通販番組と言えば、高田明社長がハイテンションで商品を紹介する「ジャパネットたかた」を思い浮かべる人が多いと思いますが、ジャパネットたかたは現在、2代目社長が辣腕をふるっています。
ジャパネットたかたの2代目社長の高田旭人氏のプロフィールや家族(父親・母親・兄弟)、学歴(小学校・中学・高校・大学)や経歴、結婚や嫁・子供について、年収や評判と現在をまとめました。
この記事の目次
高田旭人はジャパネットたかたの2代目社長
出典:bci.co.jp
高田旭人(たかた あきと)
生年月日:1979年3月3日
出身:長崎県佐世保市
身長:183cm
所属:ジャパネットたかた
活動:実業家
高田旭人氏は、ジャパネットたかたの2代目社長です。
高田旭人氏はジャパネットたかたの創業者であり、名物社長の高田明氏の長男に当たります。
2004年にジャパネットたかたに入社後、様々な役職を歴任し、2015年には社長に就任しました。
父親の高田明氏とは異なり、2代目社長の高田旭人氏はジャパネットの通販番組には出演していません。
高田旭人の家族:父親・母親・兄弟
ジャパネットたかたの2代目社長である高田旭人氏の家族構成はこちらです。
・母親:高田恵子
・姉:高田春奈
・高田旭人
・妹:高田麻衣
家族について、もう少し詳しく見ていきましょう。
父親はジャパネットたかたの高田明
出典:oricon.co.jp
高田明
生年月日:1948年11月3日
出身:長崎県平戸市
身長:178cm
所属:元ジャパネットたかた、A and Live
活動:実業家
高田旭人氏の父親は高田明氏です。
高田明氏は長崎県平戸市でカメラ店の次男として生まれました。父親のカメラ店を手伝った後、1986年に独立し、「株式会社たかた」を設立します。
カメラ販売やビデオカメラ、カラオケセットの販売などで業績を伸ばし、19990年にローカルラジオのラジオショッピング番組に出演することになりました。
これをきっかけに通信販売に進出し、1994年にはテレビショッピングに進出、1999年には会社名を「ジャパネットたかた」にして、2001年からは長崎放送で生放送でのテレビショッピングをスタートしました。
高田明氏は、ジャパネットたかたの通販番組に積極的に出演し、自ら商品を売り込むことが特徴です。甲高い声と訛りがある特徴的な語り口で人気になり、業績は右肩上がりに伸びていきました。
テレビの売り上げが落ち込んだことで、2011年度からは2年連続売り上げが減少したものの、そこから盛り返し、2015年に長男の高田旭人氏に社長を譲りました。
ジャパネットたかたには籍を残さず、個人事務所を設立して、ジャパネットたかたのショッピング番組に出演したり、他のバラエティ番組に出演しているほか、JリーグのV・ファーレン長崎の運営会社の社長に就任するなど長崎の地域振興にも注力しました。
母親はジャパネットたかたの元副社長
出典:nikkei.com
高田旭人氏の母親は高田恵子さんです。
高田恵子さんは高田明氏と結婚後、ジャパネットたかたのビジネスを支えた女性です。
子育てをしながら、自宅で注文の電話を取っていたこともありましたし、ジャパネットたかたの副社長として社長であり夫の高田明氏をサポートしてきました。
兄弟は姉と妹が1人ずつ
高田旭人氏には姉と妹がそれぞれ1人ずついます。
姉の高田春奈さんはソニーで働いた後、2005年にジャパネットたかたの系列会社に入社します。その後、広告代理店や人事コンサルティング会社を設立して、通販事業とは違う側面でジャパネットたかたを支えました。
2018年からは父親の高田明氏が社長を務めるV・ファーレン長崎の上席執行役員に就任し、2020年には父親に代わって代表取締役社長に就任しました。
その後、サッカー界の発展に尽力し、Jリーグの業務執行理事や日本サッカー協会の理事、なでしこリーグの理事長などの役職に就いています。
また、高田春奈さんはICU大学卒業ですが、社長業をしながら学士入学で東京大学経済学部に編入し、卒業後は東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了、さらに博士課程で研究を続けているバイタリティ溢れる女性です。
妹の高田麻衣子さんは、姉の高田春奈さんや高田旭人氏のように表舞台にはあまり出てきていませんが、おそらく現在は結婚して「土方麻衣子」という名前になっているようです。
この土方麻衣子さんは、高田春奈さんが代表取締役を務める会社「株式会社エスプリングホールディングス」の代表取締役を務めていて、麻布十番にある長崎をコンセプトにしたカフェ「HARMONIA」の店舗責任者にもなっています。
高田旭人の学歴:小学校・中学・高校・大学
小学校は地元
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高田旭人氏は長崎県佐世保市にある公立の三川内小学校と黒髪小学校に通っていました。
私は1979年に生まれ、小学校は佐世保市の三川内小学校と黒髪小学校で過ごしました。
このほかに、兵庫県西宮市の小学校にも通っていたことがあったようです。
下の2人の子供も一緒に西宮の小学校に転校しました。僕一人が「逆単身赴任」で佐世保に残ったのです。
ということは、高田旭人氏は少なくとも3つの小学校に通っていたようです。
中学・高校は久留米大学附設中学校・高等学校
母親が「子供は早く独立させたほうがいい」という意向もあり、高田旭人氏は小学校4年生の時から塾に通い、中学受験をしました。長崎県と佐賀県の進学校と久留米市の中高一貫校・久留米大学附設中学校・高等学校に進学しました。
実家がある佐世保市から学校がある久留米市までは片道2時間かかるため、中学生の頃から寮に入り、親元を離れて生活していました。
大学は東京大学
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高校卒業後は一浪して、東京大学理科二類に進学し、教養学部を卒業しました。東大卒業なんて凄すぎます!
東大に進学した理由は、父親の跡を継いだ後は社員がついてくる社長になりたいという思いがあったためです。ただ、東大ではあまり勉強しなかったとのことです。
高田:大学は、教養学部基礎科学科の数理科学コースでしたが、正直、大学時代はほとんど勉強していません(笑い)。テニスに野球、飲み会など大学4年間で大半の遊びはこなしました。
ただ、大学時代にしっかり遊んだため、社会人になってからはしっかり仕事をしているとのことです。
高田旭人の経歴
大学卒業後は野村證券
高田旭人氏は、東京大学卒業後に野村証券に入社しました。
ジャパネットたかたを継ぐためには「金融を勉強しておきたい」と思い、さらに金融系の企業の中で特に仕事面で鍛えられると言われている野村証券を選んだとのこと。
野村証券に2002年に入社した高田旭人氏は、営業に配属になり、「飛び込み営業で名刺を100枚集めなさい」という課題を与えられるなど、徹底した成果主義で鍛えられました。
その後、アメリカ留学を経て、2004年にジャパネットたかたに入社します。
顧客情報漏えい事件をきっかけにジャパネットたかたに入社
高田旭人氏がジャパネットたかたに入社したきっかけは、2004年に起こったジャパネットたかたの顧客情報漏えい事件です。51万人分の顧客情報が流出する不祥事があり、母親から高田旭人氏に「ジャパネットが終わってしまうかもしれない」とSOSの電話がありました。
それをきっかけにジャパネットたかたに入社し、大学では数学専攻だった経歴を生かして事件調査委員会のメンバーとして分析作業に奔走しました。
後継者として要職を歴任
出典:nikkei.com
高田旭人氏は、ジャパネットたかたに入社した時には社長室に配属になりました。その後は、ジャパネットたかたのいろいろな部署・役職を経験します。
・2005年:商品開発推進本部本部長
・2006年:総合顧客コンタクト本部本部長
・2010年:総合顧客コンタクト本部本部長・商品管理部部長
・2010年9月:ジャパネットコミュニケーションズ代表取締役就任
・2011年:㈱ジャパネットたかた専務取締役
㈱ジャパネットコミュニケーションズ代表取締役
・2012年:㈱ジャパネットたかた取締役副社長
㈱ジャパネットコミュニケーションズ取締役
・2014年:㈱ジャパネットたかた取締役副社長
㈱ジャパネットロジスティクス代表取締役社長
㈱ジャパネットサービスパートナーズ代表取締役社長
㈱ジャパネットコミュニケーションズ取締役
高田旭人氏は父親の明氏のカリスマ経営者の実力に圧倒されつつ、「カリスマ経営からの脱却」を頭に考えつつ、社内の改革を進めていきました。
父親とも対立
2011年には主力のテレビ販売の業績が落ち込み、ジャパネットたかたの売上高が減少します。このタイミングで、高田旭人氏は販売担当に着任し、父親と会社の方針を巡って対立するようになりました。
旭人氏が社長を継ぐ直前の数年間、明氏とは常に「バチバチだった」という。会社のために意見を言う旭人氏に「そんなに言うならおまえが社長をやればいいだろう」と何度も言われた。
引用:カリスマ社長の父とは常に「バチバチの関係」だった/「ジャパネットたかた」の2代目息子、過去最高売上をたぐり寄せた38対2の多数決【後編】 | 事業承継総合メディア-賢者の選択サクセッション
特に、大きな対立となったのは24時間限定で特定の商品を安価で販売する「チャレンジデー」です。旭人氏はチャレンジデーを企画しましたが、明氏は大反対。
社員の多数決により、チャレンジデーをやることになりましたが、結果としてこの企画は大成功に終わり、ジャパネットたかたの業績にも大きな影響を与えました。
社長に就任し過去最高の業績を達成
2015年に満を持して高田旭人氏は、父親の明氏の跡を継ぐ形でジャパネットたかたの社長に就任しました。その後、クルーズ船事業などの新規事業を展開して、2021年には過去最高の売上高を記録し、2023年にはさらに売上高を伸ばしています。
高田旭人氏がジャパネットたかたの社長に就任してから、売上高を約1.7倍まで成長させています。
高田旭人は結婚している!嫁や子供とは
高田旭人氏は1979年3月生まれですので、2025年で46歳になります。
結婚しているかどうか、嫁や子供はいるのかどうかなどの報道はほぼありませんが、結婚していることは間違いありません。嫁は沖縄出身のようです。
ジャパネットたかたが長崎市で進めるスタジアムシティの建設事業や、長男で現社長の高田旭人氏の妻が沖縄出身である縁も紹介。
引用:「今この瞬間を大事に」 ジャパネットたかた創業者の高田明氏が講演 息子はウチナームーク、沖縄との縁も紹介 おきぎんカトレアクラブ – 琉球新報デジタル
子供がいるかどうかは不明ですが、次の記事を読むと、高田旭人氏には子供がいる可能性が高いです。
僕の孫は全員、僕のことを「社長」と呼びますよ。(笑)
引用:髙田明・ジャパネットたかた創業者「息子に社長を譲って会長に就かなかった理由」【新春インタビュー#5前編】 – Governance Q|ガバナンスを考えるWEBマガジン – Page 2
高田明氏が「孫は全員」と語っていることから、孫は3人以上いると考えられます。姉の春奈さんはおそらく未婚、妹は結婚して子供がいると思います。
妹の麻衣子さんだけで、明氏が「全員」と呼ぶほどの子供の人数を産んでいるとは考えにくいので、高田旭人氏が結婚している以上、子供がいる可能性は高いと考えるのが自然です。
高田旭人の年収
高田旭人氏の年収は公開されていません。
ジャパネットたかたは非上場企業なので、役員報酬なども公開されていません。
しかし、ジャパネットたかたの連結売上高は2360億円程度、総資産は2017年時点で675億1,905万8,000円ですので、その社長である高田旭人氏の年収は庶民では想像できないほどの金額になっているはずです。
2024年にはジャパネットの社員の年収10%増を発表していますので、社長ももちろんそれなりの年収になるのでしょう。高田旭人氏の年収は10億円以上はあるのではないでしょうか。
高田旭人の評判
出典:nikkei.com
高田旭人氏の評判は上々です。2代目社長というと「バカ息子」というイメージを持つ人も多いですが、高田旭人氏はジャパネットたかたを引き継いだ後、父親の実績を守るだけではなく、会社をさらに発展させ、売上高を大幅に増やしました。
高田旭人氏が提案した「チャレンジデー」では、高田明氏と旭人氏が揉めましたが、社員40人で多数決を取ったところ、旭人氏側に付いた人は38人、明氏に付いた人は2人しかいませんでした。
創業者のカリスマ社長ではなく、新しい提案をした息子の旭人氏にほとんどの社員が味方したことになります。この時点で、旭人氏はジャパネットたかたの社員からの信頼を得ていたのでしょう。
社長に就任する前から社員たちの信頼を勝ち取り、社長になってからは売上を伸ばし、会社を発展させたため、評判は非常に良いようです。
高田旭人の現在
高田旭人氏は現在、スポーツ・地域創生事業に注力しています。ジャパネットたかたは通信販売が主力ですが、高田旭人氏が始めたクルーズ事業は売り上げで150億円を記録し、さらに2017年には「スポーツ・地域創生事業」を立ちあげました。
このスポーツ・地域創生事業では地域振興を行政ではなく民間企業であるジャパネットたかたが行おうとしているもので、約1000億円を投資して、長崎市に「長崎スタジアムシティ」をオープンさせました。
この「長崎スタジアムシティ」は長崎得駅近くにあり、プロバスケチームの「長崎ヴェルカ」のホームアリーナや「V・ファーレン長崎」のホームスタジアム、さらに商業棟やオフィス棟、ホテル棟などが立ち並んでいます。
この高田旭人氏による「長崎スタジアムシティ」が成功するかどうかが、今後の日本のスポーツ・地域創生事業の方向を決めるかもしれません。
高田旭人のまとめ
ジャパネットたかたの2代目社長の高田旭人氏のプロフィールや家族(父親・母親・兄弟)と学歴(小学校・中学・高校・大学)や経歴、結婚や嫁・子供について、年収や評判と現在をまとめました。
キレッキレの2代目社長である高田旭人氏が手掛ける「長崎スタジアムシティ」。今後の発展が楽しみです。