角田信朗さんと言えば格闘家はもちろんタレントや俳優としても知られていましたが、松本人志さんとのある騒動以降、表舞台から姿を消しました。
今回は角田信朗さんの身長や経歴、炎上騒動、松本人志さんとの確執や性格、結婚した嫁や息子と娘、現在の活動や再婚についてもまとめました。
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角田信朗のプロフィール 【身長も紹介】
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角田 信朗(かくだ のぶあき)
生年月日: 1961年4月11日
出身地: 大阪府堺市
身長: 171cm
体重: 95kg
ガタイの良さと強面がトレードマークの角田信朗さん。その見た目からは想像もつかない少年時代を送ったことがきっかけで、格闘技を始めています。
公称身長は174cmとなっていましたが、実際の身長はそこまで高くなく171cmとのことです。
まずは、知られざる意外な過去を持つ角田信朗さんの過去を振り返ってみましょう。
角田信朗の経歴① 学生時代
いじめに立ち向かうために少林寺拳法を習い始める
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大坂で生まれ育った角田信朗さんは、幼い頃は体が病弱でいじめられっ子だったそう。いじめに立ち向かうために始めたのが、少林寺拳法だったのです。
素質があったのか、めきめきと頭角を現して2段を取得しました。さらに高校2年生の頃には、極真空手の芦原道場奈良支部に入門しています。
高校を卒業した角田信朗さんは、関西外語大学に進学。大学では空手を続け、空手同好会の主将に抜擢されました。
兄弟子にあたる石井和義さんの正道会館の独立を支える、裏方としての活動も行っています。
いじめの克服を目的として始めた少林寺拳法でしたが、大学進学後には本格的に空手を極めるに至るほど、武道に傾倒した学生生活だったようです。
大学時代に英語を身に付けた
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大学時代は空手同好会の主将として励んでいた角田信朗さんですが、学業も手を抜かず、英語学科の教員免許も取得。
実は、角田信朗さんは英語が特技なんです。
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後年、芸能界にデビューした後で出演した「めちゃ×2イケてるッ!スペシャル」で行われた学力テストでは、12人の出演者の中で群を抜いた成績で1位を取ったことがあります。
まさに文武両道を実践していた、真面目な学生だったということになりますね。
角田信朗の経歴② 空手家として活躍
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角田信朗さんは、かつて企業に入社しサラリーマン生活を送った過去を持っています。
大学を卒業後は、不動産会社やラーメン屋などで勤務しながら、空手を続けていました。
師範代に就任
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空手の流派である正道会館神戸支部の部長に任命された角田信朗さんでしたが、暫くすると後輩に部長職を譲り、空手道場の本部道場で師範代に就きました。
空手を引退してK-1へ
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角田信朗さんはその後、1991年12月の総合格闘技「リングス」で総合格闘デビューを飾っています。
初戦では、オランダの格闘家と闘い、引き分けに持ち込んでいます。
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その後も1993年7月まで「リングス」に参加していたのですが、「空手ワールドカップ」という大会において引退を賭けた試合を行うことになった角田信朗さん。
対戦相手は、イギリス出身の空手家「マイケルトンプソン」さん。回し蹴りを得意とし、かつてその蹴りで対戦相手のチャンプアゲッソンリットさんを小腸断裂で病院送りにしたことも。
いざ試合が始まると、あっさりマイケルトンプソンさんが放った後ろ回し蹴りが決まり、角田信朗さんは一本負けを喫したのです。
角田信朗さんは「約束通り引退する」と会場で宣言し、そのまま空手界から去りました。
角田信朗の経歴③ K-1選手として活躍・そして引退
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角田信朗さんは空手界から身を引きましたが、1995年7月にK-1選手として格闘の世界に復帰しています。
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2001年までは、好成績を残していた角田信朗さん。
しかし、2003年に開催された「K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS」で武蔵さんと対戦し、0-3の圧倒的な敗北を喫したことで、K-1からの引退を表明しました。
2005年に現役復帰を果たすも、シーズンは1勝4敗と振るいませんでした。2005年以降は、試合を行っていません。
明確な現役引退を発表していませんが、実質引退していると言っても良いでしょう。
角田信朗のレフェリー大炎上騒動とは
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K-1草創期から、レフェリーとして活躍している角田信朗さん。その試合の裁き方に対して、命を軽んじてるのでは?という批判を浴びて大炎上しました。
レフェリーストップを行わないケースが多い
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これまでに数多くの試合でレフェリーを務めてきた角田信朗さんですが、なかなかレフェリーストップを行わないことで知られていました。
例えば、1995年の「K-1 GRAND PRIX ’95 開幕戦」において、アンディフグさんとマイクベルナルドさんの戦いの判定も物議を醸しています。
猛攻撃を受けたアンディフグさんは、足元がおぼつかない様子でフラフラしているにも関わらず、角田信朗さんは試合を続行させています。
また、2002年に行われた「K-1 WORLD GP 2002決勝戦」では、腕に攻撃を受けたジェロムレバンナさんがダウンしました。
しかし、角田信朗さんはドクターチェックを受けさせることなく、そのまま試合を続行しています。
試合後、ジェロムレバンナさんの左腕は粉砕骨折していることが判明。テレビで解説をしていた石井和義さんは、会見で「即刻ストップすべきだった」と角田信朗さんを批判しています。
武田幸三の引退試合でも大批判
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角田信朗さんのレフェリー人生において最も炎上したのは、2009年に開催された武田幸三さんの引退試合です。
ちなみに、武田幸三さんはこの引退試合のために遺書を書き残してリングに上がった、という壮絶なエピソードが知られています。
対戦相手はオランダ出身のミドル級選手、アルバートクラウスさん。テレビでも試合は中継され、大きな注目を集めました。
第1ラウンド、重いローキックを受けた武田幸三さんはダウン。テレビ解説をしていた魔娑斗さんも「完全にダウンだ」とコメントしています。
しかし、角田信朗さんはこれをスリップと判断。
その後の第2ラウンドでは、パンチを食らった武田幸三さんがへたり込むようにダウン。立ち上がったものの、白目を剥いて足元をふらつかせました。
かろうじてファイティングポーズを取っている武田幸三さんでしたが、角田信朗さんはそのまま試合を続行させたのです。
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ラウンドの間に、対戦相手のアルバートクラウスさんは「これ以上殴ると武田が死んでしまう」と、セコンドに訴えていたことが判明。
さらに武田幸三さんが倒れても、立ち上がるように角田信朗さんが促すと、解説席からは「今すぐストップすべきだ」と厳しい声が挙がりました。
その後、ドクターチェックが入ってようやく試合終了となったのです。
角田信朗さん自身はこの試合でのレフェリーとしての振る舞いは間違っていないと主張しながらも、業務停止3ヶ月をK-1を運営するFEGに申し出ています。
武田幸三本人やセコンドからは感謝された
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危険な試合なのになぜストップをかけないのかと疑問に感じた視聴者が多かった武田幸三さんの試合。
ですが、それでも当事者である武田幸三さんやセコンドは、後日ブログで角田信朗さんに感謝の意を述べています。
武田幸三さんは、遺書をしたためて命懸けで挑んだこの戦いは、どんなことがあってもやり抜きたい気持ちがありました。
セコンドの深津さんはブログ内にて、以下のように感謝のコメントを発表しています。
「角田レフリーは、リング上で厳しく判断して下さいました。」
「武田に対する声への反応、体に対する指示の反応速度、朦朧とする意識の中での戦う意志と動き、相手を見る目、セコンドとのコミュニケーション能力などをギリギリの線で続行させてくれた。」
引用:角田信朗 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
様々な意見が飛び交い、大炎上したものの、こういった感謝の気持ちは角田信郎さんにとって、救いになったのではないでしょうか。
角田信朗と松本人志の関係① 確執をカミングアウト
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こうして2009年に業務停止処分を受けてからは、レフェリーとしても挌闘の世界から身を引いている角田信朗さん。
その後はタレントや舞台俳優として芸能活動を始めています。
しかし、芸能界で常に順風満帆だったわけではないようで、ダウンタウンの松本人志さんとの関係も話題となりました。
8年前の事件と心境をブログに綴った
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角田信朗さんが、松本人志さんとの確執を語ったのは2017年1月のこと。「ダウンタウン松ちゃんに伝えたいこと」というタイトルのブログをアップ。
当時から約8年前、ダウンタウンの冠番組内の企画「叩いてかぶってジャンケンポン」において是非レフェリーをお願いしたいという旨のオファーが入ったそう。
しかし当時の格闘技界は、前述の試合での角田信郎さんのジャッジメントで揉めている最中であり、3ヶ月間の業務停止に発展する程の大きな問題になっていた最悪のタイミングでした。
出演の判断をK-1の運営側に仰いだところ、「自粛して欲しい」という回答を受けた角田信朗さんは、悩んだ末に出演を断りました。
その1年後、日本テレビで放送されている「ダウンタウンDX」にゲスト出演のオファーが来たことで、「やっと謝罪できる」と喜んだ角田信朗さん。
しかし撮影当日になって、「角田信朗さんの出演シーンが無くなったので撮影はありません」という連絡があったそう。
松本人志さんが角田信郎さんの名前を発見すると不機嫌になり、「撮影は中止や!」と声を荒げたと、マネージャーを通して説明を受けたそうです。
それ以降も2人は共演が叶わず、角田信朗さんはずっとモヤモヤとした思いを持っているとブログで心境を吐露したのです。
角田信朗と松本人志の関係② 真相はドタキャンだった?
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角田信朗さんが書いたこのブログは大きな波紋を芸能界に投げかけ、ワイドショーなどで取り沙汰されて注目を集めることに。
この事態に松本人志さんは、出演したワイドショーで水を差し向けられると「全部話しますよ」と騒動について真相を語りました。
撮影2日前にキャンセル連絡を受けた
ダウンタウンの人気番組「ガキの使いやあらへんで!!」において、2週から3週に渡り「叩いてかぶってジャンケンポン」を目玉企画にした番組構成を検討していたそう。
とにかく大勢の芸人さんを呼んでチャンピオンを決めようという、かなりの大掛かりなものでした。そこで、レフェリーとして角田信朗さんに白羽の矢が立ちました。
レフェリー用の衣装や番組進行など、細かいスケジュールや詳細がつめられ、いよいよ撮影の2日前という時、角田信朗さんから突如キャンセルの連絡が入ったのです。
慌てて代役を立てようにも時間が足りず、撮影自体が急遽中止になる事態に発展。
松本人志さんは「これ、角田さんご本人はわかってなかったのかなあ」と、苦言を呈しています。
共演NGを越えていると激怒
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角田信朗さんのドタキャンにより、大勢の芸人を集めていたにもかかわらず突然の撮影中止は、番組制作に大きな影響を及ぼしました。
松本人志さんは以下のようにコメントしています。
「これは正直、大問題というか。だから僕が怒っているとか、そういうことじゃなくて、番組の問題とか、吉本興業とか、もっと言えば日本テレビとの問題なので。僕の共演NGとかそんなちっちゃい話じゃないんですよ」
引用:松本人志、角田信朗との“確執”に言及 - AERAdot. https://dot.asahi.com/
1年後、「ダウンタウンDX」でオファーをしてしまったのは、手違いだったそう。
事前に気が付いたものの、松本人志さんによると「それは吉本としても番組としてもやっぱり無理だ」という結論に達したことも明かしました。
さらに、角田信朗さんがブログを通してこの騒動を公にしたことに対しても、松本人志さんは思うことがあると切り出しています。
「8年後にブログでっていうのはルール違反なんじゃないかなあって。
これ(この番組のオンエア)を見てブログで(返答する)っていうのも正直僕はちょっともう……。これはもう会社通してやってほしいなと思うかなぁ」
引用:松本人志、角田信朗との“確執”に言及 - AERAdot. https://dot.asahi.com/
この騒動は単に松本人志さんが角田信朗さんを嫌っている、という次元ではなく、番組に多大な損害を与えたことへの双方の認識の違いがあったようですね。
角田信朗の性格とは?
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松本人志さんとの確執をカミングアウトした角田信朗さんですが、その性格について、周囲の関係者がコメントしています。
面倒くさい性格と評価されている
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K-1の後輩にあたる曙さんは、角田信朗さんの性格を「とにかく面倒くさい」と出演した番組内で明かしています。そのため、10年以上も距離を置いていたのだとか。
同じく後輩の1人である武蔵さんも、K-1引退後にすぐ復帰したことに関して「めちゃくちゃ面倒くさかった」と、バラエティー番組に出演した際に語っています。
その他には、正道会館で一緒に活動していた空手家からも同様のコメントをしていることから、「面倒くさい性格」という点が一致しているようですね。
角田信朗が結婚した嫁について
1993年に一般女性と結婚
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角田信朗さんは1993年に結婚しています。
嫁は恭代さんといい、熊本県を拠点として「ふくろうの社」を立ち上げてアロマテラピーなどの事業を行う起業家です。
2人の馴れ初めについては、残念ながら明かされていません。
また、後述しますが、角田信朗さんと恭代さんはすでに離婚しています。
角田信朗の娘と息子の名前が話題に 【北斗の拳の関係とは?】
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角田信朗さんと恭代さんは2人の子供に恵まれていますが、子供に付けた名前がスゴイと噂になりました。
角田信朗さんは、漫画「北斗の拳」の大ファンであったことから、子供には登場人物にちなんだ名前が付けられています。
娘は有里亜
娘の有里亜さんは、「北斗の拳」のヒロインのユリアから名付けられています。
角田有里亜さんは、熊本県高森町において袴姿で歌を披露するご当地アイドル「酒粕ガールズ」として活動していたことが確認されています。
しかし、2015年以降の足取りが掴めていません。
息子は賢士郎
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長男の賢士郎さんも、「北斗の拳」の主人公・ケンシロウから来ています。
本当はそのまま名前を付けたいと考えたようですが、姓名判断の結果が悪かったので少し変えたという経緯がありました。
長男の賢士郎さんは、角田信朗さんのブログに登場したことがあります。一番左側の男性が賢士郎さんです。
かなり頭が良く、角田信朗さんがブログで「自分では逆立ちしても入れない大学に進学が決まった」と嬉しそうに報告しているのが2013年でした。
現在は、大学を卒業して社会人をしていることでしょう。
角田信朗の現在① ボディービルダーとして活動
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華々しい成績を残している
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松本人志さんとの騒動以降、角田信朗さんをテレビで見る機会はほぼなくなってしまいました。
そんな角田信朗さんは、どうやらボディビルダーの活動に専念していたようです。
初めてボディビルダーとして名乗りを上げた2015年のグアム大会で、男子ボディビルミドル級において優勝、マスタークラスにて3位という好成績を収めています。
翌2016年に行われた「2016年ボディビルフィットネス選手権大会」では、3冠を達成する快挙。
50代でデビューして早々に優秀な成績を叩き出しているのは、中々のストイックさですね。
また、還暦を迎えてからもその活躍は続き、2022年に「日本マスターズボディビル選手権」の60歳以上級と60歳~80歳以上のオーバーオールで優勝。
同年にスペインで開催された「IFBB世界選手権」では、60歳以上級で5位入賞を果たしました。
角田信朗の現在② YouTubeに公式チャンネルを開設
トレーニング関係の動画がメイン
2020年4月に、YouTubeに公式チャンネル「角田信朗のなんやかや」を開設。
主に筋肉トレーニングの手法など、体を鍛えることに特化した動画を配信しています。
肩や上腕部など、場所を特定した徹底したトレーニング方法がアップされているので、鍛えたい部位を見ることで効果的に鍛えられますね。
角田信朗の現在③ 恭代さんと離婚し23歳年下の女性と再婚
角田信朗さんは、2025年3月に「NEWSポストセブン」の取材に応じ、2018年に23歳年下の女性と再婚していたことを明かしました。
元嫁の恭代さんとは、子供が成人し子育てが終わったタイミングで離婚していたとのことです。
角田信朗さんは現在の嫁との馴れ初めについて、「トレーニングについて聞きたい」と言われ何度か一緒に筋トレをしたのがきっかけになったと明かしています。
トレーニングを通じて関係を深め、やがて「一緒にやってみようか」と事務所を立ち上げることになり、現在、嫁は個人事務所「有限会社ファイティング・スピリッツ」の取締役や角田信朗さんのマネージャーなども務めてくれているのだそうです。
女性は近年、角田さんの個人事務所の取締役に就任したAさんです。角田さんとは20歳以上の歳の差で、角田さんのSNSにも度々登場。ファンからも『女将さん』の愛称で親しまれています。
引用:https://www.news-postseven.com/archives/20250314_2028993.html?DETAIL
嫁は以前から角田信朗さんのSNSにも登場し、「女将さん」と呼ばれファンができるほどの存在となっていました。
また、「NEWSポストセブン」では嫁の名前などは伏せられていましたが、角田信朗さんがSNSなどで事務所の社長兼マネージャーでもあるパートナーの名前などを明かしているため、現在の嫁は内藤美希(韓国名は睦恩慶)さんという韓国出身の女性であることが判明しています。
再婚相手は韓国・ソウル出身の方で、日本名は内藤美希、韓国名は睦恩慶(モク・ウンギョン)といい、1984年に韓国で生まれ、出稼ぎで日本に単身赴任していたジュエリー・貴金属職人の父親に呼ばれて、10歳の時に家族揃って日本に移住したそうです。
引用:https://geitopi.com/
出典:https://torendoworld.com/
角田信朗と再婚相手の内藤美希
再婚相手の内藤美希さんは、角田信朗さんにとって公私にわたり良きパートナーとなっているようですね。
角田信朗の現在④ 企業や団体を応援する活動を行う
角田信朗さんは、再婚を明かした「NEWSポストセブン」の取材時に、松本人志さんとの騒動についても振り返り以下のように語っています。
「人生でも一番苦しい時で、ハシゴを外すように人が離れていきました。テレビやお付き合いしていた企業の方も、いろんな事情を考慮して自分を使わなくなったんだと思います。リング上で殴られることには慣れていましたが、SNSでメンタルを打たれることに免疫がなかったので、メンタルがぐしゃぐしゃになりました。ただ、もろもろ落ち着いた今思うのは、僕から人が離れたのは騒動の影響だけでなく、『K-1の角田』というキャラクターの賞味期限が切れた時期と重なっていたのかもしれません」(角田、以下同)
引用:https://www.news-postseven.com/archives/20250314_2028994.html?DETAIL
「全盛期の頃は思い上がっていたことも多々あったと思います。」とも語り、あの騒動があったからこそ感謝の気持ちを持つことができたとも述べました。
騒動により、人が離れ仕事もなくなってしまった角田信朗さんですが、「カーコンビニ倶楽部」の林成治社長など、手を差し伸べて仕事や人を紹介してくれる方もいたのだとか。
現在、角田信朗さんは企業や団体からの仕事のオファーが多いのだそうです。企業を応援する立場の仕事が多く、全国を飛び回り忙しい日々を送っているとのことです。
「メディアのお仕事も良き頻度でお受けしていますが、主には企業絡みのお仕事で、“応援団長”的なことをさせてもらっています。ENEOSウイングさんでは支店同士の売り上げを競うイベントの決起集会に呼んでいただいて、『花の慶次』のテーマ曲を歌い、皆さんを応援する。一昨年からは横浜DeNAベイスターズの『横濱漢祭』で応援総長を務めさせてもらっている。他にも企業、団体さんから講演の依頼も多く、テレビなどのメディアで表舞台に出る活動より、企業を応援する立場のお仕事が大部分を占めています」
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まとめ
出典:https://www.cinematoday.jp/
角田信朗さんは、いじめを克服するために武道に目覚め、その後、高校生から空手を開始。大学卒業後はサラリーマンとして働きながら空手を続け、やがて総合格闘家へと転身しています。
空手引退後はK-1選手に転向と、次々に新たなステージを切り開きました。また、レフェリーとしての顔も持っています。
2009年にレフェリーとしての判断が物議を醸し、業務停止処分を受けたことも。
その騒動の渦中にバラエティ番組へのオファーを断ったことがきっかけで、松本人志さんと確執があることも明らかになっています。ブログで確執を公開したことで、バッシングを受けたこともありました。
そんな角田信朗さんは、周囲から「面倒な性格」と見られているようです。
1993年に恭代さんという女性と結婚し子供を2人もうけましたが、子供が成人したのを機に離婚。2018年に、現在、角田信朗さんの個人事務所の社長兼マネージャーを務める内藤美希さんと再婚しました。
また、現在はテレビ出演などはなくなっていますが、企業や団体からの仕事のオファーが多く、忙しい日々を送っているようです。角田信朗さんのこれからの活動にも注目していきましょう。