元ボクシング世界チャンピオンがイケメン画家に転身し、注目を集めています。
鬼塚勝也さんのプロフィールや身長、若い頃からの生い立ちや経歴、入場曲や戦績、弱いという噂、結婚や嫁・子供の有無、現在の活動や絵の値段などをまとめました。
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鬼塚勝也は元ボクサー&画家
鬼塚勝也
生年月日:1970年3月12日
出身:福岡県北九州市
所属:スパンキーK・セークリット・ボクシングホール
活動:元プロボクシング選手、画家、ボクシング指導者
鬼塚勝也さんは元WBA世界スーパーフライ級王者です。
イケメンで実力もあるプロボクシング選手として人気がありました。引退後はボクシングジムを経営していて、2010年代になると画家として活動するようになり、たびたび個展を開くようになりました。
鬼塚勝也の身長
鬼塚勝也さんの身長は173cmです。
世界王者になった日本人プロボクサーは身長160cm代の人が多いので、鬼塚勝也さんはボクシング世界王者の中では身長が高い方だったと言えるでしょう。
鬼塚勝也さんの階級はスーパーフライ級です。
スーパーフライ級の体重は52.163kg以下です。そして、スーパーフライ級の選手の平均身長は162~163cmと言われていますので、鬼塚勝也さんはスーパーフライ級の選手の中ではかなり身長が高いことになります。身長が高ければ、それだけリーチが長くなりますので、有利ではあります。
ただ、試合前の減量はかなりきつかったと思います。
それでも、鬼塚勝也さんは元々の骨格が華奢で細身。しかも、ストイックなのであの身長でスーパーフライ級の体重を維持できたのでしょう。
引退後も体重管理をしっかりしていて、リンゴ1個で過ごす日もあるとのこと。
鬼塚「体は一番の自己表現だと思っている。その時の理想に合わせて体形も変えており、10キロくらいの変動はよくあります。根本的に食べることは大好きで羽目を外すこともあるけど、減量中の1杯の水や食べ物のありがたみは忘れないように、定期的に体を空にすることは今でもやってます」
「体は一番の自己表現」。すごい言葉です。もともとストイックに自己管理ができるタイプなのだと思います。
鬼塚勝也の若い頃からの生い立ち・経歴
出典:jiji.com
生い立ち・プロデビュー前まで
鬼塚勝也さんは1970年に福岡県北九州市で生まれました。
子供の頃から強かったのかと思いきや、小さい頃は喘息を患っていて、虚弱体質だったそうです。
このことにコンプレックスを持っていて、中学2年生の時に初めてボクシングジムを訪れます。最初はジムのドアの前で20~30分もうろうろしていて、会長に声をかけてもらって、初めて入ることができました。
高校は豊国学園に進学してボクシング部に入りました。2年生の時にはインターハイのライトフライ級で優勝します。その後の春休みには1人で上京し、都内のボクシングジムを周り、武者修行のようなことをしていました。高校の部活が休みの日には、他の高校の練習に混ぜてもらうほどの練習好きでした。
高校3年生の時に、東京でプロテストに合格します。ただ、いったんは福岡に帰って高校を卒業し、卒業式後の18歳の誕生日に本格的に上京して、翌月にはプロデビューすることになりました。
プロボクシング選手として
鬼塚勝也さんは1988年4月18日にプロデビューを果たしますが、1RKO勝ちという圧倒的な勝利を収めます。その後も勝ち続け、1992年には無敗のまま世界に挑戦し、WBAスーパーフライ級王座を獲得しました。
その後、5度の防衛を果たしますが、1994年9月18日には李炯哲と指名試合を行い、レフェリーストップでプロ初となる敗北を喫します。
タイトル防衛が進行する中で右目網膜剥離を患い、それが原因で王座転落→引退へと至った現役のフィナーレが、何よりもその思いを強くしている。
網膜剥離を患いながら防衛戦を行い、最終的には網膜剥離が原因で王座から陥落し、現役を引退することになりました。現役引退の翌日には帝京大学病院に入院し、網膜剥離の手術を受けています。
鬼塚勝也の入場曲
出典:cinra.net
鬼塚勝也さんの入場曲といえば、GAMMA RAYの「HEADING FOR TOMORROW」という曲ではないでしょうか。
ただ、このGAMMA RAYの「HEADING FOR TOMORROW」は鬼塚勝也さんの入場曲ではなく、番組のオープニングテーマ曲だったそうです。
実際に使っていた入場曲は、「この曲」と決めていたわけではなく、試合ごとに変えていました。
・Loving you(Massivo feat Tracy)
・Happiness(Soul Ⅱ Soul)
・Love me forever or love me not(Trilogy)
・Life in the fast line(Young MC)
・Snappiness(BBG)
・Rain Forest(Paul Hardcastle)
・Give Me Your Love(FUNK,INC.)
・Summer Madness(Kool & The Gang)
・Sadness(ENIGMA)
この中で入場曲として2回以上同じ曲を使ったのは、Snappiness(BBG)だけになります。鬼塚勝也さんと言えば。ガンマレイの曲のイメージがどうしても強いですが、入場曲はいろいろ使っていたんですね。
鬼塚勝也の戦績
出典:cinra.net
鬼塚勝也さんのプロボクサーとしての戦績を一覧で見てみましょう。
鬼塚勝也さんはプロでは25戦24勝(17KO)1敗という圧倒的な強さを誇っていました。
・1戦目:勝利(1RKO・秋山昭次・1998年4月18日)
・2戦目:勝利(1RKO・加田智・1988年6月20日)
・3戦目:勝利(1RKO・伊藤茂・1988年7月18日)
・4戦目:勝利(3RKO・江州哲也・1988年9月19日)
・5戦目:勝利(3RKO・武良二・1988年11月9日)
・6戦目:勝利(6R判定・池田光正・1988年12月21日)
・7戦目:勝利(2RKO・坂本豊・1989年2月27日)
・8戦目:勝利(2RKO・河西政夫・1989年5月15日)
・9戦目:勝利(4RKO・李相元・1989年8月21日)
・10戦目:勝利(5RKO・金徳鉉・1989年10月16日)
・11戦目:勝利(1RKO・安慶珉・1989年12月18日)
・12戦目:勝利(1RKO・千葉ラピソ・1990年3月19日)
・13戦目:勝利(7RTKO・杉辰也・1990年5月22日)
・14戦目:勝利(10RTKO・中島俊一・1990年10月15日)
・15戦目:勝利(1RKO・横山智彦・1990年12月17日)
・16戦目:勝利(10R判定・中島俊一・1991年3月18日)
・17戦目:勝利(5RKO・北澤鈴春・1991年6月17日)
・18戦目:勝利(7RTKO・朴賛雨・1991年11月4日)
・19戦目:勝利(12R判定・タノムサク・シスボーベー・1992年4月10日)
・20戦目:勝利(5RTKO・村松譲二・1992年9月11日)
・21戦目:勝利(12R判定・アルマンド・カストロ・1992年12月11日)
・22戦目:勝利(12R判定・林在新・1993年5月21日)
・23戦目:勝利(12R判定・タノムサク・シスボーベー・1993年5月21日)
・24戦目:勝利(12R判定・李承九・1994年4月3日)
・25戦目:敗北(9RTKO・李炯哲・1994年9月18日)
デビュー当時はずっと圧倒的な速さで買っていたのに、世界戦になると、12R判定勝ちが増えていきます。これは、相手が強くなったこともありますが、網膜剥離が進行していった影響があったのかもしれません。
鬼塚勝也は弱い?疑惑の判定とは?
出典:ameblo.jp
鬼塚勝也さんはWBA世界スーパーフライ級王者になり、5回の防衛を果たした実力者です。ボクシングの世界王者になったのですから、強いことは間違いありいません。でも、「鬼塚勝也」と検索すると、関連ワードに「弱い」という言葉が出てきます。
なぜ、鬼塚勝也さんの関連ワードに「弱い」という言葉が出てくるのでしょうか?
疑惑の判定が噂されていた
鬼塚勝也さんが弱いと言われる理由の1つに「疑惑の判定」があります。この疑惑の判定は、19
92年4月10日の初の世界王座決定戦でのものです。鬼塚さんは12R判定勝ちを収めて、世界王者になるのですが、この判定には疑問の声が多く上がりました。
対戦相手のタノムサク・シスボーべーが勝っていたと思った人が多く、「疑惑の判定」と言われるようになったのです。
微妙なRの多い、ジャッジ泣かせの試合内容だったが判定は2-1で鬼塚を支持!
若い新王者誕生に会場は沸いたのだが…
マスコミは素直に新王者を受け入れなかった。
「疑惑の判定」
「地元判定」
世間一般にダークなイメージの鬼塚が定着してしまう。
引用:鬼塚勝也
ただ、ボクシングファンによると、この世界挑戦の試合は「疑惑の判定」と言われるほどではなく、僅差で鬼塚勝也さんが勝ったのは納得できるものだったようです。
「疑惑の判定」というと、このタノムサク・シスボーべー戦を思い浮かべる人が多いですが、その後の防衛戦である3回目の林在新戦、5回目の李承九戦の方が「疑惑の判定」だったという声も多いです。
これらのことを考え合わせると、鬼塚の試合では、ジャッジが鬼塚側から金銭を不正に受け取った疑いが濃厚です。
このように鬼塚勝也さんは弱いのに、お金で世界王者の地位を買ったと感じたボクシングファンもいたようです。
網膜剥離の影響も?
鬼塚勝也さんが「弱い」と言われるようになったのは、網膜剥離の影響があったのかもしれません。網膜剥離になったボクサーは現役を引退しなければならず、鬼塚さんは引退を回避するために、網膜剥離を隠して防衛戦を行っていました。
ところが1994年、鬼塚選手は6度目の防衛戦で世界タイトルを失い、以前から網膜剥離であったことを明かして現役を引退したんです。
引用:【俳優、画家・片岡鶴太郎】人生後半を思いきり楽しむ、「老いては『好き』にしたがえ!」の流儀 – 日刊介護新聞 by いい介護
網膜剥離になれば、視力が低下します。視力はボクシングのパフォーマンスと直結するものですから、網膜剥離を患った鬼塚さんのボクシングを見て、「弱い」と感じた人もいたのかもしれません。
鬼塚勝也は結婚している?嫁や子供は?
鬼塚勝也さんは現役時代からイケメンボクサーとして人気がありました。
細身のイケメンで、現役時代からガウンをデザインをするほどおしゃれでした。現役引退後も太ることなく体型を維持し、オシャレでかっこいい「イケオジ」になっています。
ということは、鬼塚勝也さんがかなりモテたのでは?と思いますが、現在まで結婚していたことはないようです。おそらく結婚・離婚歴もなく、子供もいません。
なぜ結婚していないのかはわかりませんが、「ヒマワリ」と「ぼくさー」という2匹の猫が鬼塚勝也さんの家族でした。
ヒマワリは19年前に雨の日のジムの前で弱っているところを見つけて、それから育てていました。しかし、糖尿病を患ってしまい、鬼塚さんはずっと看病をしながら、一緒に生活をしていました。
現在の原動力は、愛猫の「ひまわり」ちゃん。雨の日にジムの前で段ボールの中に入れられ、弱った姿を見つけた。
「現在の原動力」という書き方を見る限り、鬼塚勝也さんには嫁や子供はいない可能性が高いでしょう。
鬼塚勝也の現在①:ジムを経営
鬼塚勝也さんは現在、福岡県でボクシングジムを経営しています。
1999年に福岡市に「スパンキーK・セークリット・ボクシングホール」というボクシングジムを開きましたが、このボクシングジムは本格的にプロを目指す人用ではなく、エクササイズやダイエットなど目的の人が多いとのことです。
鬼塚氏(以下鬼塚)「制作以外の時間はトレーナーと一緒に練習を見ています。選手志望は募ってないから、ダイエットやエクササイズで通う人が多い」
ダイエット目的でボクシングジムに通ったら、元世界チャンピオンが指導してくれるなんて、贅沢なジムですよね。
鬼塚勝也の現在②:画家に転身
鬼塚勝也さんは1994年に現役を引退した後、知人がいるロサンゼルスに渡りました。そして、現地の保育園でバイトをするようになります。
子供たちが昼寝をしている時に、クレヨンで画用紙に絵を描くと、子供の頃に絵が好きだったのを思い出し、アートの世界に没頭していきました。
鬼塚「子供たちが寝ている間に描いた落書きを壁に張ったら、すごく喜んでくれて。引退して何もなくなったと思っていた自分が好きなものに気づけた瞬間だった。ボクシングもアートも腕一つで自己表現できるのは一緒で、没頭できる」
そこから自分で絵画を制作するようになり、2011年以降は個展を開くようになりました。
・2011年1月:『RED CORNER』(個展)
・2011年5月:『ベストジーニスト」受賞。授賞式で絵画を展示
・2012年5月:『文化人、芸能人の多彩な美術展2012』
・2013年5月:『文化人、芸能人の多彩な美術展2013』
・2013年12月:『FRIEND SHIP』
これ以降も毎年のようにアート展に出展したり、個展を開いたりしています。2025年には福岡県立美術館で「鬼塚勝也ファイティングアート展」を開催しています。県立美術館でのアート展開催はすごいですよね。
この絵画以外にも、洋服やアクセサリーのデザインなども手掛けていて、1日も欠かさずデザインしていて、今までの作品数は2万点以上にもなるそうです。
鬼塚勝也の絵の値段は?
鬼塚勝也さんの絵の値段は、サイズや作品によっても違いますが、1つ100万円~200万円するものもあります。
鬼塚勝也さんがアウトデラックスに出てて、絵画作品を紹介してたけど、やっぱり世界チャンピオンになる人は独自の手法を追求する姿勢がハンパない。
— アトレス🎨 (@atoless) April 12, 2018
100号位の絵に200万円位の価値がつくとペロタン言っていたけど妥当だと思う。
プロボクサーで世界チャンピオンだった鬼塚勝也さんってボクシングジムも経営してるみたいだけど🥊
— もも、もんも (@Momo777Monmo) March 11, 2025
今は画家になって絵を書いてるらしいですね。
しかも1万100万円とかで売れてるらしい。
凄い👏✨
プロボクサーで世界チャンピオンだった鬼塚勝也さんってボクシングジムも経営してるみたいだけど🥊
— もも、もんも (@Momo777Monmo) March 11, 2025
今は画家になって絵を書いてるらしいですね。
しかも1万100万円とかで売れてるらしい。
凄い👏✨
確かに、鬼塚勝也さんの絵からはパワーを感じます。これだけの大作なら、数百万円の値段になっても不思議ではないですね。
鬼塚勝也のまとめ
元WBAスーパーフライ級王者の鬼塚勝也さんのプロフィールや身長、これ若い頃からの経歴、入場曲や戦績、弱いという噂、結婚・嫁・子供の有無と現在のジム経営や絵の値段などをまとめました。
鬼塚勝也さんは1つのことに没頭するアーティスト・職人気質なのかもしれません。これからのアート作品にも期待したいですね。