アメリカを中心に世界展開するレストランチェーン「BENIHANA」の創業者のロッキー青木さんが話題です。
ここではロッキー青木さんの経歴や、3度の結婚や嫁、息子の世界的DJ・スティーヴ・アオキさんや娘でスーパーモデルのデヴォン・アオキさん、逮捕や資産の相続問題、死因などについてまとめました。
この記事の目次
ロッキー青木のプロフィール
ロッキー青木のプロフィール
本名 :青木廣彰(あおきひろあき)
生年月日:1938年10月9日
没年月日:2008年7月10日
出身地 :東京都中野
ロッキー青木さんは、アメリカにチェーン展開する鉄板焼きレストラン「BENIHANA」の創業者です。若くしてアメリカに渡り、事業を成功させたロッキー青木さんは、アメリカンドリームを体現した男として伝説的に語られる存在です。
ロッキー青木の経歴
ロッキー青木さんは、俳優・タップダンサーとして郷宏之の芸名で活躍した青木湯之助と、その妻のかつの間に長男として1938年に誕生しました。
慶応義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部へと進学。大学在学中にレスリング部に所属し、日本選抜やローマオリンピックの日本代表補欠選手にも選ばれ、レスリング全米選手権では、1962年から64年まで3年連続優勝しています(フリースタイル、グレコローマンスタイル共に優勝)。
1959年にレスリング日本選抜選手としてアメリカ遠征したロッキー青木さんは、そのままアメリカに留まり、ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学してレストラン経営を学んでいます。
1962年、ロッキー青木さんはアメリカ・ニューヨーク市ハーレムで移動アイスクリーム屋をはじめて成功させ、1964年、当時すでに両親が日本で洋食屋「紅花」を複数店舗展開していた事もあり、両親兄弟を伴い渡米し、ニューヨークマンハッタンに「BENIHANA OF TOKYO」の1号店をオープンさせました。
「BENIHANA」は大成功を収め、米国内だけで80店舗、全世界で110店舗を展開する一大レストランチェーンへと成長し、ロッキー青木さんは実業家としての成功を掴みました。
ロッキー青木さんはその他にも様々な事に挑戦し、1975年にはバックギャモンの全米大会で優勝、1980年にはパワーボートの世界大会で2位になっています。1982年にも気球に乗って太平洋横断などを行い、人々の注目を集め続けました。
ロッキー青木は3度結婚している
ロッキー青木さんは生涯の間に3度の結婚をしています。
ロッキー青木さんの最初の嫁は1964年に結婚した小林ちづるという女性で3人の子供を儲けますがその後離婚しています。
ロッキー青木さんの2人目の嫁はドイツとイギリスのハーフで宝石デザイナーのパメラ・ヒルバーガーで、1981年に結婚し3人の子供を儲けています。
ロッキー青木さんの3人目の嫁は国際ビジネスコンサルタント企業を経営する日本人女性・青木恵子さん(旧姓小野)です。
ロッキー青木の最後の嫁・青木恵子は現ベニハナ・オブ・トウキョウCEO
青木恵子のプロフィール
生年 :1956年
出身地:東京都
ロッキー青木さんの最後の嫁となった青木恵子さんは、建設省の国家公務員の厳しい家庭で生まれ育ちました。
都立深川高校在学中にはバスケットボール部に所属し、進学した山脇学園短期大学時代にはミス東京にも選ばれています。短大を卒業後、青木恵子さんはアメリカサンフランシスコで2年暮らしたのち、ハワイ大学に3年間語学留学し、1988年からはニューヨークへと渡って、1989年に株式会社アルテッセ(Altesse Co., Ltd.)を設立しています。
この株式会社アルテッセは、アメリカをはじめとする海外での会社設立、や企業進出を専門に手がけるコンサルティング会社で、CEOを務める青木恵子さんはアメリカのビジネス界で最も広い人脈を持つ日本人の1人として、アメリカでの成功を目指す財界人の信頼を集める存在です。
青木恵子さんは日本の若い女性の間で爆発的ブームを呼んだワンダーブラブームを仕掛け人としても知られています。
ロッキー青木さんと青木恵子さんの出会いは、「BENIHANA」の海外進出にあたってコンサルティングを担当した事だったそうです。青木恵子さんは「BENIHANA」の中国進出をサポートされたそうです。
現在、青木恵子さんは「Benihana of Tokyo」のCEOを務めています。
ロッキー青木の息子① 世界的DJのスティーヴ・アオキ
スティーヴ・アオキのプロフィール
本名 :Steven Hiroyuki “Steve” Aoki
生年月日:1977年11月30日
出身地 :アメリカ・フロリダ州マイアミ
身長 :175cm
ロッキー青木さんの息子・スティーヴ・アオキさんは、世界的に高い評価を受けるDJ、音楽プロデューサーです。
「DJ MAG(イギリスの音楽雑誌)」が毎年発表する世界のDJランキングでは、2013年の初登場以来ほぼ毎年TOP10入りしています。このDJ MAGにアメリカ出身のミュージシャンがランキングされる事はかなりの異例で、アジア系としては世界ナンバー1の地位を確立しているDJです。
スティーヴ・アオキさんは、ロッキー青木さんと、その最初の嫁の小林ちづるさんとの間に1977年に次男としてアメリカ・フロリダ州で生まれましたが、両親が幼少期に離婚し、その後は母親のちづるさんに引き取られてアメリカ・カリフォルニアで育てられています。
スティーヴ・アオキさんはニューポートハーバー・ハイスクールを卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へと進学、その在学1年目だった19歳で自らの音楽レーベル「Dim Mak」を立ち上げ、その活動は次第に注目されるようになり、2010年代に入る頃には世界を代表するDJになっていました。
ロッキー青木さんは、スティーヴ・アオキさんに経済的支援は一切行いませんでしたが、これは息子に独立心を持たせたいという親心からだったようです。
のちにスティーヴ・アオキさんは「父親のおかげで、今の自分がある」と父・ロッキー青木さんへの感謝を述べ、「自分が成功したいと思い努力をしたのは、父親に自分で金を稼げるようになった事を見せたかったからだ」とも語っています。
ロッキー青木の息子② AOKIグループ代表・ケヴィン・アオキ
画像右側がケヴィンさん、隣はスティーヴさん
ロッキー青木の息子(長男)のケヴィン・アオキさんは、1968年に生まれました。母親は最初の嫁の小林ちづるさんで、スティーヴ・アオキさんにとっては実兄にあたります。
このケヴィン・アオキさんは芸能活動などはされていないため詳細なプロフィールは不明ですが、現在はAOKIグループの代表を務め、実業家として活動されています。
ケヴィン・アオキさんは、弟のスティーヴ・アオキさんと共に健康的なフードやドリンクをテーマにしたカフェ「BLUETREE」を経営しており、2017年には東京渋谷にも進出して話題になりました。
ロッキー青木の娘はモデル・女優のデヴォン・アオキ
出典:https://twitter.com/
デヴォン・アオキのプロフィール
本名 :Devon Edwenna Aoki
生年月日:1982年8月10日
出身地 :アメリカ・ニューヨーク
身長 :165cm
ロッキー青木さんの娘は、モデルや女優としてアメリカで活躍するデヴォン・アオキさんです。
母親は、ロッキー青木さんの2人目の嫁のパメラ・ヒルバーガーで、13歳でモデルデビューすると、すぐにイヴ・サンローラン、ラルフ・ローレン、シャネルなど、世界的ブランドのショーで起用され一躍スーパーモデルになりました。
1998年にはナオミ・キャンベルの後継としてヴェルサーチのモデルを務めています。
2003年には女優に転向し、「ワイルドスピードX2」のスーキー役、「シン・シティ」のミホ役、「ローグアサシン」のキラ役などを演じています。
日本でも活躍しており、清涼飲料水「桃の天然水」や資生堂「化粧惑星」のCMモデルに起用されています。
ちなみに、ロッキー青木さんの他の子供たちとも仲が良く交流があるようです。
ロッキー青木には他にも3人の息子と娘がいる
上で紹介した3人の子供の他に、ロッキー青木さんには3人の息子と娘がいます。
娘の1968年に生まれたグレース・カナ・アオキさん、息子の1976年に生まれたカイルさん、あと1人は生年は不明ながらエコーさんです。
この3人の子供たちの詳細は不明です。
ロッキー青木はインサイダー取引で逮捕されている
実業家としてアメリカで大成功を収めたロッキー青木さんですが、1999年にインサイダー取引(違法な証券取引)で不正な利益を得たとして逮捕されています。
逮捕後の裁判でロッキー青木さんは保護観察3年、罰金50万ドルの有罪判決を受け、これに伴って「BENIHANA」会長の座を退いています。
このロッキー青木さん逮捕の一件は、2013年に公開されたレオナルド・ディカプリオ主演のハリウッド映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」でもネタにされ話題になりました。
ロッキー青木の資産評価額は約50億円
アメリカンドリームの体現者であるロッキー青木さんの生前の総資産にも注目が集まります。
ロッキー青木さんの正確な資産額は不明ですが、1998年にロッキー青木さんが相続対策のために金融資産を移転した「Benihana Protective Trust」の現在の資産評価額は約4500万ドルで、日本円にして約50億円です。この他にも実物資産も相当額所有しているはずです。
ロッキー青木の遺産相続争いは現在も続いている
莫大な資産を遺したロッキー青木さんですが、その遺産相続争いが現在も続いているようです。
ロッキー青木さんは2002年に青木恵子さんと結婚したのち、遺言書を書き換えて「Benihana Protective Trust」の受託者を恵子さんとし、子供達への遺産の75パーセントの分配権を恵子さんに与えるとしました。
これに、デヴォン・アオキさんとスティーヴ・アオキさんを除く4人の子供達が猛反対します。これにロッキー青木さんは「子供たち4人が会社乗っ取りを企てている」と怒り、逆に子供たちを相手取り訴訟を起こします。
しかし、その裁判の最中の2008年にロッキー青木さんが亡くなってしまいます。
ところが、その前年の2007年に、デヴォン・アオキさんとスティーヴ・アオキさんの2人が父・ロッキー青木さんを説得して遺言書を、資産をデヴォンとスティーヴに半分ずつ相続させると言う内容に書き換えさせていたとして、2016年に入ってから青木恵子さん側を相手取って訴訟を起こしたのです。この裁判はデヴォン・アオキさんとスティーヴ・アオキさん側が勝訴しています。
そして2020年に入り、デヴォン・アオキさんとスティーヴ・アオキさんの2人が、「Benihana Protective Trust」の受託者から青木恵子さんを外す事を求める裁判を起こしています。
この泥沼のロッキー青木さんの遺産相続騒動は全米で注目を集めています。
ロッキー青木の死因は肝臓がんの合併症による肺炎
ロッキー青木さんは2008年7月10日に69歳で亡くなりました。
死因は肝臓がんの合併症による肺炎だとされています。
まとめ
今回は、アメリカでレストランチェーン「BENIHANA」を展開し大成功を収めた実業家・ロッキー青木さんについてまとめて見ました。
ロッキー青木さんは、レスリング選手として活躍したのち、1964年にアメリカ・マンハッタンに「BENIHANA OF TOKYO」をオープンさせ大成功させました。
その後、ロッキー青木さんは3度の結婚をし、6人の子供を儲けています。ロッキー青木さんの息子のスティーヴ・アオキさんは世界的DJとして人気を集め、娘のデヴォン・アオキさんはスーパーモデル・女優としてそれぞれ成功を収めています。
現在、ロッキーアオキさんの残した50億円以上とも言われる資産の相続をめぐり、子供たちと、3人目の嫁の青木恵子さとの間で泥沼の裁判が行われており、全米の注目を集めています。