日本球界で長年活躍した助っ人外国人選手のタフィー・ローズは、輝かしい成績はもちろん、豪快な乱闘や愛すべきキャラクターも人気でした。
今回はタフィー・ローズの経歴、成績や年俸、乱闘動画、結婚など現在をまとめてみました。
この記事の目次
タフィー・ローズのプロフィールや経歴
タフィー・ローズ
生年月日:1968年8月21日
出身:アメリカのオハイオ州
身長:182cm
体重:100kg
所属:近鉄バファローズや巨人
活動:元プロ野球選手
タフィー・ローズはアメリカ出身で、日本のNPBで活躍した元プロ野球選手です。
最強助っ人と言われるほどの成績を残し、また明るく親しみやすいキャラクターでファンからの支持も厚かった助っ人外国人選手でした。
日本ではパワフルな長距離砲というイメージが強いですが、実は俊足でもあり、先頭打者(1番)もこなせるオールマイティーなプレーヤーです。
そのため、長距離砲の外国人としては珍しく、広い守備範囲と俊足を求められるセンターの守備につくこともありました。
来日前
タフィー・ローズは、お母様がソフトボールをやっていた影響で子供の頃に野球を始めます。
幼馴染には、アメリカの野球殿堂入りを果たしたケン・グリフィー・ジュニアがいて、一緒に野球をしていました。
タフィー・ローズとケン・グリフィー・ジュニアが子供の頃、一緒に野球をしていたなんてすごいですよね。
1986年にドラフト3巡目でアストロズに入団します。1A時代には年間65盗塁を記録するほどの俊足で、1990年にはメジャー昇格を果たします。
その後は、カブス、レッドソックスに移籍し、1995年のシーズン終了後にFAとなります。MLBのFAはクビに近い意味があります。
カブス時代には開幕戦3ホームランという今でも破られていない記録を打ち立てていますが、それでも、メジャーに定着することはありませんでした。
NPB時代
1995年オフにレッドソックスをFAになったタフィー・ローズは、日本の近鉄バファローズに移籍します。
来日1年目から3本のサヨナラホームランを放つなど、早くから日本野球に適応し、頼れる助っ人として大活躍します。
・巨人:2004年~2005年
・オリックスバファローズ:2007~2009年
タフィー・ローズは、2004年のシーズン中にFA権を獲得していますので、それ以降は外国人選手枠ではなく、日本人選手と同じ扱いになっています。
外国人選手で日本人選手と同じ扱いになるまで日本で活躍している選手は、2020年まででわずか10人しかいません。
タフィー・ローズは郭泰源に続いて、史上2人目の日本人選手枠になった外国人選手でした。
2009年のシーズン終了後に、オリックスバファローズから自由契約となり、NPBから引退しています。
タフィー・ローズの素晴らしい成績まとめ
タフィー・ローズの圧倒的な成績を見ていきましょう。
出典:jiji.com
タフィー・ローズのNPBでの通算成績はこちらです。
・通算出塁率:.381
・通算長打率:.559
・通算OPS:.940
・通算本塁打数:464本
・通算安打数:1792本
・通算打点数:1269点
「見事な成績」の一言です。続いて、個人タイトルを確認しておきましょう。
・打点王:3回
・最高出塁率:2007年
・シーズンMVP:1回
・ベストナイン:7階
・日本シリーズ敢闘賞:1回
タフィー・ローズの年俸
最強助っ人とも言われていたタフィー・ローズの年俸はいくらくらいなのでしょうか?
記録づくめの成績を見ると、さぞ年俸も高そうなイメージがありますよね。
・1997年:年俸7000万円
・1998年:年俸1億2500万円
・1999年:年俸1億800万円
・2000年:年俸1億7850万円
・2001年:年俸1億7850万円
・2002年:年俸2億9500万円
・2003年:年俸3億6000万円
・2004年:年俸5億5000万円
・2005年:年俸5億5000万円
・2006年:レッズ傘下で契約、公式戦出場なし
・2007年:年俸4800万円
・2008年:年俸2億3500万円
・2009年:年俸3億5000万円
今の時代から見ると、かなり「お手頃価格」と思ってしまいますが、当時のNPBでは高年俸であったことは間違いありません。
また、2005年シーズンは思うような成績を残せず、ケガもしたたため、高年俸がネックになり、契約とはなりませんでした。
しかし、それ以外の年俸を見てみると、タフィー・ローズがいかにNPBで毎年のように安定した素晴らしい成績を残していたかがわかりますね。
タフィー・ローズが愛された理由とは?
出典:sanspo.com
タフィー・ローズは、そのキャラクターもファンから愛されていました。
日本に長く住んでいたため、日本語を理解していて多少は話すこともできていました。
近鉄時代から、インタビュアーが話すことは通訳なしで理解できていたため、日本語→英語の通訳は必要はありませんでした。
そのため、タフィー・ローズが英語で話したことをインタビュアーや観客のために通訳が訳すというスタイルをとっていました。
また、明るいキャラクターで、関西弁を話すというキャラクターがファンに受け、大人気になりました。
清原和博さんや中村紀洋さんと仲が良いことも、なんとなくタフィー・ローズのキャラクターがよく分かりまよね。
近鉄時代の監督だった梨田昌孝さんからは、「養子にしたいくらい」と言われていたほどかわいがられていました。
タフィー・ローズと「ホームラン55本」騒動
出典:din.or.jp
タフィー・ローズと言えば、王貞治氏のシーズンホームラン数の日本記録だった55本を思い浮べる人も多いと思います。
2001年シーズンのタフィー・ローズは好調で、ホームランを量産。9月5日時点でホームラン数は50本に到達、9月12日には54本となり、シーズン記録の55本まであと1本と迫ります。
そこから、タフィー・ローズは露骨な敬遠策を受けるようになり、それでも9月24日に王貞治氏の記録55本に並びます。
しかし、さらに露骨な敬遠を受けるようになり、56本目は出ませんでした。
日本球界全体で、王氏の55本という記録を死守しようとしていて、外国人選手には絶対に記録を抜かせないという思惑が見えていて、「55本の聖域」が問題視されるようになりました。
もちろん、王氏が指示していたわけではありません。
王氏はスポーツ報知の取材に「おれは一切、選手に任せている。勝負を避けろ、というのは一切ない」と断言していた。
引用:王貞治「本塁打55本」の大きすぎる壁 外国人選手は「神の記録」超えられない?: J-CAST ニュース【全文表示】
ただ、王氏への忖度があったということなのだと思います。
タフィー・ローズは乱闘王としても有名 【動画あり】
タフィー・ローズと言えば、乱闘を思い出す人もいると思います。タフィー・ローズは乱闘王とも言われていました。
タフィー・ローズは試合中にキレやすく、すぐに乱闘騒ぎになるので、NPB史上最多の14回も退場処分を受けています。
特に、2007年に内角攻めをされて怒りだし、キャッチャーの里崎智也に襲い掛かったのはすごかったです。
胸元への投球に激高した。
ロッテの捕手・里崎智也をにらみつける。
「危ないやろッ!」。
これに里崎が
「全然、危なくないやろ」
と返すと、怒り爆発。
マスクをつかんで襲いかかる。
倒れた里崎にパンチとキックを浴びせた。
引用:“乱闘王”タフィ・ローズ…追随許さぬ退場「14」 07年7月17日はロッテ・里崎が…― スポニチ Sponichi Annex 野球
タフィー・ローズは182cm・100kgの巨体ですから、乱闘になると、かなり怖いと思います。
タフィー・ローズは結婚している?
タフィー・ローズは13年もNPBで活躍していましたが、結婚はしているのでしょうか?
外国人助っ人は、来日時に奥さん同伴で来ることも多いですが、タフィー・ローズは奥さんと一緒に公の場に現れたことはありません。
ただ、1992年にアメリカで3A時代にソンジャ夫人と球場で7000人の観客を前に挙式していますので、結婚はしています。
そんな奥さんは元CAで、息子はカールJr.という名前です。
息子さんは日本の球場でファンに目撃されたことが度々ありますが、奥様が日本の球場で目撃されたことはないので、タフィー・ローズが単身赴任していたか、離婚した可能性がありますね。
タフィー・ローズの現在
出典:flickr.com
タフィー・ローズはオリックスを退団後、アメリカに戻り、父親と一緒に暮らしながら、息子のバスケットボールチームのコーチをしていました。
しかし、現役へのこだわりが強く、2015年にBCリーグ富山で野手兼コーチとして入団します。
41試合に出場し、打率.315、本塁打5の成績を残し、さらにグッズの売上や観客動員など営業面でも貢献しました。
2016年も契約をしていましたが、足のケガで来日を果たせず、現役を引退しています。
まとめ
タフィー・ローズのプロフィールや経歴、成績や年俸、キャラクターや55本の聖域問題、乱闘、結婚と現在についてまとめましたが、いかがでしたか?
・NPBでは外国人で唯一400本塁打を記録
・王貞治氏に並ぶシーズン55本塁打の記録を持っている
・日本語を理解し、明るい関西弁のキャラクターで人気だった
・乱闘が起こりやすく、退場はNPB史上最多
・結婚し、息子がいる
・独立リーグで現役復帰をしたが、2016年で引退