2021年8月6日に起きた小田急線殺傷事件の犯人・対馬悠介。
今回は対馬悠介の出身や生い立ち、親など家族、小学校・中学校・高校・大学など学歴と経歴、卒アルのイケメン顔画像、新幹線事件の模倣の可能性や動機、裁判や判決など現在を紹介します。
この記事の目次
対馬悠介は小田急線刺傷事件の犯人
対馬悠介は小田急線殺傷事件の犯人です。
対馬悠介は2021年8月6日に小田急電鉄小田急線車内で、突然牛刀を振り回して20歳の女性を襲い、合計で10人に重軽傷を負わせました。
対馬悠介が起こした小田急線殺傷事件の概要
出典:https://president.jp/
2021年8月6日、小田急電鉄小田急線の快速急行・新宿行きの電車に、対馬悠介は登戸駅から乗車しました。
そして20時30分ごろ、成城学園前駅~祖師ヶ谷大蔵駅を走行中に突然、対馬悠介は牛刀を振り回して無差別に乗客を襲い始めます。
逆手に持った牛刀で、20歳の女子大生の胸を2回刺し、さらに逃げようとしているところを背中から刺しています。
対馬悠介が振り回した牛刀が当たり、女性2人と男性1人もけがを負っています。また、逃げようとした時に転倒するなどして、6人がけがを負い、合計で10人が重軽傷を負いました。
その後、対馬悠介は小田急線車内にサラダ油をまいて、ライターで火をつけようとしますが、火はつかずに失敗しています。
そして、祖師ヶ谷大蔵駅近くで緊急停車した電車から、ドアコックを使って電車のドアを開けて逃走しました。
そして、同日の午後10時頃に杉並区高井戸のコンビニに現れ、店員に「今、ニュースでやっている事件は私がやった」と話し、殺人未遂容疑で逮捕されています。
対馬悠介の出身や生い立ち:小学校~中学の頃
対馬悠介は青森県五所川原市で生まれます。五所川原市は父親の故郷でした。
小学校に入る前に、母親の実家がある東京都世田谷区に引っ越しています。
小学校・中学校では人気者で、クラスの中心となる生徒だったようです。
小学校の時は祖師谷FCというサッカークラブに所属し、チームのムードメーカーで、しかも弟の面倒見も良いとの評判でしたので、本当に「明るくて良い子」という感じの小学生でした。
中学ではテニス部に入り、学校の成績も上々だったそうですから、学業も運動も両方できて人気者で、いわゆるスクールカーストの最上位にいるようなタイプだったのでしょう。
対馬容疑者を知っている人はみんな口を揃えてムードメーカーだったとか、明るくて活発な子だったと言っています。
引用:(2ページ目)《小田急線無差別刺傷》「成功率数%でも中高生をホテルへ…」15年前に垣間見えた“自称ナンパ師”対馬容疑者の異変 | 文春オンライン
「サッカー好きで、『ツッシー』と呼ばれ、誰とでも気軽に話ができる優しい生徒だった」。中学時代の同級生は振り返る。
引用:[追う]優しい生徒「ツッシー」、大学中退・職を転々…孤立深め「大量に人を殺したい」 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン
小学校・中学の頃を知る人たちは、対馬悠介のことを悪く言う人はいません。それどころか、評判はかなり良く、大人も同級生たちも認める良い子だったのです。
そんな対馬悠介は小学5年生の頃、サッカークラブで「俺キレさせたらやばいよ」と言ったことがあるそうです。
ただ、この言葉は何気なく言ったり、「中二病」的にかっこつけて言ったりしただけかもしれません。
それでも、この小田急線殺傷事件後に「俺キレさせたらやばいよ」と言っていたエピソードを知ると、「小学生の頃から、ちょっとヤバイ子供だったのかな?」と思ってしまいますね。
対馬悠介の家族:親や兄弟
出典:excite.co.jp
対馬悠介は5人家族でした。
・母親
・対馬悠介
・弟2人
対馬悠介は父親の地元である青森県五所川原市で生まれて、幼少期に母親の実家がある東京都世田谷区に引っ越してきています。
そのため、一部のインターネット上の情報では「両親が離婚したから母親の地元に引っ越してきたのではないか?」と言われていますが、これはデマです。
父親も一緒に母親の地元に引っ越してきて、家族5人で祖師ヶ谷大蔵駅の近くのアパートに住んでいたことがわかっています。
そして、先ほども少し触れたように、対馬悠介は弟2人の面倒をよく見ていて、小学校に一緒に登下校したり、遊んでいたりしていたそうです。
ただ、時期は不明ですが両親はのちに離婚していて、対馬悠介は母親の実家で母親と一緒に生活していました。母親は飲食店などで働いていたようです。
そして、対馬悠介が30歳の頃に母親が再婚することになり、対馬悠介は母親の実家を離れて一人暮らしせざるを得なくなったようです。
対馬悠介の学歴:出身高校や大学
対馬悠介の学歴(高校・大学)はこちらです。
・大学:中央大学理工学部土木学科中退
大学は卒業せずに中退なので、対馬悠介の最終学歴は都立大学附属高校卒業になります。
都立大学附属高校は偏差値60程度なので、やはり成績は良かったことがわかります。
高校時代も成績は良く、特に理系科目が得意でしたが、文系科目もそこそこできていたようです。
しかも、対馬悠介は勉強だけのがり勉タイプだったわけではありません。
囲碁将棋クラブに在籍していましたが幽霊部員で、放課後は仲がいい友達数人とよく遊んでいました。みんなでワイワイ騒ぐのが好きで、カラオケとかボーリングとか、ビリヤードで遊ぶことが多かったです。あいつは歌が上手いんですよ。カラオケではビジュアル系バンドの曲や、19(ジューク)とかゆずとか、当時流行っていた曲は幅広く歌いこなしてました
引用:(2ページ目)《小田急線無差別刺傷》「成功率数%でも中高生をホテルへ…」15年前に垣間見えた“自称ナンパ師”対馬容疑者の異変 | 文春オンライン
いわゆる「チャラい」タイプだったようで、高校時代には上半身裸でファミレスに行くという悪ふざけをしたこともありました。ただ、中学・高校では彼女はいなかったようです。
大学は現役で中央大学理工学部土木学科に入学します。現役で中央大学ですから、ここでも成績優秀だったことがわかります。
大学ではテニスサークルに入り、大学生活を楽しんでいました。新歓コンパでは1人でさみしそうにしている1年生に積極的に話しかけるなど、明るく気づかいができるタイプでした。
一方、あまり勉強を真面目にせずにアルバイトに明け暮れていたため、単位を落とすことが多く、留年して5年間在籍していたものの、単位が足りずに23歳で中退してしまいました。
対馬悠介はチャラいナンパ師だった
対馬悠介は大学生になったあたりから、チャラいナンパ師になっていきました。
大学の頃には友達と一緒にイタリア旅行に行きましたが、イタリアでもナンパを繰り返していたそうです。
しかも、現地の女性とは言葉が通じないため、イタリアにいる日本女性にターゲットを絞っていたとのことです。
その後に再びイタリアに行った時は、現地の女性と肩を組んで写真を撮り、フェイスブックに「インジェノバ、ウィズマイフレンド&めっちゃタイプガール」と投稿しています。
ただただダサいナンパ師で、「女性を追いかけることに、異常な執着を持っていた」ことを感じさせます。
また、大学中退後は「職業・ナンパ師」と自称していました。
三軒茶屋などの駅近くで通りすがりの女性に声をかけていたそうです。『成功率は数%』と言っていましたが、うまくいった時はホテルに連れていくこともあったようです。でも、彼が得意げに話すナンパ相手の女性の年代がおかしくて……。対馬が狙っていたのは女子高生や女子中学生だったんです。当時、対馬はすでにハタチは超えていましたから、正直、引きましたね
引用:(3ページ目)《小田急線無差別刺傷》「成功率数%でも中高生をホテルへ…」15年前に垣間見えた“自称ナンパ師”対馬容疑者
大学中退後ということは、対馬悠介は23歳以上です。20代の大人が女子中高生をターゲットにナンパをしてホテルに連れ込むなんて、かなりヤバイですよね。
対馬悠介はただ単にロリコンだったのか、それとも成人女性に何らかの屈折した感情を抱いていたために、恋愛対象・性的な対象が10代女子になってしまったのかは不明です。
事件後の供述では、「大学のサークルや出会い系サイトで知り合った女性にバカにされて生きてきた」と語っています。
女性にバカにされることに恐怖を覚え、自分が確実に主導権を握ることができ、上の立場に立つことができる10代女子だけを狙って、ナンパを繰り返していたのかもしれません。
対馬悠介の大学中退後の経歴
出典:msn.com
中央大学理工学部土木学科を中退したその後の対馬悠介の経歴を見ていきましょう。
・物流倉庫勤務
・温泉旅館の住み込み従業員
・東村山のパソコン工場
・コンビニ店員
・学校教材を運ぶ仕事
・パン工場の派遣社員
大学中退後の対馬悠介は職を転々としました。上記の仕事はあくまでも一部で、大学中退後から事件前までに30もの仕事を転々としたようです。
仕事は長くても2年間、短いと1ヶ月程度で辞めてしまいました。
ただ、20代で定職に就かずにブラブラしている時は、友人には「フットサルやってる」のように語り、そこそこ楽しそうな様子だったとのことです。
対馬悠介の事件前のヤバイ生活エピソード① 生活保護
出典:https://pixabay.com/
事件を起こす数ヶ月前、派遣社員として働いていたパン工場を辞めています。そして、無職となりました。それからは働くことはなく、月10万円の生活保護を受けていたとのことです。
母親が再婚した30歳の頃からは、川崎市の家賃約25,000円の1Kのアパートで独り暮らしをしていましたが、タバコ以外の生活用品・食料品は万引きで調達していました。
そして、事件当日も昼に新宿でベーコンとオリーブオイル(880円相当)を万引きしているところを見つかり、女性店員から注意を受け、警察官から事情聴取を受けています。
10万円の生活保護を受け、タバコ以外は万引きで調達なんて、相当ヤバイ生活をしていたようです。
対馬悠介の事件前のヤバイ生活エピソード② 1週間前にはボヤ騒ぎ
出典:https://pixabay.com/
川崎市の読売ランド前駅から約500mのところにある1Kの25,000円のアパートには、事件の4年以上前から住んでいた対馬悠介。
30歳の頃から一人暮らしをしていますので、その頃からずっとそのアパートに住んでいたのかもしれません。
以前に対馬悠介の部屋から水漏れがあった時には、対馬悠介が大家さんと一緒に下の階の住民に謝りに来たこともあったといい、礼儀正しい常識的な人だったことがわかります。
積極的に挨拶をしてくれようなことはなかったけど、礼儀正しい感じの人でしたよ。ただ1週間くらい、深夜2時ごろに家具を倒すような音がしていたことはあって、ちょっと気になる人ではありました。とはいえ大きな物音があったのはこれくらいで、床に粘着シートをコロコロ転がすような音がよく響いていたので、掃除好きなのかなと思っていた。特に大きなトラブルもなかった
引用:(2ページ目)《小田急線無差別刺傷》「“ボヤ騒ぎ”が起きているのに上半身裸で…」近隣住民が証言する加害者の意外な素顔 | 文春オンライン
ただ、事件が起こる1週間前の2021年8月1日、対馬悠介の部屋から白い煙と焦げ臭いにおいがするボヤ騒ぎがあり、消防車2台とパトカー1台が駆け付けました。
大事にはならなかったようですが、この時の対馬悠介にはすでに何かしらの異変が生じていた可能性があります。
・外からの呼びかけに応じなかった
・髭を生やしていた
対馬悠介は卒アルの顔画像がイケメンだと話題に
対馬悠介はイケメンであると言われています。上記の写真が高校の卒業アルバムの写真で、確かに、顔はイケメンですよね。
逮捕後の写真を見ても、対馬悠介の顔面偏差値はそこそこ高めであると言えます。実際、高校時代は彼女はいなかったものの、「おしゃれなイケメン」と評価されていました。
大学卒業後は「ナンパ師」を自称し、女子中高生を中心にナンパしていました。
成功率は数%だったものの、ナンパに成功して、ホテルに連れ込んだこともあったとのことですから、イケメンだったことは間違いないでしょう。
「おしゃれなイケメン」だったのに、どこから道を踏み外して、あのような恐ろしい事件を起こしてしまったのでしょうか?
対馬悠介は2018年の東海道新幹線内殺傷事件を模倣した?
出典:asahi.com
対馬悠介は2018年の東海道新幹線車内殺傷事件を模倣して、小田急線殺傷事件を起こした可能性があります。
東海道新幹線内殺傷事件では、2018年6月9日に新横浜駅~小田原駅間を走行中の東海道新幹線「のぞみ号」の車内で、犯人の小島一朗(23歳)が鉈で隣にいた女性を切りつけました。
そして、止めに入った男性を殺害し、2人に重傷を負わせています。
実は、対馬悠介が起こした小田急殺傷事件と2018年の東海道新幹線内殺傷事件には、共通点があります。
・無差別に狙った
・大きな刃物(対馬悠介は牛刀、小島一朗は鉈)を使った
このことから、対馬悠介は2018年の東海道新幹線内殺傷事件を参考にして模倣したのかもしれません。
対馬悠介は小田急線の快速急行を選んで犯行を行いましたが、これは通過駅が多く、駅から駅まで8分かかり、より多くの人を殺害できるからと見られています。
2018年の東海道新幹線車内殺傷事件があったから、このような計算をしたのではとも言われています。
対馬悠介が小田急線刺傷事件を起こした動機
対馬悠介はなぜ事件を起こしてしまったのか?その動機を見ていきましょう。
対馬悠介はもともと女性に対して強い憎しみを抱いていたことが分かっています。
そして事件当日、万引きを女性店員に見つかったことを逆恨みし、それがきっかけで犯行に及んだと見られています。
女性に対して激しい憎悪
出典:asahi.com
大学生の頃からナンパに明け暮れ、イタリアに行ってまでナンパをするなど、女好きだった対馬悠介は、30歳の頃から女性に対して激しい憎悪の感情を抱くようになります。
逮捕後の供述では、次のように女性についての憎悪を語っていました。
・大学や出会い系サイトで知り合った女性に馬鹿にされてきた
・華やかな女性や一緒にいる男性の首を切りたいと思うようになっていった
・大学時代のサークル活動で女性にバカにされたり、出会い系で女性にデートの途中で断られたりした
・短期のバイトで女にあごで使われ、恨みを持っていた
犯行の6年ほど前から、女性に強い憎悪を持ち、殺したいと思うようになったようです。
週刊文春によると、先ほども紹介したイタリアでの楽しそうな写真は、28歳の頃の可能性が高いとのこと。
28歳のころまではリア充全開のナンパ師だったのに、30歳になると女性への強い憎悪を持つようになったのです。
この2年間の間に何があったのでしょうか?
対馬悠介が30歳というと、母親が再婚したことで実家にいられなくなり、1人暮らしを始めた時期と重なります。
30歳にもなって、母親が再婚したことに嫌悪感を抱き、女性全般に憎しみを抱くようになったのでしょうか。
万引きを女性に注意された
出典:twitter.com
30歳の頃から異常なほど女性を憎んでいた対馬悠介は、事件当日の2021年8月6日の昼、新宿の食料品店でオリーブオイルとベーコン(総額880円)を万引きし、女性店員に見つかりました。
ちなみに、この日はこのオリーブオイルとベーコンが初めての万引きではありませんでした。
コンビニで缶ビール3本と酎ハイを万引きしていて、酒のつまみが欲しくなり、オリーブオイルとベーコンを万引きしたようです。
しかも、この食料品店は輸入食材のお店で、オシャレな雰囲気でした。
ビールと酎ハイを万引きして、オシャレにオリーブオイルとベーコンを万引き・・・。
万引きを女性店員に見つかった対馬悠介は、110番通報されて、警察官が現場にやってきました。
対馬悠介は何度も万引きをしていましたが、それまでは見つかったことがなく、この時初めて万引きに失敗したとのことです。
商品を買い取ることで逮捕はされませんでしたが、指紋を取られ、警察官に川崎市の自宅まで送り届けられました。
また、万引き時にカバンの中にカッターがあったことで、後に銃刀法違反の容疑で任意の取り調べをすることを警察官から告げられています。この時、18時21分でした。
そして、自宅に戻った対馬悠介は、自分の万引きを見つけ通報した女性店員への憎悪を募らせ、殺害しようと決めます。
カバンに、2年前に自分の自殺目的で購入した刃渡り20cmの牛刀とサラダオイル、ライターを入れて、登戸駅から小田急線に乗って新宿に向かおうとしました。
しかし、すでにその女性店員がいる店は閉店している時間だということに気づき、それなら電車の中で人を殺そうと考え、犯行に及んだとのことです。
対馬悠介は統合失調症だった?
対馬悠介は統合失調症だったという噂があります。
スクランブル交差点を爆破を計画
出典:cnn.co.jp
対馬悠介は逮捕された後に、スクランブル交差点を爆破する計画があったと供述しています。
「幸せそうなカップルが歩いている渋谷のスクランブル交差点を爆破しようと考えていた」と供述していることが10日、捜査関係者への取材で分かった。
引用:小田急線刺傷 対馬容疑者「渋谷のスクランブル交差点爆破考えた」 境遇に不満、ゆがんだ感情に:東京新聞 TOKYO Web
このようなヤバイことを考えていたことから、統合失調症なのではないかと言われていようです。
妄想型の統合失調症か?
出典:kanaloco.jp
対馬悠介は妄想型の統合失調症の可能性が指摘されていました。
「“スクランブル交差点を爆破する”と供述するなど、言っていることもまともではありません。もしかしたら、妄想型の統合失調症の症状があったのではないか」成人後に発病することが多いこの病気にかかると、幻覚や妄想の症状が現れ、社会生活を送ることが困難になる。
対馬悠介も妄想が強く出てしまって、女性を異常なまでに憎むようになっていたのではないかと言われていました。
統合失調症ではなく双極性障害
対馬悠介の現在~懲役19年の実刑判決が言い渡される
出典:twitter.com
事件当日に逮捕された対馬悠介は、鑑定留置の結果、刑事責任を問えると判断され2022年1月に起訴されています。
事件発生から約1年10カ月が経った2023年6月27日には、初公判が東京地裁で行われました。
シワクチャの白シャツに黒のズボンという姿で現れた対馬悠介は、起訴内容を認めたとの事です。
検察官が起訴状を読み上げた後、証言台に立った対馬被告は、裁判長から「起訴事実に違っているところはないか」と問われ、「あ、ないです」。傍聴席に度々目を向けるなど、始終、落ち着かない様子だった。弁護人は起訴事実について争わないとしたが、「強度の殺意はなかった」などとして量刑で争う姿勢を示した。
また、裁判の中で対馬悠介は犯行動機について改めて以下のように語っています。
対馬被告「自分は無価値だというコンプレックスが怒りに変わり、やり場がなくて、勝ち組の人に矛先が向いた。僕だけが不幸で、貧乏くじを引いているという考えが、世の中への憎しみに変わった」
2023年7月6日、検察は「過去に類を見ない無差別大量殺人未遂事件であり、厳しい処罰が必要」と指摘し、対馬悠介に懲役20年を求刑しました。
一方、弁護側は「本当に殺害していいか迷ったが、このまま何もせずには帰れないと考えて刺した」と対馬悠介に強い殺意はなく、双極性障害が犯行に影響したとして、懲役15年が相当と主張しました。
対馬悠介は「検察の話を聞いてその通りだと納得した。被害者の皆さん、本当に申し訳ございませんでした」と小声で謝罪し、「私自身はもう刑務所から出ない方が良いと思っています。」と述べていたとの事です。
検察側は論告で、最初に刺された女性について「周囲の人の処置がなければ亡くなった可能性があった」と指摘。「無防備で逃げ場のない被害者らを執拗(しつよう)に切り付けており、極めて厳しい非難が向けられるべきだ」と述べた。弁護側は「具体的な計画性が欠如しており、殺意は確固たるものではなかった」と反論。「(気分の浮き沈みを繰り返す)双極性障害が犯行を後押しした」と主張した。
2023年7月14日、酌量の余地はないとして対馬悠介に懲役19年の実刑判決が言い渡されました。
中尾裁判長は「強い殺意を持って被害者に危害を加えたことは明らか」と指摘し「怒りの感情を抑えられず、身勝手な動機を社会に向けたことに酌量の余地はない」となど述べた。量刑を言い渡した後に「事の重大さを考えて下さい」と語りかけ、対馬被告はうなずいていた。
判決を言い渡された対馬悠介は「分かりました」と一言つぶやいたとの事です。
対馬悠介のまとめ
対馬悠介の生い立ちや家族、学歴(高校や大学)・経歴、卒アル写真と顔がイケメンの噂、新幹線殺傷事件の模倣の可能性や動機、現在をまとめました。
女性や社会への恨みを募らせ身勝手な犯行に及んだ対馬悠介には懲役19年の判決が下りました。今後自身と向き合い罪を償ってほしいものです。