女優としても一流、さらに夫が人間国宝になるなど梨園の妻としても超一流の女性が富司純子さんで、若い頃がかわいいと話題です。
今回は富司純子さんの身長、若い頃経歴、家族(父親・結婚した旦那、息子や娘)と現在をまとめました。
この記事の目次
富司純子は女優&梨園の妻
出典:mainichi.jp
富司純子
生年月日:1945年1月
出身:和歌山県御坊市
血液型:O型
活動:女優
富司純子さんは女優であり、梨園の妻です。
女優としては、結婚前は「緋牡丹博徒」をはじめとする任侠映画にたくさん出演しています。また、結婚・子育てから復帰した後は、幅広い作品に出演するようになりました。
また、七代目・尾上菊五郎(当時は四代目・尾上菊之助)さんと結婚し、旦那が人間国宝になるまで「梨園の妻」として支えています。
富司純子の身長
富司純子さんは公式的には身長を公表していません。ただ、スクリーン上で見る限り、華奢なので、小柄なイメージがありますよね。
でも、意外と身長は高いようです。
というのも、娘の寺島しのぶさんと和服姿で並んだ写真はほぼ同じ身長でした。
寺島しのぶさんの身長は163cmですので、富司純子さんも身長163cmくらいだと推測できます。
この舞台挨拶では、シム・ウンギョンさんと鈴木京香さん、富司純子さんは全員同じくらいの高さのヒールを履いています。
シム・ウンギョンさんと富司純子さんはほぼ同じ身長に見えますね。シム・ウンギョンさんの身長は164cmです。鈴木京香さんは165cmです。
このことからも、富司純子さんの身長は163cm程度と言えるでしょう。
世代が全く違うのに、シムウンギョンさんや鈴木京香さんと並んでも小顔に見えるというのは、富司純子さんは本当に小顔でスタイルが良いんですね。
富司純子の若い頃の経歴
デビューから引退まで
富司純子さんはスカウトで芸能界入りしています。もともとは宝塚歌劇団に憧れていましたが、映画プロデューサーだった父親の俊藤浩滋さんが反対したため、宝塚受験を諦めました。
その後、「ハイハイ、マヒナです」のカバーガールをするチャンスがあり、一時は大阪の芸能プロダクションに所属しています。
その縁で、松竹のカメラテストを受けることになり、ついでに父親の仕事場である東映京都撮影所に行き、そこで映画監督のマキノ雅弘さんにスカウトされました。
1963年には「八州遊侠伝 男の盃」で千葉真一さんの恋人役としてデビューし、その後は「尼寺(秘)物語」で初主演をしています。
1968年の「緋牡丹博徒」では、背に彫った緋牡丹の刺青を見せる緋牡丹のお竜(矢野竜子役)が人気となり、富司純子さんの最大の当たり役となりました。
その後も主に任侠映画への出演が続いています。
・「緋牡丹博徒シリーズ」
・「日本暗殺秘録」
・「日本女侠伝シリーズ」
・「日本侠客伝 昇り龍」
・「女渡世人シリーズ」
・「関東緋桜一家」
富司純子さんは東映の看板女優となりましたが、1972年に四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚して女優業を引退しています。
結婚後の経歴
富司純子さんは結婚して女優業を引退しましたが、1974年には寺島純子という本名でフジテレビのワイドショー「3時のあなた」の司会で芸能界に復帰しています。
この司会は産休・育休を挟みましたが、1988年まで続けています。
また、女優業も1989年から再開しました。復帰第1作目は高倉健さん主演の「あ・うん」です。
その後、いろいろな作品に出演しています。
・「おもちゃ」
・「フラガール」
・「犬神家の一族」
・「サマーウォーズ」
また、女優として次のような賞を受賞しています。
1971年:第17回キネマ旬報賞女優賞(牡丹博徒・お命戴きます 女渡世人・おたの申します)
1971年:第26回毎日映画コンクール女優演技賞(緋牡丹博徒・お命戴きます)
1999年:第24回報知映画賞助演女優賞(あ、春)
1999年:第24回報知映画賞助演女優賞(ドリームメーカー)
1999年:第42回ブルーリボン賞助演女優賞
第45回キネマ旬報賞助演女優賞
第12回日刊スポーツ映画大賞主演女優賞
第23回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞ノミネート(おもちゃ)
2006年:第19回日刊スポーツ映画大賞助演女優賞
第49回ブルーリボン賞助演女優賞
第16回東京スポーツ映画大賞
第30回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞ノミネート
その他、第23回菊田一夫演劇賞や第37回山路ふみ子映画賞・映画功労賞なども受賞しました。
富司純子の若い頃がかわいい
富司純子さんは、若い頃がとてもかわいいんです。
出典:asahi.com
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現在の美的感覚でも十分に通用するかわいいさ&美人です。写真を見ただけで、かなりの小顔であることがわかりますね。
また、富司純子さんの当たり役である「緋牡丹博徒」の緋牡丹のお竜は本当にカッコいいです。
この時、富司純子さんはまだ22歳。
出典:twitter.com
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22歳とは思えぬカッコよさ&色気がありますね。
こんなにかっこよくて色気がある女性なら、任侠映画がピッタリですし、東映の看板女優になるのも納得ですね。
富司純子の家族
出典:asahi.com
富司純子さんの家族を見ていきましょう。まずは実家の家族からです。
・父親:俊藤浩滋
・母親
・姉(充子)
・富司純子
富司純子さんの父親は、映画プロデューサーとして有名な俊藤浩滋氏です。
しかし、父親は家にはほとんど帰ってこなくて、別居状態でした。そして、富司純子さんが3歳の頃の1948年には、父親は後妻となる上羽秀さんと出会い、同棲するようになっています。
そのため、富司純子さんは母親と祖母に苦労して育てられたそうです。
富司純子さんが女優になったのは、苦労して育ててくれた母親に楽をさせたいからであり、一人前になれれば別に女優でなくても良かったと語っています。
次に、結婚後の家族を見ていきましょう。
・息子:五代目 尾上菊之助
・娘:寺島しのぶ
富司純子さんは歌舞伎役者と結婚していますので、歌舞伎・芸能一家であり、家族全員芸能人・有名人です。
富司純子の父親は俊藤浩滋
出典:twitter.com
富司純子さんの父親は映画プロデューサーの俊藤浩滋さんです。
もともとはアウトローな世界の人物でした。山口組最高幹部の菅谷政雄とは幼馴染の親友でしたし、五島組の興行を手伝っていました。
しっかり盃を交わしたわけではないので、完全なヤクザというわけではありませんが、準構成員のような立ち位置だったのかもしれません。
戦時中、神戸の五島組の賭場に入り浸っていたのは事実でも、当時の俊藤は会社員で、あくまで素人の客という立場だった。酒も薬もやらず、経理に明るかった俊藤は、やがて五島組の親分・大野福次郎の信頼をえて、五島組関係の興行を手伝うようになる。
引用:菅原文太を東映看板スターにした二人 ヤクザのようなプロデューサーと「おやっさん」と呼んだ先輩俳優 | デイリー新潮
そんな中、俊藤浩滋さんは京都である女性と出会います。それが後妻となる上羽秀さんです。
この上羽秀さんは「おそめ」というバーを出すのですが、大佛次郎・川端康成・小津安二郎・白洲次郎・川口松太郎など名だたる名士が贔屓にした店でした。
この店を通じて、俊藤浩滋さんはマキノ雅弘さんや岡田茂さんなどの映画関係者と知り合います。
そして、岡田茂さんに頼み込んで1960年頃から映画プロデューサーの見習いをするようになり、その岡田茂さんに頼まれ、任侠映画をプロデュースするようになります。
《その思いの底には、私が若い時分から本物のやくざに接してきたということがある。で、これがやくざなんだ、という映画を自分なりに撮りたいなあと強烈に思った》(俊藤浩滋・山根貞男『任侠映画伝』講談社)
引用:菅原文太を東映看板スターにした二人 ヤクザのようなプロデューサーと「おやっさん」と呼んだ先輩俳優 | デイリー新潮
その後、任侠映画ブームが到来し、高倉健さんなどがスターダムにのし上がったことで、俊藤浩滋さんも、東映の人気プロデューサーとしての地位を確立しています。
富司純子さんの代表作である「緋牡丹博徒シリーズ」は、俊藤浩滋さんのプロデュース作品です。「仁義なき戦い」の映画プロデューサーも俊藤浩滋さんですね。
しかし、その後は岡田茂さんと確執が起こり、東映に居づらくなって、東映の外で仕事をするようになりました。
父親が元ヤクザ界隈の人物で、幼児だった自分を放っておいて女性と同棲し、映画プロデューサーになって一緒に仕事をするって、なんだかとても複雑な関係ですよね。
富司純子が結婚した旦那は七代目尾上菊五郎
富司純子さんは1972年に、七代目 尾上菊五郎(当時は四代目尾上菊之助)と結婚しています。
七代目尾上菊五郎は人間国宝
七代目 尾上菊五郎
生年月日:1942年10月2日
出身:東京都
身長:167cm
屋号:音羽屋
活動:歌舞伎役者
富司純子さんが結婚したのは七代目尾上菊五郎さんです。結婚した当時は「四代目尾上菊之助」です。
七代目尾上菊五郎さんは端正な顔立ちの歌舞伎役者として人気で、若い頃は女形中心でしたが、年齢を重ねることで立役が増えていきました。
七代目尾上菊五郎さんは次のような賞を受賞しています。
・1987年:日本芸術院賞
・1990年:第11回松尾芸能賞大賞
・2001年:第9回読売演劇大賞優秀男優賞
・2009年:毎日芸術賞受賞
・2015年:文化功労者
・2016年:第67回NHK放送文化賞
・2021年:文化勲章
また、2000年には日本芸術院会員になり、2003年には人間国宝(重要無形文化財保持者に各個認定)になりました。
七代目尾上菊五郎さんが人間国宝になったことで、祖父・父と3代続いての人間国宝となっています。
2人の馴れ初めは源義経
富司純子さんと七代目尾上菊五郎さんの馴れ初めは、1966年に放送されたNHKの大河ドラマ「源義経」での共演です。七代目尾上菊五郎さんが義経役、富司純子さんが静御前でした。
2人とも本当に美しく、美男美女の義経・静御前と話題になりました。
颯爽とした江戸前の芸風と美しい容姿の歌舞伎界のプリンス菊之助と映画界きっての美人女優藤純子。ふたりの共演は、天下随一の美男美女カップルともてはやされた。
引用:波乃久里子さんが語る「源義経」尾上菊五郎、富司純子夫妻との縁(2/2)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット)
「源義経」での共演をきっかけに1972年に2人は結婚しますが、富司純子さんは旦那の浮気に相当悩まされたようです。
この旦那の浮気については、娘の寺島しのぶさんが暴露していました。
父の菊五郎について「絶対(愛人が)いたと思いますもん」と発言。「歌舞伎の役者さんは、昔は(不倫は)芸の肥やしと言われていた」と話し、歌舞伎の人間国宝ともなると愛人がいても騒ぎにならない点を指摘した。
司会の東野幸治から「お母さん(女優の富司純子)が悲しんだり悩んだりするを見たことは?」と聞かれると、「けっこう何回か見たことがある」と答えた。
富司純子さんほどの美人な奥さんがいても、浮気してしまうんですね。
富司純子さんは何度も離婚を考えましたが、息子の五代目 尾上菊之助さんに説得されて思いとどまっていたとのことです。
富司純子の子供:息子は五代目尾上菊之助
富司純子さんの息子は、五代目尾上菊之助さんです。
五代目尾上菊之助
出典:tjapan.jp
五代目尾上菊之助
生年月日:1977年8月1日
出身:東京都
身長:173cm
血液型:B型
活動:歌舞伎役者、俳優
富司純子さんの子供は五代目 尾上菊之助さんです。
尾上菊之助さんは女形も二枚目も演じる現代の歌舞伎若手スターの1人で、歌舞伎以外の舞台やドラマ・映画にも積極的に出演しています。
2006年の映画「犬神家の一族」では、犬神松子役を富司純子さんが演じ、犬神松子の長男・犬神佐清役を尾上菊之助さんが演じて、親子共演が話題となりました。
親子の確執も伝えられている
富司純子さんと尾上菊之助さんは、実は親子の確執が噂されています。
尾上菊之助さんは結婚後、富司純子さんや尾上菊五郎さんと同居していましたが、第二子が生まれた後にマンションを購入して、実家を出てしまったようです。
それを富司純子さんは面白く思っていないと報じられています。
「母・富司と“暗闘”が続いている。息子が嫁と一緒に家を出て行ったことが不満だったとされます」(前出・音羽屋関係者)
音羽屋を支える富司純子さんとしては、息子夫婦の振る舞いに不満を抱くのは理解できます。
富司さんは長男が家を守ってくれるように二世帯住宅を建てたわけですから、これは大誤算です。実家を出ていっただけでもショックなのに、しばらくして夫婦共同名義で4億円もローンを組んだことを聞き、音羽屋として面子が立たないと感じたようなんです。
ただ、七代目尾上菊五郎さんと息子の五代目尾上菊之助さんは良好な関係を築いているようですから、確執があったとしても、そこまで深刻なものではないと思われます。
富司純子の子供:娘は寺島しのぶ
富司純子さんにはもう1人子供がいます。娘の寺島しのぶさんです。
寺島しのぶは大女優
出典:bunshun.jp
寺島しのぶ
生年月日:1972年12月28日
出身:東京都
身長:163cm
所属:アプティパ
血液型:B型
活動:女優
寺島しのぶさんは日本を代表する大女優です。青山学院大学在学中から女優活動を始め、次のような代表作を持っています。
<テレビドラマ>
・「純情きらり」
・「龍馬伝」
・「あさが来た」
・「いだてん〜東京オリムピック噺〜」
<映画>
・「シベリア超特急2」
・「ゲロッパ!」
・「赤目四十八瀧心中未遂」
・「ヴァイブレータ」
・「東京タワー」
・「愛の流刑地」
・「ハッピーフライト」
・「キャタピラー」
・「ヘルタースケルター」
2004年「赤目四十八瀧心中未遂」で第27回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞を受賞、2010年「キャタピラー」で第60回ベルリン国際映画祭 銀熊賞(女優賞)受賞の実力派女優です。
しかし、歌舞伎の家に生まれたのに、女性であるがゆえに歌舞伎役者になれないことにコンプレックスを持っていて、「男に生まれたら歌舞伎役者になりたかった」と語っています。
プライベートでは、2007年にフランス人のアートディレクターであるローラン・グナシアさんと結婚して、2012年に男の子を出産しています。
ヌードを巡って大バトル
出典:thetv.jp
富司純子さんと寺島しのぶさんは、仲良し親子として知られていて、共演もしています。ただ、1度だけ寺島しのぶさんのヌードを巡って大げんかになったことがあります。
寺島しのぶさんは「赤目四十八瀧心中未遂」でヌードや濡れ場シーンを演じていますが、母親の富司純子さんはこの映画に出ることを猛反対したそうです。
「あなたがこの映画に出るのなら私は自殺する」と言われ、負けじとしのぶも「私がこの映画に出られないのなら自殺する」と言い、激しい口論になったそうだ。
引用:【エンタがビタミン♪】「アノ映画に出るなら自殺する」母・富司純子を泣かせた、寺島しのぶの凄まじい女優魂。 – ライブドアニュース
「この映画に出るなら自殺する」、「この映画に出られないなら自殺する」というケンカなんて、すごいバトルですよね。
最終的には寺島しのぶさんはこの映画に出演し、しかも日本アカデミー賞最優秀女優賞を獲得しました。
それを見た富司純子さんは「恐れ入りましたとか言いようがない」と言っていたそうです。
富司純子の現在
出典:halmek.co.jp
富司純子さんは現在も女優活動を続けています。2007年には紫綬褒章を受章、2016年には旭日小綬章を受章しました。
2021年にはシム・ウンギョンさんとのW主演の「椿の庭」が公開されていますし、「DIVOC-12」にも出演しています。
2022年で77歳になりますが、今後ますますの活躍が期待されています。
富司純子のまとめ
富司純子さんのプロフィールや身長、若い頃のかわいい画像や家族(父親・旦那・息子・娘)や現在をまとめました。
年齢を重ねても美しい富司純子さん。今後の活躍にも期待したいです。