ヨネスケさんと言えば「突撃!隣の晩ごはん」のリポーターとしてもよく知られた落語家ですが、熟年離婚も話題です。
今回はヨネスケさんの若い頃の経歴、嫁との結婚生活や子供、離婚理由、自宅や再婚の有無など現在をまとめてみました。
この記事の目次
ヨネスケのプロフィール
本名: 小野 五六(おの ごろう)
生年月日: 1948年4月15日
出身地: 千葉県市原市
血液型: O型
身長: 173㎝
師匠: 四代目桂米丸
弟子: 桂米多朗
活動期間: 1967年 –
活動内容: 古典落語、新作落語、タレント
所属: 日本芸術協会→落語芸術協会
ヨネスケさんの本職は落語家ですが、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」のワンコーナーだった「突撃!隣の晩ごはん」のリポーターとしての方がよく知られているかもしれません。
ヨネスケさんは現在はあまりメディアでは見かけませんが、「笑点」の真打・襲名昇進披露には出演することがあるようです。
ヨネスケは大の野球、相撲ファン
ヨネスケさんは野球に対する造詣がとても深く、創作で野球落語を披露したり、「ヨネスケの単なる野球好き」というイベントを開催したりと、野球ファンからも絶大な人気があります。
そんなヨネスケさんは特に、読売ジャイアンツのファンで知られています。
ただ、「ナベツネ」で知られる巨人の渡邉恒雄会長の考え方には批判的な意見を持っていたようです。
またヨネスケさんは、野球と同様に相撲ファンで、相撲落語として「菊ノ花」を披露したこともあります。
なお、相撲ファンになったきっかけは、千代の山の相撲だと語っています。
ヨネスケの若い頃の経歴① 落語としての活躍
ヨネスケさんは高校卒業後、1967(昭和42)年に落語家の桂米丸さんに弟子入りをして、噺の仕方などはもちろん、箸の上げ下げなど日常的な礼儀作法から徹底的に仕込まれました。
弟子入りした同年、浅草演芸ホールで高座デビューを果たしたヨネスケさんは、着実に力をつけて、1971年には二ツ目、1981年には真打に昇進。
現代野球界を面白おかしく表現した「野球落語」や、、古典落語「看板のピン」「壺算」、その他にも新作落語「猫と金魚」 など、ヨネスケさん独自の切り口語る落語で人気を博しました。
ヨネスケさんの略歴について、以下に一覧で紹介します。
1967(昭和42)年…浅草演芸ホールでデビュー。
1971(昭和46)年4月…二つ目に昇進。
1981(昭和56)年10月…真打ちに昇進。
1982(昭和57)年1月…放送演芸大賞ホープ賞を受賞。
ヨネスケの若い頃の経歴② 「突撃!隣の晩ごはん」で知名度急上昇
出典:https://www.photo-ac.com/
1970年から、ヨネスケさんは「笑点」の座布団運び役、日本テレビ系「ルックルックこんにちは」のコーナー「突撃!隣の晩ごはん」のレポーターなど、テレビ番組でも活躍をスタート。
ちなみに「突撃!隣の晩ごはん」は、完全にアポなしで全国各地のお宅にお邪魔し、夕食をレポートしながらご馳走になるというコーナーでした。
現在の番組制作では「アポなし」といいつつ、必ずアポを取るようです。
ですが、この「突撃!隣の晩ごはん」は正真正銘アポなしで、当然取材拒否されたり、偶然有名人の自宅を訪れてしまったりなど、ハプニング満載の人気コーナーでした。
「突撃!隣の晩ごはん」でヨネスケさんが自宅訪問する際、大きなしゃもじを持ってレポートしており、今でもヨネスケさんのトレードマークとなっています。
なお、ヨネスケさんが現在までに出演してきたレギュラー番組やドラマ、映画、その他出版した CD や著書などについては、以下にWikipediaから抜粋しました。
レギュラー番組
フジテレビ「直撃LIVE グッディ!」(月~金 13:45~15:50(木曜レギュラー)
テレビ東京「虎ノ門市場~幸せごはん漫遊記~」月~金11:00~11:13
ドラマ・映画
陸王 第7話(2017年)-大野役
釣りバカ日誌17 あとは能登なれハマとなれ!(2006年、松竹) – 釣具屋の店主 役
CD
桂米助と三遊亭小遊三 語って唄う 日本の童謡・唱歌(2008年4月、テイチクエンタテインメント)
長生き音頭(2011年4月、ソニー・ミュージックダイレクト)
著書
人たらしの極意 (小学館)
ヨネスケの駅弁空弁600選 (辰巳出版)
過激に巨人阪神戦・・・月亭八方氏と共著 (廣済堂出版社)
新・相撲のススメ(雄鶏社)
ごはん ~『突撃!隣の晩ごはん』はあなたに幸福をもたらす!~ (講談社)
簡単だから毎日作れるシニアごはん (世界文化社)
ヨネスケが芸名を変えた理由
ヨネスケさんは「笑点」や「突撃!隣の晩ごはん」などを通して、全国的な知名度を獲得したことから、その他の情報番組やバラエティ番組への出演機会も多くなっていきました。
1989年1月には、落語芸術協会に所属しながら、芸能活動に特化するために古舘プロジェクトにも所属し、タレント活動をするときは「ヨネスケ」と名乗り始めます。
「ヨネスケ」というカタカナ表記にした理由は、「米助」と表記すると桂米朝さんの弟子と思われる可能性があり、区別するためだそう。
しかし、落語家がカタカナ表記で名乗ることは当時前例がなく、落語界では物議を醸しました。
ただ、ヨネスケさんの兄弟子である桂歌丸さんは、実力があるのならカタカナで名乗っても良いと理解を示していたようです。
ヨネスケが結婚した嫁や子供とは
ヨネスケは結婚しても放蕩生活を送っていた
ヨネスケさんは落語家としてまだ駆け出しだった1975年、26歳で当時20歳の女性と結婚しました。
まだ収入が安定しなかった時期は金銭的に苦労したものの、千葉県にマンションを購入して、2男1女に恵まれるなど、しばらくは幸せな家庭生活を営んでいたようです。
その生活を一変させたのが、1985年にスタートした「突撃!隣の晩ごはん」でのブレイクでした。
ヨネスケさんは一躍人気タレントの仲間入りを果たしたことで、仕事は順風満帆に。
しかし、慢心してしまったヨネスケさんは遊び呆けて、次第に家に寄り付かないようになっていったそうです。
マンションのローンや生活費は毎月欠かさず入れていましたが、家事や育児を一切妻に押し付けて協力はしませんでした。
さらに、仕事が終わると毎晩、業界仲間と飲み歩き、夜通し遊び歩いていたそうで、帰宅は子供たちが学校に出かける朝方という毎日で、家族との距離は次第に遠くなっていきました。
たまに家にいることがあっても、ヨネスケさんは居心地が悪いことから「落語の勉強をする」と言って自室にこもりきりになることが多かったようです。
ヨネスケは熟年離婚しており再婚していない
ヨネスケさんの妻は長年ワンオペ育児&家に寄り付かない夫に耐えてきましたが、結婚から約40年が経過した2015年、とうとう熟年離婚しています。
子供たちもすでに成人しており、ヨネスケさんの妻は肩の荷が下りて、第2の人生を歩もうと思ったのかもしれません。
ヨネスケは再婚はしていない
妻に捨てられてしまったヨネスケさんは、これまでの行いをとても後悔しているようで、謝罪のコメントをしています。
「散々悪さをしましたからね。10年以上家には帰らなかった。まあ、隣の晩ごはんをずっと食べていたということですよ(笑)。
子供が三人いて、上から男、男、女。真ん中以外はもう結婚していて、たまに会って呑んだりします。子供たちからするとシングルマザーに育てられたと思っているはず。今、よく僕と会ってくれるなと思う。でも、嫁さんとは別れてから一度も会ってない。僕は会いたいけど……。
芸人は“呑む打つ買う”も修業のうち、っていう時代に生きてきたけど、後になるほど申し訳ない気持ちが強くなる。許しては貰えないだろうけど、ちゃんと謝りたい」
そんな夫・父親失格の人生を歩んできたヨネスケさんでしたが、それでも子供に見放されることはなかったようで、現在もたまに一緒に飲むことがあるようです。
子供にとってはヨネスケさんはたった1人の父親ですし、本来優しい性格で現在は反省して落ち着いていることから、子供たちとは交流が続いているのでしょう。
現在は独り身になってしまったヨネスケさんは、高齢ということもあり、再婚予定はないようです。
とはいえ長年の遊び癖が治っていない可能性がありますので、そのうち若い女性と再婚という話も出てくるかもしれませんね。
ヨネスケの自宅は都内のマンション
出典:http://blog.livedoor.jp/yonemeshi/
ヨネスケさんは2015年に離婚して以降は、都内のマンションで一人暮らしをしています。
やはり年老いてから1人で生活するのは堪えるようで、最近のインタビューで辛い心情を吐露していました。
「人並みに長生きしたい気持ちはあったけど、コロナで若い頃からの親友、三遊亭小遊三や、僕のことをアニキじゃなくて“ヨネ貴”と慕ってくれるTOKIОの松岡(昌宏)とも遊べなくなって。孤独に長生きしてもつまらないって考えに変わりました。一緒にメシ食いながら笑って話せるようなパートナーは欲しいなあって思う」
これは、再婚願望とも取れますね。
ヨネスケの現在
駅弁・空弁の批評をブログでスタート
出典:http://blog.livedoor.jp/yonemeshi/
ヨネスケさんは「突撃!隣の晩ごはん」で全国各地をロケしていたことから、ご当地の駅弁や空弁を食べる機会が多く、その経験をもとに2008年から駅弁や空弁を評価するブログを開始。
味はもちろんのこと、彩りや価格などあらゆる視点でチェックし、時にはとても辛口評価もするようです。
ダイエット本・レシピ本を出版
ヨネスケさんは、「突撃!隣の晩ごはん」のロケで全国のお宅で晩御飯を食べたり、駅弁などを食べたりしていたため、太ってしまったようです。
そのため、ヨネスケさんは情報番組の中でダイエットに挑戦し、1か月で4kgの減量に成功。
このダイエット体験をもとに、2016年にダイエット本を出版しています。
さらに、毎日手軽に作れる料理を知りたいと思い、料理人の野崎洋光さんに相談して『簡単だから毎日作れる シニアごはん』という本も出版しています。
ヨネスケはコロナのせいで仕事が無くなった
ヨネスケさんは2020年、YouTubeチャンネル「突撃!ヨネスケちゃんねる」を立ち上げています。
Youtubeチャンネルはこちら→突撃!ヨネスケちゃんねる【落語と晩ごはん】
ヨネスケさんの伝説的な冠コーナー「突撃!隣の晩ごはん」を個人でやるという趣旨のチャンネルですが、運悪く同時にコロナ禍に突入。
そのため、気軽に他人の家を訪れることができなくなってしまったことから、チャンネルの目的を果たせずにいるようです。
「あの番組では5000軒以上お邪魔しました。今も一般のご家庭のご飯を見せてもらう番組はあるけど、たいてい予定調和。僕のは文字通りアポなしの突撃だったからね。おばあちゃんがカメラから逃げ回ったり。その反応がウケたんですよ」
本業である落語も、コロナでなかなか高座に上がれない時期が続いた。
「1年半、仕事が殆どない状況が続いたので、お金が入ってこなかった。ジッと黙って家に籠っているのは精神的にもキツかったね。涙脆くなっちゃってさ、ドキュメンタリー番組とか観てポロポロ泣いたり……」
そのため、ヨネスケさんは現在ほとんど仕事がないようで、嫁とも離婚しているともなれば、精神的にとても辛い状況でしょう。
ウォーキングなど健康第一の生活をしている
ヨネスケさんは孤独な一人生活が始まってから約6年が経過した現在は、外出を自粛して自宅で自炊する日々を送っているようです。
2021年の春には、ついに新型コロナウイルスに罹患してしまったと思うような体調に陥ったそう。
幸い、PCR検査は陰性でコロナではなかったことが判明しますが、白血球数が異常に多かったため入院生活となり、翌月に胆石の手術を受けました。
そんなヨネスケさんは健康のため、チャンネルを再開するためにも体力づくりが大切だと感じて、毎日5kmほど歩くことを日課にしているようです。
コロナが終息したら、「突撃!隣の晩ごはん」が再開して、ヨネスケさんが突然自宅を訪ねてくるかもしれませんね。
まとめ
1967年から落語家として活躍し、「突撃!隣の晩ごはん」のレポーターとして一躍人気者となったヨネスケさんについてまとめてきました。
ヨネスケさんは芸能界で成功する一方で、大切な家族を長年ないがしろにしてしまったことで、元嫁とは2015年に熟年離婚しています。
ただ、現在は反省しており、子供たちとたまに会うことはあるようで、それが救いになっていることでしょう。
ヨネスケさんの「突撃!ヨネスケちゃんねる」が本格的にスタートする日が楽しみです。