元悪友として葬儀に参列していた与国秀行さんが、そんな見立真一さんに対して、これを機会に堅気になるように・・・などと説教したのだとか。
この言葉に逆上した見立真一さんは、その場で与国秀行さんと口論になったようで、その時の因縁が、「与国秀行襲撃事件」に繋がったのではないかとの憶測が、ネットを中心に流れていました。
ちなみに、与国秀行さん本人は、襲撃事件の犯人が関東連合OB達であるとの噂を否定しているようですが、片眼を失明させられたにも関わらず被害届を提出しなかったくらいですから、本当のところは不明です。
見立真一が関与したとされる事件や伝説② 六本木クラブ襲撃事件
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関東連合OB達の“ケツモチ”として強い影響力を持っていた金村剛弘さんが、無残にも撲殺された「西新宿事件」の4年後、2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」は、この報復のためだったと言われています。
「西新宿事件」以降、金村剛弘さんの敵討ちの機会を伺っていた見立真一さんですが、2012年9月に「六本木クラブ襲撃事件」を起こしてしまい、警察に事件の主犯格として指名手配されることに・・・
六本木クラブ襲撃事件の概要
2012年9月2日午前3時40分ごろ、東京・六本木六本木共同ビル(ロアビル)2階に位置するクラブ「フラワー」において、来店客の男性が、金属バットを持って店内に乱入してきた10人ほどの目出し帽姿の男らによって袋叩きにされ、男性は後に死亡が確認された。死因は頭蓋骨損傷による失血死または脳幹部損傷とみられた。ほか同席していた友人2名も殴られ軽傷を負うに至った。
男性3人・女性2人の計5名とともに酒席にあった被害者を男らは無言で急襲、およそ1分間にわたって集団で一方的に暴行を加えていた。事件後、男らはワゴン車2台に分乗し東京・東大和市方面へ逃走。さらに同市を経由し埼玉県内へ逃走した。
引用:六本木クラブ襲撃事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
その後、この「六本木クラブ襲撃事件」は、人違い殺人説が濃厚になっているようです。というのも、見立真一さんらの元に、犯行現場となったクラブ「フラワー」に、金村剛弘さんの仇と目されていた木村孔次郎さんがいるとの情報があり、襲撃したところ、まったくの別人である被害者男性を暴行することになってしまったようです。
「六本木クラブ襲撃事件」で人違いが起こった理由は、木村孔次郎さんと被害者男性の外見的特徴が酷似していたことが原因だったと言われていますが・・・
単なる人違い殺人ではなく木村孔次郎の策略だった可能性も
出典:https://ameblo.jp/
さらにはこの「六本木クラブ襲撃事件」の裏には、関東連合をはめるための木村孔次郎さんの策略があったのでは?との説すら存在するのです。
かねてより金村剛弘さんの敵と目されていた、木村兄弟の頭脳派の弟・木村孔次郎さんは、自分に対する報復はいずれ起こると先読みしていたようです。
木村孔次郎さんは、自分と容姿が似ていた藤村亮介という男性に自分と同じ様な坊主頭にしろと指示し、自分の服を着させて事件現場のクラブへと行かせます。
その上で、関東連合へ嘘の情報を流し、自分の影武者を襲撃させ、さらにその件を警察にリークする事で関東連合を壊滅させようという木村孔次郎さんの策略であったとの噂が飛んでいるのです。そして、関東連合の見立真一さんらは見事に木村孔次郎さんの策略にはまってしまうことに・・・
この六本木クラブ襲撃事件の結果、関東連合は崩壊状態に・・・
事件発生後の9月7日、犯行グループが映った防犯カメラの映像と被疑者5名の写真が公開されました。その写真がこちら。
出典:https://nikkan-spa.jp/
この公開映像に対して、関東連合の関与を指摘する情報が多数寄せられたことから、警察は関東連合による犯行と断定。その後、関東連合の主要なメンバーがことごとく逮捕されたことで、関東連合は事実上の崩壊状態となりました。
もしもこれが本当に木村孔次郎さんの策略によるものだとすれば、全くもって恐ろしい人物であると言えますね。
見立真一の現在① フィリピンに潜伏中という情報が流れる
600万円の懸賞金をかけられて指名手配中の見立真一
出典:https://www.sankei.com/
2012年9月2日未明に起きた「六本木クラブ襲撃事件」の犯人たちは、事件後に中国や韓国、フィリピンなどに逃亡を図りました。しかし、大半のメンバーはその後帰国して出頭しているのに対し、主犯とされている見立真一さんは、現在も逃亡を続けています。
事件の主導役と目されフィリピン潜伏中と見られる「関東連合」元メンバーが2013年2月21日に警視庁から殺人や凶器準備集合などの疑いで指名手配され、同年2月22日に国際手配された。現在も警視庁により指名手配されていると同時に国際刑事警察機構より国際手配されている。
引用:六本木クラブ襲撃事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
当初、警視庁は、見立真一さんに対して300万円の懸賞金を掛けていましたが、行方はつかめませんでした。
その後、フィリピンのマニラやセブ島での目撃情報が寄せられたため、警視庁は懸賞金を600万円に引き上げ、現地に捜査員を派遣したのですが、結局は無駄足に終わったようです。
一部情報によると、見立真一さんは関東連合のネットワークを活かして、フィリピンのマフィアとも反政府軍とも言われている連中にかくまわれ、同国の離島で潜伏生活を送っているとも言われているようです。
見立真一が現在もなお逃亡生活を続けている理由とは?
出典:https://twitter.com/
「六本木クラブ襲撃事件」に関わった関東連合の大半のメンバーが、その後投降しているのに対し、見立真一さんが今なお逃亡を続けている理由は、現在も金村剛弘さんの仇を討つことを諦めておらず、木村兄弟への復讐の機会を窺っているからだとも言われています。
海外逃亡前、見立容疑者は周囲に「目的を果たすまで出頭しない」と語っていたというが、その目的とは何なのか。
「A兄弟への復讐です。’08年3月、西新宿で元関東連合のB氏が撲殺されている。B氏は殺される前に関西の暴力団に属していたA兄弟とトラブルを起こしていたんです。六本木での襲撃事件の際、現場となったクラブにA兄弟の弟がいるという情報をつかみ襲撃したが、人違いだった。だから見立容疑者は、A兄弟に対する復讐が終わらない限り出頭はしない」(関東連合に詳しいマスコミ関係者)
引用:関東連合元リーダー・見立真一容疑者「帰国情報」で警視庁が厳重警戒 https://www.excite.co.jp/
もちろん、この引用記事中の“A兄弟”とは木村兄弟。西新宿で撲殺された“B氏”とは、金村剛弘さんを指しています。
ちなみに「西新宿事件」に関しては、警察が犯人と思われる人物たちを片っ端から別件で引っ張って取り調べをしていた時期がありましたが、結局は警察側が事件に関する証拠を集めきれずに終わっているようです。
見立真一の現在② すでに帰国している?死んでる説も流れる
2013年頃には偽造パスポートで日本に一時帰国していた
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見立真一さんは、2013年頃には、偽造パスポートを使って国内に戻り、日本での生活を満喫していた時期もあったとの情報があります。
国際手配中である見立真一さんが、あえて危険を犯してまで一時帰国した理由について、本人に直接聞いたという証言があったので引用しておきましょう。
「4月に2回、見立に会いました。“我々”がよく利用する千葉のホテルで一緒になったんです。見立は何回かそこに泊まっていたようです。帰国した理由を聞くと『金を取りに帰ったんですよ。いろいろ集金しなくちゃいけなくて』と言う。それなら少なくとも1千万円から2千万円は作るんだろうなと思いましたね。ただ、どうやって戻るんだろうと。話した時間はわずかでしたけどね」
引用:六本木襲撃事件“国際手配中”の首謀者が日本にいた! – ライブドアニュース http://news.livedoor.com/
逃走資金の確保のためか、新たに事を起こすための軍資金を用立てるためだったのか・・・その後、特に関連する事件が起こっていないことからすると、前者だった可能性が高そうですね。
ネット上で噂されている“見立真一は既に死んでる説”について
警視庁からの指名手配だけでなく、国際刑事警察機構より国際手配され、600万円の懸賞金を付けられて手配されているにもかかわらず、一向に行方が知れない見立真一さん。
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また、その残虐性から色んな方面から恨みを買っている見立真一さんですから、いつしか、ネットを中心に囁かれるようになったが“見立真一は既に死んでるのでは?”との噂なんですよね。
ただ、この手の噂については、見立真一さんのようなアンチヒーローは、例えば金村剛弘さんのように悲惨な末路を辿って欲しい・・・そんなネットユーザーたちの願望が生み出した妄想と言えそうです。
日本に帰国し潜伏中?
潜伏先とみられているフィリピンでは現在も見立真一さんに関する捜査が続いているといいますが、警視庁は、見立真一さんが現在、日本国内に潜伏している可能性もあるとしています。
警視庁は、見立真一さんが日本に潜伏している場合、土地勘などのある東京都、静岡県、埼玉県、宮城県の4都県にいる可能性が高いとみて重点的に捜索しているとのことです。
また、見立真一さんは自ら海外でビジネスをしているという情報も出ており、「犯罪者の天国」とも言われるカンボジアを拠点にしているのではないかとも噂されているようです。
「六本木クラブフラワー事件」の殺人容疑で国際指名手配中の元関東連合・見立真一もカンボジアを拠点にしてアジアを移動している、と噂され、先月、目撃情報が流れた。見立の右腕で六本木フラワーの元オーナーIや、シアヌークビルの特殊詐欺事件摘発後、すぐに行方をくらました見立の子分のTもカンボジアの裏社会を確実に支配している。さらに彼らはアジア各国を自由に移動し新たな国際犯罪ネットワークを産み出し日本の金を吸い上げようとしているのだ。
現在の姿を推測した似顔絵が公開される
出典:https://www.tokyo-np.co.jp/
「六本木クラブ襲撃事件」から12年が経った2024年8月、警視庁が45歳となった見立真一さんの現在の姿を推測した似顔絵を公開しました。
公開された似顔絵は、「標準」「やせた顔」「太った顔」「笑顔」の4種類となっています。
とは言え、見立真一さんは整形手術をして逃亡しているという噂もあるようで、見た目が大きく変わっている可能性も指摘されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
16歳にして消滅状態にあった関東連合を復活させ、その類い稀なる残虐性から「残虐王子」との異名をとり、関東連合を暴力で支配していた見立真一さん。
そんな見立真一さんの生い立ちや経歴、そして関わった数々の暴力事件と、フィリピンで逃亡生活を続けているとも、死んでるとの噂まである、見立真一さんの現在についてまとめてみました。
国際手配されてもなお足取りがつかめていない見立真一さんですが、逮捕される日は来るのでしょうか。事件解決のためにも、捜査の進展が待たれます。