2代目バチェラーとして知られる小柳津林太郎さんですが、倉田茉美さんとのその後も話題です。
今回は小柳津林太郎さんの身長・体重や家族(父親)、経歴や学歴、倉田茉美さんとの結婚の有無、立ち上げた会社や年収など現在を紹介します。
この記事の目次
小柳津林太郎は2代目バチェラー
小柳津林太郎のプロフィール
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小柳津 林太郎(おやいづ りんたろう)
生年月日: 1981年10月2日
出身地: 京都府
血液型: B型
趣味: バスケットボール、フットサル
小柳津林太郎さんは、サラリーマンをしながら2018年にAmazonプライム・ビデオ「バチェラー・ジャパン」の2代目のバチェラーとして出演し、大きな注目を集めました。
バチェラー・ジャパンに出演後はメディアへの出演が増えていて、自身でアナウンサー活動をしていたわけではありませんが、AbemaTVのアナウンス室部長も兼任した経歴も持っています。
また、一般人ながら、小柳津林太郎さんのwikipediaのページも存在しています。
ところでバチェラーって?
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バチェラーとは、Amazonプライム・ビデオの人気婚活リアリティ番組です。
成功を収めた若きイケメン男性を巡り20人の女性が競い合うという内容で、アメリカ本国の「The Bachelor」ではシーズン20まで制作されるなど人気番組です。
その日本版「バチェラー・ジャパン」では、2017年2月からシーズン1が放送開始、シーズン2が2018年5月から、2019年9月よりシーズン3というようにシリーズ化されています。
小柳津林太郎の身長と体重
小柳津林太郎の体重は?
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小柳津林太郎さんの身長と体重を調査したのですが、公開されていませんでした。
ネットでは180cm前半ではないかという意見が多数出ています。
インスタで見る限り、かなりスタイルが良さそうに見えるという理由もありますが、それ以外にも根拠があるようです。
バチェラー・ジャパンに出演していた時に、共演者の今田耕司さん(身長174cm)と一緒に立っている写真がネットにアップされていて、小柳津林太郎さんの方が5cm以上高く見えます。
このことから、小柳津林太郎さんの身長は180cm前半だと言われています。
小柳津林太郎の体重は?
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現時点の小柳津林太郎さんの体重は非公開ですが、以前にインタビューを受けた際に「社会人になるまでは体重が65kgだったのに、75kgまで太ったことがある」と明かしています。
体重が増加した理由としては、仕事での付き合いで行われる会食が多かったのだとか。
その後、バチェラーに出演することが決まり、何とかして体重を落とさねばと考えた小柳津林太郎さん。ダイエットに励んで63kgまで落としたそうです。
今の様子を見る限り、バチェラーに出演していた頃と体形は大きく変わっている様子はありませんので、少なくとも75kgよりは少ないのではないでしょうか。
太りやすい体質という理由で週に3回くらいはジムに通い、1日に水を2リットル飲み、フットサルも行っているようです。
日頃から体重に気を使っていることがうかがえますね。
小柳津林太郎の実家と家族(父親や兄弟)
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小柳津林太郎さんの家族はすごいという噂があります。
一体どんな家族なのでしょうか。実家とその家族について調査しました。
実家は京都といわれている
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小柳津林太郎さんは京都で生まれ、6歳まで大阪で暮らし、その後は14歳までニューヨークで過ごしました。
家族に関しては、祖父の代から医者で、父親も医者で研究者だとインタビューで明かしています。
実際にネットで「京都 小柳津 病院」というキーワードで検索すると、京都府宇治市にある「おやいづ医院」という病院がヒットします。
この「おやいづ医院」は父親、叔父など親族が経営している可能性もあり、小柳津林太郎さんの実家の場所は京都とする意見が多いようです。
兄弟はいるの?
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小柳津林太郎さんの兄弟について調査したところ、2歳年下の弟が1人いるようです。
残念ながら、弟の顔写真の画像や名前、職業、現在住んでいる場所などは非公開ですが、既に結婚していて、子供も誕生していることが明かされています。
小柳津林太郎さんは叔父さんになっているということですね。
小柳津林太郎の学歴と経歴① 学生時代のエピソード
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小柳津林太郎さんは子供の頃から引越しが多く、帰国子女という経歴の持ち主です。
高校はPL学園
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京都で生まれた後に大阪に引っ越し、父親が治療薬の開発をするために家族で渡米、14歳まではニューヨークで暮らしました。
最初は英語を話すことができず、日本に帰りたいと泣いてばかりの日々だったそうですが、次第に英語で自由に会話できるようになり、むしろアメリカが楽しいと思うようになったのだとか。
14歳で再び帰国し、大阪で暮らし始めた小柳津林太郎さん。
出身中学校は不明ですが、高校時代はPL学園高等学校で寮生活を送りました。
小柳津林太郎さんによると、寮のルールはかなり厳しいもので、服装はジーンズはNG、Tシャツも白か黒しかダメという制約があったそう。
自由な雰囲気のアメリカで暮らしてきた小柳津林太郎さんにとって、カルチャーショックだったといいます。
大学は慶応義塾大学
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高校を卒業後は、1浪して慶応義塾大学に進学し、ESS(英語サークル)で、日々英語での演技に打ち込みました。
演劇サークルはメンバーが150人の大所帯だったそうで、全員で4ヶ月かけて1つの舞台を作りあげます。
大道具50人、小道具30人で、役者はだいだい8人ぐらいという内訳で、小柳津林太郎さんは常にメインキャストを務め、プレッシャーもかなりあったといいます。
やがて就職活動が始まると、社会人になるのかプロの俳優になるのかという分岐点に立たされました。
本当はプロの俳優になりたかったのですが、浪人していたこともあり、「俳優は後でやるとして、1度は社会人を目指してみるか」と軽い気持ちで就職活動を始めたのだとか。
最初は、演技力や英語を活かせたらと考えてテレビ局のアナウンス部門や総合商社を受けていた小柳津林太郎さん。
演劇仲間から「面白い会社がセミナーやるみたい」と誘われて受けたのが、サイバーエージェントだったのです。
藤田社長の言葉にしびれた
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実は、何をしている会社なのかすら知らないまま、サイバーエージェントの試験を受けた小柳津林太郎さんでしたが、選考が進むうちに「この会社とは相性が良そう」と感じたそう。
最終面接で藤田社長と向き合った際には、「表現者として大成したい。死ぬまで表現技法と哲学をさまざまな形で追求したい」と伝えました。
すると藤田社長は「じゃあ経営者になればいい。私は会社を通して社会に対して表現している」と返してきたんです。
この言葉にすっかりしびれた小柳津林太郎さんは、この会社に入ろうと決意を固めたといいます。
小柳津林太郎の学歴と経歴② サイバーエージェントに入社・子会社の社長に
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サイバーエージェントに入社した小柳津林太郎さんですが、なんと2年目で負けなしのトップマーケッターに成長しています。
広告部門でマーケティングを学ぶ
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サイバーエージェントに入社後に配属された部署は広告部門のマーケティングで、マーケティングプランナーとしてクライアントに合ったプロモーションを検討し提案するという業務。
新卒入社の同期は沢山いたのですが、マーケティング部門に配属されたのは小柳津林太郎さんのみ。他は皆営業部に配属されたそうです。
後に判明したところによると、藤田社長から「イキの良いやつがいるから目立つところに入れてやって」という特別人事が発動していたといいます。
最初のうちは、右も左もわからなかったものの、2年目にはコンペで負け知らずのエースになっていました。
1年目から2年目の時に心がけたのは、できる先輩のやり方を徹底的に分析。そして、他社が思いつかないような案を必ず入れるようにしたところ、負け知らずになったのだといいます。
上司に説得されて就任を決意
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サイバーエージェントに入社して3年目、小柳津林太郎さんは社長に呼び出されて「携帯サイトの制作会社を作るから社長をやらないか」と、子会社の社長になることを打診されました。
若手としては異例の人事であり、マーケティングの仕事にやりがいを感じていたのと同時に、丁度マネージャーに昇進したばかりだったため、かなり葛藤したといいます。
上司には「取締役ではなく代表取締に就けるならやった方がいい。代表は見える景色が違う」と説得されて、3時間後に「やります」と社長に返事をしたことで社長就任が決まりました。
32歳の時に子会社を畳む
メンバーが楽しく、やりがいを持って仕事ができる環境を整えることを意識して働いてきた小柳津林太郎さんは、29歳の時にはニューヨークで新たな仕事を任されて奔走したことも。
そして32歳の時、入社3年目で任されていた子会社を畳む決断をしました。
まだ決断した時点では黒字でしたが、ウェブブラウザからアプリへの乗り換えの波に遅れてしまったこと、採用していた多くの優秀なエンジニアの未来を考えてのことでした。
その後はサイバーエージェントに戻り、ゲーム事業部部門で統括として再スタートを切っています。
小柳津林太郎さんはこれまでのサイバーエージェントでの社歴を振り返り、経営側が自分に合っていて充実していたとインタビューで明かしています。
小柳津林太郎の学歴と経歴③ バチェラー出演
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会社を畳んでサイバーエージェントに戻った後、小柳津林太郎さんは「バチェラー・ジャパン」へ出演します。
「バチェラー・ジャパン」は、長い期間撮影が続くため、3ヶ月は仕事ができません。
ゲーム部門の統括という立場にいた小柳津林太郎さんは、どのような経緯や思いで番組に出演したのでしょうか。
トントン拍子で決まった
友人の1人が「バチェラー・ジャパン」のキャスティングの手伝いをしていた関係で、以前から出演して欲しいと依頼されていたといいます。
何度も断っていたのですが、「一度だけ話を聞きにきて」と友人からせがまれ、無下にするのも悪いと思い、話を聞きに出向いた場はオーディションだったのです。
聞かれるままに年収やら、恋愛遍歴やらを包み隠さず話したところ、トントン拍子で出演が決定。
撮影期間である3ヶ月間も会社を休むのは立場的には難しいと思いながらも、以前は役者志望だったこともあって、出演したいという気持ちが湧いてきたそう。
サイバーエージェントの藤田社長に相談すると、「ホントに出るつもり?呆れるわ」と言われてしまったものの、最後は応援してくれたそうです。
小柳津林太郎は倉田茉美と結婚した?
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カップルになった小柳津林太郎と倉田茉美
2代目バチェラーとして3ヶ月に渡る撮影を終えた小柳津林太郎さんは、倉田茉美さんとカップルになって番組を終えました。
カップルになるまでの経緯を毎週見守ってきた視聴者からは、倉田茉美さんとのその後や結婚についても気になるという声が続出しています。
既に破局している
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小柳津林太郎さんは自身のブログを更新し、倉田茉美さんと1年に渡って交際していたものの、別れてしまったということを報告していました。
破局の理由については「時が経ち、気が付けば、兄弟と言いますか、心友のような関係に変わっていきました」と綴っています。
この報告を受けた2人のファンは「なんで!」、「結婚すると思ったのに」、「早すぎよな」など破局を惜しむ声が多数寄せられました。
小柳津林太郎のその後はAbemaTVを経て退職
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3ヶ月の撮影を終えた小柳津林太郎さんは、その後サイバーエージェントに復帰。
人気番組で注目を集めたこともあり、雑誌のインタビューやテレビに呼ばれることが多くなりました。
その後、AbemaTVへ転属することになり、アナウンス室と次世代プロデュース室長を兼任します。
当時はAbemaTVは立ち上がったばかりで、日々これで良いのかと迷う日々だったそうです。
次第に「自分自身のふんどしでチャレンジするタイミングかもしれない」と思うようになり、長年勤めたサイバーエージェントグループからの卒業を決意し、2019年10月に退職しました。
小柳津林太郎の現在① 会社を起業
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2022年6月時点で40歳になり、新たなビジネスのステージに立っているようです。
小柳津林太郎さんの現在について紹介します。
福岡でGHOSTを立ち上げ
サイバーエージェントを退職後、飲食店やサプリメント事業を手がける会社「GHOST(ゴースト)」を福岡で立ち上げました。
東京から福岡に移住するにあたり、断捨離を実施。家電や家具は仲間に譲り、引越しの段ボールは10箱で済んだのだとか。
しかし、会社を起業してすぐにコロナウイルス禍に日本は突入。飲食系の会社は軒並み大きなダメージを負いました。
そんな中、小柳津林太郎さんの会社は大手酒造メーカーや大学と提携し、お酒を「人と人を繋ぎ、人生を豊かにするアイテム」として捉えて、酒ブランドを世界展開することに挑戦。
社長として、新たな働き方のロールモデルとなるような企業を目指しているといいます。
これまで培った高いマーケティング力がある小柳津林太郎さんですから、福岡発の新たな成功ビジネスとして、GHOSTが多くの媒体で取り上げられる日はそう遠くはないかもしれませんね。
小柳津林太郎の現在② 年収は?
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社会的な成功者として知られる小柳津林太郎さんの年収について調査したのですが、オフィシャルに年収を公開していませんでした。
サイバーエージェント時代は、同社の役員は年収が2000万円とのことなので、恐らく2000万円クラスだったのではないかと言われています。
ただ、現在は自身で起業したばかりで、今の会社での年収については完全に情報がない状態です。
いつか小柳津林太郎さんが、新しい会社での年収をメディアで明かしてくれる日が来ることに期待しましょう。
まとめ
出典:https://workation-fukuoka.jp/
小柳津林太郎さんは2代目バチェラーとして知られる男性です。
京都で生まれ、実家では祖父と父親が2代に渡り医者を務めてきました。
父親は研修者も兼務していたこともあり、14歳までニューヨークで暮らした経歴を持っています。
日本に帰国後、慶応義塾大学に進学し演劇に没頭する生活を送り、その後の就活では、サイバーエージェント社長の言葉に感銘を受けて入社を決めました。
入社して3年目で子会社の社長に抜擢、親会社に戻った後で「バチェラー・ジャパン」に出演します。
番組で結ばれた倉田茉美さんとは、結婚が期待されましたが、残念ながら破局してしまったようです。
現在は、福岡で自身の会社を立ち上げて住居も福岡に移しています。人と人を繋ぎたいという思いを込めて会社を育てているようです。
止まることなく成長を続ける小柳津林太郎さんをこれからも応援していきましょう。